涼やかな午後


「はいどうぞ」
 山口が後ろから僕に声をかけ、目の前にガラスでできた皿が差し出された。大きな花を模したような形のそれは、やや青みがかっている。その上に乗っているのは、同じく爽やかな色をしたソーダゼリーだった。そのてっぺんでは、人工的に甘く味付けされたさくらんぼがちょこんと首をかしげている。よくよく見れば、ゼリーのなかにも星の形をしたフルーツがいくつも浮かんでいるのが見えた。こつんと木とガラスのぶつかる音が聞こえてにわかに音のほうを向けば、僕の前に置かれたものと同じものがもう一つテーブルの上に置かれていた。
「お待たせ、ツッキー」
 自分の名前を呼ばれ、僕はゼリーから視線を逸らした。山口は、僕と目が合うと少しだけ微笑む。そして、テーブルを挟んだ向かい側に腰掛けた。
「今回はかなり自信作」
 得意げににっと笑って、山口が言う。大学生になって実家から離れて暮らすようになった山口は、その料理の腕を凄まじいスピードで上げ続けている。その理由は、紛れもなく僕。それが自惚れでもなんでもないことは、以前に確認済みだ。
 言うのが遅れたが、僕と山口は一緒に暮らしている。
 いつも日替わりで食事を作っている僕達だが、料理をするのは山口の性に合っていたらしく、彼はこうして暇を見つけては色々と作っているようだ。ここ数ヶ月は、二週間に一度ほどのタイミングで、様々なお菓子を作っていた。そして、それらを作っては、こうして僕と一緒に食べるのだ。ちなみに先週はいちご大福、その前はババロアだった。最初の頃こそ僕のリクエストを聞いてきた山口だったが、今では彼の作りたいものを作るように言っているから、出てくる菓子は洋菓子和菓子問わずバラエティーに富んでいる。出来上がるまで何が出てくるかわからない。それも僕の楽しみの一つだった。
「あのね、中に星型のゼリーも入れてみたんだ。あ、ひとつだけ月もあるよ。探してみて」
 フルーツだと思っていたそれは、どうやらゼリーだったらしい。機嫌よく饒舌に話をする山口に適当な相槌を打ちながら、僕はそのそばかすのある顔を見つめていた。生来あまり大きくはない三白眼をきらきらと輝かせているせいで、心持ちいつもよりも目が大きく見える。大げさに身振り手振りをつけながら話す山口は、今日もいつも通り騒がしい。しかし、それを煩わしくは思わなかった。
「星の形にするのすっごい難しかったけど、上手にできたみたいで良かったぁ」
 山口は、昔から感情表現が豊かだ。楽しいときに笑い、嬉しいときに頬を紅潮させる。悲しいときに眉を下げ、感動したときには目を潤ませる。一緒に映画を観に行ったときなどには、毎回と言っていいほど泣く山口だが、それでも僕にその顔を見られることには羞恥を感じるらしい。彼は、涙目になっている姿を僕に見られていることに気が付くと、いつも気まずそうに視線を逸らした。それからちょっとだけ頬を赤くして、へへと照れくさそうに笑うのだ。
「って俺がたくさん話してたらツッキーも食べられないよね。食べよっか!」
 思い出したように言った山口。その声を聞いて我に返った僕は、はっとしてスプーンに手を伸ばす。僕の姿を見て、山口も銀色のスプーンを手に取った。口元はにっこりと弧を描き、頭のてっぺんの髪だって機嫌よく揺れている。
「いただきまーす」
「いただきます……」
 山口の声をなぞるように呟いて、僕も小さく手を合わせた。
 かちゃりとガラスの皿とスプーンがぶつかる音がした。綺麗に磨かれたスプーンの表面に、ゼリーの涼やかな色が映る。透き通ったその色は、俗世に染まることのない山口そのもののようにも思われて、その色を見ているだけで胸の奥が爽やかな甘さによっていっぱいになる気がした。ゆっくりとした仕草でスプーンにゼリーを乗せる。冷えた金属に乗せられたゼリーは、至極嬉しそうにその身を震わせた。どんな味がするだろう。童心に返ったように、気持ちが高ぶるのを感じた。その夏の青空みたいな色をしたものを口に運ぶ。山口がじっとこっちを見ているのがわかっていたが、あえてそちらを見ようとは思わなかった。
 サイダーのような爽やかな刺激が舌の上を転がる。その微かな甘味に、口端がほんの少しだけ綻んだ。それを見た山口も同じようにゼリーを掬い上げる。そして、舌の上に乗せた。
「んー! おいしいね、ツッキー」
「うん」
 大げさなほど頬を緩ませてきらきらと目を輝かせる山口。僕が肯定すると、その輝きはさらに増した。まるで瞳のなかに天の川を流し込んだみたいだ。
「あ、月のゼリーもみっけ!」
「よかったね」
 その騒がしい様子に思わず頬が緩むなんて本当に僕らしくない。けれども、山口が僕の分の「おいしい」まで口に出してくれているのを知っているから、僕もつい嬉しくなってしまうのだ。
 ある日、山口は言った。ツッキーが嬉しいときは、俺がツッキーの分まで笑うからね、って。今思い返せば、なんと図々しい申し出であろうか。けれども、当時の僕はそれを愚行ではなく、まっすぐな好意として受け取った。山口なりの気遣いであり、優しさであると受け止めたのだ。そして、山口は今日この日まで律儀にそれを守り続けている。今ではそれが山口というひとりの男の人格を形作っていると言っても過言ではないほどだ。
 だから山口は僕の心情の変化にもよく気付く。他人ならば気配すら感じないであろう感情の変化を、表面に見える微かな情報から導き出すのだ。
「今度はツッキーも一緒に作ろう」
 黙ってゼリーを口に運び続けていたら、山口がそんなことを言い出した。
「……考えとく」
「じゃあ約束ね」
「考えとくって言ったケド」
 ゼリーから目を離し、眉をしかめて山口を見たが、彼はニコニコとしているだけだった。
「だってツッキー嫌だったら嫌だって言うし、言わないってことは嫌じゃないってことでしょ」
「山口、」
 咎めるように言う。すると、山口は一瞬驚いたような顔をして、それから顔いっぱいで笑った。
「へへ、ごめんツッキー」
 あぁ、もう。そんなに嬉しそうな顔をしないでよ。
 僕が喜んでるってことがお前にもバレバレだってわかっちゃうじゃないか。

 口のなかでパチパチと炭酸が弾ける。
「あ、月みつけた」
「よかったね、ツッキー!!」

【了】

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