嘘と本音


#優しい嘘、残酷な本音

 山口の言葉は、いつだって僕への賞賛で溢れている。他人の誉め言葉は耳の左から右へと抜けていってしまうのに、山口のものだけはそうではなかった。その理由はきっと山口の言葉がひとつの邪念を含んでいなかったからだろう。昔から僕に近付いてくるのは、下心のある人間ばかりだった。けれども、山口だけは違った。山口は今まで出会った誰よりも心が綺麗だった。きらきらとした目で見つめられるのも、決して不快ではなかった。
「ツッキーの目って、とっても綺麗だね!」
「わぁ、ツッキーの指って細長くて素敵だぁ」
「ツッキーは私服もお洒落だもんね!」
 どこをどう見れば、そんなにするすると誉め言葉ばかりが出てくるのか。僕は不思議で仕方なかった。お前は嫉妬しないの? 僕のことばかり誉める山口にそう聞いてみたけど、俺だって嫉妬くらいするよ! と言って山口はやっぱりニコニコしていた。僕の記憶のなかにいる山口は、いつも嬉しそうに笑っていた。大きく咲き誇る向日葵のような派手さはないけれど、それは日なたでそっと咲くたんぽぽのような優しさがあった。僕はその笑顔にずっと救われていた。
 けれども、その笑顔を奪ったのは、紛れもなく僕自身だ。僕の言葉が彼を傷つけた。決して安易な感情で口にした言葉ではなかった。ただ、まっすぐな本音を伝えるのが下手くそだったのだ。結果として僕の気持ちは山口に届かなかった。
「ツッキーはいつも優しいね……」
 最後に笑った山口の顔が脳裏に張り付いて忘れられない。山口は心の痛みをぐっと隠すようにわらった。今にも零れ落ちそうな涙を飲み込んで苦しそうにわらった。
 そこでようやく僕は言葉を間違えたことに気付いたのだ。けれども、気付いたときにはもう遅かった。山口は僕の目の前から立ち去っていた。ツッキーはいつも優しいね、と悲しい賞賛の台詞だけを残して――。



 僕の好きな人、それは昔からずっと変わらない。初めて気付いたのは中学生のとき。けれども、好きになったのはもっと前のことだと思う。相手はいつも隣で脳天気に笑っている幼なじみ。同性だった。
 中学生というまだ幼くも残酷な社会集団に所属していた僕は、マイノリティーが社会に拒絶される現実を知っていた。男同士の恋愛が一般社会に受け入れられないことだってよく理解していた。たとえ山口にその気がなかったとしても、山口が僕に想われていることを周りが知れば、優しくも弱い山口は攻撃の対象となってしまうだろう。自覚したその瞬間、八方塞がりになってしまった僕の想い。それでもこの気持ちを嘘にしてしまおうだとか、自分を誤魔化そうだとか、そういうことは少しも考えなかった。だって自分は自分だ。僕から山口への想いを退けてしまっては、僕のなかにはきっと何も残らない。
 高校生になっても、僕の感情に変化はなかった。いや、変化がなければそのほうが良かったのかもしれない。けれども、男性として成長を遂げた僕の身体は山口を性の対象として認識するようになった。初めて夢精した朝に見ていた夢は、幼なじみのあられもない姿だった。偶然だと思いたかった。けれども、夢の余韻で激しく脈打つ鼓動が、それはおそらく偶然でないと物語っていた。信じられなかったし、ひどい自己嫌悪にも陥った。純粋で綺麗なままの山口が穢されることを恐れていたくせに、夢のなかの僕は山口の純潔を奪っていたのだ。
 それほどまでに僕の山口に対する気持ちは大きくなりすぎていた。もちろん山口への慕情をひた隠しにすることをやめようとは思っていなかった。むしろ隠さなければいけない理由は増えるばかりだ。それは周りに対しても、本人に対しても、だった。距離を縮めることもせず、距離を離すこともなく、僕は山口との関係を築き続けた。山口が僕を慕っているのを良いことに、僕は山口の一番であり続けたのだ。

 そんな山口からの好意に、当然僕は気付いていた。ただし、それが自分と同じものであろう、なんて自惚れたことは考えていなかった。ただ僕は山口の憧れの対象としてあり続けることを望んだ。きらきらと輝く憧憬のまなざしは、いつだって僕の心を柔らかく包み込んだ。
 これからもそんな生ぬるくも心地良い関係が続くと思っていたし、実際そのつもりでもあった。けれども、その関係を変化させたきっかけは山口自身の言葉だった。
 高校に入って初めての夏が始まる前のことだった。その日の放課後、山口から差し出されたのは、入学してからもう何通目になるのかさえもわからないラブレター。山口は親しみやすい性格のせいか、人から頼まれごとをされやすい。しかもお人好しな気質のせいで頼まれたその恋文たちを毎回断りきれずに受け取って、律儀に僕のもとへ持ってくる。僕はそれらのラブレターを一度も読んだことはなかった。だって答えは決まりきっているから。山口以上に好きになれる人なんてこの世に存在するわけがない。それに僕と話したこともないのにこうして告白してくるなんて、狂気の沙汰としか思えなかった。結局は外見か、とため息を吐き出したくなるだけだ。バレーを頑張っているところが好きです。なんて書かれていてもお前は僕の何を知っているんだ、と腹立たしく思ってしまう。
「ツッキー読まないの?」
 それを読みもしないままかばんにしまった僕を見て、山口はぼそっと訊ねた。
「読まないよ」
 山口以外の人からの好意なんていらない。僕の内面を知らない人から与えられる偽りの感情なんていらない。
「すっごく可愛い子だったよ?」
 どんなに可愛くたってその子が山口でないのなら、僕はいらないんだ。
「一生懸命書いたんだと思うよ。せめて読んであげても」
「……お前には関係無いデショ」
 そう、山口には関係ない。僕が山口のことを好きだから、僕自身に向けられるすべての好意を拒絶しているなんてこと、純粋なお前は知らなくて良いんだよ。山口は綺麗なまま、笑っていれば良い。僕の邪な感情で山口を傷つける必要など微塵もない。
「か、関係なくないよ! だって俺もツッキーのこと好きだもん! この子たちと同じように」
「は、冗談言わないで」
 何を馬鹿なこと言ってるの? その他大勢の女たちみたいに騙されちゃ駄目だよ。僕は、山口に想ってもらえるほど美しい人間じゃない。お前が言うように綺麗でもない。
「本気だもん!」
「本気ってなに? お前は同性を好きになることのリスクをわかって言ってるの? 社会はマイノリティーに優しくないんだよ」
 誰よりも心の綺麗な山口が、冷たい世間から好奇の目で見られることなんて許せない。僕なんかのために己の身を穢すなんてこと絶対にさせない。
 僕は、お前を守りたいんだ。
「お前の気持ちは僕への憧れを恋愛と勘違いしてるだけだよ」
「違う、」
「違わないよ。話がそれだけならもう帰るけど」
 俯いた山口の顔は見えない。僕はかばんを持って教室を出ようとした。当たり前のように山口は後ろについてくると思っていた。けれども、彼は動かなかった。
「ツッキーはいつも優しいね……」
 声がしたほうを振り返ると、山口はわらっていた。今にも泣きそうな顔でわらっていた。それは僕の好きな笑顔ではなかった。
「っ、」
 お前には笑っていてほしかったのに、僕の願いは聞き入れられなかったようだ。
「俺、部室に課題のプリント忘れてたの思い出したから行ってくるね! ツッキーは先に帰ってて」
 朝練のときはそんな素振り見せなかったのに。明日提出の課題プリントだって、いつものファイルにちゃんと入ってたよね。
 つまり、それは僕に対する山口の拒絶。これまでで初めてのことだった。そして、僕が己の言葉の真意が取り違えられたことに気付いたとき、すでに山口は教室から立ち去っていた。



 熱いシャワーを浴びても、美味しい夕食を食べても、あたたかい布団に入っても、大好きな人の大嫌いな表情は、僕の頭から離れなかった。このまま自分の気持ちを伝えないのが良いのか、それとも自分の気持ちを素直に伝えてしまうのが良いのか。僕にはさっぱりわからなかった。山口を思ってついた嘘は、彼の心を傷つけた。しかし、その傷を癒すために本音を伝えれば、それは五年後十年後の山口を痛みつけることになるだろう。
 また八方塞がりだ。ただ笑顔でいて欲しかった、それだけなのに。人の心はひどく難しい。








#残酷な嘘、優しい本音

 どうしてあんなこと言ってしまったのだろう。心の奥に隠しておこうと決心したはずなのに。
 ツッキーは美しい人だ。身も心も何もかもが綺麗で尊い。俺のように冴えないやつがそんな人の隣にいることが許されるなんて普通だったら有り得ないことだと思っていた。けれども、人の心は気まぐれで時に驚くほど欲深くなる。俺の場合もそうだった。
 最初はツッキーの隣にいられるだけで嬉しかった。隣にいることが日常になれば、今度はもっともっと話をしたいと思った。
 ツッキーは綺麗な人だ、たとえ言葉を発さなくても。けれども、照れくさそうに話したり、楽しそうに笑う姿はもっと綺麗だった。俺はそんなツッキーに恋をした。いくらうるさいと言われても、いくら黙れと言われても、ツッキーが本当はとても優しい人だと知っていたから、少しも辛いとは思わなかった。むしろそのたび名前を呼ばれることにドキドキと胸を高鳴らせていた。
 そんなツッキーに俺の邪な想いを知られることは怖かった。きっと俺の気持ちがバレてしまえば、ツッキーは俺をそばには置いてくれなくなるだろう。ツッキーとずっと一緒にいるためには友人であり続けなければいけないのだ。
 中学二年生の春。俺は、この感情を心の奥にある小さな箱にしまいこむことにした。鍵をかけて、心の奥底に箱ごと隠して。そうすればツッキーとずっと友達でいられるのなら、それくらいどうということはなかった。
 あれから数年間そうやって過ごしてきた。それなのに、今さら俺はどうしてしまったのだろう。箱の中でずっと育っていた恋心は、あまりに大きくなりすぎて鍵を壊して外へと飛び出してしまったらしい。
 ツッキーはとてもモテる。そんなツッキーと一番仲が良いと思われている俺のもとに何通ものラブレターが持ってこられたかなんてもう数え切れない。俺もツッキーが好きだから、その可愛い便箋にどれだけの想いが伝わっているかよくわかっていた。知っていたからお願いされると断れなかった。また、よろしくお願いします、と不安そうに笑う女の子たちの顔も見ていた。だからその手紙をツッキーに渡さないという選択肢も選ぼうとはしなかった。
 けれども、ツッキーは誰からラブレターをもらっても、それらを一度も読もうとしなかった。もしかしたら俺のいないところで読んでいたのかもしれない。しかし、俺はそうとは思えなかった。読まれずに捨てられるであろう手紙のことを思うと、まるで自分の恋心が否定されたように苦しかった。
 それでもツッキーへのラブレターを受け取ることはやめなかった。ツッキーにそのラブレターを渡すのをやめることもしなかった。ツッキーがラブレターを見ないでかばんにしまうということは、ツッキーに特定の相手がいないことを知る唯一の機会であったから、俺はその小さなプライドに縋りついていた。
 昨日もツッキーは俺から受け取った手紙を宛名も見ないままでかばんにしまった。きっとこの手紙も開封されることなく、ごみ箱に捨てられてしまうのだろう。捨てられてしまうはずのそれが、自分がツッキーに抱いている慕情だと思うと、胸が苦しくて仕方なかった。だからあのときの俺は馬鹿みたいな質問をしてしまったのだ。
「ツッキー読まないの?」
 あのとき僕のほうを見たツッキーは、びっくりするほど無表情だった。
「読まないよ」
 そう言ったツッキーの声は背筋が凍るように冷たかった。余計なことを聞いてしまった、と思った。けれども、口は止まってくれなくて、俺は意思に反してぺらぺらと喋り続ける。
「可愛い子だったよ?」
 ツッキーに好きだと言える彼女が羨ましかった。あんな風に可愛い女の子がツッキーの彼女になれば、往生際の悪い俺だって諦めがつくかもしれない。
「一生懸命書いたんだと思うよ。せめて読んであげても」
 自分でも余計なお節介みたいだと思ったし、ツッキーがこんな風に言われることを嫌っているのだってわかっていた。それでも言葉を発さずにはいられなかった。
「…お前には関係ないデショ」
 ツッキーが心底イラついているのは明らかで、その言葉は心にグサリと突き刺さった。確かに関係ないと思われるかもしれない。でも俺だって、女の子たちと同じようにツッキーのことが好きなんだ。
 俺は、ツッキーのことが好きだよ。いくらその気持ちを声に出しても、ツッキーはそれを信じてくれようとはしなかった。勘違いなんかじゃないよ。俺はツッキーが世界で一番好きなんだ。ツッキー以外の人を好きになるなんて考えられないんだよ。
 そこで俺はふと気付いた。ツッキーは俺の気持ちを信じていないわけではない。これは優しいツッキーなりの拒絶なのだと悟ったのだ。
「ツッキーはいつも優しいね……」
 でも今日だけはツッキーの優しさがとっても辛いよ。いっそ手酷く振ってくれたら、明日から友達でいる決心もつくのに。気持ち悪いと罵ってくれれば、君から卒業できたかもしれないのに。そんな風に接されてしまえば、諦めの悪い俺はこの気持ちを捨て去ることができない。
 俺はツッキーから逃げた。走って、はしって、走って。息が苦しくなって足を止めたら、今度はボロボロと涙が溢れた。それはいくら拭っても止まることなく零れ続けた。
 ごめんねツッキー。俺なんかがツッキーを好きになっちゃって。ごめん、本当にごめん。
 いっそ涙と一緒にこの想いも消えてしまえば良いのに。そう思わずにはいられなかった。



 目を真っ赤に腫らして帰ってきた俺のことを家族はひどく心配していたけれど、それでもなんでもないふりをし続けた俺に対して何も訊ねることをせず、そっとしておいてくれた。その気遣いがとても有難かった。そうでなければ、ツッキーへの恋愛感情とか、そんな自分への自己嫌悪とか嫌な気持ちとかを全て吐き出してしまっていたはずだ。
 夕食も食べず、シャワーだけ浴びると、俺は泣き腫らした目のままでベッドに潜り込んだ。
 俺は、泣き疲れて知らぬ間に寝ていたらしい。翌朝目が覚めると、案の定俺の目はひどく腫れていたようで、じんわりと気持ち悪い熱を帯びていた。それどころかなんだか身体全体も熱っぽい気がした。
 重い体を引きずってリビングに行き、体温計で熱を測る。三十七度八分。微熱とも高熱とも言い難いが、確実に身体は不調を訴えていたので、俺は学校を休むことにした。目の奥がひどく痛むので、母さんに休むことを伝えると、俺はすぐにベッドに戻った。ベッドで横になりながら、いつも一緒に登校しているツッキーに、今日の授業と部活を欠席することを伝えた。メッセージアプリの既読はすぐについたのに、ツッキーからの返事はこなかった。
 身体が重く頭もクラクラしていてベッドから出られない俺のために、母さんがわざわざ朝ご飯を作って持ってきてくれたが、どうしても食欲がわかなくて食べられなかった。だから俺は無理やりゼリーだけを喉に流し込んで風邪薬を服用すると、そのままもう一度眠りについた。
 次に目を覚ましたとき、窓の外では爛々と輝く太陽がカーテンから微かに透けて見えていた。そろそろ昼過ぎだろうか。確か今日から懇談週間で授業は昼までだから、今ごろツッキーは部活をしているかもしれない。そんなことを考えていると、一階からインターフォンの鳴る音がした。どうやら誰かが来たみたいだった。
 玄関で母さんと男の人が話す声がする。母さんは機嫌良さそうに笑っているようだった。しばらくすると、その誰かは室内に招き入れられたようで、ドアが閉まる音と一緒にボソボソと控えめな話し声が聞こえた。二人分の足音が階段をのぼってくる音がする。
「忠、起きてる?」
「ん、起きてるよ」
 粘膜が荒れてズキズキと痛む喉をさすりながら返事をすると、自分の声がいつもより掠れていることに気が付く。じゃあごゆっくり、と母さんの声が聞こえた。母さんの足音が遠ざかってから、コンコンと控えめなノックが鳴った。
「山口、入るよ」
 突然の来客。それは世界一大好きで、今このときだけは世界一会いたくない人だった。
 ツッキーは学校帰りにそのまま寄ってくれたらしく、制服のままだった。立ち上がろうとする俺を制して、今日の分のプリントを机に置くと、ツッキーは寝ている俺のすぐ隣に腰掛けた。ベッドの端が少しだけ沈んだ。
「熱っぽいんだってね。大丈夫なの?」
「ちょっと喉が痛いけどもう大丈夫だよ」
「きちんと治しなよ」
 呆れたように言いながら、ツッキーは俺の額に手を伸ばした。
「まだちょっと熱いね」
 ツッキーの手はするりと俺の額を撫でて、優しく髪に触れてから離れていった。
「あのツッキー、」
「昨日のことだけど、」
 勇気を出してツッキーを呼んだ。けれども、俺の声はツッキー自身の声によって遮られてしまった。
「あ、うん…」
 ツッキーの凛とした声色に怖気付いた俺は、弱々しく返事をする。忘れてほしい、って言われるのだろうか。友達をやめたい、って言われるだろうか。今から言われるであろうことを考えると、あまりにも恐ろしくて声が震えた。俺は、嫌な想像しか思い浮かばなかった。
 けれども、ツッキーの言葉は俺の想像とは全く違っていた。
「傷つけてごめん。そんなつもりじゃなかった」
「え?」
 ツッキーの唇によって紡がれたのは、思いもよらない謝罪の言葉だった。
「だからごめんって謝ってるの。
 ねぇ、山口は優しい嘘と残酷な本音、どっちが聞きたい?」
 まるで小説の一部のような言い回し。ツッキーの言っていることがわからなくて、俺は困ってしまった。視線で問い返すが、ツッキーは無表情のままだった。
「答えて、山口」
 嘘と本音? ツッキーが何を聞いているのかサッパリわからない。わからないけど。
「ツッキーが嘘をついて苦しむくらいなら、俺はツッキーの本音を知りたいよ」
 ツッキーが息を飲んだ。あぁ、頭がぼーっとする。ツッキーのことを考えると、こんな風に頭がぽうっとなってしまうんだ。
「僕の本音を聞いたら山口は俺のことが嫌いになるかもしれないよ。いや、絶対嫌いになる」
 俯いたツッキーの肌の白さは眩しくて、胸がドキドキとした。その首筋にキスをできたらもどんなに幸せだっただろうか、と考えた。
「俺がツッキーのこと嫌いになるなんて有り得ない。信じてよ、俺のこと」
 ツッキーは何に怯えているの? ツッキーがいれば俺の世界に怖いものなんてないよ。ツッキーの世界はどうなの。ツッキーの世界に俺の存在はある?
「僕は山口が好き、」
 どうしようもなく好きだ、とツッキーは言った。きゅっと寄せられた眉は、ツッキーの想いの大きさを表しているようだった。落ち着いた表情のしたにこんなにも熱い感情が隠されていたなんて、俺は知らなかった。
「お前は僕のことを買いかぶってるみたいだけど、僕はそんなに綺麗な人間じゃない。……心が綺麗なやつが友達を好きになったりするもんか」
 声はいつものように淡々としている。けれども、身に纏った空気が震えていた。ツッキーの心が、ずっと苦しかったと泣き叫んでいるような気がした。ぐっと握り締められた拳は、あまりにも強く握るものだから真っ白になっている。元々白いツッキーの肌だから、それは学ランの黒と並んでまばゆいほどのコンストラストをなしていた。俺は身体を起こすと、その拳の一つをそっと両手で包み込んだ。
「ツッキーは綺麗だよ。それに友達を好きになることの何がいけないの?」
「社会はきっと許してくれない。山口だってわかってるでしょ。そうすれば優しいお前は絶対に傷つく」
「もう傷つかないよ。俺のことを傷つけられるのは、ツッキーだけだよ。俺は、ツッキーが苦しんでるのを見るほうが辛いよ」
 君は残酷な本音だなんて言ったけれど、それは俺にしてみればひどく優しい本音だった。
「嬉しいんだ。ツッキーと同じ気持ちだって知って……」
「ほんと馬鹿なの? お前の人生を狂わせたくなくてずっと隠してたのに」
「ツッキーのほうが馬鹿だよ! 俺はこんなにもツッキーに夢中なんだよ。ツッキーのことが大切なんだ。ツッキーがいれば、怖いものなんてない」
 思わず俺はリビングに母さんがいることも忘れて、思わず俺は大声を出してしまった。勢いよく捲し上げたせいで、息が乱れた。ツッキーはびっくりしたように俺を見ていた。
「もっとツッキーの色んな姿を見せてよ。俺だけしか知らないツッキーを知りたい」
 本音だよ、全部ぜんぶ。赤みが戻ったツッキーの拳にキスをした。甘い香りがした。
「……なんでこういうときだけ男前なの」
 手をぐいっと引かれて訳のわからないまま、抱きとめられる。
「え、ツッキー? ちょっと待って?」
「待てない、」
 子どもが甘えるようにぎゅうぎゅうと抱き締められる。ツッキーの腕のなかはポカポカしていて、なんだか身体中が熱かった。
「好き、大好き、山口」
 ツッキーは譫言のように繰り返しそう言って、俺の髪に顔をうずめる。普段のツッキーからは考えられないような姿だ。それが嬉しくてたまらなかった。
「俺も好きだよツッキー」
 今まで言えなかった分も声に出して言った。好きだって言うたび、自分のなかの気持ちがもっと大きくなっていく気がした。
 恥ずかしくてツッキーの制服をぎゅっと握っていたら急に身体を離されたから驚いてしまう。俺はツッキーを見上げたけれど、思ったよりも近かったその距離のせいで、すぐにピントが合わなかった。俺が内心パニックになっているあいだに、目の前にある端正な顔なぐっと寄せられる。そして、一瞬だけ唇に柔らかいものが触れた。
 それがキスだと認識する前に俺はベッドのなかに押し倒され、そして目を覆われてしまった。
「もう寝なよ、やまぐち。おやすみ」
 目を覆われたまま、そっと掛け布団が身体にかけられた。すごく名残り惜しいのも事実だったけど、適度に暗くなった視界と大好きなツッキーの香りによって、俺はあっという間に眠りの世界へ引きずりこまれてしまった。
「ツッキー大好きだよ……」
 意識を手放く直前、俺はそうつぶやいた。
「知ってる」
 そんな返事がかえってきて、たまらなく幸福な気持ちになった。それは自分の気持ちが受け入れられた何よりもの証拠だったから。
 ツッキーは綺麗な人だ。心も身体も何もかも、が。この先、優しい彼は高い高い壁にぶつかり、行方を阻まれることもあるだろう。でも、ツッキーが困難にぶつかったときは、俺が真っ先に駆けつけるからね。
 人の心はひどく気まぐれだけど、この気持ちだけは絶対に変わらないって断言できるよ。

【了】


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