甘味を食べて談笑し、大門でフェルトを見送ったあと刹那とクリスティナは妓楼に戻った。三人でゆっくり甘味を食べていたのだ。上手く時間も潰せたはず、いい加減スメラギも起きているだろうと妓楼の暖簾をくぐった。

「この藍色の反物、素敵ね」

「澄んだ藍色より濃い方が映えますね」

暖簾のすぐ右手、板の間で反物を見ているのはスメラギだった。白い襦袢に薄い牡丹色のうち掛けを羽織って少々だらしなく座り込んでいる。呉服屋の青年は入ってきた二人に気がついて軽く会釈をした。

「あら、お帰りなさい二人とも」

「ただいま戻りましたっ。ねえねえ、桃色の反物、ない?」

クリスティナはスメラギに返事をしたかと思うと、呉服屋の青年に歩み寄って板の間に置かれている反物に夢中だ。一方の刹那というと、大した興味も湧かないようで反物には見向きもせず下駄を脱いで板の間に上がった。

「襟のところも補強したから違和感があったら言って下さい、とフェルトから」

「ありがとう刹那、部屋に置いてきてちょうだい」

スメラギにそう言われて部屋に向かおうとするが、ふと目が合った呉服屋の青年が刹那にニコリと笑いかけた。が、刹那は笑みを返すでもなくポカンと見つめている。

「僕の顔に何か着いているかい?」

「いや…。以前と顔つきが違うような」

「刹那、前ここに来てたのは彼のお兄さんよ。ね、アレルヤ」

ふふふ、と小さく笑い声を上げるスメラギは続けて貴方が以前に見たのは彼の双子のお兄さん、と付け足した。クリスティナも声をあげないが笑っている。少々居心地の悪い空気が流れたので、刹那は逃げるように板の間を離れた。あ、刹那ったら照れているんだと一人ごちて、刹那のあとを追った。階段を上る二人の足音が完全に遠のいてからアレルヤは呟いた。

「あの子、だいぶ大きくなりましたね」

「あら、刹那が小さかった頃を知ってるの?」

「ハレルヤと一緒にこちらに初めて来た時、彼女を見ました」

女衒によってこの妓楼に売りつけられるところを見た、と言う。今ではだいぶましになったが幼少の頃の刹那はもっと小柄で華奢で、骨と皮しかないような体つきだった。その癖に目元だけは力強く、それでいて健気だった。

「そうよね。あんなに小さかったのに、刹那は大きくなったわ」

その小さな頃から面倒を見てきた刹那が、直に新造として禿を卒業せねばならないことをスメラギは物悲しく感じていた。



「ねえ刹那、双子だって知らなかった?」

「知らない。もう止めてくれ」

階段を上った二人はスメラギの部屋へ向かうため廊下を歩いている。恥ずかしい、と頬を染める刹那は急ぎ足で歩く。どんなに必死に歩いてもクリスティナが少しでも大股で歩けば背の低い彼女に追いついてしまう。どうやってからかおうかと企んでいるクリスティナの顔が、刹那にはとても意地悪く見えてくる。

懐に着物の入った風呂敷を抱き込んで眉間に皺を寄せてクリスティナを見上げる。あまりにも不機嫌な刹那の様子に思わず噴き出したクリスティナはごめんね、と頭を撫でた。スメラギの部屋に着物を置いたら将棋でもしようか、と話していると前方からティエリアが歩いてくる。

「この間のお客さん、大丈夫だったの?」

「相当悪酔いしていたが、揚げ代はしっかり請求した」

彼はこの妓楼の廻し方である。遊女と客の間に立ち宴会から座敷の世話から揚げ代の請求などが彼の仕事だ。才覚ある機知の富む彼にしか勤まらない仕事だ。先日も不足分を払っていない客からしっかりと揚げ代を受け取った。質の悪そうな客相手であってもそれをこなす。

「さすがティエリアね」

「その客、最近見かけないようだが」

大店おおだなの旦那と言えど、居続けは相当高くつく。しばらく来れないだろう」

確か彼は妻帯者だったな、と呟く。女遊びが行き過ぎるといくら金が払えても家庭争議に発展する。そういう意味でも言ったのだ。

「ちょっと退いてっ」

「痛っ」

話している三人の間を、厳密にいうと刹那とクリスティナの間に割り込んで来たのが緋色の髪で、鼻の辺りにそばかすのある遊女だった。忙しそうにしている彼女は、廊下で談笑している三人が邪魔で仕方なかったらしい。自分より随分小柄な刹那を押し退けてどんどん歩いて行ってしまう。刹那はといえば押し退けられた勢いで転んで床に座り込んでいる。

「ちょっと!突き飛ばすことないじゃない!」

「煩いわね、こっちは急いでるの!暇なら肥汲みの手伝いでもしたらどう?」

「なんですって!?」

「く、クリス。俺は大丈夫だから…」

着物の裾を直して立ち上がる刹那は怒りを露わにしているクリスティナを宥めた。突き飛ばした張本人は謝る素振りさえ見せず小馬鹿にしたように刹那を見下ろしている。

「貧相な体ね。そんなので客が取れるのかしら?」

「刹那はまだ禿よ!客は取ってないわ!」

「ふうん?で、貴方は客、取ってるんだ」

上から下までを品定めをするように見渡したあと、その容姿で?とクリスティナを鼻で笑った。緋色の髪の遊女は勝ち誇ったように胸を張る。それが憎たらしくて堪らない。

「さっきから黙ってれば失礼なことばっかり言って…!」

「だったら何?そういえば貴方の姉女郎、花魁だかなんだか知らないけど、本当は大したことないんじゃないの?」

この妓楼の最高位にいるスメラギを、自分の姉女郎を馬鹿にされている。こんな屈辱的なことはない。刹那とクリスティナは頭にカッと血が上ったのを感じた。刹那は今直ぐにでも彼女に飛び掛りそうなくらいに憤慨している。

「ネーナ、口を慎め。花魁を侮辱することは許されない」

一部始終を黙って見ていたティエリアがネーナを咎める。スメラギは花魁となる然るべき人物だ、貴方がとやかく言う権利はない、と強い口調で窘めたのだ。有無を言わせぬその言い方にネーナは面白くないと感じティエリアを一瞥した後、ネーナは着物を翻しながら歩いていってしまった。

「ふん」

ネーナの態度からして反省などしている様子はない。彼女は上級武士の家に生まれたが家禄の取り崩しとなり、路頭に迷い岡場所で体を売る寸前で取り締まりにあい、競売にかけられこの妓楼でセリ落とされたのだという。

「女郎になったとはいえ、ここに来てからまだ日が浅い」

あまり深く関わらない方が良いかも知れない、と言い残したティエリアは何事もなかったかのように帳簿を見ながら階段を下りていった。



帳簿を楼主ろうしゅに渡しに階下に下りたティエリアは、先のいざこざの火種の人物である花魁のスメラギと、帳簿の提出するように用件を言いつけたこの妓楼の主のサーシェスがなにやら神妙な面持ちで話しているのを見た。

「お前さんとこのガキ、そろそろだ」

「え?」

「あいつももう16だ。新造として稼いでもらわねえとな。いつまでもただ飯食わせる訳にはいかねえんだよ」

悪意に満ちたかのような笑み、滲み出る凶悪さと野蛮さがこの男の特徴だった。煙管の灰を火鉢に捨て膝を立てて再び話し出す。

「近々水揚げもする。新造出しの時にはしっかり負担して貰うぜ」

新造出しには多額の費用がスメラギの負担となる。負担は大きく厳しい。遊女は客から金を引き出す以外に方法がない。それが出来ないとなれば、自分の借金が増え年季明けが遅くなるばかりだ。

しかし、その不安よりもスメラギは刹那が心配で堪らない。いつか来るものだと理解はしていた。クリスティナの時も他の禿の時もしっかりと送り出していた。だが、とうとうその時期が来てしまったのだとスメラギはやりきれない気持ちになった。

「刹那…」

「おう、帳簿か」

サーシェスは帳簿を持って立ち尽くしているティエリアに気がつき、手振りで帳簿を寄越せと指図する。差し出された帳簿に目を通したサーシェスは相変わらすお前は優秀だな、と呟くがティエリアの耳には入って来ない。まだまだ禿であると思っていた刹那が直に遊女として働くのだ。スメラギはすっかり意気消沈してしまっているようで、元気がなかった。また一人、苦界に身を投じる遊女が増えるとティエリアは肩を落とした。


・居続け→泊まり客が朝になっても帰らず妓楼に留まること。
・肥汲み→下掃除(便所の汲み取り)をする人のこと。
・岡場所→江戸にあった公認ではない遊郭のこと。私娼。
・楼主→妓楼の経営者。
・水揚げ→初体験のこと。
・新造出し→禿が新造になる時のお披露目のこと。