探望 4


 父に事の次第を報告した後、政宗は愛の部屋に向かった。
 ひどく静かな廊下で、政宗はため息をついた。愛に無理しないように説得しろ、と喜多の提案を受け入れたのは確かだが、果たしてどうなるか未知数だ。
 思えば今までこれといって我が儘を言う事もない、おとなしすぎる愛が頑強に喜多の言う事に逆らった――この一事だけでも、愛が存外頑固者であることが知れる。どう対応したものだろうか。
 つらつら考えているうちに着いた愛の部屋には、誰もいなかった。
 枕元には水が張られた桶、そして手ぬぐいが愛の額に置かれていた。放っておかれている、とは言いすぎかもしれないが、この誰もいない静かな空間で愛の小さな、浅く苦しそうな息遣いが聞こえると、政宗は妙に腹立たしい気分になった。
 喜多の報告によると、田村から来た乳母や侍女たちは始めこそ、愛から自分たちを遠ざけようとする喜多に反発していたが、最近では反発をやめ、同時に愛の世話までおざなりにしつつあるらしい。一方で田村へ書状を頻繁に出しているらしいこともわかっている。田村がどう出るかはまだわからないが。
 たしかに田村の侍女をいじめて遠ざけるよう、喜多に命じたのは政宗だ。喜多は命令どおりに行動し、さらには愛に必要以上に世話を焼いている。問題はないどころか望みどおりの状況になった。しかし喜多がいない今の光景は、愛が置かれている現状をそのまま政宗の前に突きつけていた。
 呆然と眺めているうちに、胸の奥に痛みが走るのを政宗は自覚した。しかしそれが何なのか考える前に搾り出すかのような、小さい声がした。
「まさむね、さま?」 
「寝てろよ」
 政宗は愛の傍らに座り、愛が起き上がろうとするのを制して、額と目を覆う手ぬぐいの上に己の左手を置いた。
「よくわかったな」
「政宗さまは、わたくしの部屋に入るとき、直前で少し足を止められますから」
「はあ?部屋の前で足止めるやつなんて、他にもいるだろうが」
 喜多や乳母のように、ある程度身分のある人以外は、部屋の前で一度膝をつかなければならない。つまり、愛の部屋の前で足を止めなければならない人間の数はそれなりにいる。
「侍女たちなら、膝をつくときの衣擦れの音がします」
 普段以上に小さい声で、しかし口元には笑みを浮かべて愛はそう言った。思い返してみると、愛の部屋があまりに静かで、いるかどうか覗き込んで確認し、愛か喜多に促されて部屋に入っていたような気がする。
 愛の観察眼に感心しつつ、政宗は褒めるように愛の額を撫でてから、その手を頬に滑らせる。ぽってり熱をもっていて、そのくせその感触はすべすべと、やわらかく心地良い。
「熱があるな」
「申し訳ございません、お見苦しいところを」
「朝から熱あったんだろ」
「ご存知だったんですか」
 気づけなかった。喜多に言われるまでわからなかった。
 眼を移すとその小さい手は、ところどころ皮がめくれて赤くなっている。袖からのぞく白い腕には、赤や青の痕があり、その細さもあって痛々しいとしか思えなかった。きっと言われなければ、取り返しのつかない大怪我した時にしか、自分は愛の境遇に気づいてやれなかっただろうと思う。
「なんでおとなしく寝てねえんだ」
 幼く小さな、自分の嫁を、守ってやることができなかった。忸怩たる思いをぶつける場もなく、政宗は舌打ちするしかなかった。
「怪我してんならまずしっかり治せ。動けるものも動けやしねえ」
 愛が小さく何度もうなずいた。
「普段張らねえ意地、つまんねえとこで張ってんじゃねえよ」
「……はい」
 いつもどおり素直な愛の様子に、政宗は正直安堵した。
 こうした見ると、ここまでなっているというのに愛は泣く事もなく、やはりいつものようにおとなしいままだ。
「つらいか?」
 愛が首を横に振る。
「誰もいねえから正直に言えよ」
 愛のいつもどおりの反応のはずだった。しかし、今日に限ってそれが妙に政宗を苛立たせた。いみじくも自分で言った「意地を張っている」という言葉がしっくりくる。喜多が問答無用で愛を寝床に縛り付けた気持ちが、改めてわかる気がした。
「怒らねえから本当の事言えよ。姑には毎日いじめられて、ついでに乳母たちも近くにいねえし、守ってもくれねえし」
 相変わらず首を横に振り続ける愛に、口調が激しくなる一方だ。怒らないといっておきながら、怒っているようにしか聞こえないだろう。政宗自身も抑えられなかった。
「だいたい旦那が片目とか……」
 政宗は絶句し、狼狽した。今まで他人に触れられることをもっとも嫌っていたことを、自らの口から発してしまったことに。そして、愛がこれまで政宗の目を話題にしたことがなかったことに気づいたことに。
 狼狽するしかなかった。観察眼が鋭い愛のことだ、きっと禁句であることに気づいて言わなかったに違いない。嫌な事に触れてこない愛に、いつの間にか気を許していたのだ。それでなければ怒りにまかせてとはいえ、あんなことを言うはずがない。>
「政宗さま」
 政宗を現実の戻したのは、袖を引っ張られる感覚と小さな声だった。見ると、愛の手が袖をつかんでいた。
「お母上さまは、優しい方です」
「なんだと」
「お母上さまがせっかく稽古をつけて下さっているのに、ついていけないわたくしがいけないんです」
 政宗の袖にすがりつくように、愛の手に力が込められる。
「政宗さま、お母上さまは悪くございません」
 愛のいつものように微笑みさえ浮かべそうな自然な口調は、言い募られるよりもずっと説得力があった。
「I can’t understand why……」
 驚倒とはまさにこのことだ。ここまでされて、なぜ愛はそう思えるか、政宗には理解できない。
「政宗さま」
 袖が意外なまでの強さで引っ張られる。見れば愛は体を起こそうとして失敗し、しかしそれでも袖を握る手を離そうともせず、額から落ちた手ぬぐいの向こうから、熱のせいかいつも以上に潤んだ瞳がまっすぐ政宗を捉えていた。
「実家では、あまりの出来の悪さに母に見捨てられたわたくしに、お母上さまは、できるまで何度でも、いつまでもお教え下さいます。お母上さまは、優しい方です」
 言葉はわかる、しかし理解が追いつかない。政宗はただ呆然と愛を見る。
 すると今度は愛の手は政宗の襟元を掴んできた。
「わたくし、実家では何もできなくて、母には呆れ、られて、侍女や、乳母も……」
 愛は呼吸することさえ苦しそうだが、目は政宗を捉えたまま、手はすがりつくように力が入っている。声は小さくなる一方だがそれだけに力の入った手は、必死に口を政宗の耳に近づけようとする仕草にも見えた。
「でも、ここはみんな……」
「もういい」
 政宗はおかしくなりそうだと思った。これまでも理解できない事が多い愛だったが、今回は極めつけだ。
 母を優しいと思ったことなど、一度も無い。たしかに罵られた事も、手をあげられた事も無いが、かといって情愛らしいものを感じた事も無い。この無い無いづくしは、今更変えようが無いのだ。
 とりあえず愛を寝かしつけようと愛の肩に手を回すと、愛の顔が政宗の肩口に当たり、ほとんど吐息のような声が聞こえた。
「優しいです。喜多も、お母上さまも、政宗さまも」
「……オレは最後か」
 一瞬体が硬直して、だがやっとそう言うと政宗は宥めるように愛の肩を軽くたたいた。愛を抱きかかえる形なのだが、正直肉付きがよくないと、頭の片隅で思った。しかし存外やわらかい感触で、何より胸にぴったり収まる感覚が心地よかった。
 ただその体はやたら軽い。それがなぜか不安で政宗は愛を寝床に戻したが、愛は襟元から手を離そうとせず、思わず寝床に手をついた。
「おい……」
 鼻がすれあいそうなくらいの至近距離で、愛と目が合った。


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