婚礼 1


 今年は雪が多いようだ。まもなく暦の上では春になろうというのに、二日前から雪がしんしんと降り続き、城も庭も雪化粧が施されてしまっている。
「……shit!」
「政宗さま」
 先ほどからブツブツとつぶやいては舌打ちしている小さな主君を、片倉小十郎は静かにたしなめた。
「いい加減になさいませ。こたびのことは、政宗さま自身がお決めになったことでございましょう」
「うるせえよ」
 小十郎の姉であり、政宗の乳母である喜多もたしなめる。そのくらい、脇息で頬杖をついて悪態をつく姿は、鎌倉時代から続く名家伊達氏の御曹司とは思えないものであった。一体どこで教育を間違ったのだろうと、小十郎は傅役として嘆かわしい気分にさせられてしまう。見ると喜多も、頭痛を堪えるような仕草をした。
小十郎の主君、伊達政宗。当主伊達輝宗の嫡男であり、小十郎は政宗が生まれたときから姉の喜多とともに守り立ててきた。寺でともに英才教育を受け、武芸のみならず歌舞音曲、果ては異国語に至るまで、非凡なる才能を見せている。
側にいる小十郎のみならず、輝宗にも将来を期待されている政宗であるが、まだ十三歳とやんちゃ盛り――嫁でももらえば落ち着くという、やや安易ともいえる意見が聞こえてくるようになっていた昨今だったが、それがこのたび現実のものになったのである。
 改めて政宗を見ると、真新しい烏帽子に水干――礼装でかためた姿は凛々しいというしかない。しかし、本当はこんな格好したくないんだと全身で怒鳴っているような態度と、眇められた左目がすべてを相殺していて、小十郎はため息をつくしかない。もうまもなく花嫁が城に到着する時刻だというのに、新郎がこれではどうしようもない。
「政宗さま」
「婚儀が嫌なわけじゃねえよ」
 小十郎のため息を聞いて、政宗はつぶやくように言った。小十郎はため息のあと、必ず長い説教を垂れることを、経験的に知っているのだ。
「でしたら、この期に及んで……」
「shut up! きけよ」
 言葉に怒気はない。むしろ静かで、緊張すら感じられて小十郎は黙って政宗に向き直った。政宗も脇息を前に持ってきて、その上で手を軽く合わせた。
「この婚儀を決めたことに、オレは後悔してない」
 事の始まりは、田村家からの申し出だった。
 近隣にある諸勢力の一つである田村家は、先祖が征夷大将軍坂上田村麻呂という名門だが、現在その勢力は弱小といっていい。周囲は半ば敵に囲まれている。しかも跡継ぎになる男子がいない――滅ぼして下さいといわんばかりの状況に置かれている。
 その中で当主田村清顕は、領地や勢力の確保と家名存続を一人娘に託すため、婿として政宗に白羽の矢を立ててきたのである。この婚姻はそのまま伊達と田村の同盟締結をも意味することになる。
「この同盟で、うちが得られるものは何もねえ。母上が言った通りな」
 この話が持ち込まれたとき、周囲や父輝宗はともかく母義姫は大反対だった――名門とはいえ、弱小の田村と結んだところで伊達家に利するものなど何もない、と。
実際その通りだ。今のところ隣国でもないため、すぐに兵力や領土の増強とはならない。そして弱小すぎて、いずれ事を構えることになるであろう、南の強大な佐竹氏や芦名氏への抑えにもならない。そもそも当主が健在であるし、戦国の習いとして約束というものは、実質上人質として送られてくる花嫁をたてにしたところで、裏切られることなどめずらしくもない以上、将来への保障にすらならない。
しかし、政宗はこの縁談を承知した。父輝宗の了承も得てすべてを自分で決め、今日という日取りさえ、政宗自身が決定したのだ。
「お断りになってもよかった縁談です。なぜお受けになられたのですか?」
「田村が弱小だからだ」
 実家が強いと、母上のようになる――政宗のつぶやきに、小十郎と喜多は思わず顔を見合わせてしまった。
 政宗の母で、当主輝宗の正室義姫は、隣国山形で強大な勢力を誇る最上家当主の妹である。心身ともに健康というより強靭で、実際に薙刀と弓をもって戦場に出て手柄まで立ててくることすらある女傑だ。
さらに彼女が厄介なのは実家の勢力や思惑を背景に、伊達家の政治ごとにまで口出ししてくる事だ。それで輝宗を困らせる事も一再ではない。それでなくても同盟関係にあるとはいえ、最上家の勢力が強いばかりに、何をするにせよ一々お伺いをたてなくてはならない。同盟とは、得られる平和や利益も多いが、被る害と言うものも馬鹿にならない――義姫はそれを体現しているとも言えた。
 そして伊達家にとって、そして小十郎や喜多にとってもっとも厄介なのは、義姫が周囲の目から見ても長男の政宗を疎んじる事甚だしく、政宗は幼少のころより片目であることに対する劣等感を母に煽られ続けてきた。実際は人質だとしても、紛いなりにも嫁として一緒に暮らす未知の相手には、少しでも母親と重なるものを持っていて欲しくないと思うのは仕方のないことであろう。小十郎と喜多は無言でうなづきあった。
 黙りこんだ傅役と元乳母を眺めながら、政宗はどうにか説得されてくれたらしいことに安堵していた。自分が母のことを口にすると、周りの人間は神妙になる――その腫れ物に触るような態度も、それはそれでおもしろいものではないのだが、本当はそれ以上に母の事を口に出す事のほうが、不愉快だった。
 母に疎まれているのは知っている。理由はただ一つ――自分が片目を失ったからだ。
 幼いころから、母は息子の自分が片目である事を引き合い出し、時に罵られ、時に無言で睨まれ……。自然と母とは疎遠になった。その分父には可愛がってもらった。そして母の動向を知るのは、いつの間にやら父を通してのみになっていた。
その父はというと、母を「よしさん」を呼んで大切にしている。そしていつも――よしさんはお前を強くするために、ああいう突き放すような態度を取っているが、本当は心配でたまらないのだ、と言われ続けて来た。もちろん信じられずにきたわけだが……。
 疎まれているなら仕方ない、関わらずにいけばいいと思ってきた。そしてそのように振舞ってもきた。
しかしこの縁談が持ち込まれて、しかも母が反対していると聞いた時点から、ほとんど反抗心だけで話を推し進めてきた自分に、政宗はつい先ほど思い至った。
 今まで忙しくて考える余裕もなかったが思い返してみると、結婚相手がおとなしく、そしてまだ子どもだと聞いて安心した自分がいた――母のように気が強くなく、しかもまだ母親になることはないと思ったわけだ。つまり意識するしないに関わらず、自分の言動の端々に母を意識したものがあったことを、よりによって婚礼の寸前に気づいた。もはや舌打ちする他ないと言うものだ。
「ともかく、だ」
 婚礼が嫌なわけではない、これは本心だ。無意識に母を意識して行動していた自分が癪に障るだけで、婚姻はいつかしなければならないことだし、しかも結婚相手は現在の政宗にとってこれ以上ない条件を備えている。これで性格と顔が良ければなお良いのだが、まあ不細工でも三日見たら飽きるか、味が出るものだ……多分。
 当面政宗が気にしなければならないことは、この婚礼によって伊達家の奥深くに入ってくる、他家の人間の存在である。
「喜多。前にも言ったが、お前は今日から田村の姫付きだ」
 姿勢を正し、喜多は礼儀正しく頭を下げた。
「田村の侍女たちには、せいぜい意地悪してやれよ」
 嫁が来る以上、侍女たちも城の中に入ってくることになる。侍女たちは伊達家の内部に入り込んでくる、言ってみれば偵察要員ともなりうる。――もちろん嫁も例外ではない。監視できる人材がいたほうがいいには違いないのだ。
「あらあら、損な役回りでございますこと」
 そういいながら、喜多は微笑んでいる。
喜多は己の勤めに忠実な人間で、彼女の行動を妨害しようとする者には容赦がない。それこそ老若男女の区別も、身分の上下も、何の意味も持たなくなってしまう。
政宗もいたずらのたびに、ずいぶん折檻されたが、大事な嫡男を折檻するとは何事かと止めに入った小十郎や家臣たちも、全員がついでに折檻されたものだった。――微笑みは喜多の地顔といっていいが、その微笑に騙されてはいけないことを、伊達家中の者は全員身をもって知っている。
その喜多の目に鋭い光が宿っている。意地悪、とは言葉の綾のつもりで言ったが、本当に意地悪になってしまうかもしれない。今回も伊達の家風に合うように、という名目で微に入り細に入り、侍女たちに怪しげな行動があれば、逐一丁寧に潰されるに違いない。命令を撤回する気はないが、一瞬田村の侍女がかわいそうになった。
「あと、田村の姫はまだガキらしいからな。とりあえず余計な事しない限り、できるだけ優しくしてやれよ」
「かしこまりました」
「一応嫁だからな。本当に優しくしてやれよ、できるだけ。」
 下手に喜多にしごかれて、母上のようになっては……と思いかけて、政宗はまた舌打ちしたくなった。



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