たそや行灯に明かりが灯る。どこか淫靡な空気が流れ始めるのは土地柄なのか、訪れる客の思念や心持ちから滲み出るものなのか。

「う…、」

体を動かすと節々に響いた。ここ二日ほど、刹那はとことん運がなかった。前々日の夜は腕っ節の自信があるのだとのたまった男に性行為の最中、折檻のような暴力を振るわれていたところを途中で廻し方のティエリアに救われ、目に余ると楼主ろうしゅ直々に出入り禁止を言いつけた。

「うちの商売道具に手を上げたんじゃあ、最上屋の門を潜らせるわけにゃいかねえんですよ、二度とな」

真っ赤に腫れた頬を手当てされ、その日は客を取らずに済んだ。楼主がお前はもう引っ込めと申しつけたのは、体を気遣ったのではなく刹那の顔の傷がひどかったからで、ただ体面が悪かっただけだ。物として扱われているのだと、煌びやかな着物を脱ぎながら深い虚無感に苛まれた。

前日の夜は救いの手が差し伸べられることはなかった。縄で四肢の自由を奪われ無様に布団に転がる刹那は、そこそこの美丈夫に膣を擦られ続けた。口に布を押し込まれて悲鳴を上げるどころか呼吸もままならず、刹那は行為の最中ずっと意識朦朧としていた。出し入れする度に吐き出された白いものが零れ落ちるほどに何度も、何時間も入れていた所為で股の間が痛くて仕方ない。無茶な方向に曲げて縛られていた手足は、解放されてもなお違和感が残り動くのに苦労する。

「刹那、大丈夫?」

「あ、ああ…どうにか、平気だ」

事のあらましを知っていたクリスティナにこれ以上心配させまいと刹那は気丈に返事をするが、節々と体の中心はじくじくと痛むばかりだ。はあ、と誰にも聞こえないようにため息をつく。見世みせの端、遊女を物色する客から身を隠すように座る。せめて今日だけは体を少しでも長い時間休ませたい。目立たずにいれば時間は稼げると、痛む体をおして座った。

「あ、…っ!」

座って間もなく、惣籬そうまがきの向こうにニールの姿を見て刹那は声を上げそうになった。それより早く、端の方で小さくなっている刹那を目敏く見つけたニールはすぐさま見世番みせばんに声をかけた。刹那を指名したのだ。

「よお、久しぶりだな刹那」

「ああ、ニール、会えてうれしい」

まわし部屋に入るやいなや笑い合う二人は客と遊女というより、互いを好いている男女の幼子が顔を合わせたかのような雰囲気だった。顔を見合わせるのが何より幸せ、というささやかなものだ。

「店で珍しいものが手に入ったんだ」

座敷に置いた風呂敷を広げるニールの隣にちょこんと座る刹那は、その様子を物珍しそうに見ている。風呂敷の中の木箱に収まっていたのは薄氷だった。薄焼きのせんべいに和三盆を塗った干菓子だ。見慣れない品に刹那は首を傾げた。

「…これは?」

「見たことないだろ。一緒に食べようぜ」

「いいのか?」

「土産に持って来たんだぞ。もちろんだ」

酒ではなく茶が合う、という助言のもと茶を淹れることにした。「お酒じゃないのかな?」と訝しがる禿が急須と二人分の茶碗を持って来た。結果、吉原には些か似つかわしくない光景が出来上がった。茶に干菓子。どちらかといえば茶室だ。

「ほれ、食べてみろ」

促されるまま口に薄氷を含んだ。ほのかな甘味と口の中であっという間に溶けてしまう食感に驚き感動して目を輝かせる刹那を、ニールはニコニコと眺めている。

「美味いか?」

柔らかい甘味は口の中にふわりと残り、甘い薫りが鼻から抜ける。餡蜜、汁粉とは全く違った甘味だ。ニールの問いかけに言葉少なに首を縦に振る。優しい甘さに思わず心と顔が緩む。

「あまい…」

茶を啜り、顔を見合わせて笑い合いながら話をした。舟廻問屋かいせんどんやとしてどんな仕事をしているのか、遊女が昼間どのように過ごしているか。知らないこと、興味のあることを互いに聞き話した。刹那は見たことも聞いたこともない商品の名前を聞き詳細を知りたがったり、ニールは遊女たちが和歌を詠んだり三味線を弾けたりすることを知り、刹那が将棋を打てたのを納得したりした。

「残りは置いていくから、みんなで食べるといい」

「ありがとう」

茶碗を片付けようと立ち上がったとき、静まっていた体の痛みが急に暴れ出した。節々が軋み、体の中心が湿り気を帯びてチクチクと刺す。忘れかけていた痛みに息を飲み、畳に突っ伏した刹那を訝しがるニールは声をかける。

「どうした?」

悲鳴を上げたわけではなかった。体面を繕わないと、と平静を装う。

「いや、なんでもない」

「そんなわけないだろ」

躓いただけだ、と弁明する間もなくニールは問い詰めた。刹那の雰囲気で体の異変と違和感を察知したのか、ニールは蹲る刹那を抱き寄せる。

「これは」

腕に出来た痣を見つけたニールは物悲しそうに表情を曇らせた。当たり前のことではあるが、自分以外の男が刹那を抱くことは十二分にある。いや、吉原はそういう仕組みで成り立っている。同じ男と連日同衾することなどほとんどないだろう。毎夜違う男と褥を共にすれば、悪漢の一人や二人と出くわすこともある。その悪漢に無理矢理に抱かれ、ひどい扱いを受けた痕跡を見てニールは遣る瀬無くなった。

「痛かっただろ」

「………」

大丈夫と強かに言うわけでも、酷い目にあったと愚痴を零すわけでもなく、刹那は押し黙っている。言えないのだ。遊女として客をもてなす側の人間は、他の客がどのような遊びに興じているかを他言できないし、かと言って今の刹那は大丈夫だと言ってのけるほどの余裕はない。実際、俯いてニールに腕を掴まれるがままだ。

「酷い目にあったな」

小さな体を震わせた刹那の瞳から、つい、と涙が一筋流れてニールの腕に落ちた。泣くまいと抑え込んでいた涙が次から次へと零れていく。細い体を掻き抱いて、腕の中に刹那を閉じ込めた。

「ニール、っ」

泣きながら自分の名前を呼び縋る刹那の額に唇を這わせて、豪華な着物の隙間から手を差し入れて肌に触れる。決して痛くしないように、太ももを撫でれば身を捩って鼻から抜けるような甘い吐息が漏れる。露わになった足にも痣がついていた。その痕から目を逸らすようにニールは刹那の胸元に顔を押し付けて小さな膨らみの先端を舌で突く。

「はあ、…ん、あっ」

中心には触れていないのに、身を捩る度にそこから湿っぽい音がする。ニールに体を撫でられ感じている刹那の肌は赤く火照っていた。耳まで赤い。優しく耳朶を噛むと刹那は一層甘ったるい声を上げた。涙と汗が混じって肌が艶めく。

「うう… あ、いや…っ」

指先でなぞると、艶っぽく腰が戦慄いた。薄い肉付きの四肢が快感に飲まれて撓る。はだけていく着物は刹那の体を覆うだけでほとんど脱げてしまっている。滑る肌、湿る奥まったところ、細い手足が曝け出されて、艶めかしく映った。行為の最中で朧げに抱いた気持ちを、骨の髄まで蕩けるような快感に飲まれた刹那を腕の中に抱いて眠る頃には、確実な形をなしてニールの心の内に在った。

「どうにか、救い出すことはできねえもんかな」

奈落の底で身を削る刹那に光を、と跳ねる髪の毛を撫でながらニールは瞼を閉じた。



金髪の男は吉原に足を踏み入れた。毎日見世に立つ者なら見慣れぬ顔だと思っただろう。身振りや服装でお金を持っていることが分かる。見世が連なる煌びやかな光景を前に、あちらこちらを見渡し感嘆の声を出す。見世の前でたむろする客、登楼あがる客、物色して練り歩く客。そんな男たちを見送りながら目当ての看板の前に立つ。

「ここが、かの有名な最上屋か」

吉原随一の大見世に足を向けた。


二部へ続く