探望5


 政宗は思わず息を呑んだが、その寸前に甘い香りに鼻腔を満たされ、思考が停止した。
「わたくしは、政宗さまが好きです」
 政宗は思考どころか体まで硬直したまま動かなくなったこと、そして体の中央に熱が集中することをわかっていながら、どうしようもなく固まってしまった。
 愛のふっくらとした唇が、妙に艶しく見える。
「政宗さまは、優しい方ですし端整なお顔をされています。そして、勉学も音曲も、なんでもおできになります」
 その小さな声を聞き取ろうと、全神経を耳に集中させている自分に政宗は驚きつつ止めることができない。
「実家でもそう聞いていて……でも、初めてお会いしたとき、本当にこんな完璧なお方がおられるんだって、同じ人間とは本当に、思えなくて……」
 長い睫毛がしきりに上下するのを見ながら、政宗は婚礼のとき、自分が持ったものと同じ感想を愛も持っていたことを理解した。ようやく頭が動き始めたところで、政宗はつめていた息をようやく吐いた。
「だから……その」
 前からそうであるように、愛の口からは突拍子もないことばかり出てくる。わかっているのに、政宗はその小さい声が聞き逃さないように、心持ち愛に顔を近づけた。
 トクトクと鼓動が聞こえる。早いようだが、愛が間違いなく人間であることが感じられた気がした。
「……なんだ?」
 ようやく搾り出した政宗の声は、愛に劣らずかすれていた。しかし声を出すと同時に、己の心臓も早鐘を打っていることに気づいた。
「呆れたり、なさいませんか?」
「しねえ」
「嫌ったり、なさいませんか?」
 いつぞやと同じやり取りと、同じく不安げな愛の眼差しに政宗は苦笑しつつ
「笑いも怒りもしねえから、言えよ」
 愛の目が政宗を見る。ただ、その視線は眼帯に注がれていた。
「……政宗さまが片目なのは、神仏のご差配だ、と」
「どういうことだ?」
 愛が一度目を閉じた。その表情は観音菩薩のように大人しやかで、穏やかで、そして美しかった。
 そして静かな呼吸音が聞こえたかと思うと、愛は再び目を開けた。
「政宗さまは、優れすぎた方。何か違うものを負わないと、先を走りすぎたり、考えすぎたりして、他の方がついて来られないのではないでしょうか」
「愛……」
「政宗さまはお嫌いでしょうけれど、わたくしは、政宗さまが片目でよかったと……」
 そこまで言って、愛は小さく悲鳴を上げた。
 見ると、今まで胸倉をつかむかのように政宗の胸元を握り締めていた手が、愛の胸元で小さく震えていた。どうやら負荷に耐えられなくなったらしい。
 愛も痛い所を押さえようにも痙攣して言う事をきかない自分の体に、どうしていいかわからないらしく、おろおろし始めていた。
「Calm down! 深呼吸しろ、力抜け」
 愛が小さくうなずいて、ゆっくり息を吐いている間、政宗は襟を直し
「そうか、オレの右目はオレへのpenaltyじゃなくて、handicapか」
 この右目に付きまとう事は理不尽なことばかりだった。
 体に何かしら異常が現れるのは、前世の行いが悪いからだ。そういう類の事は、散々言われてきた。しかし前世のことなどどうしようもないし、どうにかなったとしてもこの右目が治癒しないことはわかっていた。理不尽さだけが募ったし、政宗自身も右目のことには触れないように、考えないようにしてきた。
 しかしこの右目は強者である自分に、弱者である他人との均衡をはかるために、神仏が政宗に着けた不利な条件――この考え方は、悪くないと思った。褒めるように愛の額を撫でた。
 ふと、抱きかかえたときの感触が蘇って来た。やわらかくて、政宗が大して腕に力を込めなくても胸元に収まってしまうほど軽くて小さくて、おまけに力のない存在に翻弄されたかと思うと、若干情けないような気もした。
 愛が掴んできた襟元は、それほど乱れていなかったことを思い出した。直すのに手間がかからなかったことは助かったが、それは愛の非力さを物語るものでもあった。政宗はその力ない腕に捕らわれたと思うと、やはりため息しか出ない。
「それにしても、お前は不意打ちがうまいよな」
 愛に翻弄されたのは、不意をつかれたからだ。然るべき報復は受けてもらおう――政宗はそう思うことにした。
「はい?」
 あの表情はどこへやら、政宗を見上げる愛はいつものように幼さが勝っていた。政宗はわざと口角を上げて、愛に顔を近づける。
「わかってんのか。お前、さっきオレを褥に引きずり込んだんだぜ?」
 こうして顔を近づけている様は、愛が政宗の胸元を掴んでいないだけで、状況は先程を何ら変わりはない。
 ようやく自分がしでかした事がわかったらしい愛は、小さく叫んで体を動かそうとして失敗し、呻き声をかみ殺すように顔をしかめる。
「何だその反応」
 妙に笑いがこみ上げてきて、政宗は笑った。そして愛の頬を両手で挟み込み、目を合わせる。怯えたような表情に、少し溜飲が下がった気がした。
「さっきと同じ状態だぜ。何慌ててんだ」
 愛の顔が赤くなる。何か言おうをする唇を、政宗は指でそっとなぞってみる。愛の唇は見た以上にやわらかく、そして少し冷たかった。
 己のそれと合わせると、愛がぎくりと硬直した。その肉感的な感触が惜しい気がしたが、遠くで聞きなれた足音が聞こえた気がして、一瞬だけに留める。
「母上のことは気にすんな。お前がすることは大人しくして体直すことだ、でないと取って食うぜ」
 こぼれんばかりに目を見開いた愛に殊更顔を近づけてそう言うと、愛は必死に何度もうなずいた。
「それから喜多が薬を持ってくる、ちゃんと飲め。でないと牡丹も抜かれるぜ」
 聞こえてくる足音が荒い。派手に暴れてきたらしいことが察せられた。愛もようやく気づいたらしく、廊下を気遣わしげに見た。
「……申し訳ございませんでした」
 しおらしく謝る愛に、ようやく政宗も安堵した。
「下手に意地張ったら、周りが迷惑する。覚えとけ」
「はい」
 襷がけして気合の入った姿で、喜多が薬湯を持ってきたのはまもなくのことだった。 愛が喜多に謝る声を背中で聞きながら、政宗が庭に目をやると牡丹の蕾が少しほころび、鮮やかな赤と白の花弁が覗いていた。愛の怪我が治るころには、満開になると思った。



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