▼ 盲目と遭遇
街で目を疑うような光景を見かけた。あのメローネが視覚の障害を抱えた人間を介抱するような姿を。不思議なのはそんな善行を働きながらもメローネ自身が楽しそうにしていることだ。多分親しい仲なのだろう。
それ以上に俺が驚愕したのはメローネが連れている青年の方だ。いつか俺が任務で向かった音楽ホールで見たあの青年だ。迷彩で隠れていたはずなのにあの青年だけは俺の存在になぜか気づいていた。何よりも、この青年は目が見えていなかったという事実に驚きを隠せない。
「メローネ、以前お前を街で見た」
「あぁそう…」
アジトのリビングルームでメローネはBFの親機体をいじりながら俺の声に適当に返事をする。
「あの青年は何者だ」
「……は?」
暫くの沈黙の後、メローネはまるで睨みつけるみたいな視線と鉛の様に重い声を俺に向ける。こんな過剰な反応を見せるのだからあの青年はメローネにとって何か重要なものなのだ。
「俺はあの青年を殺しかけたことがある」
「……やっぱり名前のマネージャーを殺したのはリーダーなんだな」
メローネは眉間に深いしわを寄せて重い声のまま呟くように言った。
「名前というのか。あの青年はお前にとって何だ?」
「何だっていいだろ」
「…恋人か?」
「だったら何だよ。言っとくけどさ、リーダーでも名前に手出したら許さないからな」
そう凄みながら俺を指さして言うメローネの顔には確かに静かな怒りのような色が表れている。何か言えば爆発してしまいそうなこの緊迫感は普段メローネは絶対に持ち合わせていないものだ。
「名前は目が見えないんだ。間違ったってアンタの顔なんか見ちゃいないぜ。だからもう名前の事は放っておけよ」
メローネが握ったもう片方の拳がグローブ越しにギリ、と音を立てた。こんなメローネは見たことがない。仕事の時もこれくらいの緊迫感をもって働いてくれればいいものを、と思う。
「彼にはお前の仕事の事は言ってないのか?」
「言える訳ないだろ、裏では人殺してますなんて」
「…仕事について勘繰られるなよ」
「分かってるよ」
メローネはそれだけ言うとゆっくりと俺から視線を外してBFに向き直る。視線は外したもののこちらを警戒しているのは明らかで、漏れ出す殺気のようなものを隠そうともしない。ここまで思われているのならきっと名前という青年も幸せだろうな、とあの時見た血まみれの彼の顔を思い出しがちに頭の中へ浮かべた。
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まぁ運命というのは時に悪戯なもので、ありえない偶然を唐突に投げ渡してくることがある。実際暗殺というものを生業にしている以上、偶然なんてものは嫌うべきものであって…殺し損ねた人間に会うなど絶対に会ってはならないことなのだ。
休日のバールはそこそこの人で賑わい、店内は明るい雰囲気にあふれている。チームのアジトとは大違いのこの空気、俺は嫌いではない。むしろ今抱えている案件が重すぎるためたまにはこういった息抜きでもしていかないと立ち行かなくなる。
少しばかりゆっくりする予定のために席を選ぶがどの席にも人がいて、バリスタには相席を勧められた。しばし店内を見回して見覚えのある金髪を見かけて俺はそいつの目の前へと着席する。
「ゲッ…リーダーじゃん…」
俺が目の前に唐突に現れたことによって、奥歯で苦虫でも噛み潰したように整った顔を歪めるその男はチームの中でも異色の雰囲気を持つ男、メローネだ。
「その顔は失礼だな」
「いや、今はマジでマズいんだって…ここじゃなくても別の…」
「何だ。女でも連れていたか?」
煮え切らないメローネはどこか焦っているように感じる。しきりに目が泳いで手元をあたふたとさせている。
「そんなんじゃないけど、いいから別の席に…」
「どうしたの?メローネ」
メローネが言い終わらない内にもう一人の青年がメローネに声をかけた。二人してその声の方向を向くと、そこにあったのは見覚えのある顔だった。
「あー、いや…ちょっと相席らしくて」
「そう」
青年はあの時と同じように瞼をピタリと閉じたままだった。メローネに手を引かれて着席するその姿から間違いなく青年の目は見えていないことを理解する。
「そこにいるのかな?申し訳ないけど僕は目が見えなくてね、不快だったら申し訳ない」
「いや、気にしない」
俺の声に聞き覚えでもあったか、目の前の青年の動きがほんの一瞬角付いた気がした。
「なぁメローネ、悪いんだけどバイクに杖をかけたままだ。とってきてくれるか?」
「えっ、名前…でも…」
「じゃあよろしく頼んだぞ」
名前と呼ばれた青年はメローネの頬へそっと触れるだけの口づけを落とすとひらひらと手を振ってメローネを送り出す。メローネはメローネで彼の頼みを断ることも出来ないようで納得のいっていない心配そうな表情を浮かべながら速足で店の外へ出て行った。
「それで、僕を殺しにでも来たの?メローネの上司さんは」
俺に向き直ると青年はその艶のある唇でにっこりとした笑みを作る。よく見れば端正な顔立ちをしているこの青年はなかなか抜け目ないところがあるようだ、メローネを人払いする手際も相当だ。
「何故上司だと?」
「前にメローネが僕の前で電話しててね、その時に音漏れで聞こえた声は間違いなく貴方の声だ。久しぶりと言うべきかな」
「メローネ…目の前で電話してたのか?」
「うん」
「厳重注意だな」
彼の前だったからか知らんが暗殺者として緊張感が無さすぎる。今度機会があれば長めに説教でもしてやろう。
「あの時あんな事を言った手前おかしなことだが、お前を殺すつもりは今はない。どうせ目も見えていないのなら俺の顔も分からんだろう」
「なんだ結構優しいんだね」
「メローネにも釘を刺されたからな。お前に手を出せば殺すと」
青年は殺伐としたこの会話でもにこりとした笑顔を絶やさない。どこか涼し気な雰囲気すら感じる彼の佇まいに、つい目が不自由であることなど忘れてしまいそうになる。
「それじゃあやっぱりメローネも危ない仕事をしてるんだね?」
「すまないが…答えかねる」
「うん、構わないさ。貴方名前は?僕は名前って言うんだ。よろしく」
名前は白くて小さな手のひらを俺に向けてよろしくだなんていい始めた。いつ突然殺されるか分からないこの状況でなぜこの男はここまで冷静でなおかつ朗らかにいられるのだろうか。彼の行動からは緊張や恐怖を一切感じない。
「……リゾットだ」
名乗るかはしばらく迷ったはものの、この青年がメローネの恋人であることも加味しても俺達の事をどこかに言いふらしたりはしないだろうと判断した結果だ。俺は名前の手を取って軽い握手を交わした。
「名前ッ…!これ……」
ぜぇぜぇと息を切らしながら戻ってきたのはメローネだった。相当急いで行ってきたのだろう、額に軽く汗を浮かべたメローネは一本の杖を名前へ差し出して自身もどかりと席に着いた。
「ありがとうメローネ」
名前はそんなメローネにハンカチを差し出しながら席に運ばれてきた飲み物を一口含んだ。
「リゾットさんは面白い人だね」
「え、なんで名前知ってるの…?」
「先程自己紹介を済ませた」
「恋人の上司とは仲良くするのが、いい恋人の務めだからね」
軽く声を出して笑う名前にはメローネとはまた違った緊張感の無さがある。誰の事も警戒しないような危なっかしさと彼自身のもつ儚げな雰囲気が涼し気な佇まいの原因なのだろうか。メローネがこの青年に入れ込むのも少しだけ理解できる気がした。その姿を見た人間が放っておけないような不思議な魅力がこの青年にはある。
「なんだそれ…?話が見えてこないんだが…」
「うーん、一から順を追って説明するか」
眉を寄せて小さく唸ると名前は俺と初めて対面したその状況から説明し始めた。メローネはその話を聞いてぐっと不機嫌そうに眉を寄せてじとりとした目線を俺に送る。名前の目が見えていない以上そういった表情での表現は好き勝手しているようだ。
「なんだよそれ…名前もちゃんと俺に言えよ」
「ごめんごめん、メローネに心配かけたくなかったんだ」
名前は申し訳なさそうな表情とともにまるで目が見えているかのようにメローネの頬を小さな手で撫でる。そんな一瞬ですら互いの慣れた様子をうかがえてそれだけで彼らの付き合いの長さを慮ることができる。
「まぁでも今日ここでリゾットさんとちゃんとお話しできて良かったよ」
「ああ、そうだな」
「俺はそうは思わないけどな!」
隣に座る名前の肩を片腕でそっと抱き寄せてメローネは動物みたいに俺をけん制している。
「フッ…邪魔したな、良い時間だった」
「あれ、もう行くの?」
「お前の恋人が不服そうだからな」
「そりゃな」
「そっか、じゃあまたね」
「ああ。またな」
俺はそういって代金とチップを置いて席を立つ。だがどうしたことか、店を出ても別れ際に見た名前の優し気な笑顔が頭にこびりついて離れない。初めに見た血濡れのあの表情とは違う、優しい感情の入った表情。久しく見たこともなかったそんな類の顔に俺は口元を緩くして微笑む。
「名前か」
まるで確かめる様にもう一度彼の名前を呟いてみる。ピアノなんて興味はないが少し聴いてみるのもいいかもしれない。いい気分転換をした昼下がりだった。
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