見てしまった瞬間
目が覚めると森の中だった。ここはどこなんだろう……? 麻里絵は? 教室はどこに行ったんだろうか。
「あれ」
見覚えのある自分のそれよりも何倍も細い子供の手首に、小さな柔らかい手。――なんなの、これ。服だって子供服で、着ていたはずの制服じゃない。立ちあがろうとして聞こえるシャラリという鎖の音。鎖?
見れば右足が鎖で木に繋がれていた。簡単には抜けそうにないくらい深々と杭が打ち込まれていて、私をこの場所に拘束しようという意図が見える。
見回せば深い森で、どこかから獣の鳴き声が聞こえる。怖い――怖い。ここがどこなのかも分らないしどうして子供になっているのかも分らない。何もかもが謎で、恐怖が私の心にじわりと浸透する。
「――抜け、ろっ!」
この場に繋がれている、それだけでもどうにかしようとあまり回らない頭で思い、杭に手をかけて引っ張った。思い切り引いたそれは思ったよりも、ううん、思わぬほど軽く抜けた。
「え……?」
杭の長さは三十センチはあった。それに加えてギザギザの切れ込みがあり、普通の子供なら抜けるはずがない。それが、簡単に抜けた。
「何で」
おかしい。おかしいおかしい。こんなのはおかしい。耳が小さな音を拾いばっとそっちを振り返れば――涎を垂らした怪物がいた。見た目は恐竜サイズの蜘蛛みたいで、口の両端から伸びる黄色っぽいたわしみたいなのがすりすりと擦り合わされている。口からは涎が止まることなく流れ、どうやら唾液じゃなくて胃液に近いらしいそれはジュワーと草を焼いていた。私を獲物だと見ているのはすぐに分った。赤く光る八つの目は私を間違いなく標的としていたから。
「クモ……」
カシャ、という音がして蜘蛛が一歩前に出た。私も一歩下がり、蜘蛛はまた二歩進み、私も二歩下がる。蜘蛛は足を伸ばして体をぐっと上にあげた。何をするのかと見ていれば足の間からお尻を丸めて突き出し――糸を吐き出す。速い。でも……逃げられない速さじゃない。
「あれ、何で」
普通なら避けられるはずなんてない速さだった。私は普通の人間なんだから逃げられるはずなんてないんだ。何の私の足は平気で人外の速度を叩きだした。
「何で、何で……!?」
その勢いのまま走り出し、あの怪物から逃げることだけを考えた。誰か、どうして、助けて、何でこんなスピードが。私の頭はこれ以上なく混乱していた。誰か人を見つけなきゃいけない、でも、人なんて、いるの……?
三キロ向こうに人が何人もいる。一キロ向こうにあの蜘蛛がいる。そんな情報が何故か私の頭に浮かんだ。浮かんだって言うよりはそんな感覚的な確証があった。何で何で、どうしてそんなことが分るの!
でも死にたくないから、その集団に向かって走るしかなかった。
「なあ、あの蜘蛛にあんな餓鬼一人で十分なのかよ? あれなら俺たちも食後のデザートにしちまうんじゃねーのかよ」
「食ったばっかはどうせ隙だらけだろ。そこをおれたちがぐさーっ! っとやっちまえば良いんだよ」
「オレらに連れ去られたのが運のつきだな。ま、どうせどこにでもいる餓鬼だ。探すのは親くれーでオレらを捕まえようとする奴なんていねーよ」
「ちげぇねぇ。ははは!」
そんな下卑た声が聞こえてきて、私は足を止めた。
「ま、あの娘っこには適当な餌になってもらったことだし、冥福をお祈りしてやるか」
「ははは! 可哀想なおじょーさん、どうかおれたちを恨まずに昇天してください、てか?」
「そーそー。ポクポクポクポク、チーン、とな」
考えれば誰にでも分る話。この男たちは女の子を餌にして、自分たちは高みの見物、満腹になった怪物を襲って殺すつもりだ。
そう、考えれば誰でも分ること。私は鎖に繋がれて森に取り残されていて、怪物から逃げのび、助けを求めてここにいる。――私は、この男たちに餌にされたんだ。考えれば、分る話。
ゲラゲラという笑い声に膝から力が抜けるような思いがした。何で、なんて言葉は出なかった、ここは日本じゃないってことも何もかもがすんなりと私の頭に馴染んでいた。
「だいたい奴らが独占しすぎなんだっての。なぁ? ハンターライセンスがなんだってもんじゃ。密漁とどう違うってんだ」
「だな。えっとギン・フリスクだったか。あいつとおれたちとどこが違うんだ!」
「馬鹿か、ギン・フリスクじゃねーよ。ジン・フリークスだ。おまえ人の名前覚えるの本当に苦手だな。おい、オレの名前言ってみろ」
「馬鹿にすんなよな。えっとアレだろ、アレ――」
ジン――ジン・フリークス。ハンターハンターの主人公の父親の名前。じゃあ、ここは、そんな。
私の後ろから、匂いを辿って怪物が近付いていた。男たちの壊滅まで、あと二分。
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01/03.2011(瞬間を書く五題)
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