無畏・後篇


 目が覚めると、視界がやわらかいものに塞がれていて一瞬ぎょっとして、すぐに昨夜の事を思い出した政宗は、隻眼で周りの様子を窺う。
 朝というには少し早いようだが、周囲を見渡すには充分な明るさで、少し首を傾けると愛の平和な寝顔を見ることができた。
 瞼がしっかり閉じられて、昨夜と変わらぬゆっくりとした鼓動からも、睡眠を満喫しているのがわかる。しかしその口元はなぜかかすかに微笑んでおり、整った顔立ちもあって寺で見た菩薩のようであり、また何か楽しい事を考えているようにも、欲しかったものを手に入れて満足そうにしているようにも見える。
 思わずその顔に手を伸ばしかけて、政宗は一度放しかけた手を愛の背に戻す。これで目を覚まされたらせっかくの目論みが台無しになるところだったが、相変わらず穏やかな寝息が聞こえてきて少し安心した。
 安心したところで、政宗は己の足が愛のそれに絡んでいる事に気づく。昨夜そこまでした覚えも、された覚えもないが愛が寝ぼけているとはいえ、そこまで大胆な事ができるようにも思われない以上、したのは政宗自身しかありえない。
 足を少し緩めたとき、腕のなかでもぞもぞと愛が身じろぎし始め、思わず政宗は動きを止めた。ゆっくりと目が開かれ、やがて己が映りこむくらいになったとき
「Good morning、愛」
 口角を上げて政宗がそう言うと、
「……おはよう、ござい、ます」
 ぼんやりと目の焦点の合わないながらも愛は条件反射的に挨拶を返してきたが、言い終わるころに急に心臓が大きく動いたのが聞こえた。現状が把握できてきたのか体もしっかり硬直し、首から顔に向かって次第に桃色になっていく様子も見て取れて、政宗は一層笑みを深める。
「なんだ、自分から仕掛けておいて、ずいぶんな反応じゃねえか」
 愛の心臓が暴れているのかと思うほどにうるさい。穏やかだった呼吸も小さく小刻みになり、顔の紅潮もそれに比例するようにどんどん赤くなっていく。予想通りで政宗は声を上げて笑いたいのをかみ殺していた。
 愛はしきりに瞬きを繰り返し、それでも政宗の眼差しをまっすぐに受け止めている。しかし過呼吸の魚のように何か言いかけては、なにを言って良いのかわからないのか口をとじてしまうという行動を何度か繰り返しているうちに、
「あ、の……政宗さま……これ、わたくし、が……?」
「覚えてねえのか?」
 覚えていないことくらいは見越していたが政宗がわざと声を低めて言うと、愛は一層動揺し、目も急にうるんで泣きそうになっている。
「寝ていると思ったら、いきなり抱きつかれるし、そのまま離れてくれねえし、おまけにお前はそのまままた寝ちまうし……」
 肩をすくめる政宗をよく見たら、笑いをかみ殺しているのがわかったはずだが、わざと作った呆れた声に、愛が小さく息を飲んで俯いてしまう。とはいえこうして抱き合っている、政宗の上に愛の顔がある状態では俯いたところであまり意味はない。
「申し、わけございません」
 そういう声はひどく小さくて、こうしていなければ聞こえなかっただろう。さすがに堪えきれなくなり、喉の奥を鳴らすように政宗は笑う。
「まあ、寝心地は悪くなかったぜ。愛がこうやって大胆になるのも、rareだしな」
 政宗が絡めた足を少し動かし、更に回した手で軽く愛の背を撫でると、
「あ……」
 今更としか言えないが、ようやく愛は自分が今もって政宗を抱き込んでいる。そのことに気づいて小さく声を上げた愛だったが、それでも腕を解こうとはしない。
 政宗としては多少意外な、だが楽しい展開となって逆に腕に力を込めてやる。
「あ、あの……」
「なんだよ、愛。お前、そんなにオレに抱きつきたかったのか?」
 そうならそう言えばいつでも歓迎してやるのにな、と意地悪く言ってやると、不意に愛の片手が政宗から離れるのを感じた。
 見ると愛は右手を唇に当て、あらぬ方向を見ていた。小首をかしげ考え込んでいたが、そう長い時間ではなかった。政宗の視線に気づいて少し気まずそうに、だがまた政宗の背中に手を戻して
「……そうかも、しれません」
 さすがにその回答は予想外で、政宗もとっさに言葉が出ない。愛の心臓は相変わらず早鐘を打ち、表情もどこか気恥ずかしそうにしている。
「戦の前、何かお考えの時、お一人でいらっしゃる時……」
 政宗の怪訝そうな表情を見ているにもかかわらず、愛は続ける。
「お怒りになられるかも、しれませんが……」
 意を決したように愛の腕に力がこもり、ゆっくり言い募る。
「……わたくしが、こうしたい時、政宗さまはいつもとても気を張っておられるんです」
 大丈夫だと、言って差し上げたくなります。愛はそう付け加えて、政宗の額に頬を寄せた。
 愛の頬が熱い。だが同じくらいの熱が、体内から顔に集中するのを感じた。思考停止とはいかないまでも、冷静な判断が下せる状態と言えようはずが無い事くらいは自覚できたが、だからといってどうしようもなく、さし当たって誰にも――まず誰より愛に顔を見られないようにその胸に顔をうずめる。
 おそらく愛の顔も赤くなっているし、本人も恥ずかしがっているだろうし、見てからかってやりたいのも山々だが、今はそれどころではないのが悔しい。
 だがそこで先程の愛の「大丈夫」という言葉がよみがえってきて、どうしようもなくなってしまう。愛のこの言葉の前には意地も矜持もいくら張っても、すべて飲み込まれてしまうような錯覚さえ覚える。だが、それが妙に心地よくさえあるのだ。
「……敵わねえな」
「はい?」
 そういえば、また不意を衝かれてしまった。あまつさえ反撃の機会や気力まで奪われてしまった。本気で勝てる気がしなくなって、政宗は力を抜いた。
「政宗さま?」
「で、どうだ?オレに抱きついた感想は?」
 愛の右手がまた離れ、額に当たった頬が少し傾く。そしてややあって、
「あ、の……うまく、言えません」
「なんだ、嫌なのか?」
 愛の髪が政宗の頬をくすぐった。こぼれおちてきた髪が横に揺れていて、愛が首を振っているのがわかる。
「きちんと、お話できるまで、その……このままで……」
 言いながら一層腕に力を込められて、政宗は驚くしかなかった。
「……ずいぶんboldだな、雨でも降らなきゃいいが」
 ようやくそう言って、政宗もそっと愛を抱き込んだ。
 戦帰りだから、おそらく喜多や侍女たちも起こしにくるのはいつもより遅いだろう。もう少しこの感触を楽しんで、何といわれようとも気を張っていてやろう。今度こそ不意打ちを食らわないように、逆に迎え撃ってやろう、政宗はそっと笑った。

2011.07.11 初出



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