チョコレートキッス!


「ハッピーバレンタインっ」
「……」

 俺は何も見ていないし、聞いていない。見ざる聞かざる言わざる、だ。翔は自分に言い聞かせる。

 三年前、那月が作ったチョコレートを食べさせられた。だって朝起きたら那月が枕元に立ってたから。そして一日中寝込んだ。

 一昨年、那月が作ったチョコレートを食べてみた。だって藍が平気そうに食べていたから。そして二日間寝込んだ。

 去年、その香りによって俺は倒れた。その後、三日間謎の頭痛にも襲われた。ちなみに二日目の記憶はまったくない。

 だから今年こそは絶対に那月のチョコレートは口にしない、そう決めていたのだ。けれども、翔のわずかな良心が那月の言葉を無視することを許してはくれなくて。

「翔ちゃん?」
「……なんだ」

 つい声が固くなってしまうことに悪気はない。背筋を季節はずれの汗が流れているのもきっと気のせいだ。

「僕のチョコレート……」
「ごめんな、俺ちょっと……あれ」
「ん?」
「なんか普通のチョコに見える」

 見えるといっても箱に詰められているからその姿形は見えないのだけれど。正しく言えば、いつもならそこから漂う禍々しいオーラだとか、生臭いに匂いがしないのだ。今までとは違う、気がする。

「あっ、ごめんね。今年はアレンジをしてないんです」
「ほんと?」

 翔の語尾は自然と上がる。元々チョコレートは好きだ。

「翔ちゃんは素朴な味が好きなのかなって。前に僕のお料理誉めてくれたときも……」

 それはいつだ? そんな翔の疑問を見透かしたように那月が言葉を紡ぐ。

「実家の牧場から届いた卵を使ってプリンを作ったときです」

 あぁ、と翔は思い出す。きっと去年の春頃の話だから、一年前くらいのことだろう、と。

「あのときは、卵と牛乳の味を引き出すために、アレンジせずレシピの通りに作ったんです。そうしたら翔ちゃんが初めて最後まで食べてくれたでしょう? 僕、とっても嬉しくって」

 那月が照れくさそうに視線を下げる。

「……そんな前のこと覚えててくれたのか」
「うん。だって翔ちゃんのことですもん!」

 那月が当たり前だよ、と柔らかく微笑む。

「そ、そっか。ありがとな」
「ふふ、どういたしまして」

 素直に嬉しくて、けれども照れくさくって、翔は小さく礼を言った。すると那月がさっきよりももっともっと嬉しそうな顔をする。

「ねぇねぇ来年も作ってもいいですか」
「うん」
「じゃあこの一年で翔ちゃんの大好きな味を探さなくっちゃ」
「変なものは足さなくていいからな」
「うん。でも翔ちゃんの好きなものを教えてもらわなくっちゃ。だって僕わからないもん」

 だからずっとずっとそばにいさせてね、と那月が珍しく真面目な顔をする。当たり前だろ、と返せば、えへへ、とふにゃっと笑った。


 丁寧にラッピングされた箱を開けば、かわいらしいトリュフが三つ並んでいた。そのうちのひとつを摘み、そっと口に入れれば、初めにココアパウダーのほろ苦さが薫り、続いて体温でじわりと溶けたチョコレートの甘さが口いっぱいに広がる。

「おいしい!」
 思わず翔は目を輝かせた。そんな翔を優しく見ていた那月がくすりと笑う。そして顔を近付けた。

「んんっ」

 那月は唇を重ね合わせ、舌で翔の唇を数度舐めただけですぐに離れる。

「お前はすぐ……っ!」
「だっておいしそうだったんだもん」
「ば、ばかっ。つかお前までココアパウダーついてるじゃねぇか!」

 那月の唇の端には、おそらく俺のそれに付いていたであろうチョコがついている。

「翔ちゃん? んんっ」
「キスするならっ、ちゃんとしろよな……っ!」

 チョコの甘ったるさを那月に押しつけるように、翔は那月の口内を舌でかき回す。キスが終わった頃には、その甘さが那月のものなのか、翔のものなのかわからなくなってしまったほどだ。 


  ***


「あっそうだ。来年は一緒に作ろうぜ」

 翔はふたつめを半分かじりながら言う。

「わぁ楽しそう! すっごく楽しみです」
「だろ? ほら那月もどーぞ」

 残りの半分を差し出せば、那月は素直に口を開いた。

「ふふ、おいしいね」
「おう」

 指に付いたチョコレートの粉をぺろりと舐めながら翔は思う。こうしてひとつひとつ約束が増えていく毎日も幸せだな、と。

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