スーサイド深海インザグッバイ




この本丸には海がないけれど、海ができることがある。こういった表現をすると、大抵の新入りが混乱するのだけれど、そうなのだから、仕方がない。この本丸は、雨が降ると、約半分が海に浸かってしまうのだ。それは雨でできる巨大な淡水の水たまりではなく、ほんとうに海がなだれこんでくるように、そうなる。どういった理屈で、立地で、現象でそうなるのか、わかる人物はきっといないだろう。とにかく、雨が降ると海ができる。そういう本丸だ。


昨晩は久々の雨だった。この本丸の刀は、もうそういった事象に慣れているので、雨が降っているうちに浸かる部屋の畳を上げたり、腐っているあたりを補強したりして過ごした。この本丸は三階建てになっているが、じつはもとは一階建てだった。海に色々なところが浸食されて、だんだんと階を重ねていったのだ。今は二階の廊下までが海に浸かる。一階部分はもう廃屋になっており、倒壊してしまわないように色々な策で土台として補強されていた。

そしてまた、海がやってきた。

朝日と一緒なのか、黎明より先におしよせたのか、とにかく、今日の本丸は海に浸かってしまっていた。二階の廊下に、ちゃぷちゃぷと海水が波を立てている。もうすぐ部屋にまで来るだろうからと、少し前から、部屋は廊下より一段上になるように改築されていた。だから、部屋にまでは波が入らない。ひどく潮臭くはあるし、戸を開ければ風が吹き込むけれど。

清光は、昨日の昼に塗った端紅が台無しになるのに溜息をつきつつ、ぺたぺた、たぷたぷと二階の廊下を歩いていた。部屋がまだ二階にあるからだ。いつもの黒い足袋を口にくわえ、行灯袴の裾を赤い指先でちょいとつまむ。そうしないと波に浸かって、裾が濡れてしまうのだけれど、いつか陸奥守には、「どっかのお嬢さんみたいじゃ」と、からかわれた。白い素足を波にさらすのは、そんなに嫌いではないけれど、そのあとのべたついた潮の残りは嫌いだ。

清光が裾を軽くからげ、気晴らしに波打ち際で遊んでいると、寝起きらしい陸奥守が部屋から出てきて、「おう、よう海になっちょるなぁ」と、あたりを見回しながら、清光に手をあげた。清光は手も口も塞がっているので、「ん、」と、小さく返事をするにとどまったのだけれど、それに気を回した陸奥守が、節くれ立った手で、清光の口から足袋をすくってやった。陸奥守は自分の裾が濡れるのに頓着していないらしい。

「おはようさん」
「……おはよ」
「ようけ、遊んじょったらしいな」
「気晴らしにね。もう、嫌んなるよ。二階もそろそろ捨てないと」
「そうじゃなぁ、次に長雨が来たらここも海に呑まれるろうなぁ」
「俺らの部屋二階だから、引っ越し面倒だし」
「次ぁ、隣ん部屋にしてもろうたらええ。色々と楽じゃて」
「陸奥守だけの話でしょ」
「なんじゃ、つれないの。今晩は部屋に来てくれんのか」
「……昼間からそういう話しないでよ」
「来るんじゃな」
「……まだそうは言ってないでしょ」
「来とうせ」

陸奥守がぐっとそう言ったので、清光は結局、首を縦に振った。そうしたら陸奥守は上機嫌で、ばしゃばしゃと波を壊しながら、廊下の向こうへ行ってしまった。残された清光は、「足袋、どこで受け取ればいいんだよ……」と、ひとりごちながら、するすると、木目に沿った波打ち際を、端紅でなぞった。


本丸が海に沈んだ日の夜は、陸奥守がまぐわいたがる。湿っぽくて重くなった布団の中で、ふたりはセックスをする。陸奥守が海の匂いを嗅ぎながら、海の音を聞きながらまぐわいたいと我が儘を言うから、いつもその部屋の戸は少し空いている。三階の部屋であれば露台がある部屋があるのだけれど、沈むばかりの二階にはそんなものは存在しない。ざあざあという音が、海鳴りなのか、布団と身体がこすれる音なのか判別がつかないほど、二人の吐息は上がってゆく。

そのせいで、陸奥守はそうでもないのだけれど、清光は声がひどいので、頭までがっぽりと布団をかぶらなければならない。そうすると清光は息が苦しくて、布団が肌にねばついて、海の中でセックスしているような錯覚をする。たまに布団をどけて息継ぎをするあたりも、それに似ていた。それを陸奥守がふざけてたまに邪魔をするのだから、清光は窒息してしまいそうになる。

「ん……っ……はっ……むつ、くるし……」

清光がそうせがむと、陸奥守は布団を開けて、清光に息をつかせた。けれどその時にずんと奥を突いてきたので、清光はまた息が詰まってしまう。あられもない声を上げてしまい、もう絶対に本丸のどこかしこでこのことがバレていると、赤面をした。そんな清光を、陸奥守がひどく責め立てた。前を扱いて、後ろもがんがんと奥をつく。清光は息ができるのに、息ができなくなって、目の前に火花が散るようだった。

「あ、ああっ……むつ、むつ、ひっ……アア!アー!」

布団の海を掻き抱くようにして清光が気をやると、陸奥守も少し清光を揺らしてから、ずるりとそれを引き抜き絞るように手で扱いて、清光の白い尻に、それと同じくらい白いのをべたべたと擦りつける。

「ああ、もう、それ、やめてって言ってるでしょ!後始末が面倒なんだから!」
「出るもんは仕方ないち。ナカに出すよりマシやろうて」
「……そうだけどさぁ……」
「まぁまぁ、拭いちゃるき、そう怒らんでくれ」
「あ、ちょっと!」

清光が陸奥守の手を取るより先に、紙を引き抜いた陸奥守が、清光の尻を丁寧に拭いた。それが一層恥辱を煽り、清光はぶつぶつと恨み言を言って、さっきまでまぐわっていた布団を頭からひっかぶった。陸奥守はそれを可愛いものを愛でるように撫でて、自分も済ませてからもぞりと布団に押し入った。

「のう、いつか本当に海のなかでまぐわってみたいもんじゃ」
「……そんなの、塩辛くて、絶対痛いし、絶対苦しくするんだから、嫌」
「ははは、まぁ、そうじゃろうて」
「もう……ほんと……信じらんない……」

清光は布団の裾を、端紅がはがれ始めた指先でなぞりながら、自分の瞼がうっとりと落ちていくのを感じた。この時間は幸福だ。さっきまでのごうごうと激しい、荒波が立っているようなまぐわいのあとの、凪いだ微睡みが、心地いい。この布団の中にも、小さな海が出来上がっている。清光はほだされているとは思いながらも、指先で波を描いて、少し笑った。またうつうつと、瞼が落ちてゆく。

「なぁ、清光」
「うん……」
「この本丸は、海に呼ばれちゅう」
「……そう……」
「わしも、海に呼ばれちゅう気がするんじゃ」
「……ん……」
「もうずっと近くに声が聞こえる」
「……」
「靄の出る音まで、聞こえゆうんじゃ」

清光はその話を、ほとんど寝ながら聞いてしまったものだから、陸奥守のすっとした眼差しにも、ずっと真剣な言葉尻にも、うまく反応することができなかった。むしろ、その声が漣のようになって、清光の意識を奪ってゆく。息をつかせることもなく、その深いところに、呑み込んでゆくようだった。清光にとって陸奥守は、またひとつの海なのかも、しれない。


明け方、清光は息苦しさにうっすらと目を開けた。海水が肺に染み込んでいるような息苦しさだった。部屋がぼんやりと霞がかっていて、靄が立っているのだろうというところまでは、わかった。そういえば、昨晩は戸を開けたまま寝こけてしまったのだったか、と。そんな寝ぼけまなこの清光に、「行ってみゆう」と、雨のような声が降ってきた。清光は何か返事をしようとしたけれど、やけに冷えた手で瞼を落とされ、ふつりと、また深いところへと沈んでしまった。

そうして次、清光が目覚めたとき、空気はやけに透き通っていた。誰もいない布団からそろそろと這い出して、端紅の剥がれた足で廊下に立つと、そこは乾き始めており、海もどこかへ引いてしまっていた。清光はその廊下の格子に額をつけてへたり込み、「ああ、もう……」と、小さく呟き、あとはむせぶように泣いた。


果たして、彼は次の雨の日に帰ってくるのだろうか。


END

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -