臥竜13


 笑い出した政宗に驚いたのか、愛は声こそ出さなかったものの、何か言いたそうに身じろぎした。なだめるように政宗はその肩をそっとたたく。
「喜多」
 おそらく近くにいるという気配はあったが、どこにいるのか判然としなかった喜多が、降って沸いたかのように姿を現し、珍しく驚いた表情をした。
 視線の先には小袖が少し乱れ、しかも明らかに泣いた痕のある愛がいる。どう見ても不審だし、どういうことか説明を求められる光景だろう。喜多が口を開く寸前、政宗は先制攻撃をかけた。
「夕餉はこっちでとる」
「まあ……」
 喜多は喜ばしいとでも言うように微笑んで見せたが、目はまったく笑っていなかった。実に剣呑にも、言う事はそれだけか、返答如何によっては……と口ほどに物を言っているようだった。笑顔だけに深くて重い脅迫だった。
 政宗は喜多を強いて視界に入れず、愛に殊更顔を近づけて
「愛、言いたい事は全部言えたか?」
「え?」
 そう言ってから、慌てて口元を両手で押える仕草と、政宗の言った事を守ろうとする姿に、口元が緩んで仕方ないが、何とか皮肉げな笑いを浮かべる。
「言えてるわけねえよな、inarticulateのお前がオレに碌に会わなかったこの一年分の事を」
 横顔に痛みさえ走りそうなほどに喜多の視線を感じながら、政宗は目の前のしきりに瞬きを繰り返す愛を見ていた。
 少し笑みを深め政宗が無言で促がすと、愛はかすかにうなずき一つ深呼吸をして
「喜多。わたくし、政宗さまとお話しする事が、たくさんあるの」
 意識してか無意識なのかはわからないが、こうして喜多に話す愛は微笑んで、背筋もすっと伸ばし、美しさのなかに少し威厳のようなものまで感じさせている。
「でもわたくし、話すのが下手でしょう。だから政宗さまもお時間を下さったの。ご厚意に甘えて、もう少しお話ししたいから……」
 舌ったらずな口調にも聞こえるが、それでいて瑯たけた印象でもある。愛は一体いつの間に、こんな不思議な雰囲気を持つようになったのだろう。
「……承知いたしました」
 いつもは打てば響くように返事を返すはずの喜多が、一呼吸置いて答えた。しかも笑顔が妙に強張っている。
 この伊達家では誰も持ち合わせていない愛の雰囲気に、喜多も平静ではいられないらしい。皆が愛を褒める理由が、おぼろげながら見えたような気がして政宗は感心すると同時に、自分自身も一瞬とはいえ飲まれかけた事に、多少の危機感と忌々しさを感じて舌打ちしたくなった。
「あの、政宗さま……」
 喜多の後姿を見送ってから、愛が小さく何か言いかけて口つぐんだ。
 舌打ち寸前の至極機嫌の悪そうな表情をしている事、そして愛が反射的に謝る事がわかっている政宗は、愛の髪を撫でながら
「Well done!上出来だ」
 愛は笑いかけて、しかしその中途半端な表情のまま小首をかしげ、右の指を口元に持っていった。
「どうしましょう。喜多にはああ言いましたけれど、わたくし、政宗さまにお話することが……」
 愛はぽつりとそう言うと、青い顔をしておろおろし始める。その様子は伊達家に来て間もない頃とまったく変わっておらず、逆に政宗を安心させる。
「おい、愛」
 政宗が再び必要以上に顔を近づけ視線を合わせると、愛は狼狽した顔はそのままに硬直した。実に器用な芸当だと、思わず苦笑が漏れる。
「オレの話は聞かねえ気か?」
「え?政宗さま、の……」
 さらに首をかしげた愛は、今度はゆっくりと顔を赤くしていく。遅まきながら今まで自分ばかり話していた事に気づいたらしい。
「お前は全部話したかもしれねえがな、オレはまったく話せてねえ、unfairだろ」
 わざと睨むように覗き込むが、小さくうなずく姿に思わず笑いがこみ上げる。
「たっぷり付き合ってもらおうか、愛」


 もうすぐ夜明けだろうか。目が覚めて隻眼で辺りを窺うと、まだ薄暗いが周囲が見渡せる程度には明るい室内が確認できた。腕にある心地よい重みと聞こえてくる規則正しい寝息に、政宗は思わずため息をついた。
 昨夜は夕餉からずっと、あの事件からその後一年の事、そして何を考え、どうしていたのか――長い時間をかけて政宗は愛と話し合った。
 当然夕餉の時間だけで足りるわけもなく、そのままその後もずっと語り合い、自然と愛を抱き寄せていた。
 自分でも驚くほど気を使い、時間をかけた事。肌に触れると少し冷たいが、だんだんと心地良い温もりを伝えてきた事。うっすら紅葉のように赤く染まっていた白い肩と、ひどく硬直した体に舌打ちを禁じえなかった事。愛を散々泣かせた事。そのあたりは記憶しているが、あとは曖昧ではっきりとはわからない。
 これまでのわだかまりも解けたのかどうかも、よくわからない。少なくとも何の関わりも持たなかった一年間よりは、ずっと建設的だし、多少なりとも愛を知る事ができたという意味では、良かったと思えた。
 鼻にかかったような小さな声がして、視線を動かすと至近距離で愛と目が合った。
「Good morning、愛」
「……おはよう、ございます」
 そう言う頃には、愛の眠たそうに開かれた目から次第に眠気が抜けて、代わりに頬を赤く染めていた。その様子がしっかり見えて政宗が口元だけで笑うと、愛は慌てて衾をかぶってしまったが、それがまた苦笑を誘った。
「なんだそれ、具合でも悪いのかって聞くところか?」
 言いながら若紫よろしく、愛に憎く思われたかもしれないと一瞬考えてひやりとしたが、衾の下で愛は首を横に振った。
「憎いわけでは……でも、その……はずかし、くて」
 そのくぐもり声がなぜか、政宗にはおもはゆい。
「出て来い。それともひっぺがして、そういう態度は縁起悪いって言えってのか?せっかく夫婦になったってのに、本気で縁起悪いぞ愛」
 光源氏の気持ちがわかる気が政宗はした。幸い愛はすぐに真っ赤な顔を覗かせたが、その仕草は婚礼の時に見せたものと寸分違わず、懐かしくも幼く、政宗もあの夜にしたように手を伸ばして愛の頭を撫でた。
 その後一旦着替えのために部屋を出て廊下を歩いていると、居室の前で成実が庭からやってくるのが見えた。遠駆けから帰ってきたらしく雉を片手に、いつものように元気かつ能天気そうな成実にしては珍しく、政宗がやってきた方向に気づいて、瞬きを繰り返す。
「……愛姫に、会えた?」
「まあ、な」
「まさか持仏堂に乗り込んだ、とか……なわけないか」
 頭は悪いが妙なところで勘が言い成実が、自然に事実を指摘してくる。これ以上話していると要らない事まで言いそうだった。
「お前、愛があの時間に持仏堂にいるって、知ってたのか?」
「留守居役してるとさ、早朝だろうと深夜だろうと奥向きと相談する事って出てくるからさ。けど愛姫、何かあったらあの時間でもちゃんと対応してくれたよ」
「……そうか」
「皆さんの支えがあってはじめて、お祈りが通じるんだって言ってた」
「支え、な」
 居室の掛け軸が目の端に見えた。こうして俯瞰すると、竜自身よりも雲のほうに視線がいく。それらは全て竜を守るように、支えるように体の周りに存在し、結果として竜の全体像は見えないほどになっていた。
「Eureka……」
 竜は天に昇るのに雲を掴む。竜は雲無しでは空に昇れない――雲という支え、つまり家臣たちがいなければ。そして雲もまた玉と同じく竜があってはじめて力が出せる、つまりお互いになくてはならないのかもしれない。
 腑に落ちる感覚がして、政宗は一つうなずいた。
「あ、そうそう。そのついでに帰参なさるまではって、愛姫が生臭物を断ったって聞いたの思い出したから獲ってきた」
 余計だが実に重要な証言を残し、成実は厨へ去っていった。
 着替えたら一緒に朝餉を取るから、苛めないまでも一言言って、今後の良い寝心地を確保するためにも、積極的に肉類を摂取させてやろうと思った。
 廊下を渡る朝の風が冷たい。まもなく奥州は本格的に冬になり、雪で閉ざされる。独眼竜も自由を奪われる事になるが、再び玉と雲を手に掴んでまた空を翔ける事ができるように、しばし臥竜となるのも悪くない――政宗は苦笑した。

2011/03/31 : 初出


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