#5


 やってしまった。体育の授業でサッカーをしていて、ふと、ここからなら西谷のクラスが見えるかもしれないなんて思ったのが間違いだった。ちらりと見上げた先、なんとそこには期待通り想いびとの姿があって、試合中なのを忘れてつい見入ってしまった。だから正面からボールが飛んできたことに気が付かなかったのだ。幸い、けがはなかったが、少し鼻先が赤くなってしまっていたのと、近頃元気がなかったから疲れているのかもしれないというスガのおせっかいのせいで、保健室へ来ることになってしまった。今日の授業はもういいから、あと一時間、授業が終わるまで安静にしておくようにとのことだった。
 保健室の先生は午後から出張に出ているらしくいなかった。仕方なく、けが人ノートにクラスと名前を記入して、冷凍庫から保冷剤をひとつちょうだいした。寝るほど体調が悪いわけではないので、ベッドにでも腰かけて時間をつぶすことにした。というか自分の場合体調不良というよりは、心の病ってやつだ。

「旭さん! 大丈夫っすか!」
「あれ、西谷?」
 ガラガラッと勢い良く保健室の扉を開けて、先ほどまでの考えていた人物が現れる。
 へへ、恥ずかしいところ見られちゃったなと旭は座ったままで頭をかいた。
「へへ、じゃないですよ! このスカポンタン!」
「え、すか……?」
 何を言われたかわからなくて、つい眉が下がる。
「俺のせいですか」
 教室から走ってきたのか息を切らしている西谷は真剣な顔つきで問いかける。もう七月も半ば、じっとしていても汗ばむ時期とあって、西谷の首筋にも薄らと汗がにじんでいた。
「ちがうよ」
 確かに西谷に見惚れていたからボールが当たってしまったのかもしれない。だからといって彼が原因にはならない。あくまでも自分の不注意が招いた事故だ。
「じゃあ俺ばっかりなんすか! 頭のなかが旭さんのことでいっぱいなのは!!」
 語尾がきつくなっている彼はどうやら怒っているようだと思った。しかしそうではないことは次の台詞で明らかになった。

「俺、旭さんのことが好きなんです。キスをして気が付きました」
 琥珀色の瞳の奥に、揺れる炎を見た。
「だから! 告白のことも、キスのこともなかったことになんてしないでください!」

 いつもは見下ろしている彼に、今日は自分が見下ろされる。そして、言葉の意味も理解しないうちに唇が強引に塞がれた。

「ほら、触ってみてください」
 唇が離れると、今度は手のひらをとらえられて彼の胸元に連れて行かれる。
「すげぇ、ドキドキしてるんです。旭さんのこと考えるだけでこうなるんです」
「それって……」
 もしかして自分は振られたわけではないのだろうか、と考えた。
「そうです。旭さんが俺を好きって言ってくれたように、俺も旭さんが好きなんです」
 何度も言わせないでください! と膨れた頬を見ると、もういてもたってもいられなくなった。
「嘘だろ、うそ……」
 小さな身体は自分の腕の中にすっぽりとおさまってしまう。さらに抱き寄せると、その身体は抵抗もなく、自分のひざに乗りかかる。バクバクと激しく動いている鼓動がどちらのものかはわからなかった。
「…嘘じゃない。だから俺と付き合ってください」
 腕の中で俯いていた彼が顔をあげ、真っ赤に頬を染めたまま言った。
「こちらこそ……!」
 少し遠回りしたけれど、旭の初恋は成就したのだ。西谷が旭のシャツの裾を握りしめ、こちらを見上げたまま瞳を閉じる。
 ――これはもしかして、キスのお誘いか…!
 シャツを握った右手に左手の指を絡めて、腰に回した右手にもぐっと力を込めた。
 今度は優しく、優しく口づけをした。

 不器用で恋愛下手な自分だけれど、彼を想う気持ちは世界中の誰にだって負けない。だから自分は、彼の帰ってくる場所になってみせよう。濡れ羽色の睫毛を見つめて、その奥に眠る宝石に誓った。

【了】

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