喧騒に溢れた食堂の中、人混みを掻き分けて購買にやって来たみょうじは毎日飽きもせずに同じ弁当を購入する天喰を待っていた。
弁当を持参している彼女は何を購入するわけでもなく、見慣れたいつもの光景を眺めているだけだ。
二、三に別れた列のその中の一つに、今ちょうど弁当を購入できたらしい待ち人の姿を発見してみょうじは出口を向いた。
歩いて来た生徒と肩がぶつかり、申し訳なさげに頭を下げながら彼女の元へと帰って来た天喰はその背に声を掛ける。

「みょうじさん。待たせた」

しかし声を掛けられた本人は遠くのテーブルをぼう、と眺めたまま反応がない。
そんな彼女の瞳を訝しげに覗き込みながら、その視線を辿るように彼もそちらを見た。

「…ミリオか。波動さんもいる」

いつも明るく笑顔の絶えない遠形の周りは、遠くからでも一目見て分かる程に賑やかだ。
天喰の言葉に反応して、みょうじはふいと視線を逸らすと校舎の方へと一人戻って行く。
置いてけぼりにされないよう彼女の背中を追いながら、天喰はいつも購入している紙パックの緑茶を買い忘れたことに気が付いた。

ぼんやりとした薄い白が流れて行く青空の下、中庭で弁当を広げていたみょうじの手元を横目に、彼は唐揚げを口に運ぶ。
本当なら一口で平らげてしまえるのにも拘らず、口を開くのを横着した彼はそれを半分齧り咀嚼しながら、先程から蛸の形をしたウィンナーがプラスチックの箸の先で意味もなく突かれ続けているのを見届けた。

「食べないのか?」
「たべるよ」

そう答えると、好物はいつも最後に残しておくみょうじが余裕の出来た弁当箱の中で先から転がし続けているウィンナーに箸を突き立てる。
普段は豆すら器用にひとつひとつ摘んで口に運ぶ彼女であるが、考え事をしている時は指先が雑になることを天喰は知っていた。

「…なにか悩み事か」

本音を言えばその悩みの種の正体に彼は気付いていたが、敢えて核心には触れないで置いた。
箸の先にぶら下がったウィンナーと見つめ合っていた瞳が、ふと天喰へとずらされる。
つまらなそうにこちらを一瞥して、漸く開いた口は何を言葉にするでもなく弁当箱に残った最後のおかずを飲み込んだ。

「天喰のくせになまいき」

イ、と歯を見せるみょうじの言葉は半ば冗談まじりなのだが、初めはそれに幾度も心を手折られていた。
そんな天喰も、今となっては受け流してしまえるくらいには彼女のことを理解しているつもりだ。
みょうじがそのような少々子供じみた態度を取るのは、いつも必ず一人で抱え込んだ悩みに行き詰まっている時だ。
この事実に気が付いたのも大分前からだが、同じ時間をよく共有する天喰は彼女の扱い方を心得ていた。

「…ミリオのことだよな」

口を結んで俯いたまま答えないみょうじに畳み掛けるように尋ねれば、半分投げやりな肯定が返ってくるのが決まっている。

「違うか?」
「…そうだよ、遠形のこと」

彼女は遠形のことが好きだ。
と本人の口からは聞かされているが、それが嘘であることも彼にはお見通しだった。
二年生の頃までは遠形と波動も共に四人で行動していたのだが、いつからかみょうじは遠形と波動を避けるようになった。
初めはその真意が理解できずにいた天喰だったが、彼女のことを見ていればなんとなく察しがついてしまったのだ。
それと同時に、彼が彼女へ密かに抱いていた想いが叶わぬものだということにも。
今となってはだからこそ天喰が彼女の最大の理解者であれるわけだが、それは嬉しいようでその反面、複雑な気持ちでもあった。

昼休みの終了を告げる鐘が鳴った後、弁当箱を包み直してみょうじは気が進まなそうに立ち上がる。
中庭から見えた、三年の教室の窓の向こうに想い人の姿を見つけて彼女はぽつりと呟いた。

「いいなぁ、遠形は」

それを言ったら"彼女"だって。
不意に口をつきそうになった言葉はなんとか飲み込んで、天喰はさっさと屋上を出て行くみょうじの背を追いかけた。



帰りのHRの時間、担任の話は半分に聞きながらみょうじの手は筆記用具などを鞄に詰め込むのに忙しい。
解散の合図で開け放たれるバリアフリーの大きな扉から、一番先に出てゆくのが彼女の日課であった。
のだが、この日扉を開けた瞬間飛び込んできた何かに押し戻され、みょうじは尻餅をついた。

「みょうじ捕まえた!」

すぐ耳元で発せられた大きな声に眉を潜めながら、みょうじは深い溜息を吐く。
此れがある為に彼女はせっせと帰り支度をしていたというのに、捕まってしまえばその手間も水の泡ではないか。
みょうじは腰を上げようとした自身の腹部から未だ退けようとしない藤色を押し除けようと手を伸ばした。
ふわりと洗髪料の仄甘い匂いが香り、指通りの滑らかなさらりとした絹糸は光の反射によって紫とも青とも判別つかなくなる。
まるで土質によって色を変える紫陽花のようで、初めて見るわけではないその色彩に思わず息を呑んだ。
そんな彼女の様子など気にも留めず、波動は己の頭上に乗せられた掌に甘えるように額を擦り付ける。
猫のようなその仕草に暫く呆気にとられていたが、我に返ったみょうじは手を引っ込めると今度こそ帰途につくべく先よりも強引に腰を上げた。

「波動、重いよ」

無愛想にそう言って今度こそ扉を潜り抜ける背中に張り付いて、波動はみょうじの一歩後ろを歩き出す。
女子ならば普通傷付くであろう言葉も聞こえてはいない。この好奇心の塊のような少女は一歩歩くたび新しい疑問と出会すらしい。

「あ。ねぇねぇ、みょうじ」
「んー」

無関心に帰ってきたみょうじの相槌が気に食わなかったのか、波動は彼女の衣服を摘んで抗議する。
面倒臭そうに振り返った彼女の瞳をじっと見つめる、波動にしては珍しくどこか真剣な眼差しに射抜かれみょうじは足を止めた。

「みょうじは天喰くんと付き合ってるの?」
「……いや、それはない…」

事実二人はそのような関係性にはなかったが、なるほど確かにそのような噂がまことしやかに囁かれる程、みょうじは普段天喰と行動を共にしている。
彼女の答えを聞いた波動はまだなにか気になるらしい。
じゃあ、と言葉を紡いだ。

「遠形のことが好きなの?」

急になぜそのようなことをそんな真剣な顔をして尋ねてくるのだろうか。
返事を渋ったみょうじはそのような意図の疑問で話を逸らそうとしたが、この日波動の様子はどこかおかしかった。
普段ならばもう既に興味の対象が移り変わっている頃合いであるのに、彼女の視線は未だみょうじにある。
本来ならばそのような視線は心地悪い筈であるのに、どういうわけか悪い気はしない。
この質問に本音で答えてしまえばそれはみょうじの今までしてきた行動を無に帰すこととなる。
が、ここで嘘をついてしまえば何かが崩れてしまいそうな、そんな不思議な空気感の中に二人。
歪んだ時空間へ迷い込んでしまったような、それは妙な感覚であった。

「おしえて?」

声そのものはただのいつもと変わらぬ彼女のそれであるというのに、懇願するような印象を与えるのはあの湿った瞳のせいだろうか。
いつになく静かで丁寧に紡がれた四字は、そんな切ない音色を奏でることも出来るのかとみょうじに新たな発見を思わせる。
目眩がするのは錯覚だろうか、それとも。
そんなこともどうでも良く思えるほど強く彼女を惹きつけて止まないそれは、みょうじの口から本心以外の言葉が出てくることを良しとしない、ほぼ命令であった。
例え幻覚や錯覚だとしてもきっと、彼女は本音を口にせずにはいられない。

「波動のほうがすきだよ」

それは紛れもなく本当で、そして嘘に違いなかった。

「そっか」

そう相槌を打って笑んだ彼女は、この瞬間きっと世界一美しい。
その奇麗な紫陽花が夕陽に照らされる様を、今ならいつまででも眺めていられると思う。
実際にはすぐ夜が来て彼女ごと飲み込んでしまうのだが、せめて今だけ彼女は自分のものだ。
次の瞬間、窓の外に何かを見つけた彼女はもう見慣れた腕白な笑顔に戻っていた。

雀色の紫陽花

- 1 -

prev | next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -