臥竜4


 その後の始末は早かった。田村の侍女を処分し、事の顛末を内外に知らしめた。
 初陣前の政宗がそれらを短時日でやり遂げたことは、水際立った手腕と言えた。父の輝宗からも家臣からも賞賛された。
 田村家からも詫びが入ったことで、田村家自体の関与があったかどうかまでは不問に付した。仮にあったとしても、今回のことは政宗が油断のならない果断さをもった人物である事を田村にも、そしてそれ以外の東北の大名たちに知らしめることにもなった。
 伊達政宗の存在を、初陣前に喧伝した形になった。政宗は結果として、己の欲すること以上の効果が得られて、その意味では満足できた。
 こうしたことを、愛に政宗が報告したのは初陣の前夜のことだった。
あの日から愛の顔を見ていなかった。
 忙しさに取り紛れていた。だが愛と会うのを避けていたのも、また確かだった。
 これまでの経緯を話している間、愛は時々小さくうなずきながら聞いていた。
 表情一つ変える事のない愛の様子から、喜多あたりから一応の事情を聞いているものと察せられた。
「……他に、聞きてえことはあるか?」
 一通り話し終えてそう聞くと、愛は首を横に振って
「お心遣い、かたじけのうございます」
 そういって、頭を下げた。
 ほんの二年前に嫁いできて、つい最近になるまで、格式ばった言い方にはどこか幼さやたどたどしさがあったのに、気がついたらこうして口調も動作も自然で、無理がなくなっている。しかし今はその大人びた挙措が、どこか痛々しかった。
 愛とは顔を合わせていなかったとは言っても、政宗も愛の情報を聞かなかったわけではなかった。
 喜多の話によると、あの日愛は持仏堂――正確には輿入れの際に持ってきた仏像を安置した小さな部屋に、籠もっていた。夕餉近くになって喜多が様子を見に行くと、愛は何事もなかったかのように、部屋で端座していたそうだ。
 それだけでも意外だったのだが、それ以上に意外だったのはそれ以降愛が普段どおりの生活を送り続けているということだった。
 喜多はいろいろ――泣いて動けなくなるのではないか、熱が出るのではないか、食事を拒否して衰弱してしまうのではないかと……など、あらゆる可能性を考えて用意をしていたようなのだが、杞憂に終わって少し気が抜けたと語っていた。
 だが、まったく変わらなかったわけでもない。
 愛はあの日から毎日決まった時間――あの日部屋に戻った時刻に持仏堂に籠もり誰も寄せ付けなくなった。しかし中から嗚咽が聞こえるわけでもなく、出てきても変わった様子もない。泣いた痕も喜多にすら見受けられないという。
 そして細かった食が更に細った。今のところ体調を崩してはいないが、愛の体が一回り小さくなったような気がする。それなのに、よく目に付いていた幼さがまったく感じられなくなってしまっている。
 このことは喜多を筆頭に奥向きを驚かせ、困惑させている。それは愛が伊達家に来た当初、あまりの虚弱さとおとなしさに狼狽していたが、あのときの様子に近い。どう扱っていいのかわからない、そんな風情だ。
 政宗にもその気持ちがわかる。今こうして政宗と顔を合わせても、愛は何も言わず、不機嫌な表情も、恨みがましい態度も、責めるような雰囲気も漂わない。だが政宗が部屋に来た時に必ず見せていた歓迎の微笑みも、なくなった。今日の愛は困惑の表情を浮かべ、窺うように政宗が座すまで大きな眼で行動を追っていた。
 目の前の小さな生き物をどうしていいのかわからない。婚礼当初に戻ったかのような錯覚すら覚えた。だが、何も言わないわけにもいかない。
「……明日、初陣だ」
 長い沈黙の後、政宗がやっと言えた台詞だった。
 愛はどうかわからないが、政宗は自分がやったことに後悔はないし謝るつもりもない。だがどう言っていいか、考えあぐねていたのは確かだった。
 大丈夫か。不自由はないか。さみしくないか……。
 浮かんでくる言葉はありきたりで、しかし今の愛に政宗が言えた義理ではないものばかりで、結局どうしようもなく以前から決まっていて、愛も知っている事しか言うことができなかった。
 愛が肩を震わせ、顔を上げた。あの日のように、大きな眼に政宗が映りこんだ。物問いたげな眼差しと、同じく声なく開閉される口が見えた。
「……言いたい事があるなら、今のうちだ」
 愛の大きな眼が更に大きく見開かれ、その目じりに涙が溜まっているのが見えて、政宗は瞠目した。
 あれだけ泣いたら面倒だとか、泣いたらいいのにとか、散々勝手なことを考えてきたが、こうして愛の涙を目の当たりにして政宗は固まってしまった。
 動揺したと言ってもいい。笑ったり、恥ずかしそうに俯いたり――そんな愛なら知っている。しかし、愛の涙を見た覚えがなかったから。政宗は愛の泣き顔を見たことがないという事実に今更のように思い至り、呆然となった。
 愛は膝の上に置かれた手が、白くなるほど強く握り締めている。唇をかみ締めるように引き結ばれ、何か言いかけたはずなのに一言も漏らすまいとしているかのようだった。愛はそうやって、今まで泣きたい事を堪えてきたのかもしれない。
「愛……」
 その眼は潤んでいて、しかし溜まった涙は頬を伝うこともないことが、政宗には少し救いだった。ただ、眼は口ほどにものを言うはずのなのに、愛のことが少しも読み取れない。それどころか、逆に政宗に何かを問いかけるようだった。
 愛の眼は満月の映る池に似ていた。静かな月夜の色をして、覗き込むものを反射して映し出している。そしてその静けさそのままに、
「どうか、御武運を……」
 愛はそう言うと三つ指をついて深く、まるで何かを懇願するように頭を下げた。
 相変わらず小さいが通りのよい声で聞こえてきた言葉は、神仏に懸命に祈っているようでもあった。
 胸が痛んだ。だが、それをどう表現していいのかわからず、政宗は沈黙を返すことしかできなかった。
 そしてそのまま何も言えないまま、翌日政宗は出陣した。
「大将首の一つも持って帰って参れ」
 そう言って何事もなかったかのように、それどころかむしろ誇らしげに見送りに出てきた母の義姫とは対照的に、愛はずっと後ろのほうで隠れるように佇んでいた。
 迷子になって途方に暮れている子どものようで、昨夜のように目を涙で潤ませているのではないかと思うと、政宗の癇に障った。なぜこうもイライラするのか、政宗自身にもわからないが、表に出すわけにもいかず奥歯をかみ締め、愛を見ないようにただまっすぐ前のみを向くことしかできなかった。
 政宗が戦から戻ったのは、その半年後のことだった。

2010/10/02 : 初出


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