恋は盲目


 山口は、本来ならば女子が好きなのだろう。小学生や中学生のときは普通に好きな女子もいたようだし、テレビを見て「この女優さんかわいいね」なんてことを言うこともある。今まで一度も女子を好きになったことのない僕とは違うのだ。「この人可愛いね」なんて言う山口の言葉を聞きながら、「いや、お前のほうが……」とか思っている僕とは根本的に何かが違うのだ。
 今日は日曜日。珍しく部活もオフだったので、山口の用事に付き合ってとあるショッピングモールに来ていた。家族連れや女性客の姿が目立つものの、僕らと同じ世代の男子もたくさん来ていて、居心地が悪いわけではなかった。まぁ、この人の多さはどうにかしたいと思ったけど。
 必要なものをだいたい買いそろえてぶらぶらと歩いていると、さっきまでぺらぺらと口を動かしていた山口が一瞬だけ黙り込んだ。どうしたのだろう。そう疑問に思いながら山口の視線の先を追う。そして、その視線の先を見て僕は小さく嘆息した。
 あぁ、またか――と。
 視線の先にいたのは、僕らよりも少し年上の綺麗な女の人だった。長い髪をポニーテールにして、清楚なワンピースに身をつつんでいる。
 山口がそちらを見たのは、ほんの一瞬だけであった。今はもう先ほどの話の続きを何食わぬ顔でしている。けれども、僕のなかにはもやもやとしたものが残っていた。
 山口が人の多いところを歩いていて綺麗な女の人に目を惹かれることは、何も初めてのことではない。もっとも山口だって健全な男子高校生なのだから、綺麗な女の人のひとりやふたりに興味をもったところでおかしなことではないのだ。しかしながら、一応彼の恋人という座にいる以上、少々不快、いや多少は不愉快な気分になるのも当然のことだと思う。
「あのさ、」
 突然、口を開いた僕を見て、山口がきょとんと目を丸めた。
 あ、やっぱ山口のほうが可愛いや。じゃなくて……!
「お前って――」





「へ?」
 思わず素っ頓狂な声を上げれば、ツッキーが珍しく恥ずかしそうな顔をした。どうしよう、これはレアだ。このまま黙って見つめ続けて、この貴重な表情を記憶に焼き付けたいという欲望がむくむくとあらわれるが、それでもひとつ前の彼の発言を放っておける状況でもなかった。
「……だからお前は女子が好きなの?」
 少々いらだちの混ざった声は、きっと彼なりの照れ隠し。今日はデレの大安売りだなぁ、なんて考えたところで、俺はふと疑問に思った。
「え、なんで?」
 俺の記憶が正しければ、俺たちは現在二人っきりで買い物の最中である。休日に出かけるのをあまり好まないツッキーだけれど、俺が用事があるから買い物に付き合ってくれないかと誘えば、意外にも快く了承してくれた。わざわざ言葉で確認をしたわけではないが、いわゆる「お付き合い」をしている俺たちがこうして二人っきりで出かけているのだから、きっとこれは「デート」だ。そんなデート中に「女子が好きなの?」という質問はいささか場違いすぎる。だから俺が疑問を抱くのも当然のことだった。もちろんそんなことを言われるような行動をした記憶はない。
 そうとはいうものの、いつまでも道のまんなかで突っ立って話をするわけにもいかないので、とりあえずイートインコーナーへ向かうことにした。
「ツッキーどうかした?」
 俺は心配になってそう聞けば、ツッキーは苦虫をつぶしたような顔をした。そんな顔にすらうっかりすれば見惚れてしまいそうになるから、本当に困ったものだ。恋は盲目、だなんて言うけれどあれはあながち間違っていない。もっとも贔屓目を抜きにしてもツッキーが魅力的であることに変わりはないのだけど。
「お前、さっきも女の人のこと見てただろ」
「え?」
 まったく記憶になくて首をかしげると、ツッキーはいじけたように唇をとがらせながらぶつぶつと小さな声で続けた。
「さっきの店の前。綺麗な人。ポニーテールしてて、白地に黄色い花のワンピース着てた」
 まるでキーワードだけを抜き出したようなツッキーの言葉を聞いて、俺は自分の記憶の糸をたぐりよせる。
「ちなみに昨日はショートカットの……美人のこと見てた」
 美人という単語の前で明らかに苦々しい表情をするツッキー。今日のワンピースを着た綺麗な女の人に、昨日のショートカットの美人? 何それ、それだけ聞いてたら何だか俺が美人大好きなやつみたいじゃないか。別に綺麗な人が嫌いではないし、どちらかというと好きだけど、けれどもそれは世間一般の人たちと同じくらいのレベルだと思う。
「うーん……」
 思い出せなくてうんうんと唸っていると、ツッキーが不機嫌そうに睨んでくる。もしかしてヤキモチかな。俺はツッキーのことで頭がいっぱいなのに心外だ。そこまで考えたところでようやく俺は思い出した。
「あっ!」
「……やっと思い出したの」
 ツッキーがジトリとした目で見てくる。相変わらず薄いその唇は、指で摘めそうなほどとんがっている。俺はそんなツッキーの視線を感じながら、今しがた思い出した事実によって、じわじわと上がる体温をどうにもできないでいた。
「あの、えっと……」
「やましいことがあるならさっさと白状しなよ」
 足組みをして腕を身体の前で組んでいるツッキーは、まるで女王様のように見える。それでも眼鏡の奥で見え隠れしている嫉妬の色は、俺の心臓を落ち着かなくさせてしまう。
「ハイ……。さっきのお店の前の女の人は……」
「なに」
 その低い声にうっとのどを詰まらせる。けれども、ここで言わなければ、さらにツッキーの気分を損ねてしまうことは間違いない。俺は覚悟を決めた。
「……着ているワンピースがツッキーの髪の毛の色みたいで綺麗だなと思ってました! 昨日のショートカットの子は、色白だったからツッキーみたいだなーって思ったけど、やっぱりツッキーのほうが色白で可愛いと思ってました! ごめんなさい!」
 勢いよく頭を下げたから、テーブルにおでこをぶつけた。痛い。俺が額の痛みと戦っていると、前の椅子がぎぎっと引かれる音がした。
「……へ?」
 なぜかツッキーは荷物を持って帰る支度をしている。
「帰る」
「えっ。あ、ごめん。ツッキーのことばっか考えててごめん! 気持ち悪いよね!」
 泣き叫ぶように言えば、ツッキーはあからさまに不機嫌な顔だ。
「……もう買い物終わったよね。僕んち来るよね」
「…………は?」
 ツッキーのなかでそれはすでに決定事項であるようだ。さっきまでの俺の話はどうなったのだろうか。けれども、それを訊ねられる雰囲気ではない。
「早く」
 ツッキーに急かされるまま、俺はふらふらと腕を引かれて歩く。それでも一つだけ確認しておかなければいけない。
「ねぇ怒ってないの?」
「なにか怒らせるようなことしたの」
「いや、えっと。あれ、してない…かな?」
「じゃあいいでしょ。それよりも」

 ――早く二人っきりになりたい。

 ツッキーに耳元で囁かれると、ぼんと音を立てて思考回路がショートした。
「つ、つつ、ツッキー!?」
「うるさい山口」
「ごめんツッキー! じゃなくって」
「ほら、早く帰るよ」
「う、うん」
 さっきまですごく不機嫌だったツッキーが何だか機嫌良さそうな理由も、人前で近づくことを嫌がる彼が手をつないでくれている理由も、俺にはさっぱりわからない。きっと聞いても答えてくれないだろう。
 こっそりつないだ手に力を入れてみたら、優しく握り返された。


【終】
20150724

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