恥辱への制裁を済ませた爆豪が後ろを振り返ると、轟がみょうじを抱きかかえていた。
何を遊んでいるのかと眉を顰めたが、眠っているみょうじの顔色は良くない。爆豪と轟がヴィランに絡まれているところへ声を掛けられた時から体調は芳しくなかったように思える。言動もどこか上の空でおかしかった。
爆豪がそんなことを考えていると、轟は警察には連絡をしたと言った。

仲の良くない轟と爆豪の間に沈黙が流れるが、間もなく警察がやって来た。
状況を説明し、一時は爆破したと思われたカメラのSDカードを証拠にヴィランの引き渡しを終え、事情聴取として警察から簡単な問答のやり取りをする。
警官が写真データを確認すると明らかに本来の目的とは外れた、みょうじのスカートの中身を撮影したものが目に入って爆豪はもう一度恥辱を殴ってやりたくなったが、既にパトカーの中であったので男性警官に即刻削除するよう怒鳴りつけた。
念のためみょうじにも事情を聞きたいと言う警官から、「眼が覚めたら連絡をするよう伝えてくれ」と残しパトカーは去って行く。

さっさと自分も帰ろうとした爆豪であったが、轟が抱えているみょうじの姿が目に入って足を止めた。

「そいつどうすんだ」
「…とりあえず俺の家に連れて行く」

じっとみょうじの寝顔を見つめながら発された轟の言葉によって沸々と腹の中で巻き起こる感情に爆豪は苛立ちを覚えた。
憂さ晴らしに軽く空を爆破させながら、語気を荒げて詰め寄る。

「そのへん捨てとけアホかてめぇ!」
「いや、そのほうが危ねぇだろ」

轟の正論に瞬間たじろぐが、みょうじが手にしていた小さめの旅行鞄が目に付いて爆豪は自分でも思わぬ言葉を口にしていた。

「……こいつんちまで送る」

家が分かるのならそれが一番だろうと、爆豪の言葉に轟は頷いた。力の抜けた身体を雑に右肩に背負うと、轟が咎めるように言う。

「もう少し優しく扱えねぇのか」
「っせんだよ俺に指図すんな!」

聞く耳を持たない爆豪に轟は渋々ながら、「じゃあ頼んだぞ」と言い残して帰って行く。
その背が見えなくなるのを確認すると、爆豪は一つ舌打ちをして面倒くさがりながらみょうじの荷物を漁った。財布の中から保険証を見つけ、住所を確認するとタクシーを呼んだ。
ここから二、三駅程度だったが、意識のない人間を背負いながら電車に乗って不審者扱いされることを危惧してのことだった。
みょうじの荷物を肩に掛けると、爆豪は彼女を両手で抱きかかえ直す。
規則的に行われる呼吸と同じタイミングで上下する胸元。そういえば先程触ってしまったことを思い出して、爆豪は顔をしかめた。

轟が身動いだ瞬間みょうじの表情が艶っぽく歪んだ。耳まで顔を赤くして耐える顔を、轟はしっかりと見ていた。そしてその瞳が揺れたことにも爆豪は気が付いていた。

「…澄ました顔しやがって。クソが」

あのまま轟にみょうじを任せていたらと考えて、爆豪は再度腹の中に苛つきが渦巻くのを感じた。
到着したタクシーの運転手に遅いと八つ当たりをしながらみょうじの住所を伝えると、15分程でマンションに着いた。
決して新しいとは言えないが、一応五階建ての四階であるし大通り沿いに面しているので最低限の防犯にはなっている。
それでも、高校生の女子が一人暮らしをするには適していないと爆豪には思えたが。
エレベーターを上がり、部屋の前にやって来た所で鍵の所在を知らないことに気がついた。
貴重品であるから身につけているのかと思ったが、ブラウスとスカートの服装のどこにも収納出来そうなポケットは付いていない。
バッグのサイドポケットを開くと、キーケースが入っていた。

8畳ほどのワンルームは小奇麗に整頓されていて、思っていた以上に何もなかった。
ベッドは壁際に寄せられ、小物は収納付きのヘッドボードに纏められているらしい。その向かいの壁側に二人掛けサイズのダイニングテーブルと椅子が一脚置いてある。
恐らく昨日取り込む暇も無かったのであろう洗濯物が風に当てられ揺れている。

みょうじをベッドに放り投げると、うぅ、と唸って眉を顰めた。
任務を終えて早々に帰ろうとした爆豪であったが、ヘッドボードの上段に置かれた写真に目が付く。
古いもののようで、少しばかり色褪せ、折れ跡がついていた。家族写真のようなそれはみょうじと思われる少女を中心にして居たが、肝心の彼女は笑顔を浮かべて居ない。
なぜこんな古い写真を。そう思いながら、爆豪は深入りするのも気が引けてつい腰掛けたベッドから立ち上がろうとした。
その時だ。
やんわりと腰に纏わりつく細い腕に、爆豪は身体を硬直させる。次の瞬間に突き飛ばしてやろうと思ったが、振り返って見て、それは出来なかった。

「……いかないで…」

寝惚けているらしいみょうじの目尻には涙が滲んでいる。普段であれば暴言を吐いて立ち去る所であったが、何故か出来なかった。
それは彼女の悲痛な叫びのように聞こえて、爆豪は無言でその背中をとんとんと叩いた。
暫くそうしているとみょうじの表情が和らぎ、それを見た爆豪の眉間に寄っていた皺が消える。

密着していた時に気づいた薄い腹に、爆豪は冷蔵庫の中を確認した。
普段きちんと自炊しているのだろう、野菜や肉類が栄養バランスよく詰められている。爆豪はその中からいくつか食材を出してキッチンテーブルに広げ始めた。



とんとんとん。小気味好い規則的な音が耳に心地よく響く。暖かくて落ち着く、懐かしい音。

「おかあ、さん……?」

無意識に声に出しながら上体を起こせば、そこは一人で暮らす見慣れたワンルーム。けれどキッチンに何者かが立っていることに気が付いて目を擦ると、みょうじは驚愕の声を上げた。

「ば…爆豪くん?なんでっ」
「っせぇーな、勝手に起きんな」

理不尽な言葉をぶつけられつつ、みょうじはあまりに信じられない光景に意識を失う前の記憶が抜け落ちてしまっていた。
何から聞けばいいのかと一人黙って考えるみょうじに、爆豪は淡々と説明して聞かせた。
あのあと急にみょうじが意識を失ったらしいこと。無事にヴィランを警察に引き渡したこと。住所を確認してみょうじを送り届けたこと。それから寝惚けながら帰るのを引き止められたことは、口にしなかった。

「それでなんで爆豪くんがご飯を…?」
「んなこといちいち聞くな」

聞いてはいけないのか。
本人に話す気がないならば良いかと納得して、みょうじは洗面所で顔を洗った。
目の下の隈は、だいぶ良くなっている。
部屋へ戻ってくると、ダイニングテーブルの上にはポテトサラダとオニオンスープ、それからメインにハンバーグが置いてあった。千切りキャベツが付け合わされている。
美味しそうな香りが鼻腔を掠めて、そういえば昨日の夜から何も食べていなかったことを思い出した。

「美味しそう…食べていいの?」
「残さず食え。残したら殺す」

言いながら、炊きたての白米をとんとテーブルに並べた。
しかしその上にあるのは一人分の食事だ。
洗い物は手際よく既に終えてシンクの水滴まで拭き取った爆豪は、今すぐにでも帰ってしまいそうな様子だった。

「帰っちゃうの?」
「あぁ帰る」
「一緒に食べない?」

みょうじの問い掛けに否と答えようと振り向いて、彼女のほうを見たことを後悔した。
声は至って無感情に投げ掛けられたが、その眉は垂れ下がっている。控えめながら寂しがりの子犬のようなその瞳が、爆豪は苦手だった。
頭では帰ろうと思っているのに、玄関へ向いた足は彼女に吸い寄せられる。

「……仕方ねぇな」

つんつん跳ねた髪をぐしゃっと掻き回してそう言えば、みょうじの瞳が宝石みたいにきらめいた。瞬間嬉しそうに笑顔を浮かべて、彼女はベランダへ出ていく。
西陽に当てられながら洗濯物を取り込むと、片手にスツールチェアを持って帰ってきた。
ダイニングテーブルの向かいに設置して、指差しながら自分は其れに座ると言う。
その一挙手一投足から、本当に嬉しいのだと伝わってきて、爆豪は苛つきが起こらないのが不思議で仕方なかった。
こういった反応はいつ誰がしていたって"平和ボケ"だといって苛つく彼だというのに。



ハンバーグの種を熱したフライパンに乗せる爆豪の手元を見ながら、みょうじはスープをよそっていた。
先程彼が用意した分は冷めてしまったので、鍋に戻して温め直した。

「どうやったらこんな美味しそうな料理が作れるの?」
「うまそうじゃねぇ、うめぇんだよ」

誰でも出来んだろ。
いつもは他者を見下して使う言葉が、しかしその時ばかりは少し違った。

「私にも作れるかな」
「教えてやんよ」

嫌味なくすんなりと口をついて出た言葉に、動揺した。みょうじの慌てる声にはっとしてフライパンの上を裏返すと、少し焦げている。
舌を打って眉を顰めたが、みょうじが相変わらずふにゃふにゃの呑気な顔をしているのでどうでもよくなった。

「頂きますっ」

テーブルの上へと綺麗に皿を並べ終えたのは、遅めのランチのような、早めのディナーのような時間帯だった。
両手のひらを合わせて言う向かいの彼女をじっと見ながら、爆豪はその箸の行方を見届ける。
まずは白米。口に含んで口端を上げると、炊き加減が絶妙だなんて言っている。炊飯器の目盛りに従って水を入れボタンを押しただけなのに、めでたい奴だと思った。
それからハンバーグを箸で綺麗に割ると、肉汁が溢れてジューシーだという感想が漏れ出る。口へ運べば、「んん!」と一際目を輝かせて爆豪を見た。
目が合って、箸の先を咥えたまま固まって、それからみょうじは数秒阿呆みたいな顔をしている。
何秒経過したか、箸が唇から離れて頬が動き出す。食物が喉を通った後に、みょうじが口を開いた。

「爆豪くんってそんな顔もするんだ…」

不意に発せられた言葉に、爆豪は何のことかと眉を顰める。
あ、いつもの爆豪くんだ。
そういってあっけらかんとしているみょうじがまた食事を続けて、爆豪はまだ自分が一口も食べていないことに気が付いた。

みょうじがプレート皿に小鉢を重ねようとして、爆豪がハンバーグの乗っていたプレート皿を奪って行く。
油物だから重ねるなと怒られながら、みょうじはご飯茶碗とスープ皿を持ってシンクへ向かう背を追った。

「美味しかった〜ごちそうさまでした」

先程も聞いたというのに、みょうじは何度も同じことを言う。そんなに嬉しかったのかと問えば、誰かにご飯を作ってもらうのは久々だからだと笑った。

学校では多分、こんなに笑っている姿は見せない。こんなに喋る奴だとも思ってはいなかった。

きっと爆豪だけが知っている彼女の一面なのだと思うと、急に帰るのが惜しくなった。
洗い物はもう水洗いだけで、隣でみょうじが受け取った皿をタオルで拭っている。

「これってなんかさ…あ、」
「……あんだよ」
「いや、…新婚さんみたいだなーって…」

急に口籠るみょうじに、爆豪はその先を促す。暫しの逡巡の後にみょうじの口から出て来た言葉は、やはり聞かなければ良かったと思ったが、悪い気はしなかった。

「爆豪くんの将来のお嫁さんはきっと幸せだと思う」

ぽつりと、隣でそんな声が聞こえて、爆豪の手が止まる。あ、と何か思い出したような声がして、みょうじは爆豪に向き直った。

「今日はありがとう。送ってくれて、ご飯作ってくれて、一緒に食べてくれて…」

指折り数えるみょうじはそれからやはり微笑って、爆豪くんのおかげで楽しかったと言った。
水洗いを終えて手を拭う爆豪は、今度こそみょうじと目を合わせないようにそそくさと玄関へ向かう。

「爆豪くん……」

なにか言いたげに玄関までついてくるみょうじに、しかし爆豪は次こそ顔を見てはいけないと言い聞かせた。
みょうじといると気が抜けてしまう。彼女の笑顔に絆されてしまう。別れ際の寂しげな顔が堪らない。
あの顔を見たら、帰りたくなくなってしまう。

「また学校でね」

靴につま先を突っかけ、とんと地面にぶつけて踵を通した。
明るく言い放たれたその言葉に、本当に反射的に、振り返ってしまった。
そこに居たのは、本心を押し殺して無理に笑うみょうじの姿。

気が付けば、爆豪はみょうじの体を抱き竦めて居た。

とげののろい

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