First Love


とある曲をイメージして書かせていただいています。
一部引用あり(著作権等の問題がないことは確認済みです)


10年後まで僕は待ってる
君が誰かと寄り道しても

友達のまま 微笑みながら
華奢なその背中 この場所から見守ろう……ーー



 山口と出会ってからどれくらいの年月が経ったのだろう。どれだけの日々をともに過ごしてきたのだろう。僕は、友達という仮面を被ってずっとそばにいた。優しくて鈍感なお前に甘えて、ずっとその横顔を一番近くで見つめて続けていたのだ。
 そんな僕らも、もうおとなになった。いつまでも生半可な恋をしていられるような歳ではなくなったのだ。酒だって嗜むし、それなりに恋愛だってしてきた。勿論、キスだってセックスだって人並みに経験した。最近では、結婚適齢期になっても一向に恋人をつくろうとしない僕のことを、母親が心配し始めるようにもなった。

 僕はぼんやりと、空になった缶チューハイが散乱したテーブルのうえを見つめていた。いつもならわりと綺麗好きである僕が自宅のテーブルを汚されることを許すはずもなかった。それは相手が山口であっても、だ。もっとも僕が自室に入れることを許す他人は、山口以外に存在しないのだから、おかしな話かもしれない。
 けれども、今日は違った。山口がどれだけ呑んでも、どれだけ机を散らかしても、僕は何も言わなかった。否、言えなかった。先ほどから僕らのあいだには重苦しい沈黙が満ちていた。いつもなら気になることなんてない空白の時間が、今はとても息苦しく感じた。まるで部屋の空気が僕の心臓を押し潰そうとしているようだ。
「山口、」
 耐えきれなくなって、僕は山口の名前を呼んだ。びくり、と肩を揺らした山口を見て、僕の心臓はいよいよ悲鳴をあげる。苦しいよ、と。
「あ、そろそろおいとまするね!」
 僕の呼びかけを勘違いした山口が慌てて言った。別に帰れと言っているわけじゃなかったのに、変な風に解釈されたらしい。僕のことに関しては察しが良い山口なのに、それに自分のことが絡むと途端に察しが悪くなる。それはこの男の短所であり、長所でもあった。この長所がなかったら、僕がこんなにも長いあいだ彼の隣にいることは叶わなかっただろうから、とても感謝しているのも確かだ。
「山口、」
 むしろ逆だよ、と口にはせずもう一度名前を呼んだ。
「ツッキー?」
 そそくさと立ち上がり、テーブルを片付けようとしていた山口の動きが止まり、緩慢な仕草で首をかしげる。僕は、宙で止まったままの左手を掴んだ。手首を掴まれた山口は、驚いたように目を瞬く。そのまなじりは、まだ微かに赤かった。それが酒のせいだけではないことを僕は知っていた。そばかすが散った頬はすでに乾いているが、それが数十分前までは涙の筋でひどく汚れていたこともまたよく知っていた。
「ツッキー、」
 困惑したような声が名前を呼ぶ。何か言おうとする山口に畳み掛けるように、泊まっていくでしょ? と言葉をかけた。
「いや、今日は帰るよ」
 予想通り、釣れない返事がくる。けれども、今日の夕方、山口から電話がかかってきたときから今晩は帰さないと決めていた。ここで山口を帰したら、きっと彼は一人でまた泣くのだろう。自分を捨てた女のことを考えながら、その目を真っ赤に泣き腫らすのだろう。
「山口、」
 そんなことさせない。思わず眉をひそめ、手のひらに力を込める。そうすれば、山口は降参とばかりに肩をすくめた。
「…あぁわかったから。泊まっていくからそんな顔しないで」
 困ったように笑い、もう一度腰掛けた山口を見て、僕はほっと息をついた。



『あのね、ツッキー。振られちゃった』
 そう電話がかかってきたのは、およそ六時間前のことだった。主語も目的語もない文章だったが、僕には何があったのかすぐにわかった。数年前から付き合っていた彼女に別れを告げられたのだ。ほんの数ヶ月前までは、プロポーズしようと思うんだ、ってニコニコしていたのに。
『うち、おいでよ』
 電話の向こうで無理やり笑おうとする山口に対して、もう何度目かわからない誘いをした。電話の奥で山口が鼻をすする音が聞こえた。彼女に振られた山口を慰めるのは、昔から僕の役目だった。
 電話を置いたあと、耳の奥で山口の声が反響しているように思われた。唐突に思い出すのは、忘れもしない十年前の初夏の出来事だ。


  ***


「ツッキー、俺彼女できたんだ」
「あ、そう」
「あ、ごめんね! ツッキーはこんな話興味ないよね? でも、ツッキーにだけはどうしても伝えておきたくって」
 ーー友達だから。
 あのときの衝撃は一生忘れられないだろう。同性に生まれた運命を心の底から呪った。異性ならば恋人という便利な首輪を使って、彼を僕だけのものにできたのに、同性である僕にはそれができない。友達、という関係は、近いようで遠いものなのだ。その結果、彼は目の前でかっさらわれていってしまった。
 山口に初めての彼女ができたのは、僕たちが中学二年生のときだった。元々相談を受けていて、相手は一年生のときからずっと同じクラスの女の子。クラスのなかでは目立つほうではなく、どちらかと言えばおとなしく控えめなタイプだった。初めて山口から相談を受けたときには、山口はこういう子がタイプなのか、と少し納得してしまったくらい。決して美人ではないけれど、いつもにこにこしている可愛らしいタイプの子。僕も同じクラスとはいえ、ほとんど話したことはないからそれ以下のこともそれ以上のことも言えなかったけれど、周りに纏っている雰囲気が山口に似ていると言えば似ているようにも思われた。だから、素直にお似合いなんじゃないかと思ったのだ。実際に僕がそう言えば、山口は驚いたように目を瞬いてから照れ臭そうにありがとうと言った。
 彼女ができた、と言ったその日からいつも僕の隣にいた山口は、彼女と一緒に過ごすことも増えた。昼休みこそ僕と一緒に過ごしていたが、登下校などは彼女と過ごすことのほうが多くなった。
「ツッキーごめんね!」
 その日も山口は朝から眉を下げて、僕に謝罪する。山口がそう断りを入れてから話すときは大体彼女絡みだ。山口と彼女が付き合い始めて一ヶ月が経ったが、僕だってそれを理解し始めていたし、その状況に適応しつつもあった。
「今日は、雛田さんと帰るの?」
 なんでもないような顔をして、そう訊ねる。
 ーー雛田かおり。それが山口の彼女の名前だった。
「うん。部活ないから一緒に帰ろうって」
 チラチラと上目遣いに僕を伺うような表情を見せる山口。
「別に良いよ」
「ありがとうツッキー!」
 僕が淡々と言うと、安心したように頬を綻ばせる。その表情が少し苛ついて、僕は言葉を吐き捨てた。
「……何もお礼言われるようなことしてないけど。僕たちだって約束してる訳じゃないでしょ」
 あとから考えれば、完全な八つ当たりだった。
「そうだけど……」
 山口の表情が明らかに曇った。
「これからわざわざ言いにこなくて良いから」
 絶望にも似た表情をして僕を見上げる山口に、追い討ちをかけるように僕は言った。山口は、頷きもしなければ返事もしなかった。ただいつも暢気にカーブを描いている唇をきゅっと閉じて、傷だらけの床を見つめていた。
 けれども、山口はそれからも三日に一回は彼女と帰るから一緒に帰れない、ということを直接僕に伝えてきた。そのたびに苛々して、結果として山口に軽く当たってしまう。それでも山口は、最初のときのように傷ついた表情は見せず、困ったように笑ってごめんね? と言うだけだった。そんな山口の優しさに僕は甘えていた。いまだ抱いたことのない感情に戸惑い、それを罪もない山口にぶつけていたのだ。
 正直、三ヶ月もすれば別れると思っていた。たかが中学生の恋愛、どうせ長続きなんてしっこないとたかを括っていた。けれども、山口と雛田さんの関係は、半年経っても終わらなかった。


 二人が付き合い始めて、半年と少しが経ったころ、山口は少し恥ずかしそうな顔で「ツッキーに報告があるんだ」と言ってきた。山口に限ってまさか、と思うが、それを顔に出すことなんてしない。動揺しているかっこ悪い姿なんて、山口に見せたくない。けれども、本音を言うと心臓が飛び出そうだったし、ドクドクと流れる血液のせいで、首元に集まった太い血管がはちきれそうなくらいには動揺していた。こういうときほど、感情が表情に出ない自分の性質が有難いと思うことはない。そんな僕の異変に気付かない山口は、自分のつま先を見つつ、どう言葉を紡ぐか考えあぐねているようだ。そのときの僕は、少し火照った頬の理由が自分であったら良かったのに、と詮無きことを考えていた。山口がゆっくりと口を開く。かさついた唇は、ひどく目に毒だった。
「あのね、初めて手つないだ…」
 あたたかかった、とかどうでも良い感想を伝える山口を見ながら、僕はほっと息をついた。キスしたんだ、とでも言われるかと思ってビクビクしていた僕だったが、山口は僕のなかでの想像通りいや想像以上に純朴な少年だった。最近では前ほど彼女の話をしていなかった山口だが、久しぶりに聞いたデートの様子や教室で言葉を交わしている様子を見る限り、交際は順調であるようだ。先ほどまで青かった空は、ほんのり薄紫色になっていた。
「順調そうで良かった」
 そう思ってもみないことを言いながら、僕は彼の頭を撫でた。山口は、別段恥ずかしそうにする様子もなく、嬉しそうに笑っているだけだった。こんな風に山口の頭を撫でられるのは、この学校のなかでは僕だけだ。ただ、今だけはこの特権が少し切ない。山口は、僕を友達としか見ていないから、僕がいくら頭を撫でようが手を繋ごうが、友達だからという理由で納得してしまうだろう。
 ではキスをしたら彼は恥ずかしそうに頬を染めてくれるだろうか。そんな不謹慎なことを考えてから、自分を戒めるように拳を握り締めた。まだ今はそのときではない。
 雛田さんと付き合い始めた山口は、その誠実な態度からクラスの女子からの印象も上がったようだった。山口の魅力は僕だけがわかっていれば良いのにと思う反面、山口が周りに認められているのだと思うと、なんとなく僕も誇らしく感じられた。僕のなかで山口はトクベツだった。きっと山口にとって僕もトクベツだった。けれども、今まで山口のトクベツは僕だけだったのに、そこに彼女の存在が加えられていたのもまた事実だった。


 僕たちは三年生になった。山口と僕は同じクラス。雛田さんは、隣のクラスだった。
 そんなある日、山口が朝の集会中に突然倒れた。僕と山口は出席番号が離れているから、最初は山口が倒れたことに気付かなかった。
 そのときの僕は、役に立ちそうで役に立たない校長の話を右から左へ聞き流しながら、視線だけは前を向けていた。校長の話が始まって五分が経った頃、そんな僕の後ろのほうがにわかにざわつき始めた。不良生徒が何かしているのだろうくらいにしか思わなかった僕は、後ろを振り向く気なんてさらさらなかった。けれども、前にいた担任教師があわてて僕の横をする抜けて行ったときに言った「大丈夫か、山口」という言葉に、僕はばっと振り返ったのだった。
「どうしたの?」
「隣のクラスの山口が急に倒れたっぽい」
「マジで? 貧血か」
 そんな生徒たちの声が聞こえた。僕は、集会中だということもすっかり頭から抜け落ちて、山口がいるであろう騒動の中心へ向かった。
「先生、山口がどうかしたんですか」
「月島か。たぶん貧血だと思うんだけど、一応保健室連れて行こうと思う」
 言外にお前ら仲良かったよな?と訊ねられている気がした。
「……じゃあ僕が行きます」
 遠くのほうで心配そうに雛田さんがこちらを見ているのがみえた。誰も異論を唱える者はいなかった。誰とだって気さくに話をする山口だけど、このクラスで一番長い時間を山口と一緒に過ごしてきたのはこの僕だ。それは僕の自惚れなどではなく、単なる事実。
 普段は僕よりかなり下にあるその顔だけど、山口も僕の隣にいると目立たないだけで平均身長以上はあるはずだ。気を失っている相手を歩かせるわけにもいかなくて、僕は教師の手を借りつつその身体をおぶった。
 背中におぶった瞬間ある程度の重さは覚悟していたのだが、それは思った以上に軽くて僕は拍子抜けしてしまった。もっとちゃんとご飯食べさせよう、と母親みたいなことを決心して、僕は体育館を出る。そして、ゆっくりゆっくり慎重に階段を降り、教室棟一階にある保健室へと向かった。
 校舎の窓から見える桜は、まるで雪のようにちらちらと舞っていた。いっそ山口への想いがあのしだれ桜の花びらと一緒に散ってしまえば良いのに、と思うと同時にそれが絶対に不可能であることもよく理解していた。
 この想いがなくなってしまえば、と思ったことは数え切れないほどある。しかし、この想いを諦めてしまおうと思ったことは一度もなかった。この先、例えお前がいろんな女性と付き合いをしたとしても、僕は友達としてずっとそばに居続けよう。そして、そのときが来たらこの想いを君に伝える。それまでは、この想いはひっそりと隠しておくのだ。
「山口、好きだよ」
 こっそり呟いた囁きは、桜吹雪のなかに溶けていった。


  ***


 ブルー、イエロー、グリーン。テーブルのうえに散らばる色とりどりの缶を見ていたらなんだか無性に喉の奥が苦しくなった。それでも視線を上げて、山口をまっすぐに見つめ直した。そうすれば、さらに呼吸が苦しくなったけれど、悲しさや切なさの類は感じなかった。かさついてくっついてしまいそうな唇を一度舐めて湿らせてから口を開いた。こんなにも緊張したのは、生まれて初めてだった。
「山口、今度は僕にしなよ」
 泣きすぎて赤くなった目尻をかさついた親指で撫でた。その感触に驚いたのか、山口が一歩後ずさろうとする。けれども、僕が手首の力を強めると、山口はそれ以上距離を離そうとはしなかった。
「え、ツッキーどういうこと、」
 ずっと隣にいた僕がどうしようもない想いを抱いていたなんてこと、お前は知らなかっただろうな。自分のことになると、てんで駄目なやつだから。
「言った通りの意味だけど」
 ずっと隣にいた僕の想いがどうしてお前に伝わらずにこんなにも長い年月を経たのか、お前は知ってるだろうか。それは僕が確信していたから。この想いを隠したまま君のそばにいれば、山口はいつかきっと僕のことを好きになると、僕が確信していたからだ。
「でも、俺は……」
「山口は僕のことが嫌いなの?」
 嫌いじゃないよね。むしろ、ここ数年は熱っぽい瞳で僕を見つめることすらあった。そのことに、僕がまさか気付いていないとでも思っているのだろうか。十年以上前、君に植え付けた種はきっともうすぐ花を咲かせる。
「僕ならお前をそんな風に泣かせたりしない。だから僕と付き合ってよ」
「何言ってるのツッキー。ツッキーは俺のこと好きじゃないでしょう?」
 まるで子どもに言い聞かせるように言う。
「好きだよ」
「ツッキー、そんな嘘つかなくていいよ」
「本当のことだから……」



10年後まで僕は待ってる
君が誰かと寄り道しても
友達のまま 微笑みながら
華奢なその背中 見守ろう

10年後には迎えにいくよ
君のその手を僕が掴もう
こんな近くで 名前を呼んで
ずっと気付かなかった 手品の種を見せよう――

【了】


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