今宵、第三体育館にて


 午後七時、第三体育館。

 俺は少しドキドキしながらそこに足を踏み入れた。そこは、昼間以上に熱気が強く感じられる気がした。きっと中央で白熱している彼らが原因だ。きゅっきゅっとシューズの鳴る音や彼らの練習する声にかき消されて、俺が入ってきた物音には誰も気が付いていないようだった。

 今日、俺がここに来ることを誰も知らない。どうしてもツッキーがここで練習する姿を見たくって、俺はこうしてこっそりとここへ足を運んだのだ。

 俺は、ツッキーと一緒に練習しているであろう友人に声を掛けるわけでもなく、また彼らの練習に混ざるでもなく、きょろきょろと体育館を見渡して目的の人物を探した。

 それはすぐに見つかった。ツッキーのように明るい金髪の人間は、どこにいても非常に目立つ。これは経験談だ。烏のように真っ黒な自分の髪とは大違いである。

 ツッキーたちは真ん中のコートを使ってブロックの練習に励んでいるようだった。それは俺の予想した通りの光景だった。俺は体育館の隅っこに陣取り、そこへ腰を下ろした。何か大事なことを忘れているような気もしたが、今はツッキーの練習の成果を見るほうが先だと判断し、俺は余計な思考を追い払った。なぜなら、くどく繰り返すようだが、俺はツッキーの練習風景を見るためにこっそりとここへ来たのだから。

 俺が同じ学校の部員たちと練習をしていたもうひとつ体育館は、もう鍵を閉めてきた。しかし、ここではまだ練習が続いているようだ。もちろん俺が自主練をさぼってここにいるわけではない。俺だって毎日のように自分の武器を磨くべく、学年の枠組みを越えて練習に励んでいることをここで主張しておこうと思う。

 あかーしこっち! という声に反射的にそちらを見れば、フクロウのように鋭い眼光が光る。それに目を奪われていると、綺麗な放物線を描いて上げられたトスは別の人物の手のひらへ吸い込まれていった。それを見たツッキーがしっかりと踏み切って、そして高く跳ぶ。ツッキーの最高到達点と打ち込まれるスパイクの軌跡が重なる。

 バシッ――。

 それは重い音を立ててツッキーの手によって予定軌道とは別の方向へ撃ち落とされた。


『おぉナイスブロック、ツッキー!』


 俺は、心のなかでひっそりと声援を送った。いつものように大声を出さなかったのは、ここにいることがバレてしまわないようにするためだ。俺がここにいることがバレたら、こうしてゆっくりと観察することができなくなってしまうからだ。

 俺は、なおもこっそりと観戦を続ける。スパイクを打った彼が悔しそうに地団駄を踏んでオレンジ色の髪を揺らしていた。それを見たツッキーは、彼に何か声を掛けているようだった。ツッキーが何を言ったのかは聞こえなかったのでよくわからないが、それに対して「なんだとこらぁ。や、や、やんのかこらぁ」と何とも情けない返事をしている声だけはよく聞こえた。周りの人間よりも一オクターブほど高いあの声はよく通る。そして、大体こういうときのツッキーは、最高に楽しそうな顔をしているはずだ。バレないようにツッキーの横顔を盗み見すると、彼は予想通りの表情をしていた。俺と二人っきりのときには見られない顔だなぁ、と少し感慨深く思ってしまった。

 俺は、何気なく烏野の二人を観察し続ける。それにしてもあの二人が並ぶと余計にツッキーが大きく見えるなぁ、と思った。ツッキーは俺よりも身長が高く、烏野高校だけではなく梟谷学園グループの部員のなかでも1、2を争う背の高さだ。それでも梟谷の主将・副主将コンビと並ぶと、そのツッキーですらまだまだ発展途上の身体つきであるように思われた。他校の部員たちの体格の良さは、この合宿に来て特に実感させられる機会の多い事項のひとつでもある。俺のチームでは、ツッキーよりも背の低い自分でさえも大きいほうの部類に入る。全体の平均身長が高いとは、決して言い難いのだ。

 ツッキーはここ数日でメキメキとブロックの腕を磨いている。本人が声を大にして言うことはないが、明らかに特訓の成果だろう。それを本人に言えば、嬉しいような嬉しくないような微妙な表情をされることは明白だ。

 素直でないように見える彼だが、案外まだまだ幼い部分があるので、よくよく観察すれば、その感情を読み解くのはそれほど難くない。そんなことを思いながらその横顔を見ていたら、不意にツッキーがこっちを向いて、俺の姿を見つけると、露骨に嫌そうな顔をした。げっ、という表情をする彼に思わず笑ってしまいそうになるが、そこはぐっと耐えて何食わぬ顔をよそおう。そのままふいっと視線を逸らして、梟谷の二人を見ているふりをすることで誤魔化した。

 それでもジリジリとツッキーの視線を頬に感じた。鋭い視線には慣れているつもりだったが、数秒のうちに耐えきれなくなり、俺は逃げるように下を向いた。そうすれば、少し長めの前髪が顔にかかってチクチクと頬をくすぐった。合宿から帰ったら一度髪を切りに行こう。

 しばらくしてもう一度ツッキーのほうを見てみると、もうツッキーは練習を再開していてこちらのことなど見ていなかった。ふぅ、と息を吐き出して肩の力を抜く。

 それでも聡いツッキーのことだ。俺がずっと見ていたことにきっと気が付いているだろうし、俺がここにいる目的もおそらく何となくわかっているのだろう。けれども、彼がわざわざ練習をやめてまでそのことを深く追及しにくるような性格ではないことは理解しているし、実際彼がこちらを冷やかしに来る様子はなかった。

 ただし、いつまでも傍観を決めこんでいる俺にあとでチクチクと小言を言うくらいのことはするかもしれない。それでもツッキーの成長をコートの外からじっくりと見ることができる貴重な機会を逃すようなことをするつもりはなかった。

 しばらく練習を見学していると、俺以外にも第三体育館への訪問者が現れた。彼はまっすぐツッキーたちのほうへ行く。そもそもここで練習しているメンバーはもうツッキーたちしかいないのだから当たり前と言えば当たり前だ。

 この合宿でツッキーの隣にいることに見慣れたあの彼の身長も、ツッキーより少しだけ小さいくらいだろう。そして、特筆すべきはその髪型だ。いつ見ても彼は特徴的な髪型をしている。学年も学校も違っていてあまり話したこともないので、それを面と向かって言うつもりはないが、一度見たらなかなか簡単に忘れられるものではない。ただし、幼なじみである金髪の彼から毎日のように髪型のことでからかわれている俺が、人様にとやかく言えることでもないかもしれないのだけれど。

 そんなことを考えていると、さっきまで練習していたメンバーがぞろぞろと片付けを始めていることに気が付いた。「飯だ、飯だ〜〜」と甲高く元気の良い声が聞こえることから判断するに、先ほどの彼はどうやら夕飯の時刻を告げに来てくれたらしい。

 俺も彼らに駆け寄り、片付けを手伝うことにした。駆け寄ったツッキーに「俺も手伝う」とそう言えば、意外そうな顔をしていたが、すごく小さな声で礼を言われた。もちろん先ほどの客人さんも俺たちを手伝ってくれている。

 それだけの人数で協力すれば、すぐに体育館は片付く。手際良く片付けを終えた俺たちは、第三体育館を出た。俺はその最後尾を歩く。そのすぐ目の前で、一方的に「なぁ、ツッキー」と楽しげに話しかけている彼に、ツッキーが時折相づちを返しているのを聞きながら、俺は何となく微笑ましい気持ちになっていた。

 そんな俺に突如鋭い声がかかる。

 驚いたのは、きっと俺だけではないはずだ。だって何人かの肩がびくっと揺れたのを俺は見落とさなかった。

「おい、黒尾。一体いつまで待たせる気だ」

「あ、夜久」

 それは、俺のチームメイトだった。そこで俺は、十分ほど前に感じた「なんか忘れてる気がする」という違和感の理由を思い出した。それは表情にも出ていたらしく、夜久が大きくため息をついた。

「お前、忘れてたな? 一緒に飯食おうって言ったのは黒尾だろうが」

「夜久、マジでごめん!」

 今回は明らかにこちらに非があるので、怒っている我らがリベロ様に平謝りをする。夜久は怒りを通りこして、呆れているようだ。

 そもそもリエーフと夜久と三人での自主練を終えたあと、忘れ物に気付いたのですぐに取ってくると言ったのは俺だった。そのまま一緒に食堂に行くつもりだった夜久たちはその場で待っていてくれると言った。そして、水道の前で待ってるからな、という夜久の言葉に大きくうなずいたにも関わらず、その途中で烏野のおチビちゃんの元気な声につられてうっかり第三体育館へ足を踏み入れてしまった俺が悪かったのだ。リエーフがこの場をいないことを考えると、夜久はなかなか来ない俺に痺れを切らし、リエーフだけを先に行かせて俺を探しに来てくれたのだろう。

「ほんとバレーのことになると見境なくなるよな」

 そう嘆息するされれば、俺は何も言い返すことができない。

 そんな夜久に一通り謝ったところで、俺はふと周りで立ち止まっている人たちを見た。

 木兎は、そわそわとこちらの様子を伺っている。おそらく腹を空かせているのだろう。赤葦の表情から感情を読み取れることはできなかった。チビちゃんも、そわそわとこちらを見ている。こちらは俺たちの成り行きを見守っているのか、それとも木兎と一緒で腹を好かせているだけかどうかは、俺には判断できない。

 最後にツッキーのほうを見れば、彼はニヤニヤと楽しげに笑っていた。本当にいつも思うことだが、ツッキーってこういうとき最高に楽しそうな顔をする。その隣では黒髪のそばかすくんが心配そうに見ているというのに全く良い性格をしていらっしゃる。あ、やばい。この子すげぇいやされる。

「うんうん、山口くんはいい子だな」

「え?」

 思わず彼の頭をなでた。特徴的なアホ毛が手のひらの下でへにゃりとつぶれる。初めて見たときから思っていたけど、ぴょんとまっすぐに立つそれはまるで生き物みたいだ。そのアホ毛の感触を楽しんでいると、横から夜久のため息が聞こえたが、今度は聞こえないふりをした。

「……ちょっと黒尾さんやめてくれます?」

 すごく嫌そうな顔をしたツッキーがそばかすくんを抱き寄せる。その腕のなかで彼は可哀想なくらい真っ赤になっていた。

 練習中にうっかり俺のタオルを使ってしまったときにはすごく嫌そうな顔をしてたのに、汗をかいているなか山口くんとくっつくのは平気なんですね。そう思ったが、口には出さなかった。

「はいはい。ツッキーもそばかすくんもちゃんとご飯食べろよ」

 それだけ言って俺はひらひらと手を振ると、ようやく足を食堂に向け始めた。木兎たちはもう先に行ったようだ。隣に並んだ夜久が「後輩からかうのもいい加減にしろよ」と呆れたように言っていたが、それにも「サワヤカ」な笑顔で答えておいた。さらに大きなため息が返ってきたのは、もはや言うまでもない。






 あ、夜久? 俺のハンバーグを一個わけてあげることで無事に和解したよ。



【end】

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