探望 3


 二日後のこと。
「愛姫さまは、お熱を出されて寝込んでおられます」
「What?」
 目の前で凛と背筋を伸ばして端座している喜多に不審な目を向けた。
 毎朝政宗の部屋に挨拶に来るのが愛の日課だ。今日もいつもと変わらず、美しい顔をほころばせ、挨拶していた。頭を下げると濡れたように黒く光沢のある髪が、さらさらと音をたてて肩からこぼれるのに見惚れた。そして挨拶を返すと、嬉しそうに笑っていた。
 つい今しがたのことだ。それが熱だの寝込んだだの、意味がわからない。
「ここ数日、夜にお熱が出続けています。今日はついに朝になっても引かなかったのですが、挨拶だけはどうしてもとおっしゃられまして」
 喜多の口調は静かだ。だが、眼が笑っていない。
 やばい。非常にやばい。喜多が思いっきり怒っている。こうなった喜多は誰にも止められない。人や物を傷つける事にためらいがなくなってしまう。
 伸ばされた背筋からは怒気が立ちのぼり、背に流れる髪が今にも持ち上がりそうに見えるのは、政宗と喜多の斜め後ろに控える小十郎の錯覚ではないはずだ。
 ただ今回は、どうやらその怒気がこの場の誰にも向けられていないことは感じられたが、姿勢を正していつでも行動を取れる体勢を整える。
「何があった?」
「十日程前からお東さまが嫁にしつけを、とおっしゃいまして、愛姫さまに武芸の稽古をつけておられます」
「母上が?」
 城の東館に部屋があることから、政宗の母義姫は「お東さま」と呼ばれている。幼い頃から弓と薙刀にはげみ、戦に出て戦功すらあげてくる女傑で、最上の鬼姫との異名をとる。
「しごかれているってのか?」
「あれをしごきと言わずして、何と言いましょう!」
 ばん、と板の間に拳を打ち付ける喜多の髪は、今度こそ背中から浮き上がった。
「愛姫さまは地に転ばされ、傷を負われる毎日でいらっしゃいます
それがもとで毎日熱を出されますし
なのに医師に診せるのを嫌がられますし
お庭の牡丹を引き抜くことも反対なさいますし
姑さまにお仕えするのは当然とおっしゃいますし
生傷は日に日に増える一方ですし
昨日はお東さまの薙刀が胴に直撃し
そのために夕餉をお召し上がりになれませんでしたし
ついに今日は朝になっても熱が引きませんし
この期に及んでも医師に診せるのを嫌がられますし
さらにお庭の牡丹を引き抜くことを反対なさいますし
お引き止めしましたがご挨拶に行くとお譲りになりませんし
ご挨拶から帰ってこられたら立てなくなってしまわれますし
それでも立ち上がろうとなさいますし
お東さまの所へ行こうとなさいますし
やはりお庭の牡丹を引き抜くことを反対なさいますし
挙句に政宗さまへの報告を拒否なさいますし
あまりに強情なのでお仕置きに簀巻きにしてさしあげようかと思いましたが
お可哀想なので床に押し込めて
医師に診せて薬を飲んでいただいて
床から動いたら問答無用でお庭の牡丹を引き抜くと申し上げて参りました!」
 Non breathe!見事な肺活量だ。
「姉上、落ち着かれませ」
「私は冷静ですよ、小十郎」
「しかし牡丹云々は、愛姫さまの儀に関係ございますまい」
 小十郎とはして取り成すつもりだったのかもしれないが、気迫に押されてか妙なところを気にしてしまう。
 ばん、と再び喜多が拳を打ち付けると
「あっのくそ坊主!今度会ったら決着つけてやる!」
 愛の声とは比べ物にならない迫力と声量だった。再び髪が浮き上がり、今度は中空で留まっている。短かったらきっと天を衝いていただろう。
「薬師の書物によると牡丹の根を乾かした牡丹皮は煎じれば
消炎・止血・鎮痛に効果があり
頭痛・腰痛または婦人諸病に効用があるそうです
鎮痛や止血はともかく
まだ大人の女性におなりでない愛姫さまへ婦人の病に効く薬草をよこすとは
もはや嫌味としか思えませんけれど
止血や鎮痛に効くのですから利用しない手はないと思ったのに
当の愛姫さまが政宗さまからの贈り物だからと頑固に反対なさるのです
せっかく目の前に薬があるのに使えないなんて
どうせなら牡丹ではなくて牡丹皮をよこせと言いたくもなります!」
 喜多が医術に目覚め、納戸に引き籠もっていた理由がわかった。どうして医者に診せるのを嫌がったのかはわからないが、とにかく日に日に弱っていく愛を見ていられなかったのだ。
「医師は呼んだのか?」
「数日は絶対安静とのことです。まあ怪我がひどいというよりは、もともと体力もないのに無茶をしすぎたという方が要因としては大きいようです。とにかく!」
 ばん、と喜多が拳を打ち付ける。いい加減床を割ってしまうのではないだろうかと思うほどの剣幕で、とりあえず今は愛もおとなしくしているから、今のうちに一気に問題を解決したいと喜多は言った。
「端的に三つ。お東さまを説得して嫁いびりをおやめいただくこと。これからに備えて牡丹皮の供給を確保すること。そして愛姫さまにご無理をなさらないように説得すること。以上です」
「まあそんなとこか。だが二番目のこれからに備えるって、どういう意味だ?」
 喜多は莞爾と微笑む。
「もうまもなく、愛姫さまも婦人諸病にはかかられるでしょうから」
 備えあれば憂い無しでございます、と自信たっぷりだ。愛の体調が著しく落ちているというのに、本当にその自信はどこからくるのやらわからないが、とにかく早急に対処が必要なのは間違いなかった。
「喜多、まず今日のところは愛が動けねえことを母上に報告しろ」
「お聞き入れになられるとは思いませんが」
「それと他の件はこっちで手を打つ。お前はそのあと寺行って、牡丹奪ってくるなり、和尚とbattleするなり、好きにしろ。」
 気合充分な喜多の背を見送ってから、
「小十郎、父上のところに行く」
 いつから母とは疎遠なのか、政宗は覚えていない。少なくとも右目がこうなってからだろう。そしていつしか、直接会話することを避けるようになっている。
 それを危惧してか、父はしょっちゅう母の話をしてくれる。母が父から政宗の事を聞いているのかどうかは知らないが、政宗と母をつなぐものは父だ。とりあえず耳に入れておいてもいいだろうし、取り持ってもくれるだろう。
「そのあと、寺行って和尚に牡丹の栽培方法聞いてこい。ついでに苗も貰ってくるなり奪ってくるなりしろよ」
 どうせ喜多のことだ。奪った牡丹は薬になってしまうに決まっている。安定供給のためには栽培が一番だし、小十郎は植物を育てるのがうまい。使わない手はない。
「政宗さま、姉上は……」
「battleしてたら止めるだけ無駄だろうが。you see?」
「……御意」
 小十郎は一礼するというより、がっくりと肩を落とした。



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