愛しい茶猫の落とし方


――可愛い可愛い猫ちゃんを自分のものにしたいと思いませんか。

 黒尾には、片想いの相手がいました。しかし、この彼がかなり手強い子猫ちゃんでありまして、なかなかなついてくれないのです。黒尾は考えました。三日三晩寝ないで考えました。そして思いついたのです。とても簡単なことでした。なついてくれないのなら、なついてもらえるように頑張れば良いのです。

□First step 優しくしてあげましょう

 黒尾はチラリと隣の席の夜久を見る。彼はどうやら何かを探しているようだ。先ほどから唸りながら鞄の中を漁ったり、机の中身を全て出してみたりしてる。
「夜久、忘れ物か?」
 次の古典の授業で使う教科書を忘れてしまったのだろう。黒尾はそう予想していた。
「ん、古典の教科書を置いてきちまったみたい」
 思った通りだった。国語系の授業は教科書がなければ話にならない。黒尾は黙って自分の机を動かし、隣の夜久の机とくっつけた。
「え?」
 もちろんだが、夜久は不思議そうに見つめるだけだ。大きく丸められた瞳は、キャラメル色をしていてあめ玉のようにおいしそうだと思った。
「教科書、一緒に見ればいいだろ?」
 さも当たり前のように黒尾は言う。
「え、いいの。でも黒尾が使いづらいだろ?」
「いいのいいの。な?」
 なだめるように言えば、夜久も遠慮ができなくなるのを知っている。黒尾の予想通り、夜久は少し困ったように視線を彷徨わせてからこくんと頷いた。


□Second step 世界で一つだけのあだ名をつけてあげましょう

「なぁ、やっくん」
 そう言いながら隣の席に座る彼の机を人差し指でトントンと二回叩いた。しかし、返事はない。
「やっくん、やっくん」
 今度はずるずると椅子を引きずって、彼の隣へ移動して、もう一度名前を呼んだ。けれども、やはり返事はない。
「なぁやっくんってば、やっくんー」
 そう言って椅子に浅く腰掛け、彼の左肩に頭を預ける。夜久の肩が少しだけビクリと揺れた。
「やっくんー」
 そのままの体勢でもう一度呼んでみた。
「なんだよ、もう! くっついてくんな!」
「やっと返事してくれた」
 よし、今日から彼はやっくんだ。そう呼んでいいのはこの世界で黒尾だけ。


□Third step 餌付けをしてみましょう

 テスト前日はどちらかの部屋で一緒に勉強することが一年生の時からの習慣で、それは三年生になった今も変わらず続けられている。ちなみに今日は黒尾の部屋である。
「やっくん、新発売のチョコレートあるんだけどいる?」
 そう問いかけて、昨日のうちに買っておいたチョコレートを鞄から取り出す。生チョコ風味のこれは冬限定のもので、夜久の好物でもある。しかもこのミルクティー味は新商品だ。
「マジで! それ食べたかったんだよな」
 夜久は明らかに目をきらきらとさせてそれを見つめていた。箱を開け、個包装されたそれを一つだけ取り出す。黒尾がその包装を破りチョコレートを指先で摘むと、夜久はその行動に対して首を傾げた。
「あーんして」
「やだよ」
 その言葉でようやく黒尾がしようとしたことを理解したようだ。眉をひそめて心底嫌そうな顔をする。けれども、こちらだって譲るつもりはない。
「あーんしない悪い子にはあげません」
 そう言えば、夜久がうっと声を詰まらせる。食べたいけれども、口を開けることには抵抗がある。きっと夜久の心はチョコレートと男としてのプライドを天秤にかけて揺れているのだろう。黒尾はチョコレートの勝利を確信していた。
 しばらくして、唸っていた夜久だが、覚悟を決めたように顔を上げた。
「仕方ないな……」
「そうこなくっちゃ。はい、あーん」
 黒尾の声につられてあーんなんて言っちゃっている夜久は最高に可愛い。
「……」
「どう?」
「……おいしいです」
 真っ赤なほっぺをした猫がこちらに落ちてくるまでは後もう少し。

□Fourth step 頭を撫でてあげましょう

 今日の体育はサッカーだった。
「黒尾!」
 夜久がゴール前にいる黒尾を呼ぶ。黒尾がそれに答えると、綺麗なパスが回ってくる。そして、黒尾は思い切りゴールへとボールを蹴った。それはゴールキーパーの手をすり抜け、ポストに入った。その時、試合終了のホイッスルが鳴った。黒尾のチームの勝利だった。
「やっくん、やったな!」
「おう、お前のシュートのおかげだよ」
「何言ってんの、やっくんのパスのおかげだよ。ありがとな」
 そう言ってガシガシと頭を乱暴に撫でた。最初は撫でるふりをしてたけど、少し癖のある栗毛が気持ちよくて、途中からついふわふわと撫でてしまう。
「いつまで撫でてるんだよ」
 そう言って睨みつけてきた茶猫にごめんと微笑んだ。そして、綺麗な色の茶髪にぽんぽんと二回だけ触れて、秘密のおまじないをかけた。

□Fihth Step 大好きだよ、と伝えてみましょう

「やっくん、大好きだよ」
 自習の時間にそっと囁きかける。今日はわざと教科書を忘れたから、机をくっつけているため、こうした夜久とおしゃべりもし放題なのだ。
「俺は好きじゃない」
 夜久はプリントから目を離さずに答える。さらさらと動いているシャーペンも相変わらずだ。
「でも俺はすごい好き」
 机の下で太股に触れれば、その手をパシリと叩かれた。
「黙れ、バカ尾」
 けれども、耳が真っ赤だからこの乱暴な言葉も仕草も全部照れ隠しなのだろう。シャーペンを持つ手も止まってしまっている。
「やっくんが好きって言ってくれたら黙る」
 わざと耳に息を吹きかけつつ囁けば、さすがにいたたまれなくなったのか、夜久がシャーペンを落とした。いよいよ顔中が真っ赤だ。あぁ、可愛い。
「あーはいはい、好きだよ。これで満足か」
「おう、じゃあ両想いだな」
 そう言って至近距離で微笑めば、ふいっと逸らされる瞳。机の下で握った左手が払われることはなかった。







 いかがでしょう。
 可愛い可愛い猫ちゃんは貴方だけの猫ちゃんになりましたか?

【end】

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