#1


 黒尾が夜久と付き合い始めたのは、高校を卒業した後のことだった。黒尾にとって、夜久は一年生の頃からずっと特別な存在で、そんな彼に対する自分の気持ちを自覚したのは三年生の時だった。けれども、それはIHの予選が終わった直後のことで、春高という新たな目標に向かっていたチームに歪みを生む可能性もあったため、その気持ちをすぐには伝えることができなかった。
 そして、それから数ヶ月が経過した卒業式の日。黒尾は夜久に告白した。
 男同士だから引かれるであろうということはわかっていた。そもそもチームに歪みを生まないために気持ちを隠していたのなら、部活を引退した直後に告白したって構わなかった。それなのにそうしなかったのは、夜久に嫌悪されるのが怖かったからかもしれない。
 ただ当時の黒尾は、夜久にその気がなかった時に必要以上に彼を悩ますことがないように、という建前で自分を守っていた。だって当たり前だ。友達だと思っていた人間にある日突然告白されれば、それはもしかしたら彼を傷つけるかもしれない。裏切られた、と感じるかもしれない。もしも、二度と会いたくないと彼が願った時、それが可能になるように黒尾はあえてこの別れの日を選んだのだった。
 黒尾と夜久は既に別の大学への進学が決まっている。告白して振られた時、友人関係を続けるか、それとも否か。それは全て夜久自身に委ねようと思っていた。
 夜久が友人関係を望んでくれれば、この気持ちは胸奥に秘めてしまうつもりだった。そうでない場合も、もちろん――。
 黒尾は誰もいない教室で夜久に想いを告げた。机にちょこんと腰掛け、黒尾に微笑みかける夜久の後ろで、やけに太陽が眩しく輝いていたことを記憶している。
 告白の台詞は至極シンプルに「ずっと好きでした」と。
 それ以上に飾り立てた言葉で、自分の気持ちを伝えることなんてできなかった。だっていくら言葉を重ねたって、彼と過ごした三年間もの思い出を語るには、あまりにも役不足すぎるのだ。
 黒尾の告白を受けて、夜久は驚いて声が出ないようだった。元々大きな目を零れんばかりに見開いて、ただ驚愕していた。キョロキョロと茶色の瞳は空中を頼りなく彷徨い、決して視線が交わらない。床から十数センチ上で軌跡を描いていたつま先も、ひたりと動きを止めていた。
 しんと静まり返った教室では、やけに時計の秒針が動く音が響く気がする。窓の外からお調子者の同級生が叫ぶ声も聞こえた。皆、この一生に一度の門出を祝っているのだ。
 徐々に握り締めた手が汗ばみ始め、呼吸も苦しくなる。一年間共に過ごした教室がまるで別の空間のように思われた。
 返事はいらない――。最初はそう言う予定であったし、実際にそうしようとした。けれども、黒尾は寸前でそれを思いとどまった。夜久が何か言おうとしていることがわかったからだ。黒尾は一言も発さず、ただ夜久の言葉を待った。

 五分ほどが経過しただろうか。
 夜久が床へと向けていた顔を上げる。ふわっと軽い仕草で、机から飛び降りる。そして、小さいけれど良く通る声で言った。
「俺も黒尾が好きです」
 あの瞬間、黒尾はまるで世界が大回転したような錯覚に陥った。愛おしい彼が自分と同じ想いを抱いているというのだから、浮き足立つなと言うほうが無理であった。
 黒尾が驚いて瞳を瞬いていると、夜久はさらに言葉を続けた。
「付き合ってください」
 綺麗な角度で曲げられる腰。思わず抱きつきたくなる衝動を抑えて、小さくガッツポーズをした。黒尾は差し出された手を勢いよく握った。そしてどちらともなく笑い合った。
 照れくさそうに笑う彼は、耳を真っ赤にしていた。その表情はそれまでに一度だけ見たことがあった。初めて会ったあの日、彼のレシーブの美しさを褒めた時だ。
 ――あぁ、あの瞬間から自分は夜久に恋をしていたのだ。
 黒尾はようやく気が付いた。
 そして、何があってもこの手を離してたまるか、と誓った。

 あの奇跡のような日からおよそ三年。黒尾達は順調に交際を続けていた。

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