21.the face which is not known




伏見は結局朝まで作業をして、一度寮に帰ってシャワーだけ浴びた。階段を降りるときにかなり苦労して、そこらへんに便利な日高が落ていればいいのになぁなんて馬鹿げたことを思う。いつもの出勤時間よりずっと早くオフィスに戻ると、早番らしい榎本と道明寺が出勤していた。珍しい組み合わせだ。伏見がまた作業を再開しようとすると、榎本がコーヒーをいれたようで伏見さんもいかがですか、と声をかけてきた。

「…ブラックで」
「はい、どうぞ」

伏見は榎本からカップを受け取ると、一口飲んで、あれ、と思った。

「なんかいつもと味ちがくね?」
「え、すみません…。あ、もしかして伏見さん、いつも秋山さんがいれたコーヒー飲んでます?」
「…まぁ、多分」
「秋山さんがいれるときはいつもドリップしてるらしいですよ。秋山さん用のドリッパーとか置いてあるんですが、使っていいかわからなくて。俺のはいつもインスタントなんです。すみません」
「…別に、インスタント嫌いじゃないから」

そういえばやたら秋山のいれるコーヒーは香りがよかった。ドリップなんて面倒なことよくやるものだ。伏見はインスタントの安っぽいコーヒーをすすりながら、またパソコンの画面に目を落とした。

午前中はどうにかもっていたのだが、午後になると流石に頭痛がしてきて、さらには肩こりやら腰痛、吐き気、典型的な寝不足の症状が伏見を苛んだ。寝たとはいえ身体を横にしたわけではないので節々がそろそろ辛い。寝た、ということを思い出して伏見は、そういえば宗像に上着を返すのを忘れていた、と気がつく。流石に一度帰ってからは肩に引っ掛けたりはせず、シワにならないように伏見のロッカーに引っ掛けていたのだが、それがいけなかったらしい。宗像のことだから上着がなくてシャツだけの締りのない格好で仕事はしていないだろうし、上着の替えくらい10枚は持っていそうだった。それでも借りっぱなしになっているのは気分が悪かったし、あんなごてごてした上着がいつまでも自分のロッカーを圧迫しているのは嫌だった。仕方がないか、と伏見はきりがいいところで作業を切り上げ、席を立った。

室長室をノックすると「どうぞ、伏見君」と名乗ってもいないのに名前を当てられ、伏見は舌打ちをした。いつものようにジグソーパズルに勤しむ宗像は随分呑気だ。伏見は自分が抱えている仕事の量を思い出して、その作りかけのジグソーパズルをバラバラにした挙句、ピースをひとつだけこっそり燃やしてやりたいと思った。宗像は当たり前のように上着を着ていて、本当に何枚持っているのだろうと。

「…で、なんの用でしょう。呼んだつもりはありませんでしたが」
「上着、ありがとうございました」
「ああ。そういえば。昨日随分ぐっすり眠ってましたね。起きている君も面白いですが、無防備に可愛らしい寝顔を晒している君もまた趣がありましたよ」
「…気持ち悪いです」

自分が想像していた台詞よりなんだか気持ち悪い言葉を返され、伏見はぞわりと鳥肌がたつのがわかった。さっさと上着を宗像に突き返し、退室しようとしたのだけれど、それをいつものように宗像が引き止める。宗像が立ち上がると随分大きかった。もとより伏見は宗像の身長にとどかなかったが、この身体になってからはそれが顕著だった。首の角度をすこし変えなければ宗像と目を合わせることができないし、なんだかそのせいで宗像の威圧感が増しているようだった。

「随分顔色が悪いですよ」
「…スペアの眼鏡、度が合ってないんじゃないですか」
「昨日、あのままオフィスで?」
「三時くらいには起きてましたよ」
「で、そのまま朝まで仕事してたんですか?」

体温も随分低いですね、と宗像はぺたりと伏見の首筋に手を這わせた。伏見はああ、このまま首でも絞められたら死ぬだろうなぁと思った。そしてそのまま宗像の手が何気なく伏見の胸元に降りて、いびつに引き攣れた肌に触れたあたりで、伏見はそれを払いのけた。

「…セクハラですか」
「いえ、少々手元が狂いまして」
「室長モテなさそうですもんね。野郎の胸でも触ってないと気が紛れないんですねわかります」
「…胸部までは触れてません。なんですか、触れて欲しいのですか?」

「君が望むならどうにでもしてさしあげますよ」と。ぐっと思いのほか強い力で腰を引き寄せられ、伏見はたじろいだ。睨みつけてやりたかったが徹夜の疲労と戸惑いでどうにもうまくいかない。前回宗像に押さえつけられ手も足も出なかったことまで思い出され、変な汗まで浮いた。そんな様子の伏見を一瞥すると、宗像はため息をついてあっさり手を放した。

「そんな顔をするくらいならはじめから口には気をつけることです」

ぐうの音も出ず、伏見はさっさと踵を返し、荒々しく部屋をあとにした。室長室の外で伏見はどっと疲労が増したような気がして、廊下でズルズルと座り込んでしまった。なんなんだあの男は、と頭の中で悪態をつく。なんだかおかしかった。医務室での秋山も、宗像も同じようにおとこの顔をしていた。あんな顔は知らないのだ。それに反応してしまう自分はもっとおかしかったし、それは受け入れたくない事実だった。恐ろしかった。男であった頃の自分がどんどん否定されていくようで、思い出せなくなっていくようで、ぞっとした。こんなのは違うのだ。伏見は一つ頭を振ると、ゆるゆると立ち上がり、ぼそりと「仕事、しないと」と呟いた。どうにかして頭から不安のようなものを追い出してしまいたかった。手段なんてなんでもいい。


END


室長相手だとともすれば年齢制限がかかりそうになります。
伏見もそうだけど宗像さんってほんと性的。


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