広く粛々とした御殿の最奥。
構えられた椅子は玉座然として佇んでいるが、そこには煌びやかな内装を施されてもいなければ高級そうな絨毯が敷かれているわけでもない。
ただただ、厳かな岩壁に囲まれた空間を皇帝の間たらしめるだけの緊張感を生み出しているのは、圧倒的な存在感と風格を持つ男の存在ただ一つであった。

「もう一度聞かせてくれないか?」

淡々とした口調で紡ぐ物腰柔らかな言葉が音に乗った途端、それは本人でも予想外なほど冷ややかに響いた。
場の空気が凍てつくのを感じたが、いま司には眼前で青ざめている配下に気を配っていられるような余裕はない。
冷静さは欠くことのない彼だが、それは決して感情が欠落しているわけではないのである。
歯がぶつかり合う微かな音が洞窟の中で反響するのが耳障りに思えた頃、彼の傍らで一部始終を眺めていた男が動いた。
顔の半分は物々しいマスクで隠れているが、さらりと伸びた前髪の隙間から細く鋭い目元が覗いている。

「駄目ですね。報告ひとつまともに出来ないとは…」

この男こそ司に次ぐ主戦力とされている氷月である。
酷く冷酷な瞳に見下された男は、思わず司の要求とは的外れなことを口走ってしまった。

「っ……あ、…あの吹雪ですっ、きっと今頃どこかで野垂れ死ん……」

突如、鈍い音が空間に反響した。反射的に男は氷月を見たが異音の発信源は彼ではない。
その背の向こう、御殿の奥に鎮座している男の左手から、何かが音を立ててこぼれ落ちた。
それが玉座の肘掛の一部であることに気が付いた瞬間、サッと血の気が引いてゆく。
肌に突き刺さるような敵意と怒気をはらんだ瞳が、獲物を捕らえた獣のように彼をしっかりと捉えていたからだ。

「……もういい、下がってくれ」

今にも卒倒してしまいそうな様子の男から一気に興味を失せたように視線を落とすと、司は男の後ろに立っていたもう一つの人影に声を掛けた。

「間違いないのかい?羽京」
「……残念だけど」

目深に被った帽子が僅かに床を向く。普段は和やかな笑みも失せ、彼はただ事務的に事件の内容を報告するだけだ。
昨晩、看守が席を立った頃を見計らってなまえは牢を脱した。縄の傷み方を見るに長期にわたってなんらかの細工を施していたらしい。
牢の中に残されていた何着かの上着や毛皮をみる限り、彼女はろくに防寒もせずに逃げていた。
自分も逃亡の報告を受けすぐ捜索に出たが、吹雪が強まって来たために断念。

「今もなまえは行方不明。…さっきの言葉を借りる訳じゃないけど、生存率は絶望的…だろうね」
「…………」

この国の政について何も知らない人間は、牢に入れられるということは則ち反乱分子として見做しているだろう。
概ねそれは間違いではない。
事実なまえは司に牙を剥いた。が、彼女が牢に入れられた理由は他にある。
無論、聡い彼女に自由を与えてしまうのは愚策であると判断したのも要因の一つではあったが、司の本意はそこにはなく。
牢の中がなまえにとって一番安全な場所であるからに他ならなかった。

司に刃を向けた彼女が、今後も機会を伺って狙ってこないとも限らない。
前回と同様当事者同士で事が済めばよいが、第三者に目撃されていた場合司は彼女を最悪手に掛けなければならなくなる。
また、"なまえが司に厚遇されていたという事実"も知る者は少ないが全くいないわけではないのだ。それが彼女を危険に晒すことも理解していた。
彼の弱みそのものになり得る要素は、今までそうしてきたようになまえを監視の名目で牢に入れるというだけで解決する。
というのは、彼女が逃げないことを前提とした賭けに近いものであった。
きっと逃げるだろうと確信めいたものは感じていたが、それでも司は彼女の意思であの場に留まることを選択して欲しいと望んでいたのだ。

羽京の話に相槌を打ちながら、司はひとつ呼吸を整えた。
暫く瞼を閉ざしていたが何か考えが浮かんだらしい、伏せていた瞳が前を向くと徐に口を開いた。

「…うん。俺が探しに行くよ」

まずい。
咄嗟に羽京の頭にはそんな言葉が浮かんだが、司の心情を知る彼がここでそれを止めるのは不自然である。
なまえが行方不明ということは、千空と合流する可能性もあるということだ。
数の利としてはこちらに分があるが、帝国の情報を持ち帰られるとなると話が変わる。
何より、なまえが向こう側に付くということは先に説明した司の本意に反し敵対しなければならないのだ。
もし彼女がまだ生きているのなら、司は必ず手元に置いておきたいはずだった。

「…今日は日差しが強いよ。雪崩れが起こる可能性もあるし、捜しに行くなら明日以降にしたらどうかな」

司はまた少し考える素振りを見せて、上げかけた腰を落とした。
羽京の意見は尤もだ。そんな意を込めて無言で頷いた司の仕草に、彼は心底胸を撫で下ろすのだった。

emperor

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