臥竜6


 政宗は座禅を解き、禅堂を出た。
 政宗の苛立ちは座禅でも解消されなかった。ちょうど初陣から帰城したあの日、馬で飛び出したことが何の解決にもならなかったように。
 あの日。結局心が晴れないまま戻ると、喜多から愛が初潮を迎えたことを聞いた。なぜか一層苛立ちが募り、愛と会う気になれなかった。
 その後、戦が続いて政宗は父に従って小十郎と、そのうち成実とも戦場を求めるかのように出陣し続けたこともあって、かれこれ一年、愛とはほとんど会っていない。
 その間送られてくる手紙は、相変わらず筆圧がないせいかひどく頼りない、しかし丁寧に書かれて読みやすい書面で、城の事や人々の無事を知らせる内容が含まれ、武家の妻として城を守ろうとしていることが窺えるような気がする。
 実際、今も時々留守居役で城にいることがある成実は、
「愛姫が一所懸命でさ、なんか頑張らないとって気になるんだよね」
 この非常に具体性に欠ける成実の頭の悪い物言いと異口同音に、皆が愛を褒める。
 愛との手紙の遣り取りは、政宗にとってもどこか安心できるものになっていた。
 だが実際に会う愛は、会うたびに小さくなっていっているような、それでいてますます綺麗になっていっているようなで、不安にさせられる。
 そして、あの日以来の気まずさが未だ解消されていないこともあって、どこか重たい沈黙が流れてしまう。そのなかで、愛の目はどこか物言いたげに政宗を映しこむのだ。
 愛と会うたびに、苛立ちが募った。
 婚礼のあの日から、愛はどう扱って良いかわからない存在だったが、年を追うごとにそれがひどくなっているようだった。
 苛立ちを抑え、住職であり政宗の師でもある虎哉禅師に挨拶に出向いた。
「暴竜じゃ。竜がもがいておる」
 政宗が部屋に足を踏み入れると、和尚がそう言った。
「Pardon?どういうことだ?」
 和尚は政宗が座るのを待って、悠然と続ける。
「竜とは不便な生き物じゃ。若は竜を自称されるだけあって、まこと難儀な事になっておられるのう」
 和尚は政宗が思い悩んでいるのを楽しんでいる風情だ。和尚がこういう態度を取る時は、何かしらの暗示の前、もしくは謎かけや禅問答の先触れだということを、政宗は知っている。
「竜が不便?」
「おや、若はご存知なかったか。竜がどのような生き物か」
 実におもしろいというように、和尚は床の間の掛け軸を指した。
「若、これは何かおわかりか?」
 掛け軸には誰が描いた物か、雲をまとった一頭の竜が大きく体をうねらせていた。
「竜だ」
「ほう、蛇ではないと申されるか?」
 隻眼で掛け軸と和尚を交互に何回か見て、政宗はうなずく。どこをどう見ても竜にしか見えない。
「なぜ蛇ではないと言い切れる?」
 和尚の声が厳しく、鋭くなる。
 もう一度、政宗は掛け軸を見る。そこの描かれているのは二本の角、背に生える鬣、大きな口には牙と髯、そして玉を手で掴んだ鱗で覆われた長い体の生き物。――まちがいなく竜だ。
 竜は蛇ではない。蛇も竜ではない。では違いはなんだ。とっさに政宗は答えられなかった。
「答えられんか。ではこれはどうじゃ。竜にはなぜ手足がある?」
 政宗は怪訝な顔になるのを抑えられなかった。和尚が思ってもみなかったことを言ったからだ。
 竜には蛇に無いものがたくさんある。例えば角も鬣も髯も、蛇には無い。蛇と竜の違いを語るのであれば、こうしたものを引き合い出してもいいはずだ。なのに、和尚は敢えて手足の話を持ってきた。どういうことか政宗には掴みかねた。
 政宗は改めて掛け軸を見る。竜の手足は大きく鋭い爪があり、玉を持つこともできる。
 つまり、竜の手足は何かを握ることができるのだ。竜は玉以外に握るものがあるのだろうか。
「天下、か。竜が握るものは、それだろう」
 政宗がそう言うと和尚は不敵に笑った。期待通り、と言わんばかりで政宗は舌打ちしたくなったが、和尚はそれを見越したかのように続ける。
「本質はおわかりのようだの」
「どういうことだ?」
「若のおっしゃるように、竜の手足は掴むためにある。しかし、天下ではない。もっと小さく、だが無くてはならないものじゃ」
「小さくて、無くてはならないもの?」
「考えてもみなされ、竜の手には天下は大きすぎて掴めぬ」
 和尚は面白そうに笑う。しかし、すぐに眼光を鋭くして政宗に問う。
「若、竜とはどこにあるものとお考えか?」
「空だ」
 竜は空を翔るものだ。政宗は何の迷いもなく答えた。それでなければ、竜は一体何の価値があるというのか。
「ほう……では、臥竜という言葉はどうなる?」
 和尚がまた不敵に笑う。
 ひどく傲岸不遜に見えて腹が立ったが、和尚の言う事に政宗は反論ができなかった。
 「臥竜」または「伏竜」。池のなかに潜んでいる竜。
 その言葉も、意味も、政宗は知っていた。だが竜が身を潜めていることもある、常に空にあるのではないことを今更のように納得し、己の不明にやはり舌打ちしたくなった。
「竜は雨雲を待って一気に空に駆け上がる。つまりは、雲を掴まぬことには空に行けぬ生き物なのじゃ」
「……」
 政宗が無言でうなずくと、和尚はさらに舌鋒鋭く続ける。
「それだけではないぞ。竜はたしかに、強大な力をもっておる。ではなぜその竜が力の象徴である玉を携えておる?」
 掛け軸の竜も、手に白い玉を持っている。政宗の記憶する限りでも、竜は必ず玉を持っているか、浮いている玉を追いかけるように飛んでいる姿で描かれている。玉が無ければならないとでも言うように。
「……和尚」
「左様。竜は雲が無くては空を翔ることもできず、玉がなければその力を振るうこともできぬ。単独では何も出来ぬに等しく、ただ暴れて害を及ぼすのみ。いかがじゃ、竜は不便な生き物であろうが」
 さながら稲妻のように、静寂に冴え渡る和尚の声が、言葉が、政宗に響いた。

2010/10/24 : 初出


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