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お寺に泊まろう! 20



 「しかし、和尚。この書物、時宗丸に見せたらヤバいだろ」
 話題が出たついでだ、倉庫の小説はともかく、時宗丸もいずれは元服して結婚する。いつかこういうことで、和尚もそして主君としてオレにもかかわってくる問題だろう。せっかくなので話をしてみることにした。
 というのも、時宗丸のことだ、ああいう書物を読ませたら速攻で真似するに決まっている。そんなことさせるのは、行為としてもどうかと思うし、なにより伊達家の名誉にかかわるだろう、多分。
 いや、それよりも事の発端になった和尚より、どうしてオレのほうが、渋い表情にならなければならんのだ。理不尽な気がする。
「しかしそうか。若が見せずとも時宗丸のほうがのぞきにきそうだ、と思うたが」
 いやいや他意はござらん、と言いつつ、くつくつと笑う和尚が癪に障る。しかしひとしきり笑った後、和尚は表情を改めた。
「どうしたもんでしょうなあ」
「なにが?」
「若のおっしゃるとおり、時宗丸にアレを見せるには問題がありすぎるのはたしか」
 和尚がまた難しい表情を浮かべている。時宗丸は、実は和尚を困らせる天才かもしれない。
「とはいえ、別のものを見せるわけにも……」
「その小説か?時宗丸に読ませるのか?」
 和尚はオレであろうと誰であろうと、顔色をうかがうような人ではない。相手がたとえ父上であったとしても、関係ないその態度はすごいと思う。今回も和尚はオレのほうを見るでもなかったが、珍しく首をかしげ考えこんで、
「弱りましたなあ」
「Perdon?」
「あの小説……明国の言葉で書かれておるとはいえ、若も時宗丸も読むには問題はないでしょう」
「ならいいじゃねえか、時宗丸にやればいい」
 そういうオレに、和尚はゆるく首を横にふり、
「問題は内容でしてな。若もお読みになられるかもしれぬゆえ、多くは言いませぬが……」
「読まねえ」
 否定するのが早すぎたのか、和尚は左様か、と笑った。無気になって否定したのが今更ながらわかる、shit!
 しかし今の和尚にとって、オレのことは些細なことらしく
「いずれにせよ、アレは要するに婚姻を語るには不適格な物語ということ。そこにきて大胆な挿し絵付きで、若にお見せしたものよりも文章は遙かに平素、かつきわどいな内容でしてなあ」
 含み笑いを浮かべつつ、和尚は楽しそうに言う姿が何とも、小面にくい。腹が立ったので思わず
「そういう以上、和尚も読んだことあるのか?」
 オレも馬鹿ではない。書物の内容を際どいと言う以上、和尚自身が読んだことあるのは確定的だと思われたから、言ってみた。仏門に帰依し、女犯が罪である坊主がそれでいいのかと、和尚を攻撃する口実、しかも勝算がある突破口ができたと踏んで言った。

 すると和尚は片方の眉を少しあげ、ニヤリと笑い
「さすがは若。鋭くおなりだ」
 まさか肯定されるとは思わず、目を見張っていると和尚はクククと喉を鳴らすように笑いながら続ける。
「いやなに、拙僧が読んだのはずいぶん昔のこと。当時は挿し絵はありませなんだが……時代は進みましたな。まあ、どこの寺にでもある、坊主のちょっとした娯楽といったところ」
 どこの寺にでもある、だと?思わず和尚を見ると、大きくうなづいて、おそらくはの話ですがな、という答えが返ってきた。
「いいのか、坊主が」
 和尚の予想は、オレの経験測から言って、かなり正確だ。それも悪い意味で。
「坊主とて人にちがいない。人である以上、性欲は避けては通れぬもの。それゆえにああいったものが寺にある。そのため黙認するのが人情というもの……とはいえ、あのまま倉においておけば、時宗丸の目に止まるのも時間の問題」
 すでに目に止まってる、とは言えないが、たしかに放っておいたら時宗丸が読みあさったあげく、小説の主題である不倫はともかく、挿し絵の通りの行為や変態的な体位を真似しないとも限らない。婚姻前にそんなことになったら、時宗丸が変態扱いされること必定。ついでに時宗丸の不始末は伊達家の不始末となり、お家に関わる人間全員が変態の汚名を着せられる可能性すらある。もっと言うと、将来的に時宗丸を臣下とするであろうオレにも、監督責任を問われかねない。
 ここまで考えて、オレは正直焦燥とか困惑といった感覚を通り越して、げんなりとしてしまった。
「困ったものじゃ」
 珍しく和尚が困惑しきりといった表情で、考え込んでいる。
 和尚は武人ではないし、様々な意味で浮き世離れしているが、それを補ってあまりある頭の良さや情の深さがあるから、オレの複雑な感情を察する程度のことはできるのだろうか。
 そんなことを考えながら和尚を伺っていたら、
「……こうなればせっかくじゃ、あの書物、若に差し上げようか」
 一瞬でも、和尚がオレの味方をしてくれると思った自分がバカだった。
「No thank you! いらねえ!和尚、なんでそうなるんだ」
 オレの反応を面白がっているとしか思えない言動だが、和尚は至極まじめな表情で続ける。
「若が帰城の際にはあの乳母殿が、拙僧が授けたであろう婚姻の心得について聞いてくるでしょうからな。なにかしら証拠となる、現物があったほうがよろしいかと、老婆心ながら申し上げたまでなのだが……」
 そういいながら、考えが良い方向にまとまったのか、
「そうだ、それがいい、乳母殿に押しつけてしまえば万事解決というわけじゃ」
と和尚が楽しそうに笑ったが、押し付けられるオレとしてはたまったものではない。
「ふざけるな、和尚。というか、あの書物、婚姻の心得ってわけじゃねえだろうが」
思わず無気になって反論してしまった。こうした悪態に普段なら警策の一つでも即座に飛ばしてくるほど、礼儀にはうるさい和尚だが
「しかし若があの乳母殿を説き伏せられますのか?」
 なんて至極もっともなことを言われては、オレとしては反論することなどできはしなかった。
 かくして、オレは帰城の際にはあの性経験が不足した人間が書いた指南書を持って帰るハメに陥ってしまった。あの時、和尚が俺の礼を失した言動に対して警策の一発を食らわせることを忘れるほどに余裕を失っていたらしいことに気付いたのは、ずいぶん後になってからのことだった。





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