微熱をあげましょう


 ――暑い……。
 月島は胸元に感じる高い体温で目を覚ました。暑さが得意ではない月島がそれを我慢して眠れるはずもなく、ぼんやりとまぶたを上げた。タイマーをかけたエアコンは、夜中のうちに切れてしまったらしい。まだ朝とはいえ、真夏にもなれば暑いのだって仕方のないことだ。
 薄く瞳を開いた月島の視界にまず飛び込んできたのは、よく見知った緑がかった黒髪であった。そんな月島の意識が浮上するよりも先に、シャンプーの爽やかな香りがふわりと鼻孔をくすぐる。自分と同じものを使っているにも関わらず、その香りはやけに甘ったるく感じられた。ほぼ反射的にその香りを堪能したあとで、ようやく月島の脳は正常に働きはじめた。
 ぱちぱち、とまばたきを数回繰り返す。胸元に感じた高い体温は、紛れもなく目の前ですやすやと眠っているこの生き物が原因だ。
「……ちょっと。暑いんだけど」
 ぐっすりと寝ている彼にそんな文句を言いながらも、その腕を引き剥がすつもりはない。昨晩布団に入ったときには、確かに自分が彼を抱きかかえて眠っていたはずなのに、今は反対になってしまっている。山口が月島の胸元にぎゅっとに抱きついている形だ。けれども、月島は相手が山口だということもあって少しも不快には感じていなかった。
 穏やかに眠っている彼の睡眠を妨げてしまわないように、そっと首だけを動かして部屋の時計を見た。その時計の針が示すのは、日曜日に起きる時間としてはいささか早すぎる時間であった。元々朝の弱い山口のことであるし、昨日は幾分か無理をさせてしまったので、彼が目を覚ますのはしばらく後のことであろう。月島はそう検討を立てて、束の間の時間を楽しむことにした。
 昔から人よりも眠りが深い彼は、よほどのことがない限り目を覚ますことはない。特に月島と同衾した翌朝には、それが如実に現れる。そんな彼の姿を見るたびに、彼にとって気の置けない存在であることを嬉しく思うのだ。
 ぎゅっと抱きつかれている腕から、自分の片腕だけをにょきりと出す。動いた月島を咎めるように山口が小さく唸ったが、それ以上彼が何か行動を起こすことはなかった。自由になった片手を使って、今度は柔らかい山口の頬をフニフニといじる。山口は、むにゃむにゃと言うだけで起きる気配はなかった。
「ねぇ暇なんだけど」
 早く起きていつものようにふにゃっと笑ってほしい。「おはようツッキー」と言って嬉しそうに笑う彼の表情は天下一品だ。その一方で、こんなにも気持ちよさそうに眠っている彼の眠りを妨げたくない、もっと甘やかしてやりたいと思うのも事実だった。
 月島は何とも言えない感情を抱きながらも、その柔らかな頬の感触から離れることができず、指先でつんつんとつつき続けた。そうしていれば、そばかすの散った頬は微かな弾力をもって月島の指先を押し返してくる。むしろ「ふわふわ」と表現するほうが的確なそこの柔らかさ。月島は、その部分をいたく気に入っていた。もちろん、本人に言ったことはない。
「んん、」
 しつこく触りすぎたのか、山口が眠たそうな声を上げた。
 あ、やばい――。
 月島がそう思った次の瞬間には、ぱちりと山口の目が開いていた。けれども、焦点の合っていない彼の瞳を見れば、彼がまだ寝ぼけなまこであることは明らかだった。
「あれ……」
 山口は夢を見ている途中のような舌っ足らずさで疑問の声を漏らした。月島がどうしたものかと思案していると、山口の小さく開いていた唇が再び音を紡ぎはじめた。
「……けいくん…?」
 その瞬間、月島の身体に流れる血液がどくんと大きな音を立てて逆流しているような気分になった。身体中の熱が顔に集まってしまったようだ。
 彼といわゆる「そういう関係」になって早数年が経つが、未だ山口は月島のことを名前で呼ぶことに恥ずかしさを感じるらしく、彼が月島のことを下の名前で呼ぶことはほとんどなかった。それこそ情事の最中くらいのことである。だからこそ、それは月島にとってとんでもない衝撃となって襲いかかってきたのだった。
 彼の言葉を認識すると、途端にぶわりと体温が上がる。ただでさえ子ども体温の彼に抱きつかれて暑いというのに、それ以上に身体が火照っていく。きっと顔も真っ赤になっているだろう。
 月島が何も言えず固まっていると、山口はふにゃりと垂れ下がった目元もそのままにしてにっこりと微笑んだ。
「ふふ、しあわせ〜」
 夢のなかだ、と勘違いしているのか、彼の頬がだらしなく緩む。そして、山口は月島にぎゅーっと抱きつくと、再びすやすやと寝息を立てはじめた。
「……は?」
 たった数秒に満たない出来事であったのに、それは月島にとって嵐のような時間であった。たった数秒で月島の心を乱しに乱した彼は、もうすっかり夢のなかだ。
「……起きたら覚えておけよ」
 小さく舌打ちを一度して、火照った体温を彼に移すようにきつく抱きしめ返した。規則正しい寝息を聞いていると、あっという間に眠気がやってくる。月島は大きく息を吸ってシャンプーの香りを堪能すると、まぶたをゆっくりと下ろした。

【終】
20150723

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