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▼ 盲目と母

母の夢を見た。美しかった母はあの頃と同じ様に病院のベッドの上で沢山の管に繋がれて、僕にまた同じ言葉を言い放つ。

『お前は未だあの頃の私の様に美しいのね』と。

思えばそろそろ母の命日だったな。毎年この時期になると彼女の夢を見るから、本当に僕にはあの人の呪いがかかっているのだと実感する。全くもって最悪のアラームだ。


僕の母は美しいピアニストだった。世界的にも有名で僕に対しても父に対しても優しい理想の様な母親だった。
だが美しさとは時に不幸を呼ぶものだ。母の狂信的なファンが身勝手な理由で母を串刺しにした。…酷い怪我だった。全身にはいくつもの傷跡があり、医者からも今心臓が動いているのが奇跡とまで言われていた。
彼女の美しい顔はもうそこにはなく、あるのは視力を失い自ら動く事も叶わぬ、管に繋がれて息をするだけの何か。

優しかった母はそこにはもういなかった。

声が出るくらいに回復した母は、日々見舞いに来る僕と父に対して八つ当たりの様な嫌悪の感情を向けた。口を開けば犯人に対する恨み言を言ったり、僕や父に対しては思い出すのも嫌になる様な罵詈雑言を浴びせた。

父はそんな母でも愛していたのだろう。『母さんは今、心の病気なんだ』それがあの頃の父の口癖だった。

だが見えなかっただけで、父も限界が近かったんだろうな。僕と母を残して彼は自ら命を絶った。

そうやってあっという間に残された僕に母は言った。

『お前は未だあの頃の私の様に美しいのね。きっとお前も私と同じ様に死んでいくのよ』

僕の頬に傷跡だらけの手を伸ばして、母は珍しく楽しそうに、そして確かにそう言った。

それからだった。毎日病室に行くたび、少しずつ僕の目が見えなくなっていったのは。

僕は子供ながらに母の呪いだと思った。きっと彼女は実は魔女で、死ぬ前に僕を道連れにしようとしたんじゃないか。なんて。

僕が完全に視力を失った頃、病室に通う僕に母はもう何も反応してくれなくなっていた。

完全に視力を失ってから3日後、僕を親身になって支えてくれていたメローネの口から母の死を告げられた。
嬉しくも、悲しくもなかった。勿論何を恨む気持ちにもなれなくて、僕はただピアノを弾いた。母に昔から習っていたこのピアノは、目が見えなくたって弾くことができたから。
僕が声に出せない感情を、家にあったグランドピアノが勝手に発散してくれていた。

何処から狂ってしまったのだろう。僕は今、母と同じ道を辿っている。


「名前」

瞳を開いても、世界は暗いまま。けど、しっかりと僕を呼ぶ声があった。

「メローネ…」
「うなされてたぞ」
「母の、夢を見てた」

メローネの喉に空気が通った音が聞こえた。彼も僕の母が何であるかを知っているのだ。

「今年もそろそろ…あの人の命日なんだな」

こんな切なげなメローネの声は久しぶりに聞いた。丁度一年ぶりくらいかな?
彼は優しく、硝子でも扱うみたいに僕を抱きしめた。細くてさらさらした長い髪が僕の瞼をくすぐるから僕は小さく笑い声を漏らす。

「怖くない?」
「…少しだけ」
「大丈夫だ、俺がいるよ」
「僕は目を失った、これ以上何も失うものなんてないって思ってたけど…」

彼の柔らかい肌に触れる。滑らかで少しだけ温かい、これは多分頬かな。長い睫毛も通った声も、僕を逐一気にするような心配性なところとか、全部好き。

「メローネを失うのだけはどうしても怖いかな」
「名前…」
「愛してるよ、メローネ」
「いつの間にか大人になったな」
「なんだよ、同い年のくせに」
「名前は童顔なんだよ」

僕たちはぴったりとくっついて一緒に笑い合った。さっきまでの不安だとか焦燥感なんて僕たちの前では無意味だったみたいだ。
今年は笑って墓参りに行ってやるよ、母さん。それでも去年と違って一緒に連れて行くのは幼馴染じゃなくて恋人だけどね。

僕は心の中で母親に舌を出した。


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