非依存体質 週末にしては、いつもより静かな室内。隣で「今日の昼食の話」や「通勤のときに見かけたおもしろい人の話」を大げさな身振り手振りで話す彼の姿はない。月島は、はぁと大きくため息をつくと、そこにいない恋人の姿を思い浮かべた。 今年で社会人五年目になる月島は、職場から少し離れたこの場所で一人暮らしをしている。また、学生時代からの恋人である山口も、彼自身の職場の最寄り駅から数駅離れたところで一人で暮らしていた。週末になると、相手の部屋へ寝泊まりするのが、月島たちの小さな楽しみでもあった。 大学卒業と同時に一緒に暮らそうという話が出たこともあった。けれども、自立するためにも一度は一人暮らしを経験しておいたほうがよいという先輩たちからのアドバイスを受けて、月島たちは就職を期にそれぞれ実家を出て一人暮らしを始めたのだった。 今日は金曜日。先週は月島が山口の部屋へ行ったので、本来ならば今日はこの部屋には山口が来ているはずだった。しかし、言うまでもなく彼の姿はない。一人で夜を過ごすために借りてきたDVDを見る気にはなれず、月島は早々に身支度を済ませるとベッドにごろりと横になった。背の高い月島と山口のために買った大きめのベッドは、月島ひとりでは少し広すぎた。月島が仰向けに寝そべると、その視界の端に満月が映りこんできた。 「……カーテン閉めるの忘れた」 寝る前にはいつもきちんと閉めている。そのカーテンをうっかり閉め忘れてしまったせいで、小さな窓はまあるい形に夜空を切り取っていた。月が明るすぎるせいか、星はあまり見えなかった。月島は身体を横にして空を見つめる。あまりに綺麗な満月はともすれば吸い込まれてしまいそうだ、と思った。そんな風に夜空を見上げていると、不意に枕元に置いた携帯が震えた。独特のバイブレーションで鳴るそれが、彼からの着信を示していることは明らかだった。月島は手探りで携帯を取ると、体勢を仰向けに戻してから通話ボタンを押した。 「もしもし」 『あっ、ツッキー? 俺だよ、山口』 そんなことわざわざ言われなくてもわかっている。 「知ってる」 『だよねぇ』 山口がけらけらと楽しそうに笑う。ほんの数日ぶりに聞く声は、心地よく鼓膜に響いた。山口の楽しそうな声に釣られて、月島の口元もわずかに緩む。 「ってか明日も仕事でしょ。大丈夫なの」 けれども、そこは月島の持って生まれた性格だ。山口からの電話は嬉しいのに言葉ではなかなか素直になれなかった。それに山口の仕事が忙しいのも確かだった。山口は、昨日から二泊三日で関西のほうへ研修に行っているらしい。山口が今日ここにいないのもそれが理由だった。 『うん、大丈夫だよ。なんかツッキーの声が聞きたくなっちゃって』 少ししおらしい口調で言う彼が恥ずかしそうに頬を染めているのは予想がついた。 「そう。今ホテル?」 『うん。すごいよ。夜景がすっごく綺麗なんだ』 「へぇ」 そう言いながら、月島は先ほど見た満月を見上げた。 「じゃあ月も見える?」 『うん。……今日は満月だね』 その瞬間、月島の脳裏に浮かんだのは数年前の記憶だった。おそらく山口も同じ記憶を共有しているのだろう。それを証明するように山口が『そういえば……』と言葉の続きを紡いだ。 『俺たちが付き合い始めた日も、綺麗な満月だったよね』 「よく覚えてるね」 そう言ったものの、月島のなかでもあの日の記憶は色濃く残っている。 数年越しの恋が実った瞬間だったのだ。簡単に忘れられるわけがない。 『ふふ、そんなこと言ってツッキーもしっかり覚えてるくせに。あーあ、今すぐツッキーに会いたくなっちゃったなぁ』 電話の向こうからどさっと音がして、どうやら山口がベッドに寝転がったらしいことがわかった。 「もうお風呂入ったの」 『うん、さっき入った。ちゃんと髪も乾かしたよ』 「ふーん」 興味のないふりをしたが、風呂上がりで火照った山口の身体を想像するだけで、身体の芯がずくりと熱くなった気がした。 「……ねぇそろそろ溜まってるんじゃない」 社員寮である山口の部屋では、せいぜい一緒に食事をして、同じベッドで眠るくらいが限度だ。だからいつもセックスをするのは月島の部屋であった。最後に身体を重ねたのは二週間前のこと。本来ならば、今日は「そういうこと」するはずだった。快楽に弱い山口の身体は、こちらが少しスイッチを入れてやるだけですぐに疼きはじめるだろう。 受話器の向こうで山口が小さく息を飲んだ気配がした。はっきりと聞こえたわけではないが、月島には確信があった。 「僕はお前に触れたいと思ってる」 『……っ』 今度こそ小さな声が聞こえた。月島は、あえてその声については言及せずに会話を続ける。 「お前のぺたんこの腹も、ちょっと触っただけで真っ赤になる肌も好きだよ」 『つ、つっきぃ』 電話口から情けない声が聞こえる。きっと肌に触れられる様子を想像して真っ赤になってしまっているのだろう。僕は電話をスピーカーにしてから最大音量にすると、そこへ向かって再び話しかけはじめた。 「キスすると、すぐふにゃふにゃになっちゃう顔も好き。エロいよね」 そう言うと、スピーカー部分に向かって小さなリップ音を響かせる。山口が『ひゃ、』と小さな声を漏らしたのが、はっきりと聞こえた。 「ねぇ、山口に触ってもいい?」 もちろんエスパーでも何でもない月島が、遠く離れた関西にいる山口に触れることなどできない。これは言葉の綾だ。あるいは山口の気分を高ぶらせるための罠のようなものだ。山口から返事はない。おおよそ電話であることを忘れていつものようにコクコクとうなずいている姿が簡単に想像がついたので、月島は特に気にすることなく言葉を続けた。 「じゃあ僕の手で気持ちよくなってね。そうだなぁ。まずはそのだっさいパジャマ脱ごっか。山口は自分でできるよね?」 横着な山口のことだ。きっとパジャマ類は持って行かずに備え付けのものを使っているだろう。それを予想して、月島は声をかけた。返事はなかったが、反応はすぐに返ってきた。ごそごそと電話の向こうで動く音がした。 『……ぬ、脱いだよ』 衣擦れの音がしばらく続いたあとで、今度は山口の声がした。最初よりも声が遠い場所から聞こえるような気配がしたので、彼もハンズフリーにしたのかもしれない。思ったよりもノリノリな相手に、月島の口元も意地悪く弧を描いた。 「下着は?」 『……もう脱いじゃった』 恥ずかしそうに上の服をぎゅっと引っ張って、その場所を隠そうとする様がふわりと頭のなかに浮かんだ。その姿を想像して、思わず舌なめずりをしてしまう。そんな興奮に気付かれてしまわないように、あえてクールな態度を取った。 「……山口の変態」 『そんなこと言わないでっ……』 「とか言って、喜んでるくせに。……あ、」 『な、なに。つっきー?』 月島がわざとらしく言葉を途中で切ると、山口が心配そうに名前を呼ぶ。 「僕がいいよって言うまで自分で触っちゃだめだよ」 『……! わかってるよぉ』 弱々しく山口が言う。けれども、その前のわずかな沈黙は月島の言葉が図星であったことを物語っている。彼は、すでに焦れてきているようだった。 「じゃあ僕と一緒に山口のこすってみようか」 山口からの返事はないが、その代わりにギシッとベッドの軋む音がした。 「そうだ、山口は先をぐりぐりされるのが好きだよね。やってみるね」 はふっ、と乱れた山口の呼吸が聞こえた。時折、まるで山口の身体が跳ねるのに合わせているようにベッドの軋む音が聞こえた。 「まだ少ししか触ってないのにもうこんなにおっきくなってる」 何度も抱いたことのある山口の身体の様子を想像しながら、彼を高ぶらせるための言葉を慎重に選ぶ。そんな月島の策略に山口はおもしろいほどに引っかかった。 『つっきぃ、もっと触って。ここだけじゃやだ……っ』 「うん。山口はエッチだからそこだけじゃ足りないよね。どこ触ってほしい?」 『ツッキーの指で、……ここ、ぎゅってして』 「ここじゃわかんないから言葉で教えて。……山口ならできるよね」 『……っ、ちくびも触ってほしい……』 「うん」 『ひゃぁっ』 山口の甲高い声が響いた。自分の指で与えている快楽を、月島に与えられたものと錯覚して感じ入っているのだ。 「上も下も僕に触られて、気持ちよくなってるの?」 『んっ、もっと強くして』 「じゃあお前の好きな右の乳首をきゅっと引っ張ってあげる。あ、下の手も止めちゃだめだよ。僕が手伝ってあげるからね」 山口が『っ!』と小さく息を飲んだ。いよいよくちゅくちゅという水音は大きくなっている。 「僕の手のなかで、山口のすごくビクビクしてる。可愛い。あ、また大きくなった」 電話口の向こうからは絶え間なく山口の甘ったるい声が聞こえている。月島もついに我慢できなくなって、自分のスウェットとボクサーパンツを脱ぎ払った。一度も触れていない性器は、すでに半分ほど持ち上がっている。 「僕のと一緒にこすろう。山口なら上手にできるよね」 『んっ。だめ、ツッキーの手熱い……』 「だって山口がこんなにもエッチだから興奮してきちゃった」 『やめてっ、みないで』 「見ないわけないでしょ。ほっぺまで真っ赤にしちゃって。そんなに僕のこと好きなの?」 『う、んっっ、だいすきっ。だから早くつっきぃのおっきい手でイカせて……っっ』 「ほんと可愛いやつだよね。いいよ、いっぱい触ってあげる。山口が好きなところ、たくさん触ってあげるからね」 月島はそう言うと、わざとはぁと吐息を零した。粘着質な音が部屋に響いて、絡みつく粘液が月島の指を汚していく。もはや性器は大きく膨れ上がり、さらなる快感を求めてその熱を蓄えていた。 『…っっん!』 そんな月島の声を敏感に聞き取った山口が、小さくうめき声を上げる。ギシギシとベッドの軋む音が止んだ。その気配を敏感に察知した。 「……あれ、もしかして僕より先にひとりでイっちゃった?」 『ごめんっ、つっきぃ』 「だぁめ、許してあげない。僕のと一緒にこすったら山口ももっと気持ちよくなっちゃって女の子みたいにイっちゃうかもね」 そう言ってふふっと笑い声を零す。耳を澄ますと、山口の甘い声が聞こえる。どうやら彼は月島から与えられる疑似快楽を従順に感じ取ろうとしているらしい。 「どう? 気持ちいい?」 『だめっ、まだ触ったら……っっ!!!』 月島が囁くと、山口がのどを引き攣らせるような声を出す。しばらくしてひときわ甲高くて可愛らしい声が聞こえた。今度こそドライで達したようだ。その声を聞いて、月島も自分の手のなかに白濁を吐き出した。 『っ、はぁ、はぁ……』 まるで運動をしたあとのような息遣いが聞こえる。短時間で複数回の絶頂を迎えた身体は、大きすぎた快楽にキャパオーバーを引き起こしたらしい。いつもより絶頂がかなり早かったので、山口も興奮していたのかもしれない。山口の浅い呼吸を聞きながら、月島も軽く息を整えると、その音源に向かって話しかけた。 「山口、」 『なぁにつっきー?』 少しふわふわとしたしゃべり方をする山口は、まだ余韻が抜けきっていないらしい。月島はむしろ好都合だと思って口を開いた。それは前々から計画していたことだったが、今まであと一歩を踏み出せないでいたことでもあった。けれども、今夜ひとりで食べる週末の夕食の寂しさを知って、月島の声が聞きたいと言った山口の言葉を聞いて、ようやく月島の決心は固まったのだった。 「……山口、結婚しよう」 『へ? ちょ、え? ツッキー、何言って……?』 月島からの突然のプロポーズに対して、どうやらさすがの山口も夢見心地から覚めたらしい。わけのわからない日本語を繰り返していた。そんな山口の動揺ぶりを聞いていると、なぜかこちらまで恥ずかしくなってくる。月島は、大きく息を吸ってつとめて冷静を装った。本当は緊張で心臓がバクバクと高鳴っているにもかかわらず。 「そのままの意味だけど? 来週の月曜日仕事休みだから部屋で待ってる」 ――愛してるよ。 普段ならば絶対に言わないような言葉を電話口に囁いて、そっと通話終了ボタンを押した。最後の最後まで電話口で山口が何かを叫んでいたが、聞こえないふりをした。 それから月島は、携帯を握りしめたまま唖然としているであろう山口の姿を想像して、少しだけ頬を緩めた。そして手早く片付けをすると、何度も鳴り響く携帯には気付かないふりをして、ここ一週間で一番心地よい眠りにつく準備に入った。完全に眠る前にもう一度だけ、枕元に隠した小さな四角い箱に触れる。これから山口と自分の薬指に光るであろうプラチナのリングのことを考えると、心の奥がぽかぽかとあたたかくなった。 【終】 20150722 |