お寺に泊まろう!5


 「うっわあ、やべえ!」
 せっかく書物に集中しかけたところで、素っ頓狂な時宗丸の声に現実に引き戻された。なんかまたすごい描写でも見つけたのかと思ったら、青い顔をして呆然と立ち尽くしていて、さらに驚かされた。
「梵天丸、和尚さまっていつ帰ってくるっけ?」
 さすがにオレも血の気が引いた。和尚が帰ってくるのはたしか明日、しかも早朝の帰ってくるのが常だ。となると自動的にfree timeは当分ないし、修行と勉学の日々が始まってしまう。
 オレと時宗丸はその後、黙って例の書物を全巻一気読みした。coolなつもりだったが、内容がほとんど頭に入ってこなかった。shit!

 ともあれ幸いな事に、帰ってきた和尚は妙に機嫌が良かった。挨拶に出向いた時、何処に行ってきたのか聞いてみたら
「南の海が見たくなりましてな」
 と笑いながら遠くを見ていた。
 どうせならもっと南の海に出て、当分帰ってこなければ良かったものを。
 世の中には補陀洛渡海というものがある。はるか南の海の上にある観世音菩薩のいる浄土――補陀洛を目指すもので、『平家物語』ではたしか平維盛が熊野あたりでこれを行っていたはずだ。
 言ってみれば一種の入水自殺だというのに、一時はとても流行った事なのだそうだ。実際やったら確実に死ぬが、この和尚は即身成仏にしようとどこかに閉じ込めても、きっと生きて戻ってくるに違いないと思う。根拠はないがオレにそう思わせる何かを和尚は持っている。時宗丸が和尚をrespectしているのもこういうところではないのかと、オレはひそかに睨んでいる。
 とはいえ、ここまで言っておいてなんだが、オレはこれでも和尚は嫌いではない。特にこういう図太いところは見習うべきなのかもしれないと思っているし、深い学識と教養は本物だ。だいたい尊敬してなかったら、こうしておとなしく下座で話を聞いていない。
「ところで若君、あれを……」
 指差された先の庭に小ぶりの木が二本――どうやら牡丹のようだった。
 gardeningが趣味の和尚と手ほどきを受けた小十郎、そして坊主どもの行き届いた手入れのために、寺の庭はいつも花が咲き誇り美しい。そのなかにあってその牡丹は木としても細く、弱々しく見えた。
 オレは花鳥風月を愛でる感性や心は持っているつもりだが、草木そのものを育てようという気にはならない。しかし記憶が確かなら、昨日までそんなところに牡丹はなかった。きっと昨日和尚が持ち帰って、今しがた植えたものに違いない。だとすると、弱々しいのも当然かもしれない。
「頼りなく見えましょうが、まもなく蕾もつくはず。そうしましたら婚礼のお祝いにさしあげよう」
 反射的にいらねえ、と言いかけたが飲み込み、丁重に礼が言えたオレはcoolだ。
 正直言って、寺の庭に関係する思い出で良い物など一つもない。
 和尚が掃除と庭の草木の手入れに求めるlevelが高い。そして和尚は寺を拝領した大名の子息だから、といって容赦をしない。寺にいる以上は自分がruleとばかりにオレも時宗丸も小十郎も、庭や境内の掃除や炊事までしっかりやらされたものだ。
 まあそこまではいい。問題はこっちが思いっきり力を入れて隅々までやったつもりでも、掃除していない箇所を発見してしまうほどの、小姑のような執拗さと注文の多さだ。小言と警策を嫌というほどくらったおかげで、おかげでさすがの時宗丸も掃除という単語をきいただけで、及び腰になる。ついでに庭は平時においても悪戯一つ許されず、少しでも足を踏み外したという程度の不注意ですら容赦なく警策が飛んでくる。やったことはないが枝を折った暁には、一晩中でも簀巻きにされて木に吊られてしまうのではないかと思う。
 牡丹に罪はないが和尚に関わる草花には、どうも好印象がもてない。婚礼祝いだという言葉すら嫌味に感じるので、届いたら速攻で嫁に押し付ける事に決めた。嫁の花鳥風月を愛でる感性も測れるし、和尚にも良いように言えるし、一石二鳥というものだ。
 和尚の部屋を辞して、そこまで考えたところで、なぜ牡丹なのかが気になった。祝いの花ならば他にもあるし、木を贈るなら梅でも松でもいいはずだ。理由を聞いてみようかとも思ったが、碌でもない答えが返ってきそうな気もする。和尚の薄笑いが頭をよぎったので追求しない事にした。
 どうせ嫁に押し付けるのだ、せいぜい嫁が和尚ほどではない程度に牡丹を愛でる精神を持っている事を願うばかりだ。

2011/05/23 : 初出
2011/07/20 : 加筆修正



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