ふたりでいつかひとになろう cours3(2)




二章 バラエティからシリアスドラマ よくある展開ですね


男女七歳にして席を同じゅうせず、という諺があるがしかし、山姥切と審神者が夜を共にするというのは、つまるところいやらしい意味を含まず同衾することだ。そこのところ、鶴丸は色々な事件から二カ月経ったあたり、だいたい二部隊を編成できるようになったあたりに、「そろそろやめた方がいいんじゃあないか」と、苦言を言った。しかし二人して、「何の問題があるんだ」という顔をして、『この』鶴丸を困らせたのだから面白い。大倶利伽羅でさえそこからさらに二カ月経って、刀剣がかなり増えたのを見て、自分がついこないだまで審神者の風呂の世話をしていたのを棚に上げて、「いい加減やめろ」と言ったのに、この二人は未だに同じ布団で、しばしば夜を過ごす。

それによって妙な噂が流れないこともなかったが、みんな承知をしていることでもあるので、実際、笑い話程度か、なんにも話題がないからという時、酒の席くらいにしか、持ち出されない話でもあった。この本丸の初期刀と審神者が現世で言うところの付き合ってるとか、抱き合っているとか、恋仲だとか、そういう話のことだ。質が悪ければ、「もう真名を渡しているんじゃないか」、なんて話が出たこともある。その時は鶴丸がすぐに別の話題に切り替えて事なきを得た。そのとき鶴丸と同じくらいの神格の刀がいなかったのが幸いだ。けれどその場にいつも大倶利伽羅や鶴丸がいるとは、限らない。

実際、山姥切にはやましいところはなかったし、審神者にもやましいところがひとかけらもない。だから自覚もないし、周囲がどうであるかはよく視るくせに、周囲からどう視られているのかには、まったく、頓着しないのだから厄介だ。けれどそんな噂話でも与太話でも、醜聞は醜聞で、それによって影響を受ける刀だっているのだ。だから「あー!もう、きみたちは本当にわかってないな!」と鶴丸が珍しく、いや、はじめて審神者に説教をしたのが、三ヶ月前の話だ。もちろん、山姥切もセットで。

「君たちは性教育ってものを受けたことがないのか!?」
「……ないな。情報としてならいくらでも探れるが」
『小学校ですこし』

山姥切は当たり前だろう、という顔でそれを言ってのけたし、審神者はいつものメモ帳にさらさらと綺麗な字でそれを書いた。だから鶴丸は暇をしていた大倶利伽羅も呼んで、というか、三人で大倶利伽羅の部屋に乗り込んで、この本丸の本当に本当の初期メンバーでの話し合いをはじめた。

「男女七歳にして席を同じゅうせず、という諺を知っているか」
「……そんな諺もあったな。まあ、正論だ。だが、何故俺の部屋なんだ」
「伽羅坊はどうせ呼んでも来ないからこっちから出向いたんだ。大事な話なんだからな」

大倶利伽羅が「俺がいるのといないのとでどう違うんだ」と反論したあたりに、山姥切がよく情報を手繰りもせずに、首を傾げた。

「……なぜ一緒の席に座ってはいけないんだ」

審神者はさらさらとメモ帳に、『男と女は七歳を迎えたら』とまで書いているところだったが、鶴丸の方が先に解説をはじめる。それくらいの重要事項なのだ。

「素晴らしいな切国。うまく誤用の方を疑問に思ってくれた。第二次世界大戦って大昔の戦争前はな、日本では一部の学校で初等教育の途中からこの諺を誤用して男女を別々の教室で勉強させていたらしい。まぁそんなのはどうでもいいんだ。問題はな、この諺が中国からきてるってことなんだよ。『席』って漢字には、中国語で『ござ』って意味がある。寝るときに敷くやつな。現世風に言えば、まぁシーツあたりを指す。つまるところ、席というのは布団のことであって、男女は七歳をこえたら一緒に寝るなって諺があるんだよ!」

鶴丸もそうだが、大倶利伽羅も自分のことは棚に上げて、深く頷いている。しかし二人はちゃんと訳あってのことだったし、山姥切と同じでやましいところは一切ないのだから、当然と言えば当然で、なんならちゃんと気を遣っていた。その点山姥切は変なところで配慮するくせに、肝心なところをわかっていない。審神者の指先や髪の毛一筋に触れるだけでも必ず一声かけるくせに、どうしてこんな基本的なところには鈍いのだろう。

「どうして駄目なんだ」
「わかれよそこは!現代の小学生でも発育のいいやつならわかるぞ!?男女が一緒の布団ですることといえばなんだ!?」

大倶利伽羅は明後日の方向を見始めた。山姥切は少し考えるそぶりを見せたが、「寝る以外にあるのか?」と意味深ではなく言ってのけた。

『一緒に寝るしか、ないけど』
「切国はさておき、うんうん、きみはそのままのきみでいてくれ。いや、やっぱり駄目だ!セックスだよセックス!正しい日本語で言えば性交渉!英語で言えばメイクラブ!間違いがあってからでは遅いんだぞ!?君ももうすぐ十四歳だろう!?セックスくらい知ってるだろ!?切国は今からセックスで情報手繰れ!英語じゃなく現代日本語の方の意味で!あとセックスとか性交渉とかメイクラブとかあまり連呼させるな!」
「……自分で言っておいて……まあ、統計的に十四で性交渉に及ぶ女は、現代でも少ないが……」
「伽羅坊はどっちの味方なんだ!?少なくても!九割そうでなくても!残りの一割でも五分でも一厘でもがあったらダメなんだよ!」

鶴丸と大倶利伽羅の言い合いの前から、山姥切は赤面をした。さすがに、基礎知識としてはじめの頃に情報だけは少々探ってあったのだ。けれど審神者は知らないと首を横に振って、鶴丸にため息をつかせた。現代の性教育はいったいどうなっているんだ、と。中学生になったら普通、子供がどうやってできるのかだけでなく、女子にもコンドームの着脱方法くらいは教えるべきだ。この審神者の言う性教育というのは、きっと小学校で女子生徒だけ集めて行われた生理についての授業だけに違いない。あれだって男子生徒にも教えるべきだ。現代はそういう男女の猥雑とした関係をどうやら崇高ななにかのように教育する方針で凝り固まっているか、教えることすら忌み嫌っているのかもしれない。

「おしべとめしべからの説明からしなければいけないのか……俺は……」

鶴丸が審神者に向かって「おしべとめしべはわかるよな?」と昔では小学生にしていたような性教育をはじめようとした矢先に、山姥切が「いや、そんなことするわけがないだろう!?俺と審神者だぞ!?」と真っ赤な顔で声を荒げた。

「でも性別的には男女だろ!ていうかきみだって週に何回かは自分でなんかするだろ!?もしかしたら毎日だろ!?」
「おい!審神者の前だぞ!」
「……ほぼ毎日か……」
「おい!大倶利伽羅だって人のこと言えないだろう!」
「……知らんな。審神者の前じゃなかったのか」
「そうだったな!ただし毎日じゃないからな!そこだけだ!」
「いやー、人間の身体ってのは不思議だよなあ、面倒でもなんかこう、しないとダメなかんじになってるんだよなあ。男所帯でなんもないのに。伽羅坊は何でやってる?」
「……春本」
「俺は映像か妄想じゃないとなあ、なんかこう、驚きがなくってなあ。春本は隠し場所にも困るし。で、切国はどうしてるんだ?」
「だから審神者の前でそういう話はやめろ!」

審神者は肝心なところが抜けた会話に、首ばかりかしげていた。と言っても、学校となんにもない部屋を行き来していただけの審神者には、肝心なところを言っても、その言葉を辞書で引かなくてはなるまい。小学生のうちからそういうことをどこからか持ち込んでくる友人すら、前の人生ではいなかったのだから。

「事実なんだからしょうがない!審神者の前だろうとなんだろうと、俺は何かの間違いが起こらないかってのが心配なんだ!特に切国!なんかよくわからんがお前絶対なんかダメだ!具体的に何がダメとかわからんがなんかあやしいんだ!」
「根拠がないにもほどがある!」
「……俺も、切国には信用が置けない」
「どうしてだ!むしろ俺はあんたの方が信用できない!こないだの事件忘れたとは言わせないからな!」
「だからあれはお前のせいだと言っているだろう!」
「だからなんで俺のせいなのかを教えろ!わけがわからないまま責任転嫁されている俺の身にもなってみろ!」

そのどちらの質問にも、大倶利伽羅は答えなかった。こないだの事件というのは、大倶利伽羅が審神者の部屋に断りを入れては入ったが、入ってみたら審神者が着替え中で、書籍を投げつけられて追い出された、なんてつまらない話だ。他の刀でも、鶴丸であっても、着替え中に部屋に入ってしまうことなんて、まあ、なくはなかったが、大倶利伽羅だけが追い出された。山姥切の質問に答えなかったのは、山姥切へ信用が置けないのはなぜ、あの事件は山姥切のせいなのはなぜ、というふたつの質問への答えが、ひとつは「審神者がこの中で唯一、一緒に風呂に入りたがらない刀だったから」というものと、もうひとつは審神者の前で言うべきでない答えだったからであって、それはこじつけであったし、審神者の気持ちを害する言葉でもあったからだ。けれど黙った大倶利伽羅を差し置いて、鶴丸と山姥切は「このムッツリ!」だの「俺にやましいところはひとつもない!」なんてぎゃあぎゃあとみっともなく言い合いを始める。千余年と何百年を渡った刀がこうも幼稚に言い合えるものなのか、と大倶利伽羅が頭を抱えたところで、審神者が何かをメモにしたためているのに気が付いた。だから、まず男と女の定義が、だとか、関係性が、だとか論点がズレてきた二人に、「おい」、と、声をかけて、顎で審神者を指した。そうしたら審神者がそっとメモを出す。

『そうしたら、一緒に寝たらいけないのなら、わたし、不安なとき、怖いとき、真っ暗な夜の中を、どうやって歩いたらいいの』

鶴丸がぐっと黙って、「じゃあきみ、逆に聞くが、切国と出会う前は、どうしていたんだ。ただ、そうすればいいだけの、話じゃあないか」と言った。山姥切はいろんな言葉を、飲み込まなければ、いけなかった。この審神者は、ほんとうは、七歳になんて、なっていないのだ。透明で、幼くて、傷もない、ただの赤子で、身体と知識だけが魂と切り離されて、十四のかたちになろうとしている。だから、こんなに真っすぐで、脆くて、強い(こわい)んだってことを、山姥切だけが知っていると、本人は思いこんでいる。

『わたしはそれを、しらないの』
「……そうか。……うん、そうだよなあ。……じゃあ、きみはこれから、そんな夜の歩き方を、学んでいかなきゃならない。少しずつでいいさ。……それまでは、まぁ、仕方がないから、同衾を赦しておく。俺になんの権限があるんだって話になるが、外聞ってやつがあるんだ。きみと山姥切が恋仲だなんて噂が、そこら中に蔓延している。それは、よくないだろう。きみも初潮を迎えたんだ。もう、体は『女』なんだからな」

鶴丸のセリフに、今度は審神者が赤面をした。山姥切が顎に指をやってなんのことか、と情報を手繰り寄せ始めた。審神者はメモでは追いつかないからと身振り手振りでやめてやめてというのに、情報はするりと山姥切に届いて、山姥切は赤面するでもなく、「ああ」と、納得をした。こないだのあれこれはそういうことだったのか、と。審神者ばかりが顔を手で覆って、今にも羞恥で死にそうになっている。山姥切は自分の事情の時は赤面をしたのに、審神者の方のことになると「何を恥ずかしがるんだ?」と首を傾げるからおかしい。

「なんだきみ、あれがそうだったって気づいてなかったのか!?こないだ歌仙がなんでもない日に赤飯を炊いていただろう!そういう風習なんだ!現世で残ってるかはわからんがな!いやあの時は大変だった!審神者が厠から小一時間出てこないし、絶対見るなと言うから洗濯の方法を口頭だけで教えなければならなかったし、貧血と腹痛だの頭痛だので三日は布団から出てこられなかったからな!必要なものの買い出しのために式を持たされてひとりで町へ出た俺の雄姿を褒めてくれ!」

審神者は顔を真っ赤にして鶴丸の胸をドンドンと叩くのに鶴丸の口からはいらない情報がどんどんと流れてくる。山姥切はこれの細かい部分は知っておいたほうがいいのか、いや知らない方が審神者の羞恥的にはいいのかとぐるぐる悩み始めてしまった。

「ま、いいさ。きみはなんだかんだ、気を張りすぎていた。同衾も何も、きみと切国じゃあ、なんにもないって、はじめっからわかってる。大倶利伽羅だってそうだ。きみたちを一番長く視ている俺たちが言うんだから、間違いない。ちょっと気を楽にしてやろうとからかったんだ。どうだ、少しは気楽になれたか?」
「あんたと切国じゃなあ、……天地がひっくり返ってもどうにもならんだろうな。で、鶴丸、なんで俺を巻き込んだんだ」
「いや、三人より四人の方が、気が晴れるかと思ってな。伽羅坊はなんたって、はじめて審神者が一人だけで鍛刀して、この本丸を窮地から救ったヒーローだし、一緒に何回も風呂入ってるし」
「……いつの話をしているんだ、いつの。それならお前だって入っただろう」

山姥切が「え、お前たち審神者と風呂に入ったのか?」とまた突拍子もない会話になりそうなセリフを吐く前に、審神者が三人の真ん中にバン、とメモを叩きつけた。

『意地悪』
「ははは、結構結構。きみは可愛いなあ。からかいがいがあってとても楽しい。……そう、それと切国、夜の歩き方、きみも審神者に置いていかれないようにな。……夜はただ、暗いだけじゃあ、ないんだ。月明りが、そこらを照らして、沢山の道を、俺たちに差し出してくる。そのことを、わすれちゃあ、いけないんだ」

山姥切はきゅうに温度の低い話が自分に向かってきたものだから、ぐっと言葉に詰まってしまった。それから、「……わかった」と、素直に、頭の布を下げた。それからやっぱり気になって、後から大倶利伽羅に「なんで俺だけ誘わなかったんだ?」と風呂の件を聞いたのだけれど、知らぬ存ぜぬを通されて、なんにもならなかった。鶴丸に聞いたらそれこそ一生笑いの種にされてしまうので、諦めるしかなかった。


三ヶ月前あたりにそんな会話をしてから、そういえば、一緒に寝るということをしばらくしていなかったな、と、山姥切はその日の晩のラジオを終えてから、思った。しばらく、と言っても、二週間にも満たない。審神者はそれだけ、燭台切光忠を顕現させようと、心を砕いていたらしかった。そして、本丸全体のことも考えて、戦績も、政府に迫られていたに違いない。そんな張り詰めた審神者の心にも、山姥切は気づけなかった。

見張り櫓を降りて、本丸の廊下を歩きながら、ぼんやりと、外の方を見る。月明りもあって、蛍も舞っている。全くの真っ暗というわけではない。行灯を持たずしても、廊下を歩くことはできる。本丸の季節が変わるようになったのは、いつからだったか。冬はひどく寒かった記憶が、たしかにあるのに、山姥切ははじめて見た桜のことしか、覚えていない。それから、それを隣で見ていた審神者のあの、うつくしく透き通った、黒い瞳と、きらきらひかる、光彩の色。


バラエティからシリアスドラマ 板チョコでさえ等分できない不器用だもの

審神者の部屋には灯かりがついていた。山姥切が木枠を叩いてから「入るぞ」と声をかける。するとカチン、と、障子の鍵が開く音がした。前はこんな仕掛けはなかったのだけれど、以前大倶利伽羅が審神者の着替えの最中に部屋に入ってしまうという珍事件の後にこの方式が導入された。その日は審神者が顔を真っ赤にしたまま押し入れに籠ってしまって、大倶利伽羅が鶴丸に無理矢理頭を下げさせられるという面白おかしい場面も見られた。それからというもの、鶴丸が軽く指南して、審神者に簡単な結界を張らせているのだ。一緒に風呂へ入っていながら着替えがダメという価値基準はなんなのだろう、と、山姥切は思うのだが、詳細を聞いたらしい鶴丸曰く、「ああ、それ、お前のせいだ」とのことだった。さらに理解できないうえに理不尽だ。真相はと言うと、その時審神者がつけていた下着が山姥切の好きな色だったから、なんていう、面白い理由だ。鶴丸は例の放送のお便りの後、黒い下着ばかり買い与えるから、審神者の下着はもう黒が基本になっている。下心がこれっぽっちもないのに、それを他に見られたくないというのは、なんともこじれた関係だなあと鶴丸と大倶利伽羅は酒の肴にした。実際大倶利伽羅は納得しないまま舌打ちをしていたが、とにかくそのことを山姥切が知ることはないだろう。


山姥切がするりと障子を開けると、珍しく審神者の文机の周辺が散らかっていた。小さなメモ用紙に、うつくしい文字で、色々と綴られている。審神者は少し慌てながらそれをまとめはじめて、それから、『まだ、整理がついてるわけじゃ、ないんだけど』と、メモの山を寄越した。山姥切はいつかの手紙を受け取った時よりずっと丁寧にそれを受け取って、ゆっくりと読んだ。ちょうど、審神者の文字がてのひらに染み込むくらいの速度で。審神者の文字たちは、こういうときの文字たちは、何故かまぶしく、輝いて見える。

『たくさんの気持ちがあるの。自分でも、わからないくらい。でも、気持ちって、ひとつひとつに重さとか、大きさとか、うまく表現が思いつかないけれど、とにかく、気持ちが全部違うの。わたしはどうしても、鶴丸と、大倶利伽羅と、薬研に頼りきりな気がするの。そのあとにきたひとたちが頼りないってわけじゃ、ないの。でも、どうしてかわからないけど、何か大きな悩み事があったら、鶴丸か大倶利伽羅か薬研に手紙を書いちゃう。悩み事にも色々あるの。どうでもいいこととか、二択で困ったら適当に答えてくれる御手杵に聞くことが多いかもしれないし、ちょっとしたことだったら前田に聞くことが多いの。中くらいの悩みになってきたら、それをうまく解決できそうなひとに聞くの。家事とか掃除だったら歌仙とか、粟田口の短刀とか、蜻蛉切とか……。戦術なら、江雪とか、太郎太刀とか、鳴狐とか、小狐丸。でも時代によっても違うから、池田屋あたりになったら、陸奥守とか、新選組にゆかりのあるひとたちに聞くの。でも、まだ一回も悩み事聞いてもらったことないひともいるの。たとえば、長谷部、とか。長谷部はわたしに都合のいいようにしかこたえてくれないだろうから、とか、山伏……ごめんね、山姥切国広の兄弟なのに……は山籠もりすれば解決するとか言い出しそうだから、とか、そんな理由で。ほかにも勿論いるよ。だって、たくさんのひとがいるの。みんなのことちゃんと見ようとしたって、知ろうとしたって、少し知ったそばから、新しいひとが増えるの。前からいたひとだって、どんどん新しいふうになっていくの。それに置いていかれてしまって、いつもわからなくなる。いつも同じひとにしてしまう。そんな、なんでもないことが積もり積もって、あ、わたし平等じゃないって、気が付いたの。だって、こんな話……まとまりもつかないくらい大きな悩み事を相談できるのは、山姥切国広ひとりだけだから。山姥切国広が、わたしの中で一番で、次に三人……鶴丸がいて、大倶利伽羅がいて、薬研がいるの。その下……って言ったら、すごく、胸が痛いけど、とにかくそこからもどんどん、平等じゃなくなってく。みんなの審神者なのに、わたしは山姥切国広のものなの。山姥切国広が一番で、唯一なの。……それでわかったの。心って、広いとか狭いとか言うけど、結局、ほかのひとにあげられるぶんのこころは、有限なものなんだなって。その心を、どれだけ平等にできるかなって、前からずっと考えてたんだけど、無理だった。心って、分解できるけど、それってすごく大変なことで、分解した部品の大きさも違くって、どれだけ細かくしてったって、どれだけ単純な部品にしていったって、その単純が、頭が痛くなるくらい、複雑なの。何言ってるかわかんないよね。ごめんね。それでね、明日……顕現、させられたらの話だけど……新しく、この本丸に迎える刀は、多分、わたしが一番、怖い刀なの。本当には、会ってないのにね。変だよね。もう視て、触れて、そのひとがどんな性質で、どんな性格で、何を願えば顕現してくれるか、わたしにはわかってる。うつくしい刀だよ。優しい刀だよ。そして、「誇り高い刀を」、「みんなを支えてくれる刀を」って、願うの。どうしてそんな、やさしくて、うつくしくて、誇り高くて、縁の下の力持ち、みたいなひとを、怖いって思っちゃうの?……アレは、あの時のは、姿を借りただけの、違う……生き物でしかないっていうのに。……わたし、きっとその刀にわけてあげられる気持ちが、みんなよりずっと少ないと思うの。それが怖くて、悲しくて、酷いことだと思うの。だから、その刀は本当にこの本丸に顕現させていいか、まだ悩んでる。決めたのにね。昼は決めたのに、夜が近くなると、明日が近くなると、ダメになるの。闇の中に落ちてくの。ずっとぐるぐる考えてて、このメモを書きながらも悩んでて、どうしよう。わかんないよ。わたし、どうすればいいの。怖いよ。明日が怖い』

山姥切は読み終えてから、このメモの山は、夕餉のあとからずっと書いていたものなのだとわかった。消しゴムで何回も消されている箇所もあるし、どうにかつなげようと必死だったのもわかるし、審神者の抱えるものの大きさが、よくわかった。そして、「明日が怖い」という文言がまずはじめに書かれたのであろうということも。山姥切の気が付かないところで、この審神者は顕現させた刀たちに、神たちに、ひとに、平等であろうと苦労していたのだ。そして、三ヶ月前にはもう、鶴丸は気づいていた。気づいていてなお、「それはお前の役割だ」と、暗に今、突き付けられた気がした。そうだ、これは、山姥切の役割だ。この審神者、唯一の。

山姥切はメモの山を見つめながら、じっと考えた。それでも全然、審神者が悩んだ時間には、足りない。本当はふさわしくない言葉なのかもしれない。それでも、もしも間違っていたとしても、そのときはまたふたりで、そう、ふたりで考え直せばいいと、思った。だから、山姥切は自分の中にある不平等にも、気が付いた。山姥切国広の一番で、唯一無二は、この審神者ただひとりなのだ。けれど、それは、当たり前のことなんかじゃ、なかった。

「俺が一番、気持ちを与えてるのは……違うな、渡してるのは、あんただ。心を捧げているのは、渡しているのは、あんただ。……俺は、神様なのにな。神様でさえ、不平等なんだ。一番があんたで、次が……鶴丸、大倶利伽羅……兄弟たち。そして、多分、下の方に、あんたが言う、酷い表現の、ずっと下の方に、薬研と、一期一振がいる。なんでなんだろう。ふた振りとも、優しいのにな。……薬研はあんたの肩……俺が傷つけて、もう、腕を上にあげられないようにまでしてしまった肩を、診てくれた。腕が床と並行になるくらいには持ち上がるようにしてくれた。俺が風邪をひいたときにも、薬を作ってくれた。……一期一振は、目端の届かないところまで、気を遣ってくれる。数の多い粟田口をきちんととりまとめてくれている。そしてあんたが頼る、俺も頼ってばかりいる、鶴丸と、……俺と大倶利伽羅を例外にしたら、なんだかんだ一番仲がいいのは、一期一振だし、いつも何かやらかす鶴丸を厳しく注意できるのも、一期一振だけだ。あんたの……時間を削ったのは、そいつらじゃなくって、神霊だってわかってるさ、頭では。そしてちゃんと、それは強要されたわけじゃなくって、あんたが選んだことだって、尊いことなんだってことも、わかっている。でも、駄目なんだ。どこかで、気持ちがぶすくれていて、素直になれない。優しくなれない。俺の心も、ほかのやつにあげられるこころは、有限なんだ。そして、過去とか、関係性とか、相性とかで、その有限なものを配る配分も、絶対的に、違う。それで、誰かから嫌われていたり、憎まれていたり、するのかも、しれない。俺が、そうであるように。……だから、もしかしたら、それと同じように、命令に従っているだけで、あんたを……よく思っていない刀も、いるのかもしれない」

審神者の手が、膝の上でぎゅっと組まれて、開いて、もう一度、組みなおされた。山姥切は知っている。これはこの審神者の、癖だ。膨大な記憶の中に、ひとつ、大きく物事を刻み込もうとするときの、癖。無意識で教科書のページをそのまま丸暗記する脳みそから、言葉の行間まで掬い取ろうとして、必死に、意識的に記憶しようとする脳みそに切り替えるときに、出る。だから山姥切も、もっとずっと、言葉を選んでいかなければならないと、意識させられる。けれど、どんなに意識したって、山姥切の言葉は、山姥切の言葉でしかない。それ以上の大きさにはなれないし、それ以下のものにも、絶対になれないのだ。

「……万人に平等であることは、裏を返せば唯一がないってことだ。あんたは、……なにをもって、俺を唯一と言ってくれているんだ……?」

ここからは対話だった。今までしてきたように、これからもきっとしてくれるだろう、行為だ。山姥切のてのひらに、審神者が冷たい指先で、文字をしみ込ませてゆく。

『わたしの、神様だから。ちがうね、神様だからじゃ、ない。わたしにいのちをくれた。名前をくれた。一緒に歩こうっていってくれた。生きようって、道を示してくれた。それだけじゃない。もっとたくさん。いい表現が、ないの。山姥切国広だから、ってしか、言えないの』

山姥切は被ったまんまの布を引き下げようとして、やめた。まっすぐに見つめなければならないことが、ここにはある。だから、その手で、頭にかかる邪魔な布を、後ろへ下げた。

「……そうすると、……そうだな……唯一であることの条件が、心を配ることの条件が、いのちを与えるというのは、さておき、一緒に、生きるという道を、共に歩み、道を示すことだとしよう。……いや、ふたりで、道を探すことに、お互いが同意していることとしよう。……そうしたら、逆に、唯一がない、つまり、万人に平等であるということは、誰とも……共に歩まないということだ。生きるという道のりを、ただひたすら孤独に、ひとりで、なんのしるべもなしに、歩かなければならないということだ。それはつまり、誰にも心を配っていないのと、おんなじなんじゃ、ないか。だって、あんたに道を示しているのは、俺だけじゃ、ないだろう。あんたの隣を歩いてくれるのも、俺だけじゃ、ないだろう。ちょっと距離が近いか、遠いかの差はあれど、みんなが、一緒に、歩いてくれているんじゃないか」

審神者はまた手を組みなおしてから、ひとつ、深く、頷いた。

「万人に……いや、それが数十人であったとしても、平等というのは、気持ちや心を平等に分配するっていうのは、きっと、不可能なんだ。こころが……複雑すぎるから。気持ちは、そんな複雑すぎる心から生まれたものだから。あんたは、誰にも心を配らず、開かず、ただひとりで、たった一歩でも、進めるか?」
『そんな残酷なこと、できない。怖くて、できないよ』
「ああ、俺もだ。そしてあんたは、例の刀にも、もう心を配っている。『心を配れないかもしれない』ってこころを、気持ちを、配ってる。だから、怖いなら怖いって、会ってから、言えばいい。そうしたらその刀とふたりで、妥協点を探すんだ。経緯を説明して、わからない刀じゃあ、ないだろう。誇り高くて、なにより、やさしい刀なんだろう?そうしたらきっと、大丈夫だ」

審神者の震えていた指先が、しんとして、すこし置いてから、また文字を綴った。うつくしいその軌跡を、山姥切は少し目を伏せて、視る。視なくたって、わかるのに。その光の軌跡のうつくしさに、見惚れるのだ。

『うん。ありがとう、山姥切国広』
「……随分、遅くなったな。もう寝よう。ああ、あんたが怖いと言っていた明日が、いつの間にか今日になった。……この言い回し、本当に、俺も平等じゃあ、ないな。……なあ、今日は、怖いか?」
『……こわくないよ』

会話は、いったんそこで途切れた。山姥切が布団を敷いて、ふたりで少し笑いながら、それに潜り込む。寝るときはいつもだけれど、ふたりは向き合って、山姥切が審神者を抱きしめるようにして、眠る。審神者は、山姥切の胸のあたりのジャージを、ぎゅっと掴む。そのとき脚や胴は、触れ合ったり、絡まったりするのに、ひとつの生き物になったみたいになる。鼓動が重なって、体温が重なって、吐息まで同じ速度になるように、感じる。このとき以上に、誰かとひとつになっているって感覚は、きっと存在しない。けれど、それでは駄目なんだと、鶴丸が指し示して、大倶利伽羅も道を正した。こうやってひとつになるってことと、山姥切と審神者が目指しているところは、きっと、違う場所にある。

うとうとしてきたところで、山姥切は、そういえば、ひとつ、不公平があったと、思い至った。うとうとしながら、半分寝言のように、審神者の頭の上で、ぶつぶつ、呟いた。

「……あんたが、俺の、唯一無二である理由を……教えていなかった。これじゃあ、不公平だ。……あんたが、俺を選んだ時、じつは、聞こえていたんだ。『わたしを殺す刀を』って。……なんてこと願うんだって、思った。でも、そのすぐあとに、耳をきんと澄まさなきゃ聞こえないような声で、『もう、誰もいないの。神様でもいいから、誰か、最期には、隣にいて』って願いが、聴こえた。たしかに、聴こえたんだ。……『傍』じゃなくて、『隣』だったんだ。あれがきっと、『あい』の、生きたいって、心の隅っこに、小さく残ってた、願いだったんだ。……『あい』が、俺の心の中に終われてくれなきゃ、きっと思い出さなかった。……俺はあんたと違って、忘れっぽいんだ。……うん、神様って、願いをかなえてくれるんだろ?……俺は、『あい』を終った時に、あんたに、いの……真名を授けた時に、誓ったんだ。――の願いを、叶える神様になろうって……だから……ずっと……それが……うん、俺も、――が、――だからってしか……言え……な……」

最後まで言い終える前に、山姥切の意識は、すうっと、吸い込まれるように、夜の闇の中に沈んでいった。明るい闇だ。半分寝ながらだったから、山姥切は気が付かなかった。ずらした枕が少し、湿っている。鼻をすする音がする。今晩は、随分と、あかるくて、夏の夜だからという理由でなく、あたたかい。だからだろうか。山姥切はするりとそこから抜け出した気配に、気が付けなかった。


三章 脳内ザッピング、感度不良 声にならない声でも伝わるんならそれはいったいなんて名前の伝達方法

山姥切が朝の放送を終えて、少しの時間を潰し、七時からの朝餉の席につくと、話題は新しい刀の件ばかりだった。今日は近侍だったが、あまり審神者にそれを意識させるのもどうかと思い、いつものように兄弟に挟まれながら話をちらちらと拾ってみた。聞けば、一年経ってもその刀が存在しない本丸の方が珍しいらしい。触れた刀、視た刀の情報は解禁されるらしく、山姥切は今日審神者が顕現させる予定の刀は「燭台切光忠」という名前だということを知った。鶴丸は「光坊」と呼び、大倶利伽羅は「光忠」と呼んだ。他の刀はともかく、「燭台切」という号があるのに、ふたりして号を一度も呼ばないことに、少しばかり違和感を覚えたが、へし切長谷部のように何か事情があるのかもしれない。「へし切」自体は別段呼びにくいわけではないのに、と、山姥切はいつも思う。他にも号と銘や刀派で呼び名が違う刀に、にっかり青江がいるが、にっかり青江は「青江」と呼ぶ刀も多いが、「にっかり」と呼ぶ刀もいるし、基準は語感だとか由来だとかではないのかもしれない。歌仙なんかは物騒極まりない由来の号であるのに誰しもが兼定とは呼ばない。長谷部は何やら訳ありのようなのだけれど、山姥切はあまり長谷部と交流を持っていないので、聞く機会がないのだ。風の噂では前の主がどうのこうのと長谷部がうるさいから、と、織田に所縁のある刀が言っていたが、「へし切」の由来になったのは織田信長の所業であり、国宝に指定され、昭和後期に福岡博物館に寄付されるまでは黒田家の家宝だった。前の主、というのが「今の主のひとつ前」を指すのであれば、黒田家ではないのか。長谷部が黒田に渡ってからの特に有名な武将であれば、黒田如水か黒田長政の名が真っ先に出るはずだ。そこがかみ合わないのと、家臣とはいえ、同じ黒田家の母里友信が振るっていた日本号を避けるのとは、何か関係があるのだろうか。黒田長政と母里友信の間にはいい意味でも悪い意味でもいざこざが絶えなかったらしいが、それも何かあるのか、と、考えているうちに、朝餉が終わってしまった。

燭台切光忠の顕現は午前のうちに行われる予定ではあるが、朝餉を食べてすぐは早すぎる、と朝餉の後片付けやら日々の雑務が終わってから、という話になった。山姥切はその時になって、自分が近侍になるのは久方ぶりだな、と、気が付いた。遡って考えてみると、審神者は意識的に近侍を平等に、当番制のようにしているようだった。顕現している刀で、近侍を務めたことがない刀は、多分いない。当番の順もだいたい、まずもとからしがらみの少ない刀派でくくり、順繰りに引き継がせて、その刀派を外れて交流を持っている刀に引き継がせる、と、そう、幼いながらも、うまいやり方だった。例えば、左文字に近侍を任せる場合、織田で交流があった薬研から宗三に引き継がせ、宗三から江雪、小夜に引き継がせる。そこから小夜を「お小夜」と呼ぶほど慕っている歌仙へ、という風に。

近侍だから役職の名前の通り審神者について部屋で待機をしていても、山姥切は朝餉の後の思考を引きずっていて、歴史上の人間模様が刀同士の関係にまで響いてくるのだろうかだとか、日本号と長谷部の仲は悪いがしかし、黒田家の槍であっても、日本号と細川家の歌仙は仲が良いじゃないか、いつも何故か小夜を通すが、だとか、たしか黒田長政の時代は黒田と細川の仲は相当険悪で、しかもそのあたりの代はたしか「歌仙」の号の由来となった細川忠興の次代だ、だとか考えていた。実際、黒田長政は細川忠興が気に入らなくて黒田家とその家臣全体に細川家とは関わるな、と命令まで出していたとも聞く。そうなってくるともうどの刀やら槍やら薙刀がどこの家を伝来してきただとかその家同士の繋がりだとかは今の刀剣には関係がないのでは、とも思えてくる。

家同士の繋がりを持ち出すのであれば、関ケ原の戦いひとつにしたってそれこそ東軍西軍で本丸が真っ二つに割れるだろうし、そうなっていたら人間関係、いや刀間関係の話ではなくなってしまう。そういえば当本丸第一回関ケ原の戦いの折に顕現していたのは全て東軍にゆかりある刀だ。北条氏が滅亡してからはどこの家ともつかず個人所有になっていた山姥切については、長尾顕長の子孫が徳川の外様大名ではなく、譜代大名に仕えて、家臣になっているからゆかりがあると言えば、なくもないという程度ではあるが。しかし鶴丸はそこまで考えてあの事件を関ケ原の戦いと称したのだろうか。それならば刀同士のいざこざで第二回があってもおかしくはない。まぁ、まず現状からすればありえないだろうし、東軍側が数的に勝つだろうということに変わりはないのだけれど。けれどもしそうなると鶴丸が言及していた戊辰戦争あたりにまで発展しやしないか。しかしその時代は徳川の治世の最期、いや、終わりで、徳川家に仕えていた刀を数えたら、倒幕だの尊王攘夷だの、倒幕派で開国派だの、尊王だが開国派だの、とにかく徳川政権を憂いていた側だった薩摩と長州を除けば大半で、さらにそこまでの道のりは基本的に脱藩した浪士の活動であったために、平安時代に打たれた刀は勿論、南北朝時代に打たれた刀だって名前を変えて続いていた家だって、戦争と名がつくまでは参加していないだろう。そして倒幕派の刀なんて維新側だった坂本龍馬の佩刀である陸奥守吉行以外にいるのか、という状況だ。むしろ坂本龍馬は維新側ではあるが別に徳川をどうこうという立場ではなかった気がしなくもないというか、坂本龍馬の立ち位置がそもそも諸説ある。それに、彼は戊辰戦争が起こる以前に暗殺されている。実際その時代、どの刀がどこにあったかなんて、資料が膨大だし、記録も諸説ありすぎる。けれどなんだかんだ言いつつ、陸奥守と新選組局長近藤勇の佩刀であった長曽祢虎徹はそれなりにやっているし、和泉守はしょっちゅう張り合ってはいても、深刻な事態には発展しない。みんな、ああ、昔はそんなこともあったな、くらいに済ませているのだ。まあ、それを持ち出していざこざを起こさないかというと、そうでもないのだけれど。しかしどちらかというと、それを持ち出して親交を深めたり、交流を持つ刀の方が多い。

泰平の世が長く続いたし、刀は美術品として扱われた時代も長かった。第二次世界大戦後に消失したり、長い歴史上、山姥切の中では瞬きひとつの間で焼失していた刀も多いし、数ある刀を総称している刀もいる。伝説だけが独り歩きしている刀も。回りまわって、じゃあなんでまた日本号と長谷部はあんなに険悪なんだ、という疑問に戻るのだが、こればっかりは何回か同じ部隊で出陣させて、近侍札もやりとりさせて、様子を見るしかないのだから、審神者に少し何か言おうか、と、山姥切は考えて、今度時間のある時にでも、と、頭の隅にメモをした。それから、ああ、こないだ大典太が熱中症で倒れた時に前田が看病したのは、前田家で繋がっているのか、だとか、そういえば伊達でくくってはいるが、大倶利伽羅と鶴丸とでは実際には所有者が違うというか、同じ家に二振りが在った時期なんて存在しないのでは、だとか、思考がとっ散らかってきたところで、審神者がトントン、と、すべて終わったらしい書類を束ねた。

そうして山姥切に向き直り、両のてのひらを差し出してきた。山姥切ははじめ、思考の海から引きずりあげられたのもあってどうしていいかわからなかったが、まっすぐに、それこそ山姥切の瞳の色が審神者の瞳に映り込むほどまっすぐに見つめられて、なんとなくで、そのてのひらに、「……触るぞ」と言ってから、自分のてのひらを重ねた。けれどなんとなく感じたというより、「手を握って」と、言われた気がしたのだ、たしかに。そうしてぎゅっと握りこむと、手だけで繋がっているのに、お互いの全部がわかってしまうような、ひとつになっているような、息づかい、思考、体温、全部がわかってしまうような、そんな気がした。そうして、山姥切はその繋がったあいだに、ああ、こころを貰っている、と、感じた。山姥切が感じたということは、審神者も、きっと同じなのだ。それは一分にも満たず、離れた。自然と、そうなった。

ただ、「きっと大丈夫だよね」「ああ、大丈夫だ」という会話を、てのひらでしただけだ。でも、それってすごいことなんじゃないかって、少なくとも山姥切は手を離してから、思った。

それから、審神者の手は、とても小さいなあとも、山姥切は、ちょっとだけ、思った。


脳内ザッピング、感度不良 過ぎて去ったものと書いて、過去と読むのに、それはどこかに傷をつけて、ずっとそこにある

戦場で刀を拾ってきた場合でも、この本丸では顕現は鍛刀場でする。別段、場所を選ぶ行為ではないのだけれど、審神者は「鍛刀場が一番集中しやすいの。それに、あそこの空気はいつも静かで、ああ、これから神様と契約するんだなって、思えるから」と、どんなかたちであれ刀を顕現させるときは、鍛刀場で行っていた。そのくせこの審神者は、顕現させた刀は、『ひと』と呼ぶ。

山姥切は神霊と知られてはいけないので、演練に出ることができないのだけれども、少し聞いてみてくれ、と、兄弟が顕現してからはそれとなく、他の本丸の情勢を探っている。鶴丸は積極的に他と交流を持つようにしているし、大倶利伽羅もたまにぼそぼそと何か声をかけることがあるようだった。他の本丸の事情は世間話程度に伝聞で色々と聞いてみたが、「庭先で顕現させられたらしい」だの、「審神者の部屋だったとか言ってたかな」だとか、話は色々で、本丸の様子については「あーうちの審神者、刀使い荒くてさ、ほら、ここ傷残ったまんま」と笑う刀がいたり、「うちは精鋭ばかり出陣させて、他はな……遠征には出されるが……まぁ、人の子のように日々を過ごしている」と言ったりする刀もいるらしい。それを聞いて山姥切は、色々な審神者、もとい人間がいて、色々な本丸のかたちがあるのだな、としか、当時は思わなかった。山姥切がよく知る人間は、町の店員を除けば、この審神者、ひとりぎりなものだから。

鍛刀場へ続く渡り廊下を、審神者が両手で燭台切光忠を持ち、山姥切がその隣を歩いていると、前の方に鶴丸と大倶利伽羅、そして薬研がいた。鶴丸がひらひらと手を振って、「なあ、ちょっとだけ話そう」と声をかけてきた。こんな時に、と思うと同時に、鶴丸のことだから、何か考えあってのことだろうとも思った。それから、鶴丸と大倶利伽羅は伊達の繋がりと、事件の当事者であるからわかるが、薬研はどうしてだろうか。

「なあ、だいたい一年前のこのあたりのことを、覚えているか?」

話を切り出したのは鶴丸だった。大倶利伽羅は「付き合わされただけだ」と言わんばかりにそっぽを向いている。薬研は内番服の白衣のポケットに、両手を突っ込んで、少し愉快そうにしている。

一年前のこの時期にあった大きな出来事と言えば、真っ先に思い当たるのは「第一回当本丸天下分け目の関ケ原の戦い」だとか、薬研の神霊と一期一振の神霊の件くらいだが、山姥切はどちらにもいい思い出がなかった。しかし、そうなるとやはり面子がおかしい。そのふたつの件に今は分霊となった薬研はかかわりがない。神霊から分霊になって徐々に、薬研は神霊の力を持っていた時の記憶を失っているはずだ。実際、本人も「顕現したばかりの記憶が、なんでかあやふやで、何かおかしい」と言っている。薬研の神霊は、消える記憶は一期一振の、時の政府との契約の一部だけ、と言っていたが、分霊に残すべき記憶でないと判断したのか、半分神霊であったという記憶も消し去り、ほんの少しの日常的な記憶のみを残し、それ以外、つまり一期一振の神霊に関する記憶や山姥切の正体とその審神者の関係性についての記憶は全て、徐々に、違和感の起こらない風に、薬研の中から消えていったようだった。だから、この本丸に一期一振が顕現したときも、「ああ、やっとあえたな」としか、言わなかったのだ。

山姥切が思案している間に、審神者の方が両手の指を使って、空気中に少し大きめの円を描いた。山姥切は一瞬の後に、「あ、」とそれに思い至る。

「そうそう、やはりきみは記憶力がいいな!一年前に埋めただろ、『タイムカプセル』。俺の発案で」

タイムカプセルというのは、現世の二百年かそこらくらい前に流行った遊びのようなものだ。何か頑丈な入れ物を用意して、それに未来の自分に宛てた手紙だとか、大切なものだとか、面白いものだとか、そういうものどもを入れて、地中に埋める。そうして十年後、二十年後、とにかくかなりの年数が経ってから掘り起こして、当時はこんなだったとか、懐かしいだとか、思い出に浸ったり、羞恥したりする遊びで、学校の同窓会だとかそういうことのレクリエーションの一環だったらしい。しかしこの本丸では十年は長すぎる。だから一年ごとにやらないか、いい思い出ができるだろう、と、鶴丸が提案してきたのだ。

そして当時顕現していた四振りと審神者で、タイムカプセルを作った。鶴丸がどこからか調達してきた安っぽいお菓子の缶のようなものに、それぞれが選んだものや作ったものを入れていった。入れる時は「誰が何を入れたか、開けるまでわからない方が面白いだろう?」と鶴丸が簡単な術をかけて、ひとりひとり入れていったので、審神者が何を入れたのか、他の誰が何を入れたのか、山姥切はまだ知らない。ただ、自分は何を入れたのだったか、と、たった一年前の話なのに、思い出せないのが不思議だった。けれどどうして今、その話をするのだろう。

「いや、まあ、今掘り起こそうって話じゃあ、ない。これから光坊、顕現させるんだろ。……色々疲れるだろうから、そうさな、明後日くらいに掘り起こすのがいいんじゃないかって話になったんだ。明日は俺の予想じゃ雨だしな」
「……お前のは予想じゃない。こないだ審神者の部屋で暦を見ていただろう」
「それに明日は俺が出陣する第一部隊の隊長だ。池田屋だからな。……まぁ、全員無傷とはいかんだろ。戦場とこことは流れる時間が違うから、夕方には戻るが、俺が手入れを願うかもしれん。まあそんなつもりは毛頭ねぇんだが」
「そうそう、だから明後日にしないかって、この三人で勝手に話し合った。昨日の晩にな。きみたちが、なにか話し合ったみたいに」

山姥切は昨日の晩のことを思い出して、ぐっと胸が重くなるのを、感じた。それから、どうしてか、やはり、審神者だけでなく、自分も、短いか長いかはさて置き、同じ時の中を誰かと一緒に歩んでいるのだと、感じた。

「この一年間、色々あったなあ。でも、なんていうか、一番『傷』が深かった時期に埋めたもんだ。その傷、そろそろ、取れそうなかさぶたを剥がして、痕にしても、いいんじゃないかって、な。完全に消えてくれや、しないさ。わかっている。……ひとの一生は短い。人間五十年、……そのあいだに、いろんな傷をこさえるもんさ。ただ、いつまでも生傷抱えたまんまってのは、どうにも、報われないような気がしてな。……それに、まぁ、楽しみだろ。過去の自分が……仲間が、何入れたかって。……ま、そういうことなんだが、きみたち、それで何か差支えあるかい?」

最後の方は陽気な仮面をかぶった鶴丸だった。山姥切は特に問題がなかったので、気楽に、「ああ、明後日で問題ない」と答え、審神者も問題ない、と首を横に振った。

「じゃあ、明後日を楽しみに、な。……その刀の顕現は楽しめるもんじゃ、ないだろうが、顕現後はきっと楽しめるさ。少なくとも、俺は楽しみだ。じゃあ、それだけだ。またな」

鶴丸はひらりと手を振って、横を通り過ぎていった。大倶利伽羅はすれ違いざまに「……すまなかった」と、審神者の耳元でぼそりと呟いたが、山姥切には聞こえなかった。薬研はこの件に関しては口を挟むべきでないと判断したのか、「じゃあ、なんかあったらまた声かけてくれや」と、審神者の肩をぽんと叩くだけだった。

こういうときに、自分はどうして、審神者を支えてやれないんだ、と、山姥切は思う。本当は、たったひとりででも、審神者を支えてやれるだけの柱になりたい。いくらもたれかかろうと、折れず、曲がらず、たゆまぬ、柱になりたいと、思う。けれど、自分ばっかりに頼る審神者は、好ましくないのだとも、わかっている。審神者の言う通りだ。心は複雑で、難解で、そして、そこから生まれてくる気持ちってものも、むつかしい。

そんなことだから、山姥切は気が付かないのだ。今日という日に自分が近侍に選ばれた理由を。当たり前だと、思っているのだ。だから、近侍札が、一期一振から、山姥切に渡されたのは、昨日がはじめてのことだっていうことにも、思い当たらない。


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