臥竜1
政宗は、寺で座禅を組んで瞑想することは嫌いではない。驚くほど視界が開ける感覚がして、見えなかったものが見えるような気がする。
そして様々なことが頭を去来する。戦のこと、国のこと、家臣のこと……そして愛の物言いたげな眼差し。
一体いつからだろう。笑顔ではなく、政宗をまっすぐ見つめるその眼差しが思い浮かぶようになったのは。
初陣の報告をしたとき、愛はもともと口が多いほうではないが、まさしく絶句といった風だった。
一応の事情や出陣期間など愛はずっと俯いて黙って聞いていた。そして政宗が話し終えると、
「……政宗さまの、絵を描かせてくださいませ」
小さいがやたらはっきり聞こえたその声とともに、愛はしっかり顔を上げた。
「そりゃ似姿ってことか?」
「はい」
「Reject!戦の前に縁起でもねえ」
愛の妙に硬い声が、そう思わせた。どう考えても、この世のほかの思い出に……といった風情だった。負ける気はないのに愛が負ける事・死ぬ事前提で話を進めているような気がした。
「でも、政宗さまは遠くに行ってしまわれて、当分帰っていらっしゃらないのでしょう?」
怒声に近い政宗の声を受けても愛は珍しく動じなかった。
「その間に政宗さまは、背丈も武将としてもお器も、その他にもいろいろ大きくなられるのでしょう?」
相変わらず小さいが、はっきり聞こえる声。揺らぐ事のない眼差し愛がひどく大人びて見えた。気圧されるように政宗がうなずくと、
「だとしたら、今いらっしゃる政宗さまには、もう会えないことになってしまいます」
そういって、やっと愛がいつものように微笑みを浮かべたことで、政宗はそっと胸を撫で下ろした。そしてやっと、まだ咲きもしない牡丹を毎日描いていた愛を思い出した。
観察眼の鋭い愛は、同じものでも毎日様子が違うと言い切っていた。<愛の目には、自分も毎日違って見えるのかもしれない。だとしたら、今度のように一ヶ月以上も会わないでいたら愛の目に自分はどう映るのだろう。自分がどのくらい成長したのか、第三者の目から見るのも一興かもしれないと思った。
「……All right 好きにしろ」
しぶしぶ、という様相をしたはずなのだが愛は、まさしく花が咲いたようという形容がふさわしい笑みを浮かべた。
愛が絵を描き始めると、じっとしていること以外する事がないので、政宗は愛を観察した。
愛が嫁いできて、もうすぐ二年。こうして見ると、背丈が少し、そしてそれ以上に髪が伸びた。少しは顔も大人びた気もする。
しかし喜多が頑張って強奪してきた婦人諸病の薬は、まだ使う機会を得ていない。ちなみにあれだけのことになったのに、愛は懲りずにまだ義姫の所へ通っているが、しごかれることはなくなったらしい。それでも体は丈夫にはならず、相変わらず理解不能な熱がよく出ている。
愛は変わっていない。細くて小さくて綺麗で、生きているのが不思議なくらい、危うい均衡で生きている。
「……あの政宗さま、何か?」
視線を感じたのか、愛が手を止めて顔を上げた。絵は色付けを残すのみといったところだった。
「退屈でいらっしゃいますよね、申し訳ございません」
「そう思うなら何か話せ」
愛は真剣な顔でうなずいて、右手の指先を唇に持っていく愛が考え込んだときの癖だが、その仕草にも妙な艶のようなものが混じり始めたと政宗は思った。
「愛、手を止めんな。絵が進まねえだろうが」
「あ、はい」
そういって改めて絵筆を手にした愛は、手際よく筆を動かしつつ
「政宗さま、どうして鎧兜を黒になさったのですか?」
愛にしては器用な芸当だと、妙な感心を政宗はした愛はかなり器用なのだが、一度に二つのことをするということは得手ではないのだ。
「なぜだ?」
初陣の一連の話をしたとき、甲冑は黒で陣羽織は青だと教えた。すでにできあがっているが、なんとなく愛に見せる気になれないでいた。
「……何か、謂れがあるのか、と」
「ああ……李克用だ」
「はい?」
愛が大きな目を見開いている。相変わらず零れ落ちそうだと思う反面、その驚いた顔がまだまだ幼く、そして面白い。
「その昔、唐にいた武将でな。反乱を鎮めるのに活躍したらしいぜ」
「まあ」
愛が神妙な顔つきでうなずいた。政宗は口角をあげて
「諸軍皆賊を畏れ、敢えて進むことなし。克用の軍至るに及び、賊これを憚りて曰く “鴉軍至れり。まさに其の鋒を避くべし”と。克用の軍、皆衣黒、故にこれを鴉軍と
謂う。
ってな。わかるか?」
愛は忙しなく瞬きを繰り返したのち、ゆっくりとうなずき
「お若い方だったのですか?」
「克用、時に年二十八、諸将に於いて最少。
だったか、まあそうだな」
見るといつの間にか愛は絵筆を置いて唇に右手を持っていっていた。甲冑の黒の意味はわかったが、なぜ李克用なのか考えているのだろう。
「克用、一目微眇、時に人はこれを独眼竜と謂う。」
愛が小さく息を飲んだ。
「その方も、片目でいらしたのですか?」
「……ああ」
和尚からこの話を聞いたとき、政宗は李克用について調べた。
結局どちらの目が悪かったのか、わからなかった。また「眇」は片目が小さいという意味もあるから、見えなかったわけでもないかもしれない。だが、彼が人をして独眼竜と言わしめた強さは本物だと思った。だからこそ、甲冑の色は黒と決めていた。
「政宗さまは、その方にあやかって黒を選ばれたのですね」
「そうだな」
しかし、李克用は結局地方の一勢力でしかなかった。子が皇帝の座についたものの、彼自身は皇帝になったわけでもなければ、子が天下を取ったわけでもなかった。
自分は違う。必ずこの手で天下を取って見せる。政宗はそう思って、甲冑こそ倣ったものの陣羽織は自分で考えた。
「では、政宗さまは竜になられるのですね」
憧憬にも似た、きらきらした目で愛はそう言った。
まだ、そのころの愛の眼差しは物憂げなものとは無縁だった。
2010/08/09 : 初出
引用:『資治通鑑』巻二百五十五。
李克用将兵四萬至河中……諸軍皆畏賊、莫敢進。及克用軍至、賊憚之曰、鴉軍至矣。 当避其鋒。克用軍皆衣黒、故謂之鴉軍。
克用時年二十八、於諸将最少。
克用一目微眇、時人謂之独眼竜。
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