満席近く騒々しい大衆居酒屋の一席。グラスとテーブルのぶつかり合う音だけが立てられている。みょうじと爆豪の姿がそこにはあった。が、先程から一言も自発的に言葉を発さず黙りこくっている爆豪に、みょうじは疑問を抱くほか無かった。
学生時代から、授業以外に特別二人で話すような場面など無かったし、切島のように間に入ってくれる人物が居て初めて会話が成立するという程度の親密度であったからだ。
卒業後すぐに渡米したみょうじにとっては、学生時代の荒々しさの残る爆豪しか記憶には無かった。

遡ること数時間前。
麗日の結婚式と披露宴を終了し、みょうじはA組の面々で行われた二次会に参加した。
そこでも爆豪とは特段言葉を交わさなかったが、終電の時間もあるし解散、という時に事件は起きた。お開きならば宿へ帰るべく駅へと向かおうとしていたみょうじ。「オイてめぇ、付き合え」という爆豪の一声と腕を掴んで歩いて行く強引さに、みょうじは為す術なく従うしか無かった。

そうして爆豪と二人きりの三次会が始まったのだが、冒頭の通り口を開く素振りも見せない彼の様子に、みょうじは訝しむようにジョッキに口をつける。テーブルの上の枝豆を見つめたまま、眉間に皺を刻んだまま、時折向かいに座る相手の顔を見ては酒を煽る爆豪。
その明らかに不自然な振る舞いに、先に沈黙を破ったのはみょうじの方であった。

「爆豪、私と飲んでて楽しい?」
「ぁあ?」
「私はあんまり楽しくない」

正直に現状の気持ちを伝えるみょうじに返された爆豪からの返答は、彼女の想像していた通りであった。
面白かねぇわ。静かに発せられた、どこか物憂げにも聞こえた爆豪の声音に耳を傾けつつ、じゃあ、と続けようとしたみょうじであったが、爆豪が紡いだ言葉によってそれは制されてしまった。

「だからさっさと吐いちまえ。クソが」

その視線は未だ、皿の上に乗った手の付けられていない枝豆の上だ。何を。そう問いかけるまでもなく、みょうじには爆豪の言葉の意図するところが理解できた。その瞬間、今まで堪えていた緊張の糸がぷつりと切れ、みょうじの双眸からは涙が溢れた。あぁ、だめだ。そう思った時には遅かった。次から次へと涙の粒が零れ落ちる。

好きだったんだ、あの娘のことが。高校を卒業してから7年間。何度後悔した事だろう。
それでも告白する勇気は無くて、断られて友達で居られなくなるのなら言わない方がましで、けれどあの娘のことは忘れられなくて、連絡を取ってしまえば気持ちを抑えられなくなりそうで。
そんなどうにもならない消化不良の想いをずっと抱えて過ごしてきた。
今日あの娘の幸せそうな顔を見て、ようやく諦めがついた。諦めがついたから、吹っ切れた。そんなわけは当然なくて、本当は招待状が届いた時からずっとずっと胸が痛かった。苦しかった。
あの娘の前で、私はうまく笑えて居ただろうか。きっと、うまく笑えて居た。
けれど、爆豪の目は騙せなかった。それだけだ。それだけの事がこんなにも暖かい。
爆豪なりの不器用な優しさに触れたと気付いた時、更に涙が溢れてなかなか止まらなかった。



「…麗日はぁ〜…めちゃめちゃ可愛いの。天使なの。爆豪もそう思うっしょ」

ん?と上機嫌な顔で同意を促すように爆豪の顔を覗き込むみょうじは、もう何杯目か分からないビールをぐびりと飲み下す。
呂律もうまく回っていない酔っ払いの相手にいい加減彼も疲れたのか、眉間には小銭くらいなら挟めそうな程に深い皺が刻まれていた。
彼女の手中に握られていた、あとひと口で空になるジョッキを指差した爆豪は「それで終ぇだ。また頼んだら殺す」と凄むように釘を刺し、不満の声を上げるみょうじを引き摺って無理矢理店を出た。
時刻は午前2時37分、人通りも少ないわけだ。一人で歩くのも儘ならない隣の酔っ払いに視線をくれてやれば彼女はその赤い瞳に気が付いて、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
くらり、と眩暈がするような気がして、爆豪は頭を抱える。「らいじょーぶ?飲み過ぎた?」そんな辿々しい口調で爆豪の頬に伸ばしたその手はいとも簡単に絡めとられ、次の瞬間彼はみょうじの唇に噛み付いた。

「調子乗ってっと抱くぞ」

離れた唇から溢れたのは余裕の無い囁きで、拒否を促すように、確認をしているかのようにもみょうじの目には映った。

「やっぱ優しいな、爆豪は」

過去、異性との経験が無かったわけではないが、みょうじが感情を突き動かされた相手はもしかしたら目の前の彼だけかも知れない。
夜風に当てられてほんの少し酔いが覚めたみょうじは微笑むと、今度は自分から爆豪へと口付けた。

「きみならいいよ」



急くように雑に部屋へ押し込められ、扉の鍵を閉めると同時に爆豪はみょうじの白い首に歯を立てた。その顎には力こそ込められてはいないが、規則的に並んだ歯と妙に熱を持った舌が這う感触に短い嗚咽がみょうじの唇から漏れ出す。

ドレスを取り払うべく回された爆豪の手は器用に背面のファスナーを下げていく。ジリジリと鈍く音を立てながら徐々に窮屈さが失われていくのをみょうじは感じていた。
汗ばんだ背筋を爆豪の指になぞられ、ぴくりと肩を震わせる。
未だ互いに靴も履いたまま、玄関先で視線を絡めあっている状況に気が付いて、みょうじは口を開く。

「シャワー浴びたい」

が、みょうじの申し出は爆豪の啄むような口付けによって呆気なく却下されてしまった。
靴を脱がせるついでか、ストッキングも一緒にするりと取り払われる。裾から覗いた白い絹のような肌の上を唇が滑る。
二つの赤と目が合った。獲物を捉える鷹のように鋭い瞳には、しっかりとみょうじを映していた。
膝の裏と背に腕を回し、いとも簡単に抱き抱えられてしまうみょうじの身体は、爆豪にとってはあまりに細く軽く感じられた。その身体を割れ物でも扱うかのようにそっとベッドへと降ろせば、スプリングすら音を立てずひっそりとしている。
離れようとした体温を逃さぬようにと爆豪の首に絡められた細い腕は、少々強引に彼をシーツの上へと招いた。
先程は鳴らなかったスプリングが、咄嗟に着いた彼の掌から衝撃を伝えてぎしりと音を立てる。
生唾を飲み込む音と共に早急に取り払われた深紅のドレスが床に放り出され、彼女の白い肌が空気に晒される。
あまり見ないで、そう言う彼女の言葉には不思議と羞恥ひとつ込められていなかったが、その理由は直ぐに理解できた。
所々にある細かな傷痕は、きっと仕事で負ったものだろう。命懸けで市民を守る仕事であるから仕方がない。自分にも多少の傷痕はある。が、爆豪は自らの預かり知らぬ処で傷を受けたみょうじを思い、そのひとつひとつを唇でなぞらえ始めた。その度にチクリとした小さな刺激が走って熱を持つようで、みょうじは熱い吐息を漏らした。

「爆豪…」

シーツの上へと引き招いて、同じように彼の服を脱がせる。筋肉質な厚い胸板をつ、とひと撫でするとみょうじはちう、と吸い付いた。また、赤がこちらを見詰めている。ぞくりとする視線を肌に感じた瞬間、彼女の身体は寝台の上に縫い付けられた。

「今更後悔すんなよ」

絡められた指と、確かめるようになぞられた言葉に、みょうじはひとつこくりと頷いた。



翌日夕方、国際空港の待合ロビーにみょうじの姿は在った。
始発が走り始めた頃に届いた急な出動要請に不機嫌を露わにしながら、早朝早く爆豪は一人ホテルを後にした。

「じゃあね」
「……ああ」

こんな短い挨拶だけのやり取りが、妙に後を引いて忘れられない。だがみょうじも用事を済ませれば早々に事務所へ戻らなければならなかった。
爆豪とはもしかしたらこれきり、もう顔を合わせることもないかもしれないと思いながら、帰りの便の搭乗手続を済ませた。
荷物はスーツケースひとつ。キャスターを転がしながら歩を進め始めると、薄手のコートのポケットに無造作に放り込んでいたスマートホンが震える。知らない携帯番号からの電話だった。

「…もしもし」

みょうじが言い切るよりも先に、電話口の向こうにいる相手は一方的に怒号を飛ばしてくる。割れた音はじりじりと鼓膜を刺激して少し不快に感じた。

『てめェ今どこだ!?』
「空港だけど…」
『んなこたァわかっとるわ!便教えろつってんだよ!!それぐれぇ分かれや!』

理不尽に捲し立てる爆豪に少々機嫌を損ねつつ、口を開きかけた瞬間にプツリと電話が途絶えた。
なんなんだ、そうぼやいた瞬間背後から抱き竦められた。つい朝方まで時間を共有していた人の匂いが鼻腔を擽る。

「勝手に帰ろうとしてんな」

微かに震えている余裕のない声に、胸が早鐘を打つように高鳴る。振り返ろうと見上げれば、唇を押し付けられた。人目も憚らず苦しくなるほど何度も奪われた呼吸に、瞳が薄い涙の膜を張る。道行く人が皆横目で見ていくのを肌身に感じて彼の胸を叩くが、びくともしない。
ようやく解放された頃には、お互い肩で息をしていた。

「…なんで」

こんなことを聞くのは不粋だと分かってはいたが、聞かずには居られなかった。
そんなみょうじの問いかけにぴくりと眉根を寄せる爆豪は、「わからんのか」と幾分落ち着き払った声で続けた。じゃあ…ーー

「もう良い」

軽く肩を突き放される。気が付けばもう時間がなかった。

「解るまで俺のこと考えてろ」

そんな言葉と共にニヒルな笑みを湛える彼の顔は、アメリカへ戻ってもしばらくみょうじの頭から離れずにいた。

いとまごい、きみを識る

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