隣の席の斉藤くんはまるで住んでいる世界が違っているかのような存在だ。いつも笑顔で友達も多くてどんな人にも同じように接していて、少し抜けているけれど、そんなところもむしろ1つの魅力になっている。わからないことがあれば人目も気にせずうんうん唸るし、嬉しいことがあれば目尻がさがって人を和ませるような笑顔になる。喜怒哀楽の間を転がるように移動しているような、そんな人だ。
それに比べて私は、人見知りして上手く話したりできないからいつも本ばっかり読んでいる、地味な人間だ。そんな私が隣の席になった斉藤くんに憧れるのは当然といえば当然だろう。すごいなあ、漠然と思ってはいたけれど近くに居て、細かいところまで見えてしまえばそんな感情を持つのに時間はかからなかった。






おはようの一言もなかなか言い出せない私に、斉藤くんは毎朝毎朝声をかけてくれていた。初めて返事ができたのが、席替えをしてからちょうど1週間たった日。改めて考えてみると、なんでそんなに緊張していたんだろうと思えるが、私がそういう人間であることは私が一番よく知っている。人と話すことは5本の指に入るくらい苦手なことなんだから、しかもなんとなくではあったけれど憧れていた斉藤くんなのだから、仕様がないことだ。
毎朝声をかけてくれる斉藤くんは、私が返事をすると笑ってくれる。それから私の読んでいる本が何か訊ねる。作家だけ知っているものもあれば、タイトルを聞いたことがあるもの、全く知らないものなど様々だったけれど彼が読んだことのあるものは今のところ、ない。それくらい、本は斉藤くんの興味のないもので、おもしろくもないだろうにどういう話か、それが物語であればどんな人がいるのか訊ねてくれた。私とは比べられないほど、周りのどんな小さなことでも考慮できる優しい人だった。
だからこそ、私なんかが斉藤くんと話せる時間は少ない。斉藤くんが遅刻ギリギリで登校してきて、そこから朝のホームルームまでのほんの少しの時間が二人でお話ができる、緩やかな時間だった。あわてて教室に入ってきて、たくさんの友達の挨拶をうける斉藤くんが席について、私に話しかけてくれる。隣の席ってすごい役得だなぁと思う。こんなことでもなければ私から話しかけられるはずなんてないし、斉藤くんだってわざわざ話しかけてくれなかったろうに。もし私が斉藤くんみたいに明るかったら、もっと簡単に、友達になれるのかも知れない。今の私達は友達なんていうほどではないから、


「おはよう」
「斉藤くん、おはよう」


今日も声をかけてくれるから私は斉藤くんと話ができるのだ。斉藤くんが私の手元の文庫本をちらりと見ていつもの様に微笑んだ。昨日のとは違うんだね と声をかけられて、頷いてタイトルを見せようとページを捲ると、勢い余って本を落としてしまった。普段通りの斉藤くんの目の前で、私だけあわてているからさらに恥ずかしさが増す。今更だけど、想定外のことが起こると頭の中がこんがらがりそうなほど緊張してしまうのだ。
ともかく落ちた本を拾おうと、指先をぴんと伸ばして下の方向へ向けようとしたとき、私の小指が暖かくて少ししっとりしたものに包まれた。斉藤くんの、てのひらだ。


「指、きれてるよ」
「あ ほんとだ」
「絆創膏あるから、ちょっと待ってて」


間髪入れずに告げられて、自分も絆創膏持ってることを伝えられなかった。ていうか斉藤くんってそういう、男の子なんだ。細かいところまで気のきく人だなあなんて思ってはいたけど、小物も持っているなんて思わなかった。それから、紙で切ったキズは小さくて少し血が滲んでいる程度で、本人も痛みに気づいていなかったのに、よく気づくなあ。彼の新しい所をまた1つ知れて、彼の長所を再確認した。こころがあたたかくなるっていうのは、こうやって微笑むことができるってことで、それは案外大切なものだったりするのだ。そして私がそれを実感できるのは、斉藤くんが話しかけてくれたからだ。


「はい、手だしてね」


もう一度包まれたてのひらに伝わる熱と、初めてこの距離まで近付いて感じることができたにおいは、斉藤くんの人柄を最もよく表していると思った。そして私は明日になったら一番お気に入りの小説と、持っている中で一番かわいらしい絆創膏を差しだそうと決意した。








- ナノ -