無畏・前篇


 灯明の明かりが頼りないながらも、まだくすぶっているのが見える。
 褥に横たわったまま首をめぐらせると、隣で眠っている愛の閉じられた瞼の縁に少し涙が滲んでいるように見えた。
 政宗自身は多少の気だるさと、途中で意識を飛ばした愛への欲求不満、戦帰りで気が立っていたこと、久々だったせいで手加減を間違ったという自覚からくる気遣いもあって、思わずその顔に手を伸ばす。
 指先が少し触れたところで、眠っていたはずの愛が少し身じろぎして、うっすらと目を開けた。
「愛?」
 思わず呼びかけると愛が微笑んだ。
 いつもは政宗を映し出すくらいに大きな瞳も半分ほどしか開かれていないし、部屋も暗いから目の前の政宗もしっかり確認できているかもわからない。もしかしたら寝ぼけているのかとも思ったが、愛は政宗を見て微笑んだ。
「政宗、さま?」
 そう小さい声で気遣わしげな声がして、愛は顔から離れて中途半端に中空で止まっている政宗の手を取り、いとおしそうに撫でゆっくりと指をからめはじめた。
 予想外の行動に政宗は一瞬固まったが、その手にかさついた感触がすると思わず舌打ちがもれる。
 愛の手は戦から帰ってくると決まって荒れている。それは政宗の陣羽織などを手ずから作っているからであり、政宗自身もそれが嬉しくないと言えば嘘になる。
 苦々しい表情になるのを抑えることが出来ないまま、政宗が探ると愛のその手は今回もご多分に漏れず、爪はどちらの手も欠けているものがほとんどで、指も手もところどころ塞がりきっていない切り傷がある。
「……いい加減にしろよ」
 戦中でも愛とは頻繁に手紙の遣り取りをしているが、必ずと言って良いほど「帰って手が荒れてたら、承知しねえ」と書いている。それにもかかわらず改善される気配がないのは、妻が夫の言う事を聞いてない証拠だ。しかし今更それを咎めるのも何か違う気がするのは、こうして不意を衝かれた事で毒気を抜かれたところにある、それに気づくと政宗はため息を禁じえない。
 しかしだからと言って、その手を振り解く気にもなれなかった。自分より少し冷たい体温と、荒れた手が己の手を撫でる感触が不思議に優しく、妙に心地良い。そして愛の微笑みが、手つき同様にいとおしそうに政宗に向けられているのに悪い気はしない。
 こんな些細な事でも愛が相手というだけで、舌打ちやため息が混じりつつも受け入れてしまう事が政宗自身不思議だった。
 ただどうしても、おとなしくされるがままというのは面白くない。どんな仕返しをしてやろうかと考えながら、愛の手から逃れるように軽く指をくねらせてみた。
 すると愛は微笑んだまま小首をかしげ、手を止めてやがて少し眉をひそめる。悲しそうな、それでいて困惑したような表情で、開ききらない目といい器用な顔だと政宗が苦笑しかけた矢先、突然目の前が真っ暗になった。
 ぎょっとして体を動かすより前に、顔全体が柔らかい感触に包まれている事、そして慣れ親しんだ優しい香りが鼻腔を満たしている事に気づいた。
 政宗は己を襲った感触の正体――わかってはいるが、確かめるべく手を伸ばす。ゆっくりとしか動かない自分の手は妙な力が入っている事を感じたが、その指先にさらさらとした髪が触れた時、今度こそ力を制御できなくなって硬直してしまった。
 それを感じ取ったのだろう、なだめるように政宗の後頭部を抱き込んでいる細い腕に力がこもる。より深く柔らかい感触とより明確な温もりに包まれ、政宗は目の下辺りに熱が集まるのを感じて狼狽する。
「おい!」
 その声すらくぐもって聞こえて、一層目の下から顔じゅうに熱が広がる。離れようと身じろぎすると、決して強くない細腕により懐深く抱きこまれてしまうのがわかった。
「愛、お前……」
 この温もりと柔らかい感触は、政宗にとっては慣れたもののはずだった。しかし今政宗は押し付けられる愛の体、そして硬直したままの自分の体に焦り、ますます体に力が入るのを抑えられなかった。目の下どころか、顔全体が熱い。
 動くと愛に更に深く抱き込まれてしまう。何か言おうとして異様に早い己の鼓動音を耳から、そして自分のそれとは異なるそれを肌で感じた。
 早鐘を打ち耳ざわりなまでの自分のものと対照的に、緩慢でありながら政宗に合わせるように、落ち着かせるように刻まれる鼓動。
 政宗がそれに促がされるようにゆっくり息をつぐと、次第に自分の暴れる心臓の感覚は遠ざかり、代わりに頭上から小さく規則正しい寝息が聞こえてきた。
 きいているうちに鼓動は静まってきたが、代わって襲ってきたすさまじい脱力感とともに政宗はため息をつく。
 ずいぶんな寝ぼけ方もあったものだと感心しながら、なんとか体を引こうとして手に愛の髪がからみついた。そして愛が自分を抱きこんでいるように、政宗自身も愛を抱き寄せるように背に手を回している現状に気づく。実際己を包み込む温もりも感触も体温もひどく心地よく、手放すには惜しい。
 これでは愛ばかりを責められない。だいたい今更体をひいたところで間抜けではないにしても、coolではないと思い留まるが舌打ちだけは抑えきれなかったが、呆れ半分諦め半分に政宗は愛に体を預ける。
 この状態はたしかに心地良い。しかし、してやられたという思いがどうしても先にたってしまう。
 思えば昔から愛は政宗の不意を衝くのがうまかった。しかも本人に自覚がないだけに実に効果的で、奇襲攻撃のお手本のようなのだ。
 政宗は別に油断しているわけではない。愛にしても観察眼こそ鋭いが機敏に動けるわけではないし、何より致命的に体力がない。だいたい体力があれば多少手加減を忘れたとしても意識を飛ばしていたりはしないだろうし、今の状態におそらくならなかった。
 それだけでもかなりどうしようもないというに、逆に政宗が愛の不意を衝くのはかなり難しく、成功したためしはほとんどない。このままで終わらせるのは業腹だが、現状は仕返しするどころか反撃まで封じ込まれた状態で、正直理不尽さだけが募る。
「……Never forget this。ただじゃすまねえからな」
 愛を気遣ったわけではないが、小さくそう言うと政宗は隻眼を閉じた。
 そうしていると愛の鼓動音だけしか聞こえない。ひどく緩慢なのは眠っているからで、目を覚まして現状を見たらどのくらい早くなるだろう。そこまで考えて、政宗は口元に笑みを浮かべた。
 明日の朝、愛はどんな反応をするだろう。どんな表情をするかはわからないが、最低でも政宗がした以上の動揺は見せるに違いない。何もしないことが今回は仕返しになる――そう思うと少し胸のつかえが降りた気がして、政宗は愛の背に回した手に力を入れる。
 それこそ隙間なく愛が政宗を抱きこんでいる状態を作り出して、政宗は喉の奥で笑う。明日の朝一番に面白いものをしっかり見るためにも、心地良い環境でしっかり眠ろうと思った。

2011.07.11 初出



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