瞳はかくも愛を語りき


注意!
※ 黒夜久前提の夜久黒です
※ 夜久くんが黒尾に突っ込んでいます
※ でも黒夜久前提なので、黒夜久オチです(直接的な描写はなし)
※ 内容に関係ないけれど年齢操作有り。同棲しています





「は、ちょっと夜久!?」
 本来なら触れられるはずのない場所に感じる湿った感触。そこで黒尾は数十分前までの自分の考えが間違っていたことをようやく悟った。顔色をさっと変えるがもう遅い。
 黒尾を見上げ、きょとんと首を傾げている彼。その仕草自体は可愛いものの、先ほどまでしていた行為やその目つきはまた別物だ。目の前では子犬だと思っていた彼が狼の顔を覗かせ、舌なめずりをしている。キスの名残りで常よりも濃い色をした唇の端を真っ赤な舌先がチロリと一度だけ舐めた。
 まっすぐにこちらを射抜くその茶色の瞳は、どこか危険な色を孕んでいるように思われて、今更ながら黒尾の本能が警鐘を鳴らし始めるも、もう既に手遅れであることは言うまでもないだろう。



 それは遡ること数時間前のこと。その日の仕事は、二人とも残業なく定時で上がることができたので、午後七時頃にはマンションで一緒に夕食を取った。その後はいつものように夜久が洗いものをし、黒尾がその日の洗濯ものをたたむ。家事の分担は一緒に暮らし始めたときから決めていた。そして、普段の日なら風呂に入るのは、そのずっと後だ。
 けれども、今日は違っていた。
 夜久は食器を洗い終えると、さっさと風呂を沸かし一人で入ってしまった。週末だから一緒に入浴できるかもしれない、と思っていた黒尾は内心落胆したが、恋人である夜久はそんな様子に気づく素振りも見せず、黒尾にも早く入るように促した。そんな黒尾が、半ば拗ねるようにして風呂に入ったのが今からちょうど一時間前のことだ。
 冬場は冷えるため、いつもより長めの風呂に入る。黒尾が湯船にゆったりとつかってから上がると、すっかり髪を乾かした夜久がドライヤー片手に黒尾を手招きした。それだけですっかり気を良くした黒尾は、大人しくソファーを背もたれにして、カーペットの上に座り込む。夜久はソファーに座り、黒尾の真後ろを陣取った。首に掛けていたタオルで毛先についた水分を拭われている間、黒尾は髪の毛が目に入ってしまわないようにまぶたを閉じた。
 二人がルームシェアという名の同棲を始めたのは、大学二年生のときだ。あれからかれこれ三年は経っていて、過去には何度か大きな喧嘩をしたものの、今まで仲良くやっているつもりだ。同居して一ヶ月目に黒尾が提案した、いってらっしゃいとただいまのキスだって今も健在であるから、そこは疑う必要もないだろう。
 さらに遡ると、二人が交際を始めたのは高校三年の夏のことだったので、この付き合いは五年を越えたことになる。そもそも出会った頃から数えればその年数がもっと増えるのは言うまでもない。

「相変わらず柔らかけぇな」
 夜久の穏やかな声で黒尾はずっと閉じていたまぶたを上げた。ドライヤーの音があっても夜久の声はきちんと耳に届いた。いつの間にかタオル越しに触れていた手も、直接髪を触っているようだ。さらさらと持ち上げては落とされている感覚があるので、もうほとんど乾いたのだろう。
「おかげで雨の日はボリュームがなくなるけどな」
「確かに。梅雨になるとトサカが小さくなってたよな」
 そう言って夜久がクスクスとおかしそうに笑う。それにつられるように黒尾も笑った。こんな何気ない会話で笑い合えることは幸せだな、と思った。
「そろそろ、髪切ったら?」
 夜久が黒尾の髪をかき上げ、温風を当てながらそう言う。
「ん、だなー」
 でも行くまでが面倒なんだよなぁ、と黒尾は心の中でひとりごちた。
「あ、いま面倒だなって思ったろ?」
「なんでバレた」
「背中に書いてありましたー」
 カチリ、耳の後ろでスイッチを切り替える音がして、今度は温風が冷風に切り替わった。仕上げの冷風を当てているということは、もうすぐ終わりだということだ。
 なんでも冷風を最後に当てると、髪が引き締まり、よりなめらかな手触りになるのだと言う。黒尾としては髪の毛がサラサラになろうが、多少ゴワゴワしていようが大した違いはないのだが、夜久本人がそんな黒尾の髪をいたく気に入っている様子なので、正直悪い気はしていなかった。それにわりと男前なところがあって自分の見た目にも無頓着な夜久が、こうしてこだわりを持って自分を気にかけてくれているのは素直に嬉しい。
「はい、おしまい」
「ありがと」
 後ろを振り返りつつお礼を言えば、ドライヤーのコンセントを本体にくるくると巻き付けて、片付けをしようとしている夜久の姿が映った。お揃いのスウェットが目に入り、黒尾は思わず口元は緩む。それをめざとく見つけた夜久がなにニヤニヤしてんだ? と素早く睨みつけるが、それすらも愛おしくて仕方ないだけで、黒尾はきゅっとへの字に結ばれた唇へキスをした。
 そもそも夜久が髪を乾かしてくれる日は、セックスの誘いの合図だ。それをよく承知している黒尾がその身体を持ち上げれば、勿論夜久のほうも抵抗はしなかった。むしろいつもよりしおらしい。最初の頃は、こうして横抱きをしただけでわき腹に拳が飛んできていたこともあったが、最近ではもう諦めたのか、こうして二人っきりで良い雰囲気になったときだけは腕のなかで大人しくしてくれる。
 ふわりと身体を持ち上げてから、一度だけ額にキスをして、隣の寝室へ移動する。黒尾がベッドに夜久の身体を下ろして見つめれば、夜久が恥ずかしそうに視線を横に逸らすので、その顎を指先で掬い、そっと唇を奪う。甘えるように、強請るように、夜久の右手に指を絡ませると、夜久は少しだけ唇を開いた。待ちきれなくてすぐに舌を差し入れたら、夜久の舌先は驚いたように奥へ逃げてしまう。しかしながら、手のひらを合わせるように繋いだ片手の指先で甲を優しく撫でてやると、甘やかされる子犬よろしく夜久の身体の力が抜け、弛緩した舌先がこちらへ差し出される。黒尾は、そのまま口づけを深めながら、ゆっくりと押し倒そうとした。ねっとりと味わうキスは二人の脳内を淡い色でぼやかしていく。それは、互いのことしか考えられなくなる魔法のようで――。
 しかし、そこでいつもと違うことが起きた。夜久がその手をしっかりと掴み、ベッドに押し倒そうとする黒尾を拒んだのだ。
「どうした、夜久?」
 黒尾はいらつくこともなく、優しい声色で問う。もしかしたら疲れたから気持ちが乗らないのだろうか? 黒尾はそんなことを考えていた。
 けれども、夜久の言葉は黒尾の予想を裏切るものだった。
「今日は俺がしたい。だめ、か?」
 斜め四十五度からそう見上げられてしまえば、誰がその誘いを断れるだろうか。しかも相手は普段なら積極的に何かをすることがない夜久だ(ちなみに、いつまでも初々しさを残して恥ずかしがる夜久も可愛いので、その点に関して不満は一切ないことをここに記しておく)。
「え、イイの?」
 あまりにも突然舞い降りた幸運に黒尾は目をぱちくりと瞬かせる。もしかしたら、今日ならば日頃は恥ずかしがってしてくれない騎乗位をしてくれるかもしれない。それ以外にも邪な考えがたくさんよぎり、黒尾のテンションは最高潮になった。
「ん、俺だって黒尾を気持ち良くさせてあげたい」
 なんと健気であろうか! 黒尾は一週間分の疲れが一度に吹き飛ぶような気持ちだった。
 最後まで終わるまで絶対に手出しすんなよ! と何度も釘を刺す夜久に安請け合いをして、はいはいと上機嫌で返事をする。それでも夜久は疑っているようだったので、男に二言はないからな、と言えば、ようやく信頼してもらえたようだ。
 黒尾が自分でスウェットを脱いで上半身を晒せば、夜久もそれに習った。そして、黒尾の肌に恐る恐る手を伸ばす。けれども、肩に手を置いたきり夜久は手を止めてしまった。
「押し倒してくれないの?」
 いつまでも躊躇している夜久に向かって、黒尾が挑発を掛ける。
「ばっ、今からしようと思ってんだよ!」
 あぁ、どうしようほんと可愛い。よほど緊張しているのか、最初から真っ赤な耳が黒尾を誘惑しているようだ。夜久は黒尾に跨がり、ゆっくりと押し倒す。彼だけでは黒尾の体重を支えられないかなと思ったので、少しだけ手助けをすれば、力を抜けと怒られた。今日はなにがなんでも夜久が主導権を握るらしい。
 夜久の適度に冷たい指先が風呂で火照った身体には気持ち良かった。夜久は黒尾の肌触りを堪能するように表面を撫でていく。その感触がくすぐったくて時々身を捩れば、今度は同じ場所を唇が追っていく。
 ちらちらと黒尾の様子を何度も確認しながら触れている様はいじらしい。そんな彼の仕草や表情を一つも見落としたくはなくて、黒尾もずっと彼に視線を送っていた。途中でそのことに気がついたらしい彼は照れたようにうぅと声を詰まらせて、そのときこそ不自然に黒目を逸らしたが、その後もチラリチラリと黒尾の様子を観察することはやめなかった。勿論、黒尾も視線を逸らすはずがないから時折視線は重なり合う。
 一生懸命になって口づけをする夜久は、まるで子犬のようで可愛く思われた。普段の黒尾の行為をなぞるように夜久は唇をすべらせているが、果たして本人にその自覚はあるのであろうか。ふと黒尾は疑問に思うが、それを確認するのは後ほどの楽しみにとっておこう、と人の悪い笑みを浮かべるに留めた。勿論、必死な夜久はそれには気づいていない。
 夜久の真っ赤な舌が自分の肌のあちらこちらを舐める。けれども、唇には触れてくれる様子もなかったので、黒尾は彼のズボンを少し引っ張ってキスを強請ってみた。夜久もそのサインを理解してくれたのか、腹筋をなぞっていた手を止め、黒尾の顔に自分の顔を寄せた。あと数センチ。
「……目。閉じろよ」
「いやだ、夜久が閉じれば良い」
 俺が閉じたらキスできないじゃんか、と夜久はむくれているし、彼の言っていることにも一理あったので、結局黒尾は大人しく目を閉じた。夜久の息遣いから彼が緊張していることがわかり、それは近距離にいる黒尾にも伝染した。黒尾が目を閉じてから夜久が唇を重ね合わせてくるまでの時間はきっと数秒にも満たないはずなのに、黒尾にはもっと長い時間のように感じられたのだった。
「、っんふぅ」
 自分が主導権を握っていないキスってこんなに息が苦しいんだ、と黒尾は初めて知る。鼻で呼吸すれば良いとはわかっているのに、夜久のリズムとそれの与える快感に翻弄され、なんとなく上手くいかない。
 ずっと息を止めたままくっつけ合うようなキスをしていたが、夜久は黒尾が思っていたよりもキスを深めていく。耐えきれず黒尾が酸素を求めて口を開くと、まるでそれを狙ったかのように夜久の舌が侵入してきた。
 上顎の裏に舌先を押し当てるように撫でられると、思いがけず身体がビクリと跳ねた。絶え間なく背筋から沸き上がる劣情を孕んだ違和感から逃れるように、黒尾の指先は夜久の背中に縋る。夜久の片手が黒尾の後頭部に回される感覚があってからは、さらに口づけは激しさを増した。
 やばい。頭がぼんやりしてきた。生ぬるい感触で黒尾の口内が徐々に塗りつぶされていく。何度夜久の背にかけた指に力を入れたかわからない。
 もう触れていない部分はないのではないか、と思うほどに蹂躙された頃、夜久がゆっくりと唇を引いた。黒尾もその動作につられるようにゆっくりと瞳を開けた。知らぬ間に溜まっていたらしい生理的な潤みで黒尾の視界は僅かに歪んでいる。それでも夜久がこちらをじっと見下ろしいていることはわかった。
「……かわいい」
 大男に向かってなにを言ってるのだろうか、こいつは。可愛くない、と否定の言葉を口にしたはずだけれど、正直そのときの記憶は曖昧だ。もしかしたら上手く舌が回っていなかったかもしれない。
 夜久は黒尾の額にキスをすると、そのまま首筋にまで唇を落としていく。そして、何度もそこに口づけを落とした。
「鉄朗……」
 夜久が熱の篭った声で名前を呼ぶ。これはなかなかに効いた。互いのことを下の名前で呼ぶのはベッドのなかだけのこと。そんな前提条件があるので、その呼び名で呼ばれると、脳内に性交中のあられもない夜久の姿が思い浮かび、ゾクリと背筋に快感が走る。黒尾の耳裏をなぞりながら、はぁっとうっとりするような溜息を吐く夜久。それに肌をくすぐられた黒尾が直接的に感じた快に対して思わず喉奥から押し殺した声を漏らすと、夜久は驚いたようにビクリとして頬を真っ赤に染めた。
 いや今のはお前が悪い、お前が色っぽすぎるのが悪いんだ。黒尾はやけに悩ましい吐息を漏らしてしまった理由を目の前にいる夜久のせいにする。そうでなければ、この羞恥に耐えられるはずもなかった。
 夜久が黒尾の下着を脱がせるときなども、彼があまりの恥ずかしさに涙目になっているので、なんだかこちらがイケナイことをしている気分になった。腰の奥に重い疼きが生まれ、熱に浮かされ思考は徐々にぼんやりとしてくる。目の前の彼が可愛くてたまらない、という感情だけが何度も脳内をよぎった。
 下着を脱がせてしまえば、ようやく夜久も踏ん切りが着いたのか、先ほどよりも動きが大胆になっていく。
「……っ」
 性器に触れられて黒尾が思わず息を詰めれると、夜久が満足げに同じところに触れた。そして、じぃっとそれを見つめていた夜久が、それをパクリとくわえた。
「ん、」
 今度こそ変な声が出た。思わず真っ赤になる黒尾を見て、夜久はくわえたまま、嬉しそうに目元を綻ばす。夜久の口だけでは、黒尾の性器を全て含むことができるわけもなく、夜久は両手も使って奉仕をした。黒尾と夜久だってそれなりに今まで身体を重ねてきたし、このようにフェラだってしてもらったこともある。その証拠に夜久は自分が覚えている黒尾の気持ち良いところを的確に責めてくる。しかし、いくら行為を繰り返したとしても、その表情に余裕は見られなくて、必死で黒尾のものを高めようとしている姿は視覚的にも黒尾を煽った。口に含みながら夜久のほうも感じているのか、下着が僅かに膨らんでいるのが見えるのもまた目に毒であった。
 今すぐにでもその下着に手を差し込んで、彼の甘ったるい声を聴きたいと思ったが、先ほど安請け合いした約束がそれを阻む。
 仕方なく黒尾はふわふわと揺れている胡桃色の髪に手を伸ばした。夜久はくわえたままこちらを一瞥したが、なにも言わなかった。どうやらここに触れるのは良いらしい。
 何度も撫でていると、不意に夜久が上目遣いでこちらを見て、気持ち良い? と訊いた。頷いて返事をすれば、夜久は嬉しそうに再びそれを口内に含む。その光景だけで十分に扇状的なのに、それに加えて夜久が懸命に舌で舐めてみたり、頬をすぼめて吸い上げてみたりするものだから、黒尾は自分の鼓動がどんどん早鐘を打ち始めていることに気づいていた。
 今日の夜久はやけに積極的だ。黒尾が息をゆっくりと吐き出しながらその快感を受け流そうとしていると、そんな黒尾を見て取ったのか、夜久が遠慮なく責め立て始める。
「ぁ、やく……そんな急にしたら……っ!」
 切羽詰まった黒尾が声を上げて制止を求めるが、勿論夜久が聞く耳を持つはずもなく、黒尾はじりじりと高められていく。夜久が先端にキスをしたときには、再び情けない声が漏れてしまった。こんな自分より遙かに大きい男の可愛らしくもない喘ぎ声を聞いたところで嬉しくなんてないはずなのに、夜久はひどく満足げだった。
「てつろー、可愛い」
 先ほどから薄々感じていたが、どうやら夜久と自分の間には認識の差があるらしい。もう黒尾に先ほどまでの余裕はもうなかった。早くこの快感を吐き出してしまいたい。その気持ちでいっぱいだった。
「もり、すけっ、でるから……顔離して……っ」
 黒尾が夜久を離そうとするが、いつもならばあっさり離れる夜久は何故か口を離そうとしない。それどころか鈴口をじゅるりと吸い上げた。
「……っっ!!!」
 目の前を星が散り、弾け飛ぶ。目の裏でチカチカと残像が揺れていた。
 夜久の口のなかへ全てを吐き出してしまったことに気がついたのはそれから数秒が経ったのちのことだった。さらにそれを夜久が全部飲み込んだことに気づいたのは、そのまた数秒後のことであった。
「なぁ、気持ち良かった……?」
 そう訊ねる夜久に向かって、声を出す余裕もなかった黒尾が首だけで返事をすれば、彼の瞳の奥がぎらりと怪しい光を放つ。しかし、黒尾は射精後で僅かに弾んだままの息を整えようと必死だったので、その光を見ることはなかった。
 せめてこのときに異変に気がついていればどうにかなったかもしれないのに。その十分後、黒尾はそのことを後悔をせずにはいられないのだった。



 そして、冒頭に戻る。
「おまっ、どこ舐めてんの……っ」
 大きく脚を広げられ、再び下肢に感じる濡れた感触は、先ほどの感覚が嘘ではなかったことを裏付ける。ひっ、と思わず声が裏返った。
「だって解さないとお前がしんどいだろ」
 黒尾の片脚を高く上げさせたまま、さも当たり前のように夜久はその間から顔を出す。さすがにこれは視覚的に何かくるものがあるのでやめて欲しい。
 その唇が濡れているのを見て、この数十分間を振り返った黒尾は、その直後でそれを激しく後悔する。黒尾はいつも自分が夜久にしていることをすっかり棚に上げ、己の痴態を思い出し、羞恥に震えそうになるのを耐えようと必死だった。そのせいで夜久の言葉を理解するのが遅れた。しかし、常より時間はかかったものの、脳は夜久の言葉をきちんと理解してくれた。そして、さっと黒尾の顔が強ばった。
「は、え、ちょっと待って。俺、お前に突っ込まれるの?」
 そんなの聞いてないと目を白黒させれば、男に二言はないんだろ? とジトリとした視線が送られる。
「い、言ったけど……」
「じゃあ今日は俺が黒尾を抱くから」
 元々の性格が男前な彼は、やると決めたら絶対に考えを曲げない。そして、それは今もそうであるらしかった。
「で、でもやっくん?」
 恋人が自分を抱きたいと言ってくれているのだ。それは性別を越えて愛情を向けてくれていることの何よりの証であるし、同じ男である以上その欲求もまた非常に理解ができた。しかし同時に、心の準備というものがあるのではないだろうか、と怖じ気付いてしまうのも仕方ないと思いたい。
「それとも鉄朗は俺に抱かれるの嫌?」
 黒尾がぐるぐると思考を巡らせていると、夜久はそれを拒絶と受け取ったのか、ひどく切なそうに眉を下げる。あぁ、これは狡い。こうやって夜久に甘えられることが、黒尾は一番弱いのに。
「衛輔なら……嫌じゃない、」
 そう正直に言えば、夜久がガバリと視線を上げ、黒尾をじっと見つめる。その熱い視線にいたたまれなくなって、黒尾はそっと目を逸らした。
「大丈夫、がんばって気持ちよくするから」
 そう言って夜久は再び瞳の奥に情欲をチラつかせる。いつも情事中に見せる蕩けるような表情ではなく、まるで捕食者のような雄の顔を覗かせている。そんな顔できるのか、と驚くと同時に、今までにも何度かその瞳を見たことがあるような気がするのも確かであった。
「ダメ、か?」
 だめ押しの一言。徐々に黒尾の意識がはっきりしてくるなか、夜久は首を少しだけ左に傾けた角度でじっと顔を覗き込んできた。至近距離で茶色の目と視線を重なり、アーモンド形の釣り目にはくっきりと自分の姿が映っている。不思議な色合いをした夜久の瞳は、その暗闇のなかで猫の目のように光っているように思われた。
 こうなれば、惚れた弱みだ。
 黒尾はその瞳に囚われたようにコクリと頷く他なかった。

「んん、」
 初めて使われるその場所の出入り口を夜久の舌が何度も往復する。入り口の皮膚がふやけてしまうのではないかと思うぐらい丁寧な愛撫である。夜久は最初の宣言通り、黒尾を気持ち良くさせたいらしい。
 けれども、そろそろ黒尾も限界だった。最初は違和感しかなかったくせに、今は何故か奥がむず痒く思われるのだ。焦れったい。もどかしい。そんな感情が黒尾のなかで沸き上がっていた。時々夜久の吐息がふわりと掛かる。そのたびにビクッと肌を揺らしてしまい、足下のシーツを蹴ってしまわないようにするのだけで精一杯だった。それに先ほど偶然脚が触れた夜久の下肢のものの硬さから言っても、そろそろ彼だって限界であるはずだ。
「衛輔、」
 口を開いた瞬間に変な声が漏れてしまわないように、細心の注意を払って唇を動かす。夜久はすぐに反応し、ん? と黒尾を見上げた。
「もう解さなくてもダイジョーブだから……」
 黒尾自身でもわかるくらいそこは柔らかくなっている。夜久が舌と指を離した今だって、濡れたなかが小さく口を開けているのが何となくわかる。
「きつかったら言って」
 夜久は汗で張り付いていた黒尾の髪を掻き上げる。前髪が後ろに撫でつけられ、視界が広くなった。勿論、夜久の顔もよく見えるようになった。
 夜久は思ったよりも穏やかで優しい顔つきをしていた。その顔を見ていると、なんだか言いようもない愛おしさがこみ上げる。
「好きだ、」
 気がつけばそう言っていた。夜久は驚いたようだったけれども、すぐに俺も、と微笑みを返してくれる。なんだか今日の夜久は可愛いだけでなく、いつもよりもかっこよく見えるから、その笑顔は本当に心臓に悪い。
 夜久が下着を取り払うと、見慣れたものが現れる。いつものように手を伸ばそうとしたけれど、やはりそれは阻まれてしまった。
「一緒に気持ち良くなりたいから、な……?」
 夜久が言い聞かせるように優しく手を掴む。いつも何気なく自分が言っている台詞も、彼が言えばこんなに破壊力があるのか、と黒尾は眩暈を覚えた。そして、黒尾が馬鹿になりかけた思考回路をそのままにぼんやりと頷くと、彼がくしゃっと笑って、それから鼻先にキスをされた。
 勃ち上がったそれはいつものことながら甘そうな蜜を垂らしている。夜久はそこに透明のローションを足して馴染ませる。まるでオナニーをしているかのような図に、黒尾は喉奥で濡れた音を鳴らす。それに夜久も気づいたのだろう。ニヤリと不敵な笑みを送ってみせた。
 いざ挿入となり、夜久との初セックスのときの苦労を思い返して、黒尾は僅かに身体を強ばらせたが、その体格差のおかげか、思ったよりもスムーズにことが進む。すっかり根本まで埋め込まれると、つい二人して顔を見合わせてしまった。
「うわぁ、すっげぇエロい顔してる……」
 夜久が恍惚とした表情で見つめてくるが、お前も大概だと言いたい。その表情を見ているだけで、散々解されたそこが柔らかくうねった。
「ばっ、てつろ……!」
 それはダイレクトに彼にも伝わったみたいで、彼は真っ赤にして黒尾を睨んだ。さらには身体に埋め込まれた夜久のものまでも体積を増すものだから、黒尾は痙攣するように四肢を引き攣らせ、こちらも歯を食いしばる。
「でも、今のはお前が悪っ……っっ!?」
 黒尾が非難の言葉を浴びせる間もなく、今度は夜久が動き始めた。
「もっ、待って、待てって……ッ」
 黒尾は意味もなく制止をかけるが、それが自分の本心ではないことがわかっていた。思わずぎゅっと目を瞑り、感じたことのない内側からの快感に耐えようとする。
 夜久だって初めてセックスをした頃は苦しそうだったのに、自分は最初から快を拾ってしまっている。そのことも黒尾の羞恥を高め、それはさらなる劣情を生み出す。
「ん、ぁ、ッッ……!」
 快感を与えられた身体は弛緩し、揺すぶられるたび、緩く開いた唇からは譫言のような母音が意味もなく漏れた。
 怖い。知らない感覚に自分の理性が全て持って行かれてしまいそうだ。
「も、りすけ……んぐッ」
 ふらふらと縋るように手を伸ばせば、その手は夜久の指に拾われた。そこでようやくその手の温かさに安心して、うっすらと目を開くことができた。
「てつ、ろ……」
 眉頭を寄せ、切なげに名前を呼ばれる。また自分の奥が大きく収縮した気がする。前のものも気づかない間に勃ち上がっていた。それは自分の腹で擦られ、たまに脳天を貫くような快感が身体全体にも走る。
 先ほど疼いて仕方なかった部分を夜久のものがグリリと抉る。ひっ、と息を飲んだ声色でさえも、ベッドの軋む音と荒い呼吸音に打ち消される。黒尾は、酸素を求めて口を開く。そこに口づけをされ、今度は呼吸を奪われる。けれども、苦しさ以上に幸福感が満ちた。
 そして、何よりも黒尾を煽ったのは、あの夜久が悩ましげな表情を浮かべ、腰を揺らしている姿だ。自分で気持ち良くなってくれていることが嬉しくてたまらない。いつも主導権を握っていた自分が彼にみっともなく喘がされていることにかなりの羞恥はあるものの、こんなにも求めてもらえるのならば、これも良いかもしれないと思い始める。不規則な律動を刻みながら、夜久は黒尾の肩や鎖骨に噛みつく。小さな犬歯で噛みつかれれば、痛さはほとんど感じず、むしろ焦れったい快感がじゅわりと広がった。時折皮膚の薄い部分を引っ張られるような感覚があるから、どうやら首筋にもたくさんの痕を残しているようだ。昔からヤキモチも焼かなければ、束縛もしようとしない。そんな彼が自分に所有印とも言えるものを数多く残していることに黒尾は決して小さくはない悦びを覚えた。
 黒尾の高ぶりに比例するように夜久も高みに上りつめていく。最初は黒尾の身体を気遣うようにゆっくりとしたリズムで動いていたそれが、徐々に夜久自身の快を追うものへと変化していくようだ。そして、その激しさによって、黒尾も否応なく官能を享受していく。荒ぶる波のようにそれは押し寄せ、その波に重なるようにさらに大きな波が身体を覆っていく。
「っ、ぁ、……んんんッッ、ぁぁああ」
 誰かの声が遠くで聞こえる。やけに艶めかしい吐息を漏らしている。それが自分の声だと気づいたとき、夜久が不意に動きを止めた。どうしてか、と視線を夜久に送ろうとすると、自分のなかにドクドクと熱いものが注ぎ込まれるのを感じた。夜久が黒尾のなかに全てを注ぎ込んでいると、それにつられるようにして黒尾もまた未だねっとりとした白濁液を腹の上に撒き散らした。
 腹に散ったそれは、放射状の華を描いていた。


 ※※※


「もりすけ……」
 まだなかに入ったままぐったりと黒尾の胸元に頬を預ける夜久の名前を呼ぶ。射精で脳内のもやは払われたものの、身体の奥にじわりと残っている快感をすぐには拭えそうにもなかった。
「ん、ごめん、」
 夜久がゆっくりと抜け出すと、栓を失ったそこからどろどろとした液体が出てきて、それは腿を伝った。きっと白い筋が出来ているはずだ。
 夜久はそのまま力尽きたのか、クタリと黒尾に体重を預ける。黒尾も同じく疲労感がたまっていた。互いに慣れないことをするとこんなにも身体が重く感じるらしい。
 だがしかし、黒尾にはまだやらねばならぬことがある。
「なぁ、やっくん〜」
 背中に手を回し、彼の肩口に顔を埋める。
「んー、なにー」
 返ってきた言葉は少しだけ気怠そうで、それが非常に色っぽいと思った。
「すごく気持ち良かった」
「そういうこと今、言う!?」
「……今以外いつ言うんだよ」
「でもさぁ……!」
 恥ずかしそうに黒尾の胸にうずくまっている彼は、先までゾクリとするような視線をこちらに向けていた人物と同じ人には見えない。
「ねぇ、衛輔」
 その言葉を遮って、低い声で囁く。
「最後までは手を出さないって約束したよな?」
「うん?」
 黒尾の意味深な言い回しに夜久は首を傾げつつも頷く。
「ってことはもう手を出してもいいんだよな?」
「はっ?」
 不穏な空気を察した夜久がさっと身体を起こし、黒尾の身体の両側に手をついた。黒尾もゆっくりと上体を起こして、彼の顔に近付いた。
「……健気な恋人にはお返ししなきゃなって」
 そして、耳元で囁く。咄嗟に逃げようとする彼の腰を掴み、そっと身体を寄せることも忘れなかった。
「無理! もう勃たねぇし、出るもんもねぇよ」
 夜久は口元を引き攣らせてそう言うが、黒尾のほうはすでに臨戦態勢である。
「ふーん、勃ったらいいんだ……」
「誰もそんなこと……!」
 言ってない、という言葉は飲み込んで口を塞いだ。口内の粘膜を全て蹂躙するかのようなキスをし、彼の気がキスに向いたところで不利な形勢を逆転させた。そして、彼の身体の力がふっと抜けた頃合いを見計らって上半身をそっと押し倒す。
「ぁ、」
 夜久が惚けたまま、小さく声を漏らす。すっかり大人しくなった子犬は、無防備に口を開いたままだ。その頬に手を伸ばすと、敏感な彼は大きく身体を跳ねさせた。
 手始めに彼のお気に入りであるらしい首元や耳を愛でてやろうではないか。
 黒尾は、先ほどまでとはまた違う快感が、ゾクリゾクリと背筋を駆け上るのを感じていた。どうやら琥珀の瞳の奥で飢えた獣が舌なめずりをしているようだ。

【end】


- ナノ -