#2


 今シーズン最低気温を記録した、と各局のニュースキャスターが報道し始めた頃、黒尾と夜久は既に大学三回生になっていた。今日は黒尾の両親が旅行のため、授業が終わると、夜久は黒尾の家に遊びに来ていた。初秋くらいからゼミや卒論準備等で忙しく、こうしてゆっくりと過ごすのは、夏休み以来のことだったため、口に出して言うわけではないが、互いに今日の逢瀬を楽しみにしていたことは事実だ。
 一緒に夕食をとり、他愛もない会話をして、同じ部屋で眠る。高校時代は毎週のようにしていたそれらの習慣も、生活が変わり、時間に縛られず同じ時を過ごすことが以前よりも難しくなった現在は、とても貴重なひと時のように感じられた。
 湯冷めしないうちに布団に入ろう、と夜久が提案し、いつもより早めにベッドに入った。先にベッドに寝そべった黒尾が一人分のスペースを空け、夜久を呼ぶと、彼は嬉しそうに頬を緩ませて黒尾の側に擦り寄った。
 夜久は、黒尾の髪に顔をぎゅっと埋めて眠るのが好きらしい。二人はいつも向かい合って抱きついて、脚を絡ませながら眠る。高校の時にも、夜久が黒尾家へ泊まりに来た際には、必ず同じベッドで寝ていたものの、さすがに友人同士であった二人が抱き合って眠ることはなかった。これはいわば恋人の特権だ。
 ちなみに研磨が泊まりに来ていた頃から、友人と同じベッドで眠ることが当たり前だと思っていた黒尾であるが、のちのち夜久に「最初はすげぇびっくりした」と言われ、ひどく驚いたことはまた別の話である。ドキドキして眠れなかったんだからな! と怒っている夜久を可愛いと思ったのは、自分だけの秘密にしたいと思う。
「もう寝たか?」
 黒尾の頭を抱き寄せていた夜久に話しかける。
「うん、もう寝てる」
 寝ている、という言葉にはほど遠い明瞭な台詞が返ってきて、黒尾はつい吹き出しそうになった。
「嘘つけ」
 吹き出しそうになるのをなんとか耐えてそう言えば、バレた? と笑いながら答えられる。そんな彼が愛おしくなって、黒尾は夜久の背中に回した腕をぎゅっと強めて、彼をより一層近くで抱き締めた。そうすれば、お揃いのシャンプーの香りがふわふわと鼻孔をくすぐって、何とも言えない幸福感に包まれる。
 目の前でトクトクと規則正しく鳴っている胸音は、彼がリラックスしている何よりもの証だ。付き合い始めたばかりの頃はこんな風に自分に擦り寄ってきてくれることなんてなかったのに、最近では幾分か恋人らしいことをするのにも慣れてきたのか、時々こうして積極的になってくれることもある。黒尾としては今の姿も魅力的だが、以前のように恥じらう様子も比べられないくらい魅力的だと思っていた。つまりは夜久ならば、それは黒尾にとってどんな宝石よりも価値あるものなのだ。
 彼のいじらしい姿を見ていると、少しだけ悪戯をしたくなってしまう。もはやそれは本能というよりは、癖のようなものであろう。黒尾は唇の端を僅かにつり上げつつ、夜久の耳裏にそっと指をすべらせた。
 わざと低めの声で名前を囁きながら、無防備な耳朶に指を這わす。その行為は、二人だけが知っているキスの合図だ。
 ビクリと肩を揺らした夜久の心臓はすでに早鐘を打ち始めていた。きっと桜色に染まっているであろう目尻の甘さを思うだけで、黒尾は心臓をぎゅっと鷲掴みにされるような感覚になるのだった。
 三年経っても彼を想う気持ちが薄れることなんてない。むしろ気持ちはどんどん膨らんでいる。最初は”特別”から始まって、それは”恋”となった。そして時間を経て、”愛おしさ”へと変化していくのだ。
 幸福を共有し合い、黒尾の唇はごく自然に緩やかな弧を描き、軽く響いたリップ音は夜の始まりを告げる。それが外の冷たさを忘れさせるほどに熱く情熱的なものであることは微塵も疑いようもなかった。

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