花は香り、そして咲く


 ――彼はまるで湖のほとりに咲く一輪の真っ白な花のようだ。

 なんて言ったら君は笑うかな?

 けれども、俺にははっきりと見えたんだ。あなたの笑顔の後ろに咲いているその美しい花が。ねぇ、ツッキー。おかしな話でしょう?


   *


 山口はどこにでもいるごく普通の学生である。今年、自宅の近くにある烏野高校に進学した、ごくごく普通の高校生。ただし、ひとつだけ人とは違うことがあった。

「……あれ、」

 最初は見間違いかと思った。だって彼の背後に花が見えるなんて。

「ツッキーそのお花どうしたの?」

「は?」

 怪訝そうな表情で見られて、思わずひっと悲鳴を上げそうになる。しかし、山口の目にはしっかりとその「花」の姿が映っていた。なおもじっと見ていると、白い花は首をもたげ、だらりと元気をなくしてしまう。まるで花自体に感情があるみたいだ。

「その後ろにある百合の花だよ!」

「は、なに言って」

 月島が振り返るが、その怪訝そうな表情は晴れない。

 そこで心のなかで一つの仮説が生まれた。

「もしかしてツッキーには見えないの……?」

 そうとしか考えられない。月島はそのような悪ふざけをするタイプでもないし、そもそもこんなところに花が浮かんでいて道行く人が振り返らないのもおかしい。ついさっきだってサラリーマン風の人が自分たちの横を通ったばかりだ。道ばたで立ち止まっている山口たちを変な目で見ていたけれど、その視線は主に大声を出している山口のほうへ向けられていた。

「……? よくわからないけどこのままじゃ部活遅刻するんじゃない」

 月島が腕につけた時計を確認しながら言う。それは山口が誕生日プレゼントにもらったものと色違いだ。

「あ、ほんとだ。やばい!」

 自分の腕についた黒い時計を見ながら、あっと声を上げる。そのときの山口は、すでに月島の背後に浮かぶ不思議な花のことなどすっかり忘れていた。今の山口の頭のなかを占めているのは、時間のことだけだ。

 だから勿論、月島がふわりと笑ったその後ろで、白い百合が花弁を広げて揺れていたことにも気が付かなかった。



 しばらく経って気が付いたことは、どうやらこの花は月島にだけあるわけではないらしい。日向にも、影山にも、そして澤村、菅原にもその花は存在した。ただ人によって形や色、品種は様々で、その濃さも様々だった。

 では濃さとは何か。それは、人によって花がはっきりと見える度合いが違うのだ。月島のものは、まるでそこに百合の花があるようにはっきりと見えた。対する影山のものは、そこに向日葵が見えるのは確かなのだが、なぜか少し霞がかかっていて、山口にはまるで幻のようにも見えた。不思議に思って月島のものにも影山のものにも触ってみたのだが、伸ばした手はただ単に宙をかくだけだった。

 日向のものは、小さな桃色の花がたくさんついた不思議な花。名前は知らない。澤村と菅原は、これまた不思議なもので、二人ともすみれの花を背負っていた。月島以外の四人に共通すること、それはいずれももやがかかったようにぼんやりとしか見えないことだ。触ってみることはしなかったが、きっと結果は月島や影山のものと同じだろう。

 クラスメイトの背後にもそれは見えた。ただし、全員が全員ではないようだ。しかも全員が違った花を持っているのだ。意識しなくても見えてしまうそれ。山口にはきっかけがさっぱりわからなかった。昨日までそんなことはなかったのに、と考え込んでしまう。けれども、いくら考えたところでその答えは出なかったし、色鮮やかな花たちの正体についてもさっぱりわからなかった。



 花が見えるようになって早一週間。山口は一つの規則性を見つけていた。それは、花の状態が持ち主の心理状態を表すということだ。たとえば、バレーをしているときの日向と影山の花は、ことさら美しさを増す。特に二人の速攻が決まったときは、普段はぼんやりとしか見えない山口の目にも、その鮮やかな色彩と細やかな模様がはっきりと見えるくらいだ。そういうときの花は決まって艶々と輝きを帯びているし、茎だってぴんと立っている。そして日向や影山の表情もとても晴れやかだ。

 この法則を見つけだすこと自体は、あまり難しくなかった。しかし、それをいつも一緒にいるおさななじみに応用することだけはうまくいかなかった。なぜなら、山口が目にする月島の花は、いつも美しく上を向いているのだ。その立ち姿はまるで月島自身のようだと思う。山口からしてみれば、月島の機嫌がいつも良い理由がわからない。

 山口はよく観察してみた。すると、いつも美しく上を向いている花にも、小さな違いがあるということに気が付いた。たとえば、朝会ったとき。最初は、花も少しだけ俯いている。けれども、取り留めのないことを話しているうちにそれはまたいつもの角度で山口を見下ろすようになり、いつも部室へ到着するころにはしゃんと上を向いている。また違うときは、部活終わりのことだ。学校の正門をくぐったくらいから花は少しだけ元気がなくなっていく。山口が手を振って別れると、それはくたびれたようにかくり、と首を俯かせてしまう。この一週間しっかりと観察したのだから、間違いではないと思う。

 そして、一つの結論を導き出した山口は、疑問を抱きつつも月島に問うたのだ。

「ツッキーの好きな人はバレー部にいるの?」

 花が示唆する意味について山口は一つの仮説を立てていた。それは各々の想い人を示していたのではないか、と。



 他の部員が知っているかどうかはわからないが、少なくとも山口は、主将である澤村と副主将である菅原が特別な関係にあることを知っている。二人は所謂恋人同士だった。それを知ったのは本当に偶然のことだった。

 つい数日前のことだ。たまたま山口が忘れ物をしてしまって部室に戻ったときの出来事だった。部室には明かりがついていて誰かがそこに残っていることは明白だった。薄い扉の向こうから聞こえる話し声から判断するに、それは澤村と菅原であることに間違いはなかった。ノックをして入ろうとした。そのとき、衝撃的な言葉が耳に入ってきたのだ。

「――キスしてよ」

「はいはい、一回だけな」

 甘えるような菅原の声と、それに短く答えた澤村の声。どう考えても恋人同士がするやりとりだった。

「え、」

 思わずドアノブから手を離す。確かに仲が良いなぁとは思っていたが、正直二人が特別な関係にあるなんて少しも思ってなかった。だらりと脱力した山口を現実に戻したのは、隣にいた月島の声だった。

「どうしたの、入らないの?」

 どうやら月島は先ほどの会話を聞いていなかったみたいだ。けれども、今部室に入ることは気が引ける。

「あ、あのね、忘れ物部室じゃなくて家にあったの思い出した!」

 だからもういいや、と言いながらへらっと笑った。月島がいぶかしそうにこちらを見ていたが、山口の言葉を信じることにしてくれたようだ。

「じゃ、さっさと帰ろ」

「うん、そうだね。ごめんね」

「別にいいよ」



 その日、山口は澤村と菅原が恋人関係にあることを知った。

 そして、日向は影山に片思いをしている。おそらくは、影山も同じだ。

 そこまで材料が揃えば、山口が仮定を導き出すまでに時間はかからなかった。

 ――彼らの後ろでひっそりと咲く花は、恋心を示唆しているのではなかろうか。

 そう仮説を立てれば、澤村と菅原が同じ花を持っていることにも説明がつく。影山が彼らしくない向日葵の花を咲かせている理由もうなずける。向日葵はまさに影山の想い人である日向そのものではないか。そして、名前もわからぬ日向の花。少しネットで検索してみれば、すぐにヒットした。あれは、「ストック」という花らしい。花言葉は信じてください。あぁ、そうか。山口は思った。

「ねぇ、ツッキー好きな人がいるんでしょ?」

 彼が百合の花を持っている。それは彼が恋をしているという何よりもの証拠。

 それを追及する必要はなかった。けれども、仮説が立った時点で彼に確かめずにはいられなかった。

「誰、なの……?」

 声が震える。そして山口はようやく気が付いた。

 月島に好きな人がいることを知って自分は怯えている。月島がその人のところへ行ってしまう気がする。だから月島が言った言葉を正しく理解できなかった。

「やっぱ僕にもあるんだね。前に言ったもんね、その百合の花なに? って」

 独り言のような言葉は、山口の耳を通り抜けていった。

「好きな人は……いるよ。ずっと好きな人が」

 今度は山口の脳にもきちんと信号として伝わった。

「俺の、知ってるひと?」

 怖いのに聞かずにはいられなかった。そうだ、自分は月島のことが好きなのだ。彼にこの気持ちがバレて嫌われてしまうのが怖くて、ぎゅっと心の奥に押しとどめていたこの気持ち。彼への思慕。出逢ったときから小さなつぼみを育ててきたそれ。

 ついに気付いてしまった。山口は自覚してしまった。

「そ、山口のよく知ってる人」

 聞きたくない、でも知っておきたい。気持ちが入り乱れる。うまく呼吸ができなかった。

「誰だと思う?」

 月島が自嘲するように口端を上げた。くっと息が詰まった。

「……おまえだよ、山口」

 酸素が回らなくなって思考回路が停止する。ふわりと視界が揺らいだ。そして鉛のようになった身体を支えるのは、月島の手だ。かろうじてそこまで認知して、山口は意識を手放した。百合の甘い香りがした、気がした。



 気を失った山口は、知らなかった。

 そのとき、月島が山口の背後を食い入るように見ていたことを。

「黄色から赤、か。真っ赤なチューリップなんて意外と情熱的だね。おまえって」

 ふふっと月島が声を漏らし、そして笑った。




 これは「もしも恋心が見えたなら」なんていうあり得ない世界でのお話。



【了】

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