不器用な二人の話


ツイッターで黒夜久でクレーンゲームというお題をいただいて書いたものです。



 都内某所。たくさんの学生で賑わう店内には、フライドポテト特有とも言える油の香りが漂っている。その端に陣取るは、制服が異なる二人の高校生。片方はアシンメトリーな黒髪の男で、もう一人は銀髪の毛を器用に逆立てていた。長身やその他特徴的な容姿が相まってやけに目立つこの二人組は、まるで人目を避けるように観葉植物近くの座席を確保していた。
「クレーンゲームってさ、」
「……うん」
 黒髪の男――黒尾鉄朗――は、ストローの先を前歯で噛み潰すと、ため息とともに言葉を紡ぐ。出来立てのポテトを摘みながらそれに返事をするのは、近くの私立梟谷学園に通う木兎光太郎だった。
「よっしゃ取れたと思ってもさ、いざ持ち上げようとしたら、アームの隙間からするっと落ちていくんだよな」
 黒尾がもう一度大きなため息をつく。それはもう悲壮感たっぷりに。
「……もしかして、俺は黒尾のクレーンゲームの話を聞くためだけにこうして呼び出されたわけ?」
 ありえねぇ、と木兎が天を仰ぐ。この男は既にハンバーガーセットをおごるという黒尾の一言に釣られてついてきてしまったことを後悔しつつあるようだった。そもそも黒尾がおごると自分から言い出した時点で、何かがおかしいと勘付くべきであったのだ。しかし、ここで逃げてもらうわけにはいかない。彼を捕まえるために黒尾は貴重な五百円を犠牲にしたのだから。
「本題はこれからだ、馬鹿」
「バカって言う方がバカだからな!」
 黒尾は、この台詞どっかで聞いたなぁと思い、少し考えた後で、自分がこんなに悩んでいる理由とも言うべき人間の名前を思い出した。
「夜久……」
「いや、俺は木兎だぞ」
 そんなことは言われなくてもわかっている。黒尾はもう一度ため息を零した。
 黒尾がこうして木兎を呼び出したのは理由があった。
 それはつい数週間前に気持ちを通い合わせたばかりの恋人のことだった。夜久衛輔ーー。一年もの片想いと猛烈なアタックの末、先日ようやくその気持ちを手に入れたのだ。手を繋ぐだけでも真っ赤になる夜久はとても可愛いし、彼なりに黒尾に誠意を尽くそうとしてくれていることが行動の端々から汲み取れて、黒尾はこの数週間幸せでいっぱいだった。勿論、今も幸せであることに変わりはない。恋人の好きなところは? と聞かれれば、いくつでも答えられる自信があったし、それを態度にも示しているつもりでもあった。
 ただ、この二人に一つだけ問題があるとすれば、それは友人の期間が長すぎたということだ。黒尾にとって夜久が友人以上の存在であることは今も一年前からも同じことなのだが、夜久の方は違う。黒尾が時間をかけて、つい最近落とすことに成功したばかりなのだ。ゆえに夜久はまだ黒尾に対して恥じらいが多く残っている。つい最近まで友人だと思っていた相手が今日から恋人です、と言われてもすぐに対応出来ないのは当然であるから、黒尾だってある程度は覚悟していた。けれども、夜久はそれらの予想を良い意味でも悪い意味でも裏切った。良い点としては、今まで見ることのなかったいじらしい彼の姿を見られたところだ。悪い点としては、端的に言うとなかなか甘い雰囲気にならないのだ。
 付き合ったその日に手を繋ぐところまでは漕ぎ着けた。それから三日が経った日、二人っきりの時に少し抱き締めてみた。いずれも夜久は少しも抵抗しなかったし、腕の中で恥ずかしそうに震える夜久が可愛かったのは言うまでもない。しかし、あれから二週間。黒尾はそれ以上のことができないでいた。手を繋ぐだけで卒倒しそうなほど真っ赤になっていた彼に、抱き締めただけで羞恥によって身を震わせていた彼に、それ以上のことができようか。ましてや、恋人らしくキスなんてできるはずもなかった。それだけならまだしも、問題はまだあった。こちらは黒尾自身の問題ではなく、夜久本人の問題によるところが大きいだろう。キスをするような甘い雰囲気になるたび、夜久は理由を付けて黒尾から逃げ続けたのだ。
 以上が、黒尾がクレーンゲームの話をし始めた所以だ。ようやく手に入れたと思ったのに、あと一歩のところでするりと逃げていってしまう。手に入らないーー。
「なぁ、どうやったら夜久とキスできるんだろ……」
「はぁ? 夜久ってお前んとこのリベロくん?」
「そ、夜久衛輔」
「え、お前等付き合ってんの?」
「声がでけぇよ」
「何、お前実はヘタレなの。なんかその日に手を出しそうなのに」
「うるせぇな。大事にしてるの」
「でもキスしたいんだろ」
 あけすけと言ってのける彼を睨みつけると、おぉ怖いと言われる。が、明らかにその口元は緩んでいるし、目はランランと輝いている。
「意外と可愛いところもあるじゃないですか、黒尾クン」
 まだ何か余計な口を開こうとしている木兎の言葉を遮ったのは、彼の携帯がメールの着信を告げる音だった。
「あ、赤葦だ」
 その次の瞬間、黒尾の携帯も同じくメールの着信を告げる。振動が三回、これは夜久からだ。黒尾もメールを読むためにパスワードロックを解除する。その隣で木兎はメールを読むなり慌てたように帰り支度を始めた。
「え、お前何か用事できたの?」
「お、おう。ちょっと急用が……」
 明らかに怪しいことこの上ないが、黒尾の方だって夜久からのメールに気を取られていることも事実である。五百円で呼びつけた木兎と夜久を天秤にかけた場合、勝者は間違いなく夜久だ。だから引き止めるつもりなんてさらさらなかったのに、木兎は言い訳のように言葉を続けた。しかし、その言葉がまずかった。
「ほ、ほら、今から夜久くん来るんだろ?」
「なんで木兎がそのこと知ってんだ?」
 黒尾は思わず怪訝な顔をする。それに木兎は動揺も隠せないまま、「赤葦……!」と言った。
「はぁ? アンタんとこの副主将くんがどうして夜久のこと知ってるんだよ」
 黒尾は自分の声色に嫉妬のが混じるのを感じた。どこまでも自分は嫉妬深いようだ。
「違う、違う。赤葦が迎えに来たから俺もうこれで帰るな……!」
 そんな黒尾に対して、木兎は明らかに挙動不審のままでガラス張りの外を指さす。黒尾がその先を見つめると、彼の言う通りそこには赤葦京治の姿があった。そして、その隣には何故か緊張した面持ちの夜久がいた。
「夜久!?」
 黒尾が驚きに目を見開くと、夜久はへへっと笑って頭を後ろをかいた。
 その後、木兎と入れ替わる形で店内に入ってきた夜久は、やはり少し緊張しているような様子だった。どうして急に会いたいなどとメールしてきたのか、どうして赤葦と一緒だったのか、聞きたいことは山ほどあったけれども、なんとなく聞くことは憚られた。
「夜久、」
 名前を呼ぶとビクリと肩を揺らす。
「ここ人多いし、俺の家でも来るか?」
 なんとなくここは落ち着かない。それにここからなら夜久の家よりも自宅の方が近いだろう、という判断のもとだ。決して邪な思いがあったわけではなかった。
 夜久はそれこそとても驚いた顔をしていたが、黒尾の言葉に頷いた。

「えっとお邪魔しますー」
「あ、今日誰もいないんだわ」
「あ、そうなのか」
 もう一度言おう、断じて邪な気持ちなどない。家族が揃って外出しているのはたまたまだった。
 夜久がこの家に来るのは初めてではなかったので、先に二階の部屋に上がってもらうことにして、黒尾は台所でグラスにオレンジジュースを入れた。夜久が黒尾家に来た時はいつもこれだ。
 黒尾が部屋に上がると、夜久は部屋の中央にあるテーブルの前でちょこんと正座をしていた。正直、すごく可愛い。なんか小さい。
 さすがに今思ったことを口にするのはやめておいて、「お待たせ」とだけ言って、テーブルの上に飲み物を置いた。
「さんきゅ」
「ん、どーいたしましてー」
 オレンジジュースを一口飲む。夜久もそれに習う。すると、不意に夜久が黒尾の目元に視線を送ってきた。
「どうした?」
 オレンジジュースを脇に避け、夜久を見下ろす。
「えっとまつげが、ついてるから」
「マジで」
 気がつかなかった。黒尾が目元を擦ろうとすると、その手を夜久が止めた。
「す、すぐ取るから目瞑っとけ」
「悪いな、ありがと」
 そう言って黒尾は素直に目を閉じる。
夜久がグラスをテーブル置いた音がした。しかし、夜久が目元に触れる気配はない。不思議に思った黒尾は、まだか?
 と問いかける。すると、夜久はまたしても言葉を噛みながらまだだと言う。視線だけは感じるからすごくドキドキしてしまう。
 黒尾の緊張がピークに達しそうになった時、衣擦れの音がして夜久が動くのがわかった。てっきり目元に触れると思っていた手は頬に当たっている。それでも黒尾は大人しくしていた。
「ぜってぇ目開けんなよ」
「へいへい」
 何故か今さら念を押す夜久に対して適当な返事をするが、内心は手が触れているところから自分の頬の熱さがバレてしまうのではないかとひどく焦っていた。思ったよりも冷たい手は、その場所から少しも動かない。
 そして――。
「え?」
 湿った感触に黒尾は思わず目を開く。
「わ、こら。目閉じてろよ!」
 視界がひらけた途端、目に入ったのは、真っ赤な顔をしている夜久の姿。
「え、今のって、え?」
 ぷしゅーと音がしそうなほど真っ赤になった夜久は、黒尾の胸元に崩れ落ちる。すぐ下でもみじ色の耳がちらりと見えていた。
「キスだ、ばか」
「で、ですよね」
 まさか彼の方からしてもらえるとは。黒尾はほぼ無意識のうちに唇が触れた部分を指でなぞる。そこで今日1日の様々な出来事が黒尾の中で一つに繋がった。
「もしかして赤葦と会ってたのはこのことを相談するため?」
「……そうだよ、悪いか」
 ムスッと膨れたまま、顔だけをこちらに向ける夜久。そのふくれっ面に向かって、大きく首を横に振る。そして、もう一回だけしてよ、と強請った。
「一回と言わず何度でも」
 やっぱりちょっとだけ怒ったように、でもそれ以上にすごく嬉しそうな表情で言う彼は世界で一番可愛い。疑いようもない事実だ。
 どうやらもどかしい想いを抱えていたのは、黒尾だけではなかったらしい。なんだ、彼も一緒だったのか、と黒尾は緩やかにその口角を上げたのだった。

【end】

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