一秒ごとに進む針の音がやけに大きく感じられる。もう何度目か分からない寝返りをうちながら、みょうじは胴体だけを覆っていた薄地のタオルケットを足元に追いやる。湿った前髪が額に張り付いて不愉快だった。

寝台の上で仰向けになり、湿った空気を肺へ取り込めば息苦しさを覚えて彼女は顔を顰めた。
延々と一秒を数え続ける時計に視線を遣れば、ここへ体を横たえてからいつとはなしに二時間が経とうとしているのに気が付き、腹の内側でぐつぐつと沸き立つ苛立ちを少しでも落ち着けるよう息を吐き出した。幸い明日は日曜日で学校は休みであるが、同級生たちはきっと今頃皆夢の中であろう。
開け放った窓から入り込んできた風が肌を掠めていくが、じっとりと汗をかいた体温を鎮めてくれるには物足りない。

みょうじは箪笥から取り出した着替えを手に、汗ばんだ身体を清めるべく部屋を出た。
廊下の方が快適であることすら彼女の機嫌を損ね、雑になった足取りの所為かスリッパの先が床に引っ掛かって躓き掛けたが、なんとか体勢を持ち直す。半ば八つ当たり気味に呟いた「もう、」の声は誰の耳に届くこともなく空気に溶けた。



自動販売機で購入した炭酸飲料が封じ込められた容器を片手に、テーブルを囲むように並んだ真新しいソファに腰掛ける。
空気の抜ける音と共に立ち昇ってきた泡の音が耳に心地良く、ごくごくと音を立てながら喉へと流し込む。
一週間の疲労の残る体を凭れさせてしまえば心なしか瞼に重力が乗し掛かっているような感覚に切島は短く息を吐いたが、カーペットに何か擦れるような、近付いてくる規則的な音が何者かの足音であることに気が付いて其方へと視線を向けた。

「あれ、切島くん」

エレベーターの方からかと疑ったが予想は外れ、恐らく浴場から歩いてきたのは、普段あまり会話を交わさないクラスメイトであった。きょとんとした顔で佇む彼女は普段校舎で見ている印象と違って居て、きっと風呂上がりの姿には何か魔法みたいなものが掛けられているに違いない。そんな風に思える程、切島の目には彼女が魅惑的に映った。

「…みょうじ」

特段なにか用があるわけでもないのだろうが、自分以外に誰か起きているとは予想もして居なかったみょうじは、仲間を見つけたとばかりに切島の近くへと寄ってくる。
昼間学校ではあまり目立つほうではないからか、切島が大人しめだと印象付けていた彼女は意外にも、肩につく長さの湿った黒髪を首から掛けていたフェイスタオルで乱雑に掻き乱す。ぐしゃぐしゃと跳ねた髪を簡単に手櫛で整えて片耳に掛けた。
その仕草ひとつひとつが恋人など居たことのない切島にとっては新鮮で、目が釘付けになってしまう。

「なにしてたの」
「あ、…変な時間に起きちまって。みょうじは?」
「暑くて眠れなかったから、シャワー浴びなおしてた」

風呂上がりで体温が上がったのだろう、そう言うみょうじの額には既に汗が滲んで居た。よく見れば頬が微かに上気しているのに気が付いて、切島は自身が緊張していくのを自覚した。
普段は特別なにも考えずに出来る会話に、どう返答すれば良いのか最早分からなくなっている。エアコンの調子悪くてさー、とのぼやきは最早彼の耳には入っていないだろう。
少し手を伸ばせば届いてしまう距離に座るみょうじをちらりと盗み見る。制服のスカートよりも丈の短いスウェット生地のショートパンツからすらりと伸びる白い脚が目に飛び込んで来て、即座に視線を逸らした。
先程よりも速く心臓がポンプするのを感じて掌に力を込めると、右手に持って居たペットボトルがパキリと音を立ててきしむ。その存在に気が付いたみょうじは、宝物を見つけたように嬉々として「あ」と声をあげた。

「コーラ良いね。私も飲もうかな」

名案でも思い付いたように立ち上がり財布を取りにエレベーターホールへ向かうみょうじに、思わず切島は提案を持ち掛ける。

「良かったらやるよ。…ほら、取りに行くの手間だしさ」

飲みかけで悪ぃけど…。思い出したように即座に付け足した言葉が決定的な悪条件に思え、尻すぼみになる声に心中では自らを叱責したくなるほど恥ずかしさを覚えた。しかしそんな切島の思いは杞憂だったようで、みょうじは切島から遠退いた数歩を無かったことにして舞い戻って来た。

「いいの?ありがとう」

差し出したボトルはするりと抜き取られ、自分の唾液ごと其れを飲み下した喉と、飲み口に触れて形を変えた唇に熱い視線が注がれる。「ひと口だけでいいよ」そう言って先程胃に収めた自分のひと口分より半量も中身の減らない状態で突き返された其れを受け取ったは良いが、切島には彼女の前でそれに口を付けるほど肝が据わってはいなかった。

「もう遅いから寝ようかな」
「だな。俺も寝るわ」

みょうじは壁掛け時計をちらりと一瞥し午前2時を指し掛けている針に驚きを示すともう部屋へ戻ることを宣言した。
皆が寝静まった深夜に、予期せぬとはいえど誰も知らないふたりきりの時間を共有している。後ろ髪を引かれつつ、自らも立ち上がった。
いつもであったなら見逃しても仕方がなかっただろうが、この時まじまじと彼女を観察していた切島は、目敏く気付いてしまった。
数歩先を行く彼女の耳が、赤く染まっていることに。
エレベーターの昇降ボタンに手を伸ばした彼女を咄嗟に呼び止める。

「みょうじっ、」

ぴくりと肩を震わせて振り返ったその顔はやはり心なしか赤く見えて、切島が一歩近付くたび薄い涙に覆われた瞳がちらりと光った。一体どんな言葉を掛けられるのだろう、そんなみょうじの不安と期待が綯い交ぜになったような動揺が瞳の奥に見て取れて、切島は堪らずその細い腕を引き寄せた。
前のめる身体を抱き止め混乱の声を上げるみょうじの首筋に顔を埋めれば、いつもはヘアワックスで固められた切島の降ろされた柔らかな髪が白い肌を擽る。
鼻腔を蕩かすような控えめなシャンプーの微かに甘い香りと光る首筋は、切島の思考力を鈍らせるには充分すぎた。

芳しきに蠱惑され

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