僕等の世界は逆さまに廻る
伏見さんは嘘をつくのが病的に上手い。それどころか、本当に嘘しか言っていないような気もする。俺が伏見さんに声をかけて、返ってくる返事からは、いつも嘘の匂いがしていた。それでも俺は伏見さんを憎からず思っていたので、その嘘を何度でも受け止めて、飲み込んだ。
それでも夜になると、伏見さんの嘘がじわじわと身体を浸食してきて、どうしようもなくなる時がある。俺はいつだって伏見さんに「好きです」と言うけれど、伏見さんから返ってくるのは「そうかよ」という、素っ気ないものだった。たまに、これからも嘘の匂いがする。どうしてかわからない。どうしていいかわからない。そうなると俺は結局、どうしていいかわからなくなって、弁財に気取られないようにちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ泣く。伏見さんの前ではずっと笑顔でいたいから、こんなみっともないのは絶対に見せたりしない。
「伏見さん、書類出来上がりました」
「ああ、そう。後で目ぇ通すから、そこに積んどいて」
深夜のオフィスで二人きりだった。だから俺は伏見さんに、ベッドの中で何度もそう言ったように、「伏見さん、すきです」と言った。伏見さんはここがオフィスだったからか、舌打ちをして、「そんなこと言ってる余裕があんなら、こないだストレインと交戦したときの報告書、はやく上げろよな」
「あれ、それってたしか日高の担当だったと思うんですが」
「あの馬鹿に任せておけるかよ」
すっと、ちょっとだけ嘘の匂いがした。俺はこの匂いが、たまに好きで、たまに嫌いだ。伏見さんは息をするように嘘をつく。それがどんなに悲しいことか、俺はよく知っているつもりだ。そう言っても、自分はなかなか嘘をつかないので、息をするように嘘をつくという感覚はよくわからない。嘘をつくと、息がつまる。何かが喉につっかえる。そんなものだから、俺は伏見さんが心配になる。伏見さんはどうやって息をしているんだろうと。もしかしたら嘘をつくことで息継ぎをしているのかもしれない。けれどそれはとても悲しいことに思える。いつか、伏見さんをどこか、嘘をつかなくていい場所に連れていきたい。それはベッドの中でもいいし、どこか遠い、異国でもいい。未来にその場所があるなら、その未来が訪れるまで、俺は伏見さんの傍を離れないだろう。
「伏見さん、すきです」
俺はもう何回この言葉を言ったか、覚えていない。そして伏見さんは一回も俺を「すき」だなんて、言ったことがない。それでも俺たちは一緒にベッドに入るのだから、きっとそれも伏見さんの嘘なのだと思った。これはただ俺が信じたいだけの嘘かもしれないけれど。
「伏見さん、すきです」
俺はこの言葉を、何回でも繰り返すのだと思う。この言葉が伏見さんの中に溶け込んで、沁み込んで、当たり前になって、伏見さんがそれで息ができるようになるまで、そう言い続けると思う。それくらい一緒にいたいと思う。
「伏見さん、すきです」
別に、「俺もすき」なんて言葉は期待していない。ただ傍に置いてもらえるだけでいい。いつでも伏見さんの嘘を吸い込んで、この言葉を吐き出していたいと思う。そうしたらいつか、もしかしたら、伏見さんが嘘をつかなくても呼吸ができるような、そんな気がするんです。
だから俺は、今日も伏見さんの嘘を吸って、息をする。
END