まっかなほっぺたのキミと僕 人間にはそれぞれの歩んできた人生がある。ツッキーと出会う前には俺にも俺の人生があったし、ツッキーにもツッキーのそれがあった。それがどんな運命だったか、二人の人生が交わり出会い、そして今日までずっと隣で共に歩いてきた。特にバレーに青春を捧げたあの三年間は、俺にとってもツッキーにとってもかけがえない毎日だったと言えるだろう。これから幾度となく季節を繰り返したとしてもそれらの記憶は決して色褪せることなどない。そしていくつ季節が巡ろうとも、俺にとってツッキーが最愛の人であることには変わりはないのだ。だから俺はこれからもツッキーの隣に居続けたいと思うし、願わくばずっと貴方の恋人でありたい。 公私をはっきりと分け、自分の部屋にも気を許した人間以外は入れたがらないツッキーが「高校卒業したら一緒に住もうよ」と言ってくれたときは本当に嬉しかった。 あのときのことは今でもはっきりと記憶している。ツッキーは、まるで空を見て明日の天気を言うようなそんな軽い口調で言ったんだ。俺も最初は冗談なのかと思って、それはいいねってツッキーを見ながらへらへら笑ってた。けれども、ツッキーは冗談じゃなかったみたい。それはツッキーの目を見ればすぐにわかった。ツッキーの言葉が本気だってわかると俺はいつものように途端に不安になった。 「俺でいいの?」 中学のときにお付き合いを始めていた俺達は、当時すでに交際を始めてから五年以上の月日が経っていた。それでも俺は時折不安を感じることがあった。例えばツッキーが女の子から告白されたとき。俺がいなければツッキーも普通に恋愛を楽しんでいたかもしれない。こんな人目を忍ぶような恋ではなく、だ。けれどもそのたびにツッキーは山口が良いんだ、山口じゃなきゃ嫌なんだ、と訴えた。それはあのときも同じだった。 「なんで山口以外と同じ部屋に住まなきゃいけないの。お前と一緒に住みたいの、わかる?」 高校卒業後、実家から少し離れたところにある大学への進学を決まっていた俺は、学校の近くで下宿することを検討していた。専攻学科は違うが同じ大学に進学する予定だったツッキーも勿論そのことを知っていた。だから俺を誘ってくれたんだと思う。両親は特に反対する様子もなく、なんだ蛍くんと一緒に住むなら安心じゃない! と笑顔で了承してくれた。 そんなこんなで双方の両親ともに認められ、俺とツッキーは晴れてルームシェアを始めることになったのだ。 あれはきっと癖なのだと思う。ソファーに腰掛けてテレビを見ているツッキーの横顔を見ながら俺はこっそりと笑みを零した。 一緒に暮らすようになって知ったこと。例えば、身体を洗う石鹸にはこだわりがあることだとか、家でコーヒーを飲むときには角砂糖を二つ入れることだとか。外食するときは必ず一つしか入れないのにね。 このテレビを見るときの癖だってそのひとつだった。ツッキーはテレビを見るとき、いつもその腕にクッションを抱いている。俺がいれば俺をそのクッションの代わりとして抱きかかえていることのほうが多いけれど、あいにく俺は先ほどまで風呂をわかすためにリビングから離れていたから、今のツッキーの腕のなかには正方形をしたクッションがあった。引っ越しと同時に元バレー部の先輩からもらった紺色のビーズクッションは、ツッキーが抱えているせいでわずかに形が歪んでいていた。それを少し離れたところから見つけた俺は微笑ましい気持ちになる。こういうふとした瞬間に、一緒に暮らす決心をして良かったなぁとしみじみ思うのだ。小学校のころに知り合って家も近い俺達は昔から一緒に過ごすことが多かったし、毎日のように互いの家を行き来していたこともあった。けれども、ツッキーの家に遊びに行くこととツッキーと同じ家に住むことでは雲泥の差がある。 俺達がルームシェアを始めて半年ほどが経った。結論だけ言えば、俺達のルームシェアが上手くいっていると言って間違いないだろう。 俺はツッキーの隣に腰掛けた。ツッキーは一瞥しただけですぐに視線を液晶画面に戻す。同じ部屋に住んでいるとはいってもずっと話をしているわけではないので、俺は特に気にせずツッキーの視線の先を追った。何やら洋画をやっているらしい。俺も見たことのない作品だったから家にあるものではなさそうだ。レンタルショップで借りてきたのかもしれない。 「お茶、いれようか」 テーブルに置かれているツッキーのマグカップが空であることに気付いてそう訊ねる。 「いらない」 ツッキーがそう短く答えて立ち上がりかけた俺の袖を引く。そしてクッションを俺に押しつけ、少しだけ俺のほうへ寄ってきた。そんな珍しく甘えるような仕草を見せるものだから、俺もその隣で大人しく映画を見ることにした。ツッキー可愛い、と緩みかけた頬は彼から手渡されたクッションでなんとか隠し通した。 映画はよくあるアクション映画だった。 けれども、アクションだけでなくストーリー構成もしっかりしていて、涙もろい俺は何度も鼻をすする羽目になった。そんな映画も後半に差し掛かった頃、突然俺の右肩に重みがかかった。俺は驚いてツッキーのほうを見ると、ツッキーは目を閉じて寝息を立てていた。どうやら映画を見ているうちに眠ってしまったらしい。ご丁寧に眼鏡まで外されている。とても映画に集中していた俺は肩に寄りかかられるまでそのことに気付かなかった。 眠っているときのツッキーは少しだけあどけなく見える。眼鏡をしていないからか、それとも目を閉じているからか。本当の理由はわからないけれど、俺はツッキーの寝顔を見るのが好きだ。こんなに近くでツッキーの寝顔を見られるのは家族を除けば俺だけの特別だ、とも思っていた。 ソファーの上に投げ出されていた片手を拾い上げて、そっと自分の指を絡める。ツッキーの表情が心なしか柔らかになったような気がする。 そんな寝顔を見ながら俺は高校時代を思い出していた。 * その日、烏野高校は青葉城西高校と初めての練習試合を行った。放課後にバスで相手校に出向き、それから練習試合をして、再びバスで烏野高校まで帰る。帰りのバスではみんな疲労困憊といった様子で、普段は人前で眠ることのないツッキーですら少し居眠りをしていたようだ。その隣で爆睡してた俺が言えることでもないんだけど。 第二体育館で反省会を含めた軽いミーティングを終えた頃にはすでに日はとっぷりと暮れていた。 「それにしても日向すごかったね。どうやったらあんな風に立ったまま寝られるんだろ」 キシシと笑えば、ツッキーも軽く相槌を打ってくれる。いつもと変わらない通学路で、ツッキーの少し後ろを歩きながら取り留めのないことをつらつらと話していた。ツッキーはヘッドフォンを付けて聞いていないふりをしているけれれど、そのヘッドフォンからは音楽が流れていないことを知っている。だって音楽が流れていたらどうしても音が少しだけ漏れるはずだから。こんな静かなところでも音楽が聞こえないということは、ツッキーは少しでも俺の話を聞いてくれようとしているってことだ。他人にとったら当たり前なのかもしれないけれど、ツッキーのそんな小さな気遣いが俺が嬉しくて仕方なかった。そう思えば、胸の奥がきゅんとしてドキドキした。そのドキドキがバレないように俺は大きく息を吸って、それからゆっくり吐き出した。 「何してるの、」 すかさずツッキーがこちらを見下ろして訝しげな表情をした。それもそうだ、さっきまでやかましく喋っていた俺が前触れもなく静かになって、さらには深呼吸をし始めたのだから。けれども、ツッキーにドキドキしていました。なんてことを言うのはやっぱり恥ずかしくって、俺はなんでもないよ、と誤魔化した。 「なんでもないなら良いケド」 ツッキーはまた前を向いて歩いていこうとする。でも俺のドキドキした気持ちはそのままだ。ツッキーに触れたい。そう思った。 俺はその腕を反射的に掴んでぐっと背伸びをした。驚いたツッキーが振り向いて近しい距離から俺を見下ろした。あまりにも至近距離にいたので、ぱちぱちとまばたきをした拍子にツッキーの睫毛が顔にぶつかってしまいそうだと思った。俺はツッキーの甘そうな色をした瞳をじっと見つめてから目を閉じ、彼の唇に自分のものを押しつけた。互いのものが触れていたのは本当に一瞬のことだった。それでも十分に満足した俺はそっと身体を離した。まだ胸はドキドキとしていた。 何してんの、馬鹿なの? と言われることを予想していた俺はそう言われればすぐに、ごめんツッキーといつものように謝ろうとしていた。けれども、いくら待ってもその言葉がツッキーの口から紡がれることはない。 「あれ?」 ツッキーが微動だにしないので不安になった俺はツッキーを覗きこむ。ツッキーは小さな声で何かを言った。けれども、あまりにも小さな声だったので俺の耳には届かなかった。 「えぇっと、ツッキー……?」 「ムカつく」 「うっ、ごめんツッ……」 しかし言葉は途中で途切れてしまった。何故ならツッキーがわしゃわしゃと俺の頭を撫でたからだ。そして、ツッキーは何事もなかったようにすたすたと歩いていってしまう。 「ちょっと待ってツッキー」 俺は慌ててツッキーを追いかけてその隣に肩を並べる。ツッキーは俯きがちでよく顔が見えなかったので、俺は顔を覗きこむように様子を伺った。 ――あ、顔が真っ赤だ。 それを見てしまうと、自分の今したことがどんなに恥ずかしいことだったのかようやく気が付いた。そしてツッキーの表情につられるように俺も顔を真っ赤にした。 * 俺がじっと見つめていたからか、ツッキーが不意に目を覚ました。ふるふると睫毛が震え、続いてまぶたが上がる。それからツッキーは俺の視線に気が付いて、俺のほうを見上げた。 「あ、寝てた?」 どうやら無意識だったらしい。 「寝てたみたいだね」 俺が答えると、今度は繋がれた手元に目線を送る。 「ねぇツッキー」 「何?」 それには答えず、くるりと身を横へ向けた。そうすれば自然とツッキーと向かい合う姿勢になった。せっかく肩にもたれてたのに、と不満げな様子を見せるツッキーに心のなかでほっこりしながら、俺は絡めた指を強めた。そこまでくれば、ツッキーも何かを察したらしい。俺はそのまま吸い寄せられるように薄紅色の唇に顔を近付けた。少しだけ長くちゅーと吸いついてからそっと身体を離す。ツッキーは高校生のときほど真っ赤にはなっていないけれど、それでも少しだけ耳が赤かった。 一緒に住むようになってからもう一つ気が付いたことがある。それは、ツッキーは不意打ちに弱いってこと。 「山口のくせにムカつく」 その台詞がいつかの台詞と完全にリンクしていて、俺はつい笑ってしまった。あのときの彼は俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でることで真っ赤になった顔を隠していた。今日もそうかな? 俺がわくわくしながらツッキーを見つめていたら、ツッキーは小さくため息をついた。俺の期待がバレてしまったのかもしれない。あまりにもじっとツッキーが見つめ返してくるものだから、俺は少しだけ恥ずかしくなってきてしまってそっと目を逸らした。 「こっち、」 ツッキーの細長い指が俺の頬を包み込む。言われるがままに視線を上げれば、先ほどとは打って変わって色っぽい表情を浮かべているツッキーがいた。ツッキーは俺の頬を撫でると、右頬にキスをする。俺が突然のことに驚いて固まっていると、今度は左頬に同じ感触が降ってきた。 「ツッキー?」 名前を呼ぼうとしたら、今度は唇を温かいもので覆われる感覚がした。俺は、唇同士が触れ合う寸前で反射的に目をぎゅっと瞑った。ツッキーは何度も繰り返し唇をくっつけたり離したりしたあとで、最後に俺の下唇をぺろっと舐めてから満足げに唇を解放した。 「仕返し。僕がやられっぱなしな訳ないでしょ」 ぽけーと惚けたままでいると、ツッキーがちょっとだけ意地悪な表情で笑った。 |