#4 黒猫の魔法


「やく……」
 何度も訪れたことがある部屋。扉を閉めると同時に黒尾の身体が自分に覆いかぶさる。熱っぽい声で名前を呼ばれれば、金縛りにあったかのように身体が動かなくなる。頭の先から爪先まで、何もかも黒尾の思うがままだ。
「はっ、んん」
 カッターシャツの隙間から手を差し込まれて、その手のひらで腰を撫でられると、身体の芯がぐにゃりと溶けた気がした。ふっと力が抜けて身体が傾く。それを黒尾の腕が支え、そのまま扉のすぐ横の壁に押し付けられた。激しいそれらと動作とは反対に、その唇を愛でる口づけは優しい。むしろ優しすぎて頭がおかしくなりそうだ。
 夜久の脚の間に黒尾の膝が入り込んで、口づけはより一層深さを増す。唇を重ね合わせるように何度も何度も角度を変えて触れあう。時折、それらは食むような仕草を混ぜてくる。そのたびに夜久が驚いて身体を跳ねさせれば、唇は少し離れてまた別の角度から責め立てた。
 夜久の好きなところを探しているようだった。何度かそんなついばむようなキスを繰り返していると、今度はぎゅっと閉じたままだった夜久の唇を黒尾の舌が遠慮がちにつつく。夜久は求められていることに気が付いて、そっとその唇を開いた。
 宙ぶらりんのままだった両手を拾われて、黒尾の腰に回される。さらに身体が密着して夜久はあまりの恥ずかしさにいたたまれなくなったが、そんなことを考えていられるのもほんの少しの間だけだった。
「んはぁ……」
 長い間続けられていた口づけの嵐が一瞬だけ止んで、唇が離れた途端、意図せず甘ったるい吐息が漏れた。夜久がはっとして口を覆おうとしたけれど、それは目の前の男の色っぽさにあてられたせいで叶わなかった。
「今のすげぇ良い」
 いつもより低めの掠れ声。たまらないといった風に目を眇めた黒尾が至近距離で囁く。夜久が少しでも身じろぎをすれば、うっかり唇が触れてしまいそうだ。夜久が息をつく間もなく、同じ行為が繰り返される。初めと違うのは、最初から舌がぬるりと侵入してきたことくらいだ。元々わずかに開いていたそこから、黒尾の舌は難なく入り込んでくる。まるで意志を持った生き物のようになめらかな動きを見せるそれは、どこか甘やかすように夜久の粘膜を熱で溶かそうとする。湿った舌同士が絡み合うと、夜久の口端からは溢れた唾液が零れ落ちそうになった。それを器用に舌で掬いあげながら、黒尾はキスを続けた。
 徐々に夜久の呼吸が荒くなり、濡れた吐息が遠慮なく黒尾の唇をとろけさせる。身体中が熱い。特にたくましい腕に支えられた腰や触れ合った唇は、火を噴くのではと思われるほどに熱くて、それが苦しくて仕方なかった。苦しいのに離れたいとは微塵も思わなかった。むしろもっと触れ合いたいと思ったくらい。
 上顎の裏を舌先でなぞられて、今度こそ身体中の力が抜けた。夜久には、一瞬何が起こったのかわからなかった。腰が抜けたのだと理解したときにはすでに自分はふわりと持ち上げられていて、顔のすぐ横に彼のネクタイがあった。お姫様だっこをされた夜久は抵抗できないまま、奥のベッドへ連れて行かれる。そこには座ったこともあるし、昼寝をさせてもらったことだってあるのに、いざ自分の意志とは関係なくそこへ寝かされると自分がひどく無防備に思われた。
 それはすごく、すごく――。
「恥ずかしい?」
 自分の気持ちを代弁したかのような黒尾の言葉に、夜久の頬の熱がブワリと上がっていく。それは黒尾にもわかったようで、唇の右端が満足げにつりあがった。それは夜久がよく知る黒尾の癖の一つ。彼の機嫌が良い印だ。
「ばか……っ」
「そんな迫力のない馬鹿、初めて聞いた」
「う、うるさい!」
 黒尾は少々人を挑発することもあるが、基本的にはすごく人あたりが良い。特に初対面の人間には。だから初めて会う人間にも自然な笑顔を絶やさない。けれども、黒尾が心から笑っているときの笑顔とは少し違う。
 目をくしゃっと細めて笑うあの顔が夜久は一番好きだった。まさに今、その表情をしていた。
「はいはい」
 黒尾がさりげない仕草でセーターを脱ぎ、そのまましゅるりとネクタイを外す。あまりに自然なその動作に夜久がつい見惚れていると、その手が今度は自分の首元にかけられた。
「やめるなら今のうちだけどどうする?」
「つかやっぱ俺が下なんだ」
「お前が上がいいなら代わる」
「ううん、黒尾が抱いて」
 体格的にもそのほうがやりやすいだろう。自分は、その、少しばかり身長が低めだから。彼に比べると。
「なんつーか、お前って変なところで男前だよな」
 それどういう意味? と眉をひそめ問い詰めようとしたが、それを見越していたらしい黒尾に首元を舐められて、その言葉はひゅっと鳴った喉の奥へと消えて行った。
 ネクタイを外す音がやけに夜久の耳をくすぐった。いつも自分でしていることだからこそなのか、他人にそれをされるとすごくむず痒い気持ちになる。わざとなのかはわからないが、時折ワイシャツ越しに触れる指にもひどく心を乱された。鼻の奥から空気が抜けて変な声が出そうになるのを懸命に耐えた。
 ネクタイが外されれば、次は言わずもがなボタンに手がかけられる。ゆっくりと、けれども確実にそれを外していく彼の指。思ったよりも黒尾の顔が近くて、夜久は少しでもそこから離れようと顔を右側にそらしていた。それでも視界の端に彼の顔は映るし、何よりも互いの吐息が聞こえそうなほど顔を寄せられている。夜久は激しく打ち鳴らされる胸の鼓動を感じつつ、身をこわばらせるほかなかった。
 シャツ越しに感じる指先の熱が恋しくて早く素肌に触れてほしいと思う一方で、恥ずかしいからこのまま一生ボタンが外れなければ良いのに、という相反する不思議な感情にさいなまれた。
 夜久の思いも露知らず、やがて黒尾が全てのボタンを外し終えた。黒尾の手のひらが胸、そして脇腹へとすべっていく。その感触に乱れた呼吸を飲み込んで、夜久はふーっと長い息を吐いた。
 黒尾はなめらかな肌を堪能し、その指先が触れた場所を順に唇で追っていく。少しかさついた黒尾の唇が肌に触れるたび、ぞくりと奇妙なものが背を駆けのぼり、夜久は微かに身を捩った。黒尾はその逃げる腰を軽く掴まえて、何度もキスが落とした。
「てつろう」
 試しに名前を呼んでみた。照れくさくてずっと呼べなかった彼の名前。黒尾は腹をなぞっていた指を止めて、不安定に揺れる夜久の瞳を見つめた。
「もり、すけ……」
 夢の中でつぶやいていたそれと同じもしくはそれ以上の甘さをもって、その名は呼ばれた。また同時に、寝ていたときにはわからなかった優しい視線も向けられる。上目遣いにこちらを見上げられて、夜久の背に再びゾクリとした感覚が走った。それは熱となり、下肢の根元にあるそこへ集まっていく。あぁ、自分は黒尾に欲情しているんだと気が付いた。彼も同じように感じてくれてたらいいなとぼんやり思った。
 熱に浮かされたような瞳と視線が絡まる。きっと彼も自分に情を憶えてくれていることがわかった。目の端がわずかに朱色に染まっている。自分も同じような表情をしているのだろうか。
「衛輔……」
 名前をもう一度呼ばれて、頬にキスが降ってくる。
 今日初めて知ったのだけれど、黒尾はキスが好きみたいだ。そして、自分も。
 右頬、左頬、まぶた、耳の付け根。あらゆるところに甘い熱が降り注ぐ。そして焦れったくなるほど他の場所を愛でられてから、それはようやく唇に到達した。軽いリップ音を鳴らして離れていく芳香でまろやかな口づけ。そのときに彼の瞳の奥に自分の姿が映った。その中に閉じこめられた夜久は、黒尾と同じくらいとろけた表情をしていた。初めて見る自分の姿に戸惑う。けれども、この姿に黒尾が欲をくすぐられるならば良いと思った。
 口元から彼の唇が離れてそのまま首筋についばむようなキスを落とされると、自然と首がのけぞり、彼の眼前に無防備な喉仏を晒すことになる。こめかみから汗が流れると、黒尾はそれを舌先で丁寧に舐めとった。その仕草が子猫のようでなんとなく庇護欲に駆られた夜久はその頭を胸元に抱き寄せる。そして寝癖だという彼の髪をかき分けて、そのつむじにキスをした。普段なら絶対に届かないけれど、今ならそれが許される。夜久は夢中でその額やまぶたに口づけをした。
「なんなのお前、」
 ――可愛すぎ。と口元を押さえた黒尾が言う。いつもならその台詞に噛みついていたところだけれど、彼の真っ赤になった耳を見ているとそんな気も失せてしまった。黒尾は腰のあたり、制服のスラックスで隠れるぎりぎりのところに唇を添え、じゅっと湿った音を立ててそこを吸い上げた。周りにバレないように配慮してくれるあたりが彼らしい。自分のものだ、とマーキングされたようなくすぐったい気持ちになって、夜久は恥ずかしさで頬を火照らせるとともに、隠しようもない喜びに身体を高揚させた。
「ねぇ、俺も」
 どこがいいかなと彼の身体に視線をすべらせる。そして先ほどの彼と同じようにゆっくりとそのカッターシャツを脱がせて、同じ位置にキスマークを残した。
「お揃い」
 ニカッと笑みが零れる。馬鹿にされるかと思ったが、黒尾は嬉しそうに、そうだな、と言うだけだった。
 黒尾は再び夜久の身体に唇を這わせはじめた。今度は唇だけでなく、ぬるついた舌も肌に触れる。唇よりも湿った感触がこそばゆかった。薄めの腹を彼の指でなぞられると、生温い快感が腰のあたりに溜まる。つい身を捩って快を逃そうとしてしまうのを懸命に堪え、夜久は首を小さく左右に振るにとどめた。下肢の根元が熱くなって、膨らみを増すそこはわずかに息苦しさを感じさせる。そのまま黒尾の舌は降りていって、腹の中央にある控えめな臍を舐める。へこんだそこに舌を差し込み、子猫がミルクを飲むようにピチャピチャと音を立てられた。
「鉄朗……そこ恥ずかしい」
「……今からもっと恥ずかしいことすんのに」
 黒尾はちゅっと音を鳴らして臍から唇を離す。彼は名残惜しそうな表情を隠そうともしていない。スラックスの留め具をゆっくりと外し、チャックを前歯で咥える。そのままジジッという微かな金属が擦れる音とともに下肢のあたりにわずかな解放感が訪れた。腰を片手で持ち上げれて、スラックスを脱がされる。
「もう濡れて……」
「言わなくていいから!」
 黒尾の指先と瞳が下着の上からでも存在を主張するそれを無遠慮に愛でる。不快感はなくて、むしろその舐めるような視線は夜久の劣情を揺さぶった。黒尾の言う通り、そこは下着が濡れるほどに湿り気を帯びているのだろう。そこを見つめながら満足そうに舌舐めずりをする黒尾に、夜久の本能が危険だと警鐘を鳴らす。知らずのうちに逃げ腰になる夜久を抱き寄せ、黒尾は耳元で尋ねた。
「ここ、見たい。いい?」
「だからいちいち聞くなぁ…! んふぁ!?」
 下着をずらされて直接性器に触れられる。直接的な官能に思わずあられもない声が出た。
「わかった。聞かない」
 聞くなと言っておいてなんだが、前置きなく身体に触れられると声を我慢できないし、かといっていちいち確認を取られると身が焦げるような羞恥心に襲われる。自分はいったいどうすれば良いのか、と手のひらで口を覆いながらもくちゅくちゅと卑猥な音を立てる性器に否応なく意識を奪われた。
「んんんん!」
 生理的な涙が浮かび、視界が白っぽくぼやける。それなのに黒尾の顔だけはしっかりと見えるのだからまるで魔法だ。彼の姿以外は何もかもが蜃気楼のようにもやがかかっていた。逃げたくなるほどに凄まじい快楽を与える彼が、それと同時に今の夜久の世界の全てであり、そこから逃げることは決して叶わない。
 閉じることができない口を両手のひらで覆っていると息が苦しくなるが、それを離してしまうと情けない声が漏れるからどうしようもなかった。黒尾の手が一瞬休まるたびに夜久は小さく息を吸い込んで意識をつないだ。
 徐々に黒尾の動きが休まる間隔が長くなって、夜久の呼吸が耐え切れなくなる。小さく息を吸い込むだけでは足りず、だんだんと息を吸い込む時間が長くなっていることに夜久は気が付いていなかった。そして、その表情を黒尾がにやりと人の悪い笑みを浮かべつつ、見ていたことにも。
 夜久の性器の先を親指の腹で撫でていた手が再びほんの一息だけ休まって、夜久はきつく押し当てていた手のひらをわずかに緩めて酸素を確保するために大きく息を吸い込む。夜久が息を吸い込んでほっとしたのもつかの間、黒尾が緩んでいた夜久の両手を片手でまとめてしまった。それと同時にその性器の裏筋をすっと触れるか触れないかの力加減で撫で上げた。
「んあぁ……っ!」
 無防備になった夜久の唇から飴玉のような甘ったるい声が零れ落ちる。うっかり零してしまったようなそれに夜久は頬を紅葉のように染めるが、それとは反対に黒尾は満足げに瞳の奥を細めた。
「……やっと聞けた。声、抑えんなよ」
「でも……やぁ…っ、はずかし……っい! ふわあぁ……」
 離せっ! と身体を暴れさせても、下肢の中央で蜜を垂らすそこへ無骨な指を這わされてしまえば、くにゃりと身体の力が抜けて重い吐息が漏れる。やだ、恥ずかしい、とうわごとのように懇願しても、黒尾は声を殺すことだけは許してくれなかった。
「黒尾のくせにぃ……!」
「こんな色っぽい声、我慢するほうが無理」
 開いた下肢の間に片膝を差し込まれ、だらしない脚を閉じられない。その間も黒尾は指先でそこを甘やかしていた。黒尾が話すたびにかかる熱っぽい呼気が、夜久の身体をとろけさせていくようだ。
「あ、くろぉぉ……」
 さらに大きく身体を開かれて、普段隠されている部分まで露わになる。何だがわからないが、濡れたものが肛門に触れた。
「え、なに……っ」
 そのぬるついたものでそのまま会陰をなぞられて、腰が大きくそる。
「あぁっ、ちょっと……っ!」
 何? と当然のように自分の下肢の間から彼の顔が持ち上げられる。
「おまっ、どこ舐めて……!」
「どこって、そりゃ」
「いい! 言わなくていい! ひゃぁ!」
 双球をべろりと舐められて、大きく悲鳴が上がる。
「嫌ならやめるけど」
 舌を動かしたままどこか哀愁を漂わせつつ尋ねる黒尾は、どう考えても確信犯だ。
「い、やじゃ……っない……け、ど……!」
 そう返事をすると、再び舌が後ろをつつきだす。そしてきゅっと尖らせたその先を後孔に差し入れられた。
「んにゃ……!?」
 混乱した夜久は変な声を上げてしまって、あまりの恥ずかしさに身を丸めたくなる。
「ほんとお前っ、て……猫み、たい……っ」
 余裕なさげな声が秘部をくすぐる。その声に先ほどから収まらない背筋が震えるような感覚が強くなった。触れられるたびに、自分の爪先が意志とは関係なくピクピクと跳ねる。太ももは垂れた濃厚な蜜に濡れて、それは小さく収縮する穴のほうへも流れていった。それと自分の唾液を混ぜて、いじらしく蕾を閉じるそこへと流し込む。濡れた感触に夜久は曝け出されている肌を不安げに揺らした。様々な体液で湿った柔肌は、黒尾が手をすべらせると手のひらに吸いついてきた。
 ふわっと顔の横を黒尾の髪が通って、夜久が何事だと閉じていた目を開けると、黒尾はプラスチックの容器に入ったボディークリームのようなものを取り出してくる。淡い桜色をしたそれは、本来ならこんなことに使われるものではないはずだ。
「解すからしんどくなったら言えよ」
 すぐやめるから――。そう言う彼にももう余裕は残っていないらしく、眦(まなじり)は微かに朱がさし、その瞳は水分を含んだ膜に覆われている。
「へへ、鉄朗は優しいなぁ」
 嬉しくて頭をその分厚い胸元に擦り寄せた。黒尾はピシリと固まったが、すぐに瞳の奥にぎらついた煌めきを纏う。
「ったく、煽り上手かよ」
「え、なんて?」
 不思議そうな顔で小首を傾げる夜久に、なぁんにもないと楽しげに言った黒尾がボディクリームを手のひらに出す。丁寧にそれを指に絡みつけて、後孔にも同じものを垂らしているようだ。
「んん、つめたぁ」
「あ、わり」
 すると、今度はあたためてくれたのか、二度目は濡れた感触だけがそこに感じられた。入り口を撫でるようにくるくると指の腹がすべる。ボディクリーム等のぬるつきをうまく使っているせいか、こすられるような違和感はない。その代わり、むず痒いような焦れったいようなぬるい刺激が続いた。
 後ろの穴を指先で拡げられて、そこにクリームを足される。普段濡れるはずなんてないそこがぐちょぐちょに濡れている様は羞恥心を誘う以外の何物でもない。黒尾が夜久の様子を見ながら、より一層慎重にことを進めてくれていることがわかった。それならば自分も彼の優しさに応えようと思った。
 入り口を解されてわずかにひくつくその穴へ黒尾の中指が遠慮がちに挿しいれられる。夜久の中も黒尾の指も桜色のクリームを纏っていたおかげで、予感していた引き攣るような痛みはなかった。何度も抜き差しをされて、そのたびに潤滑剤を足される。先ほどから涙を流すように溢れている先走り液と混ざり合って、そして熱に溶かされて、とろりとろりと脚の間を流れるそれら。開かれっぱなしの脚はもうその形で固定されたようで、もはや自分の意志では閉じられなかった。
 指が増やされてくちゅくちゅと耐えがたい音が大きくなる。音の大きさに比例して恥ずかしそうに耳を染める姿が可愛くて、わざと黒尾が音を鳴らしていることを夜久は知らなかった。
 寸前まで高められていた身体の熱を逃がす方法がわからなくて、ただゆらりゆらりと腰を揺らすだけだ。そしてこれは勿論無自覚。指を抜くときに彼の指があたる場所が気持ち良くて、無意識のうちにそこへ腰をこすりつける。黒尾が特別そこをゆっくりと撫でれば、夜久の唇からは甘ったるい音楽が鳴った。
「あぁぁ……、んぁっっ!」
 指がちゅぱりと大きな音を立てて、引き抜かれる。そして額に口づけをされた。
「……挿れるな」
 慈しむように見つめられて、心臓が飛び上がる。掠れる声で名前を呼んで頷けば、低く甘ったるい声で同じように名前を呼ばれる。優しくできないかもなんて言ったけれど、やっぱり夜久の思っていた通り彼はすごく優しい。
「好きだよ、世界でいちばん大好き」
 人より大きな瞳を愛しさで細めながら囁くと、その言葉は鼓膜を通り、さらなる重みをもって自分の脳内に返ってきた。
「あぁ、俺もだ。ずっと好きだった。勿論今も変わらず」
 琥珀色の瞳に映るは自分ただ一人だ。
「なんか夢みたい。お前に何度も好きだって言える日が来るなんて」
「夢じゃねぇよ」
 下着の内から現れた黒尾の性器は、その大きさにもかかわらず、重力に逆らい高く天をめがけてそそり立っている。
 夜久の膝裏に手を通し、大きく身体を開きなおす。身体の柔らかい夜久は無理なく、その体勢を受け入れた。
「……すっごいエロい」
「黙れ、ばか」
 夜久が早くと言わんばかりに黒尾の背へ手を回すと、わかりやすいほどに嬉しそうな表情をする彼がいた。本人は隠しているつもりかもしれないが、たまに垣間見えるこういうあどけなさも彼の魅力だ。
「んんんん…っっ」
「……っく……」
 指とは桁違いの質量に夜久は眉を寄せるが、苦しいのは夜久だけでないようだった。張りつめた黒尾のそこを搾り取るように夜久の中は彼を締め付けた。
「ごめ……」
 力を抜きたくても抜けなくて夜久が謝ると、黒尾は心配するなとでも言うように夜久の唇にキスを落とす。顔中にキスの嵐を受けて、夜久はその優しい口づけにふわりふわりと意識を預ける。そうこうしているうちに、自然と身体の力も抜けたのだろう。ずっと息を詰めていたらしい黒尾がゆっくりと息を吐き出した。
「はい、った……?」
「ん、全部はいった」
 黒尾は夜久の首元に頬を預け、その温かさを堪能するように頬を擦り寄せる。初めのうちは、つながった部分は黒尾のそれを異物として認識したが、徐々にその場所に馴染んでいった。結合部がとろけるように熱を帯び、二人の境目がなくなったように感じられる。
「動くけど大丈夫か」
「ん、」
 揺れる黒髪と同じ律動で内壁が擦られる。今自分とつながっているのは紛れもなく彼なのだ。眉をわずかにしかめ、欲情を湛えた表情は、見ているだけでさらなる劣情を誘われるようだった。
「あ、やだ、そこ、は……っ」
 夜久が好んでいたところをなぞるようにして、黒尾の性器が軌跡を描く。正確に、そして丁寧に。その優しい動きからも自分が大切にされているのだという実感が沸いて、たまらず胸の奥が締め付けられる。感じたことのないほどの強い悦びは、少し苦しく思われるくらい。けれども、耽美な色を顔に滲ませる黒尾を見ていると、それをやすやすと上回るほど幸せだった。
 開かれた下肢はもう自らの意志を持っていない。ただ黒尾の熱を受け入れるために最奥は収縮を繰り返すのみだ。
「あぁぁ……!」
 奥のほうをぐりりと抉られてとんでもない圧迫感が身体を襲った。それなのに肉棒が引かれる瞬間にそれは言いようもないほどの大きな快感となって返ってくる。 
 はふはふ、と浅い呼吸をする夜久を宥めるように、黒尾はつないだ指にキスを落とし続けた。つないだ両手から溢れだす彼のぬくもりが夜久を甘やかし、それは夜久の心を捕らえる罠のごとく彼を雁字搦めにしていく。
 高校に入ってから、夜久の生活の全ては黒尾を中心にして回っていた。このことを目の前でしなやかに腰を揺らす彼に教えたのならば、彼はどんな顔をするだろうか。知ってた、とあの妖しげな笑みを見せるのか、それとも驚いたように瞳を瞬いて少し照れくさそうに笑うのか。どんな表情をしたとしても、それは夜久が慕っている黒尾鉄朗その人だ。どんな彼だって良い。だって自分の大好きな人だから。
「てつろ…う……ッ」
 黒尾はまるで黒猫のようだ。美しくて、それでいてどこか浮世離れした神秘さを持っていて、そしてそれは周りの人を惑わす。自分はその猫の魔法にかけられたのだ。
 出会った瞬間から本能的に彼を求めて止まなかった。初めて視線を交わしたのはあの夏の日。その後、同じ学校になって同じクラスになって同じ部活に入ったところまでは本当に偶然だった。どこかでそれを期待していたことは確かだけれども。
 初めての部活の日、名前がわからないふりをして声を掛けた。本当はしっかり名前を覚えていたのに。入学式の日に周りよりも頭ひとつ分大きい彼を見つけて、夜久はすぐさま確信した。あの夏の体育館で自分に微笑みかけた彼だ、と。
 同じクラスにその姿を見つけ、言いようもない興奮に襲われた。運命だ! なんて子どもじみたことも考えた。斜め前の席に座る彼を、窓の外を見るふりをしてさりげなく観察したあの春の日々が懐かしい。彼のあの大きな手で頭を撫でられることを想像したのも一度や二度ではない。季節が二つ過ぎ去るその前に、自分が彼に恋をしていることに気が付いた。
 そして気が付いた瞬間、その恋路を阻む障壁を恐れ、夜久は彼と距離を置こうとした。けれども、それができないまま二年もの間ずるずると友人という安定的な関係を続けた。彼がこうして手を差し伸べてくれなかったら、自分は一生彼の友人を演じ続けていただろう。どんなに苦しくても、その役目を演じることを選んでいたはずだ。
 恋心を押し殺す苦しみよりも、彼に嫌われて離れなければならなくなる苦しみのほうがつらかった。
「衛輔……っ」
 黒尾に名前を呼ばれると、古臭くてあまり好きではなかった自分の名前が、きらきらと輝くように思われた。真っ赤な唇が夜久の桜色の爪を愛でる。一本ずつ触れていき、小さな誓いを重ねるように行われるその儀式。この真剣な瞳は自分だけのものだ。
 きっとこの闇夜の魔法が解けたら、自分はこんな風に素直に甘えることなんてできなくなるだろう。だからせめて今宵だけは、今このときだけは、なりふり構わず彼を一心に求めたいと思う。
 自分よりも大きな背中に爪を立て、波のようにやってくる快楽をやり過ごそうとする。けれども激しいそれは受け流すことさえできなくて、夜久は黒尾の与える淫楽に溺れていく。恥ずかしいという理性はいつの間にか崩れ去り、獣のように情を交わした。




 身体の奥底から持ち上げられるような不思議な浮遊感が身体全体を襲う。それに抵抗することはできなくてその衝動に身を任せると、臍のさらに奥から快楽が湧き上がった。
「あ、あぁ、ぁぁぁあああ」
 悲鳴のような嬌声が上がり、夜久の四肢が激しく震える。咄嗟に閉じた瞳の裏で、幾千もの星々が砕け散った。ちかちかと残像が残る視界の中で夜久は黒尾の姿を見る。夜久が白濁をはじけさせるとともに従順に収縮してみせたその最奥で、黒尾のそれも同じような勢いを持ってその子種を散らす。ドクドクとそれが注ぎ込まれ、快感に引き攣った喉が黒尾の前に曝け出された。黒尾はその未発達の喉仏に小さく前歯を立てると、その横に朱色の印を残した。そのことに夜久は微塵も気が付いていなかった。明日の朝にはおそらく消えてしまうであろうそれを夜久が知るすべはないだろう。
 ずるりと黒尾が身体を引き抜くと、薄らと薔薇色に染まる白い肌がベッドの上で揺れた。生温いそれが夜久の太ももを伝ったが、それすらも夜久にとっては幸福の余韻にしかならなかった。
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