逆鱗1


  手の中の文からほのかに、甘い香りが広がった。
「桂花?」
 口にしてから同じ台詞を言った愛の声と顔が政宗の脳裏をよぎった。
 

 愛と和解し名実共に夫婦になってまもなくのこと、それを待ち構えていたように父・輝宗から家督を継ぐ話を政宗はもちかけられていた。
 父本人は別に病気とか老齢というわけでもなく、むしろ健康そのものだ。
 いや、それよりも何よりも、惣領息子の政宗自身がまだ十八歳――弱冠というもおこがましい年齢を考えても、家督相続の話はどう考えても早すぎる。
 政宗は必死に固辞しているが、父はかの魔王・織田信長が家督を継いだのは十八歳という事実を盾にとって譲らない。あまつさえ外堀を埋めるつもりなのか、気の早い者はすでに政宗のもとに前祝いなどを持ってきている始末だ。
 そんなときに、一等厄介なものを持ち込んできたのは成実だった。
「和尚さまが、家督相続のこと祝着至極ってさ」
 成実は妙に誇らしげにそう言って、和尚からの書状と贈り物を差し出し
「これ、和尚さまからの前祝い。やっと成功したんだから大事にしろって、すっごくうるさく言われた」
 和尚が自分の味方をするわけがない、とは思っていたが先手を打たれたことには、舌打ちするしかない。
 成実を適当にねぎらって追い返した後で和尚からの書状を一読して、政宗は持ちこまれたものに目をやる。
 つやのある緑の葉、象牙色のあまりなめらかとはいえない幹――どこにも花がついていないのに、「桂花」という名らしいこの木は、なんでも和尚が明国から取りよせ、なんとか栽培に成功したものだそうだ。南方の植物なので苦労しただの、風雪に当てたら枯れてしまうだの……文には注意書きが延々続いて、改めて辟易とさせられたが

   追伸  婚礼前にお見せしたアレは、役に立ちましたかな

 という最後の一文にぶちきれそうになって、政宗は書状を破り捨てたくなった。しかしようよう抑え、落ち着いたらうんざりさせられた。
 和尚から贈られた植物など面倒くさいだけだから、例によって愛の部屋に持ち込ませるつもりだが、そのためにはこの注意書きを読ませる必要性がある。しかし愛からもその側についている喜多からも、この追伸について追求されたくない。
 クソ和尚、と悪態をつきながらも政宗は、この面倒くさい注意書きの必要な部分のみを祐筆に書き写させた。原本を焼き捨ててやったのは言うまでもない。
「桂花?」
 そんな政宗の懊悩を知らない愛は、いつものようにうれしそうに微笑んで礼を言ってから、持ち込まれた鉢植えの木、その初めて見るその植物を不思議そうに覗き込んだ。
 鉢植えにしてあるのは風雪を避ける、要するに屋内で育てるためだが、やがて愛は右手を唇に当てて、なめまわすようにじっくり見て、
「……どんな、花が咲くのでしょう?」
 なぜか息を殺していたらしく、少し頬が赤くなっている。咲く前に、どのように花がつくのかすら想像もつかず、必死に観察して思いをめぐらせていたのだろう。
「冬になったら明るい色の小さい花が咲いて、甘い香りがする。らしい」
 注意書きを適当に読んで、気長に待ってろと投げやりにいったはずなのだが、愛は莞爾と微笑み、楽しみですと言っていた。
 本気で楽しみにしていたらしく、戦に出る直前にも
「桂花が咲いて、香りがいたしましたら、料紙につけてお送りします」
とわざわざ言っていたくらいだ。
 そして、いつものように戦陣に愛が手ずから作った衣類などが届きはじめると、添えられる文に慣れない香りがついているのに気づいた。手紙の最後には

   桂花が咲きました。政宗さまがおっしゃったように、小さいけれど美しい花で、  よい香りが部屋中にいたします。とても気に入りました。
   姿形は絵でもお届けできますけれど、香りばかりはそうは参りませんので、料紙  につけてみました。お手元に届くまで残っているとよいのですが。

 更に、文とともに乾燥させた花とともに愛直筆の絵が添えてあった。
 花とは思えないほどに小さい、というよりも細かいといったほうが通りがいいほどの大きさの、柑橘系を思わせる色の花が、面白い事に葉と葉の間から鈴なりに密集して咲いていた。
 愛の絵はその文の筆跡に似て線が細いが、絵の桂花は妙に誇らしげにも見えた。おそらくそれは、文と絵から漂ってくる芳香のせいだろう。
 少し料紙を動かしただけで増すその香りは、花の色とは裏腹にひどく甘ったるい。料紙につけてこれほどならば、実際咲いている花からはかなり強い香りがしていると推測できた。和尚からの説明書きには果実はならないとあったが、仮になったとして同じような香りがしていたら、舌にまとわりつくほどの甘さに違いないと政宗に思わせる程だった。
 しかしこの甘い香りがついた文ではあったが、内容はいつものように城中や領内の様子が大半で甘いばかりのものではなかったが、それでも政宗には最後に追伸のように書かれている、桂花についての記載に不思議に目が行きがちだった。

   明国で桂花は、香りの良さから茶や酒に入れて楽しむという風習があるのだと   か。明国では茶の湯は点てるのではなく、煎じて喫するそうですけれど、この香り  なのですから、きっとおいしいのでしょうね。

 愛がはしゃいでいる、政宗にはそう感じられる。
 酒でも入っているのではないかと思わせる程に高いtensionが気にかかったが、同時に戦に出る前あたりから体を温める効果があると、喜多の勧めで少しだが酒を飲まされていた事に思い至った。
 どうやらあまり酒の味が好きではないらしく、愛があまりに厭うため喜多が甘い酒に変えたが、大して飲める量は増えていない。それでも、体調は多少でも良くなっているらしい――酒の効果かどうかは定かではないが。
 少なくとも、愛も文にこうして桂花の茶や酒の話を書いてしまうくらいなのだから、興味があるだろう。それにおそらく無自覚だろうが、読みようによればこの文面は「おねだり」と言えなくもない。
 思えば愛が強いて何かをねだった事はないような気もする。珍しいせっかくの「おねだり」なのだから、取り寄せてみても悪くないと政宗は思った。酒も苦手のようだが飲めないわけではないようだ、桂花の酒なら愛も飲むかもしれないし、無聊を慰めることにもなるだろう。
 我知らず、政宗が口角を上げながらそんなことをつらつら考えていたのが、二ヶ月前のことだった。
 手を動かすと相変わらず手元の文からは、あの時と変わらない桂花の香りが漂い、政宗は思わず強く握り締めた。

2011.12.31 初出



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