臥竜12


 肩に回した手から、小さな呼吸が感じられる。
「お前はオレの妻だろうが」
 愛の肩が震えて、息を飲むのがわかった。
「勝手に離れていいと思ってんのか?」
 ゆっくり、気配を覚られまいとするかのようにそっと、愛は少しずつ呼吸し、時々何かにひっかかって少し途切れた。
「どうして、政宗さまはお優しいのですか?」
 もしかしたら泣いているのかもしれないと思ったが、その声に戸惑いはあっても涙は感じられなかった。
「政宗さま、わたくしは、ここにいていいのですか?」
 ひどく頼りない声だったが、政宗を恨んでも、責めてもいなかった。
 顔を覗き込むと、やはり臆することなく、物言いたげで、何かを惜しむかのように政宗を見つめ返す。かつてほどではないものの、今もってその表情は政宗を苛立たせるものらしく、声が不機嫌になるのを抑えられなかった。
「同じだな」
「はい?」
「あの時と……」
 政宗は一息で言えなかった。愛もやはり息を飲んだ。だが、お互いに視線をはずさなかった。
「……同じ表情だ」
 思い起こすとあの時の愛のことを、政宗は自分で驚くほど記憶していた。
 侍女の処分を決めた後、小さく首を横に振り続け、ずっと政宗を呼び続けていた愛は、最初はおずおずと政宗の背に手を回し、やがてしっかりと縋り付いてきた。
 あの時の表情も、感触も、不思議に今と記憶に食い違いがない。
「愛、あの時何を考えてた?」
「え?」
「同じ表情って事は、今もあの時と似たような事考えてるんじゃねえのか?」
 大きな目がこぼれ出そうなほど見開かれ、やがて愛の右手が口元に触れた。少しも変わっていないその癖は、久々に見るせいかどこか懐かしく感じた。
「……よく、わかっていませんでした」
 そういって目を伏せ、たどたどしく愛は続ける。
「わたくしの選択は、これで良かったのか。政宗さまにも大変な決断をさせてしまいました……でもどうしたら良いのか、何を言ったら良いのか……」
 話しているうちに言いたい事がまとまらず、そのまま黙りこんでしまう――政宗の記憶ではよくあることだったが、今愛は癖を解かず、必死に考えて言葉を探している。初めて記憶との食い違いが生じ、改めて政宗は愛を見つめる。
「うまく、言えませんが……政宗さまがお優しいのに、わたくしはどうお応えすればいいのか、その、今も……」
 ようやくおろおろと混乱する様子を見せた事に少し安心しながらも、何かというと黙り込んでしまう口下手の愛の声を、今日はずいぶん聞いている事に政宗は今更のように気づいた。
 これほど、愛の考えている事を聞いたのは初めてだった。
 そして今、愛は離れるつもりはないくせに、先程ここにいていいのかと問うた。政宗も離すつもりはないと言っているというのに、愛は未だに困惑している。
 政宗を優しいと言いながら、差し出されたその手に縋っていいのか迷っている。
「I see……」
 一体何を考えていたのか、よくわからなかったものがようやく見えてきた。政宗は目を閉じ、頭の中で整理をつけながら口を開いた。
「愛。オレは優しいか?」
 目を開くと愛が弾かれたように顔を上げ、政宗の隻眼をしっかり見て何度もうなずく。
「オレがあの時のことを謝る気はない、と言ってもか?」
 これは本心だった。あの時、政宗はあれ以上の方法は取れなかったと、今でも言いきれるし、殺されかけた事を考えても正当防衛だった。
 だがそれでもあの事には、忌々しさが付きまとう。
 政宗は殺されかけた。だからさっさと命令を下してしまえば良かったものを、愛に選ぶように仕向けた。
 今にして思えば、わかったいまであっても認めたくはないが母か愛か、政宗が選択できなかったせいだ。仮に政宗自身が処分を決めていたら、愛との間に何らかのしこりが残るとしても、こんな忸怩たる思いはせずにすんだだろう。
 こうした思いを表に出すわけにはいかないが、まるで合わせ鏡のように愛も政宗も迷っていた、これは確かだ。恨むでも責めるでもない愛に苛立ったのは、自分の迷いを見せ付けられているような気がしたからかもしれない。
 愛が必死に首を横に振っている。目をそらさず、政宗をその目に鏡のように映しこみながら。
「……軒轅鏡、だったか」
「え?」
「竜が持っている玉の別名だ」
 その昔、竜について調べていた時に偶然知った事を不意に思い出した。当時は鏡と書いておきながら、そうではないらしい事に複雑な気分になったものだ。
「玉、か……」
 愛の眼も、鏡ではないのに政宗を映している。
 和尚の話が頭をよぎる。和尚は竜には玉と雲がなければ何もできない、そして政宗をどちらかを失いかけている暴竜と言っていた。独眼竜は迷っている自分が映りこむ玉を見ていられなくて、手放そうとしていたのかもしれない。
 手を伸ばし愛の頬に、唇に、髪に触れ、少し力を込めるとそのまますんなりと胸に収まった。
「政宗さま?」
「Be quiet!黙ってろ、考え事だ」
 愛が素直にうなずく。思わず口元に笑みが浮かぶ自分に呆れつつ、先ほど負担をかけた肩に触れないように気をつけつつ、腕に更に力を込める。
 頼りない骨格が感じられものの、昔に比べれば格段にやわらかい部分が多くなっている事が感じられた。しかし少し相変わらずちょっとした事で、予想もつかない出来事になってしまうのも、きっと変わっていないとも政宗は思った。
 こんな小さくてもろいものが、竜たる自分に必要であるとは不思議な話だと思う。しかし、逆に考えてみれば玉も竜と同じなのかもしれない。玉は力を制御できても自らが力を発揮できるわけではないし、竜がいなければ何もできないのではないか。
 どちらにも、お互いが必要なのだ。玉が動けないなら、愛が迷っているならば、政宗が差し出した手を更に伸ばして、その手を掴んでやれば良い。あまりに簡単な理屈ではないか、思わず政宗は笑い出していた。

2011/03/07 : 初出


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