彼はどこにいるの。
寝室のベッドはまるで誰もいなかったかのように整っている。朝食は食べたみたい、お皿が数枚きれいに洗ってある。こんなことはじめて。ソファに腰かけて私の目覚めを待つ、彼はどこ。寝間着のまま家中を彷徨く私にすりよって来たのは白猫だった。おまえも寂しいのだろう?いつも彼に抱かれてるからなあ。私はおまえが羨ましいよ、フゥ太の指先に触れているおまえが。だけど今は私が抱いてあげよう。慰めにもならないだろうけれど。本当に、彼はどこにいるのだろう。一言いってくれればいいのに。いじわる。ちゃんと帰ってきてくれないと許さないから。 私、捨てられたんじゃないよね



いつまでも彷徨いていてもしょうがないので白猫にフゥ太がいつもあげているキャットフードをやって、自分は昨日食べ残したサラダをなにもつけずにむしゃむしゃと咀嚼する。腹は満たない。スープも作ろう。で、一体ダシはどうとるのだい?白猫はおなかがふくれたようで、一人満足そうにテーブルの上で寝そべっているのがなんとも憎たらしい。キャットフードっておいしいのかな………、諦めてコンビニに行くことにしよう。さすがに寝間着というわけにもいかない。着替えて、まあ、すっぴんでいっか。Tシャツ、短パン、寝癖を直してサンダルをつっかけて、玄関のドアを開けようとした丁度その時。「あ、財布忘れた」バッグ、バッグ、色々なものを適当に突っ込んでいたから見つからない。底のほうから出会い系のチラシが入ったぐちゃぐちゃのポケットティッシュが出てきて、少し寂しくなった。フゥ太はやく帰ってこいよお


「ただいま」
「!」


ポケットティッシュをバッグの底のほうに押し返して、玄関にむかって急ぐ。どたどたどた、足音なんて気にしてられない、ちらかった寝間着で滑りそうになりながらそれでもスピードは落とさない。柄でもないけれど、嬉しくて顔がにやけている。一人には慣れているのに、なんでいないのか分からないと底なしの不安にかられるんだね、はじめて知ったの。フゥ太がはじめて教えてくれたの。


「おかえり!」
「あ、ただいま」


スーツを着てトレードマークのマフラーをつけている。ネクタイまできっちりつけて、きっとツナさんのところに行ってきたんだ。フゥ太は彼に会いに行くときしかネクタイまではつけない。そしてツナさんに会いに行くときの大抵の理由は仕事の話だ。私と同い年なのに、私はただの大学生で彼はマフィアの世界に片足突っ込んでいる。私と彼の違いってなんなのだろう。きっと無いから一緒に居られている。


「ご飯食べたの?」
「……サラダだけね」
「もう、少しは自炊できないとさ」


ずうっとフゥ太が作ってくれるんだからいいの、なんて言ったら苦笑いしながら私の大好きなパン屋の大好きなメロンパンを差し出してくれる彼、甘いなあ。わたし、フゥ太がいなくちゃあ生きていけないよ。マフィアのお手伝いをしてるのは知ってる、だから仕事の話はなかなかわかってあげられないけど、女っ気のない職業だからいいかなあとも思う。だけど何週間も外国に行ってターゲットの身辺調査とか!少しはツナさんを恨みたい気分にもなる。その間は一人でご飯を食べなきゃいけなくなるし白猫にえさをやって、一人と一匹、慰めあって過ごさなきゃならない。ふたりでさみしいようって言いながら。


「話があるんだよ」


リビングに移動して椅子に腰掛けると、そういって彼は机に寝ていた白猫を抱き上げた。恋人にハグする前に白猫を抱えるなんて、どういうことなの。なあんてね。メロンパンを頬ばりながら、目で返事をした。フゥ太はにこりとほほえむ。


「来週の日曜日から、イタリアに行くんだ」
「……そう」


反応が薄いなあって彼は笑うけど、違うよ。またか、やだな、さみしいなって頭んなかでぐるぐる考えてるからだよ。「頑張ってきてね」って素知らぬ振りして笑うけど、本当は行ってほしくない。だけど彼は言った。


「今回は仕事じゃないんだよ」

ツナ兄が、ふたりで行ってきなって。いつも彼女に申し訳ないからって。だけど君は大学もあるし、なにより出不精じゃないか。だから保留にしてもらったんだけどね。

僕は君といきたいんだけど、どうかな?


大学はね、今までちゃんと出席してたから少しくらい大丈夫だよ。私、確かに出不精だけどさ、フゥ太とだったらどこへでも行くよ。ツナくんは私のことまで気を遣ってくれて、優しいんだね。恨んだりしてごめんなさい。

「白猫は、どうするの」
「こいつ?ツナ兄が預かってくれるって。優しいよね」
「…イタリアって楽しい?」
「もちろん!」

じゃあ行くよ。決めてたくせにもったいぶって呟いたら、知ってか知らずか彼はおかしそうにクスクス笑った。だから私も笑ってやって、白猫相手にいいだろうなんて自慢をしてやればさらにそれは大きくなってゆく。ふやけてしまいそうになるくらいいつもとかわらない、しあわせ。