いつか

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「新しいところに行くの、楽しみだなぁ」
卒業式も終わって、人数もまばらになった教室でぽつりとそう呟いた。本当は、楽しみにしてるのは3割くらいなんだけど、なんだか強がりたくなったから。
「……俺も、どっちかって言うと楽しみかなぁ」
涙が出そうなことがバレているのかいないのか、夜久くんは風が吹き込む窓を片側いっぱいに開けて、まだ咲かない桜の木に視線を向けたまま言った。別れを惜しむ声も多く聞いた最後のホームルームのあとすぐに、こんなことを言う私を薄情者だと思ってるかもしれない。
「関西だっけ、大学。遠いよなー」
「うん。数えられるくらいしか行ったことないから、ちょっと不安、かな」
「俺、引き続き東京にいるけど、今の家から離れるだけでそこは「全然知らない場所」なんだと思うよ。梅ひとりじゃないし、そんなに不安がるなって」
私ひとりじゃない、か。隣にいてほしい人からそう言われると、この人がそばに居てくれるんじゃないかと錯覚しそうになる。
椅子から立ち上がって私も開いた窓の方へ寄ると、少しだけ夜久くんの手が触れた。今日が終われば、何度も励ましてくれたこの手にもしばらくお別れだなぁと思うと、なんだか泣きそうになる。
小さな頃に思ってたみたいに、都合よく好きな人との運命の歯車が噛みあうなんてことはないんだって、それでも大人にはなるんだって、そう思っちゃった。まだ隣にいるのにな。
「バレー部は集まりないの?」
「あー、そろそろ行く」
言わなきゃよかった。そんな思いを顔に出さないようにがんばって笑おうとする。
「そっか。夜久くん慕われてるから、みんな待ってるんじゃないの」
「どんな顔して行ったらいいのか、分かんねぇや」
そう言いながらゆっくりドアの方を向いて歩き出す。会えなくなっちゃうと思ったら、そこからの残り数秒が耐えられなくて、背中がぼんやりと滲んで見えなくなった。
何か、何か言おうと思っているうちにドアに手がかかり、そのままピタリと止まった。びっくりしているうちにこっちに向き直られて、泣き顔が恥ずかしくて腕で顔を隠す。
「俺、もう行くけど」
「さ、さよなら」
「他になんか無いのかよ」
「……あり、がとう」
ちょっと強めの口調に押し出されたように、やっと声になる言葉。
「そんな、感謝されるほどのことしてねぇけどな」
「そんなことないよ、夜久くんは……夜久くん、は……」
途端に、今までの思い出が蘇ってくる。思い返してみると、ほんとに、どの場面にもあなたがいて、それで、私は
「泣いたっていいからそんなにゴシゴシこするなって。真っ赤になるぞ」
「……大好き……」
「……梅?」
本格的に泣きだしてしまった私を心配して、来てくれた夜久くんが私の頭をそっとなでたとき、つまっていたものが奥からころんと転がり出てきた。夜久くんの手が驚いたように引っ込んでいく。
「……だいすき、なの……」
「……俺もだよ」
「え?」
「俺も、前から梅のこと、好きなんだよ」
私が驚いているうちに、夜久くんの表情が見たことのないものに変わっていく。
「でも、大学行ってだいぶ離れることになるし、その、そういう関係になるのは、寂しがらせるのも嫌だなと思って」
「……うん」
少しだけ目線が下がる。自信がつくまで準備する人だから、珍しいなと思った。そのせいか、最初からこのタイミングで言おうとしていたのかどうかはわかりようのないことなんだけど、なんとなくそうじゃない気がする。
小さく深呼吸をしてから、夜久くんはすっと私の方を見た。
「いつか、俺がもっとしっかりした男になったら、彼女になってくれませんか」
「…………」
試合に集中してるときみたいに真面目な顔つきの夜久くんが目の前にいて、でも、私はなんにも言えずにいる。嬉しくないのかと言われればそうではないんだけど。俺もだよ、って聞いたときの、一気に夜久くんに持って行かれた感情を無理やり戻されて、まだ持っていてくれって押し込められたような、そんな感覚。
きっと、夜久くんはもっとあとで言おうと思ってたんだろうな。私の言葉か、卒業式後のぽっかりと穴の開いたような物足りなさにか、そういうものに言わされてるんだろうなと思う。さっきの違和感にも勝手に納得してしまった。
「返事くれだなんて言わないから。お前も困るだろうし、向こうで俺なんかよりいい人見つけるかもしれないし」
どうして、そんな顔でそんなこと言えるんだろう。私なんか、言われた側なのにもう離れるのが不安になってしまうくらいだ。失礼なことかとは思うけど、それくらい好きだと自覚させられていて、苦しくて。でも、夜久くんの決定をひっくり返すのはためらわれて、何も言えずにいた。
「……じゃあ、なんか、言い逃げみたいだけど、部活のほう行かなきゃいけないから、これで」
途切れ途切れの声が涙混じりに聞こえたのはきっと、私の都合のいい勘違いだ。
「またな」
短くそう言った背中を追いかけたくなって、手足に力を込めて耐える。下を向いたら、床にしずくが落ちるのが嫌にはっきり見えた。心配されたばかりだというのに、また袖で目元をこすってしまう。困らせるだけだからと飲み込んだ言葉の代わりのように、窓から吹き込んだ風が、私の頬をなでてドアの方へ走っていった。


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