ふたりでいつかひとになろう cours1(4)




六章 ひとりじゃラジオはできません 『ふたりでいつかひとになろう』と約束しました

過ぎて欲しくない時間というものはあっという間に過ぎるものだ。千年を生きた刀でも、数百年を生きた刀でも、それは変わらない。楽しい時間も、さよならまでの時間も、それは瞬きの間に、消えてしまう。かなしい、世の常。

時刻はだいたい、夜の十時になった。本丸の庭の片隅で、山姥切は、長い長い時間を、過ごしていた。はやく、その時がくればいいと、思っていた。鶴丸の術のしかけには、もう気が付いている。あともう何刻かで、己の存在は、消えるのだと、理解していた。未練も、何も、ない。もうこの世にいるのが、正確にはあの審神者のもとにいるのが、辛かった。審神者はなんにも、悪くない。悪いのは、自分。鶴丸が来なければ、きっと、あの命を、奪っていた。そんなつもりじゃなかったとしても、きっと、奪っていた。おそろしいことだ。今でも、震えがくる。けれど、泣けはしない。そういう、後悔と、自責。

そんな思考に囚われた山姥切は、拙く歩く足音にも、その神気に似た霊力にも、気が付かなかった。その姿が、目に入るまで。

「……どう、して……」

声がかすれた。ずっと、丸一日は出して、いなかったから。山姥切の目の前に現れた審神者は、なんにも、答えない。歩けば足が痛むはずだ。身体も軋むはずだ。頬にも、大きな布が当てられている。それは全部、山姥切が、つけた。

「俺を、許さないで、くれ。たのむ。許されては、いけない。あんたには、申し訳ない……とか、こんな言葉じゃ足りないくらい、済まないことを、した。呆れた、ろう。そして、おそろしく、思ったろう。あんたの……違うな。……前の魂の人生を、預けるに値しないと、思ったろう。後悔したろう。こんな馬鹿で、間抜けで、惨忍で、愚かな、神をかたるもおこがましい刀に、真名を与えられたこと……。そして、しばりつけられている、こと」

審神者は首を横に振った。

「やめてくれ……そんなのは、いらない……」

山姥切は、合わせる顔が、なかった。だからうつむいて、視線を外した。審神者は、ゆっくりと、歩いて、山姥切が座り込んでいるその背中に、手をあてた。それは鶴丸の作った神気の檻を通り抜ける。鶴丸の神気も、契約しているこの審神者には、通用しない。そうして、審神者は謎解きを与えるように、山姥切の背に、字を書いた。

『どうして』

山姥切は、わからなかった。書かれた文字はわかるがしかし、その、意味が。

『ほんとう は ちがう』

震えるようだった。この娘は、何年生きたのか。たった、十四年。人間は、それだけで、こんなにも、正しい言葉が、紡げるのか、と。いや、短いからこそ、紡げた言葉、なのかもしれない。山姥切は静かに、目を閉じた。

「……すまない。この上、拙い、醜い、嘘まで、つらつらと。愚かで、救いようのない刀だな。……ほんとうは、ほんとうに、後悔、した、のは、俺、だ」

せめて最期には、ほんとうの言葉を。うつくしくなくとも、残らずとも、心からの言葉を。

「俺は後悔した。あんたの……前の人生を受け取ったこと。そして、真名を与えたこと。命を与えたこと。俺はあんたに、ふさわしくない。あんたの真名を、呼ぶに値しない。昨日の俺も、今日の俺も、あんたの真名に込めた意味よりずっと、遠いところにいる」
『そんなこと ない』
「……あんたを、傷つけた。ひどく、痛むだろう。その言葉が情けなら、やめてくれ」
『わたしのことを おもって』
「……ほんとうか、どうか、証明のしようがない」
『わたしが しょうめい する』
「……もう、言葉が出てこない。俺にはもう、あんたに言葉をもらう、価値がない」
『山姥切国広』
「……」
『わたしの かみさま の なまえ』

今の今まで、どこかへ旅行にでも行っていたのか知れない涙が、急に、溢れるのがわかった。急いで目を開けても、閉じても、それは溢れ出して、止まらなかった。世界が滲んで、気持ちも滲んで、ひどく、あたたかいような、さびしいような、そんな気持ちがした。

「お、俺は、……う、……っ……ひどい、かみさま、だ」

声が震えて、みっともない。こんなことが、前もあった。何度も繰り返す。きっと、何度も、何度も、同じことを、繰り返す。けれど、その先にしか、答えはないのだろう。抱き寄せたいと思った。そうして、ひとつのようになって、この気持ちを、一緒に、ふたりのあいだに、閉じ込めたい。

「こんな、……ひどいかみさまでも、あんたの名を……命の名前を、呼んでも、いいか……?」
『よんで 山姥切国広』
「……『ごめんなさい』……『――』」

パンッと、子気味良い音をして、結界が、解けた。山姥切はそれからすぐに振り返ろうとしたけれど、長いこと同じ体勢だったせいで、身体中が痺れて、倒れそうになった。手をついたところに、審神者の左腕が伸びて、それを、わずかに、支えた。山姥切はそれがうれしくて、かなしくて、また、どうしようもなく、ぐしゃぐしゃに、泣いた。そうして、審神者の身体が痛まないように、おそるおそる、抱き寄せた。

「……痛いか?」

審神者が山姥切の腕の中で、小さく首を振った。審神者の左腕だけが、山姥切の背中に、回る。

「……あったかい。こうしていると、すごく、あったかいんだ。俺の身体も、あんたの身体も、つめたいのに。……なあ、胸のあたりが、なんだか、ずっと、あったかい……涙が、染みてる……どうして、あんたも、泣いてるんだ……?」

審神者は小さく、首を振った。わからない、と、言葉が聞こえたようだった。

「そうか、俺もだ。俺も、なんで泣いているのか、わからない」

きっと、この涙の理由も、二人して、探さないと、いけない。ひとりではダメだ。ふたりでないと、いけない。きっと、そのあいだにも沢山、こういう涙を流すのだろう。その理由も、この理由も、きっと、すべてはひとつの言葉で、かたちが整う。けれど、それはあんまりにももったいない、不思議な言葉。どうして人間がそんな言葉をつくったのか、わからない、言葉。命をかたちづくる、うつくしい、ことば。

その言葉のほんとうの意味を、山姥切も、その審神者も、まだ、わからない。


七章  エンドロールが切れるまで 生まれ変わったらまた逢いましょう

山姥切は審神者を部屋まで送り届けた。審神者の部屋はずいぶん片付き、ついでに布団まで敷いてあった。山姥切はそこに審神者を寝かせると、「俺はもうすこし、やらなきゃいけないことがある」と断って、その部屋を出た。不思議に思ったのは、いつも枕元に置いてある古びたラジオが、そこになかったことだ。審神者は別段、不安そうにしていなかったので、なにかわけがあるのだろうと、思った。

山姥切が向かったのは、鶴丸のもとだった。鶴丸は戦装束に身を包み、縁側に座って煙管を口にしていた。随分、絵になる。

「そんなもの、吸うのか」
「ん?ああ、俺は結構、これが好きだ。審神者の前では吸わないから安心しろ。紙巻より少ないとは言え、副流煙というやつがある。煙たいのもどうかと思うしな」
「……そんなことで、あんたを非難しに来たんじゃない」

鶴丸はふう、と静かに煙を吐き出し、空を見上げた。

「……月が綺麗だ。おっと、深い意味はない。俺は衆道に興味はないんでな。ただ、いい夜だと、思っただけだ」

死ぬにも、生きるにも、と、鶴丸の言外のなにかが聞こえるようだった。

「……お前の場合、夏目漱石でなく、二葉亭四迷の方だろう」
「言うように、なったな。ああ、そうだ。しかしまあ、俺がその言葉を向けるのは、お前じゃあなく、主様に、だろうよ」
「わかってる。結局俺は、ひとりじゃあ、きっとダメだった。どっちの場合だったにせよ、ひとりじゃ、ダメだった」
「そんなに難しいもんだったか?お前がただの刀に成り果て、心を殺して、本当の残酷な神様ってやつになれば、簡単だったはずだ」

あの結界は例の言葉を言うだけでよかった。心が伴っていなくったって、構わなかった。そういうものだから。けれど山姥切にはできなかった。そうすることは、許されなかった。

「……なあ鶴丸。俺は約束……みたいなものをしたんだ。誰としたのかも、その内容も、すべて、お前にも、そして他の誰であっても、教えはしない。俺と、その相手だけとの、秘密なんだ。でも、たしかな約束を、した。その意味を、理由を、答えを、俺は探さなきゃ、いけない。ただの刀に成り果てては、意味を成さない。心を殺したら理由がわからなくなる。本当の残酷な神様になったら、答えは永遠に、見つからない。そういう、約束」

山姥切は鶴丸と同じく、月を見た。今日は上弦の月。片割月とも言う。ちょうど、自分のようだと思った。ひとりでは、満ちることのないこの感情。その片割は、きっと審神者の中にある。

「……神霊様の考えることは、分霊の俺には、わかりかねる。それをしてなんになる。……何が、残る。……これは関係のない話だが、そうさな、人の子の寿命は、短い。人間五十年。かの織田信長公が好んだ唄の一節だ。……実際、信長公は五十も生きなかった。信長公を討った明智光秀も、五十と、少し。たったそれだけ。今の現世は百まで生きるとも、言うがしかし、それでもずっと、俺たちより、短い。そして審神者の人生は、何も残らないことが多い。審神者として一生を終えるのであれば、それこそ、何も残らない。これは歴史の裏側の戦い。いつかきっと、あの時死なせてやればよかったと、思うこともあるだろう」
「それはきっと、ない。理由は言えない。そして、『普通は何も残らない』から、俺が、残さないと、いけないんだ」

夜のように静かで、しかし重たい言葉だった。清濁呑み込み、それでもなおと前を視るような、そんな言葉。鶴丸はふうと煙を吐き、するりと仮面をかぶった。これがいつもの鶴丸。飄々として、強かで、千年の時を渡り歩いた、鶴丸国永。

「人の力を借りねば明日すら生きられなかったお前に、それをできるとは思えんな」
「ああ、そうだ。半分は、認めよう。だがもう半分は、絶対に、認めない。俺は確かに、ひとりでは、明日の命は、きっと無かった。けれど、残すためには、ひとりでは、だめなんだと、わかった」
「ああ、わからんな。わからん話だ。そんな話をしているうちに、ほら、『明日』と俺たちが呼んでいたものが、『今日』になった」

鶴丸は煙管を吸って、天の川のような煙を、空に吐いた。

「おめでとう切国。お前は今日も、生きている」

山姥切は、あんたも生きた、と言おうとして、やめた。それは鶴丸の矜持を削ぐだろう。

「そしてだな、俺はもしかしたら百が一くらいの確率で、深くは言わんがなにかしらあると踏んでいてだな、今日は随分生き急いでしまった。もったいないことをした。そしてこれは、その『百が一』が起こった時には、お前にだけは絶対に渡さんし教えないと誓ったものだ」

鶴丸はそう言って、懐から審神者のラジオを取り出した。見た目は全く、変わっていない。しかし、在り様が変わっている。スイッチを入れると、やはりノイズがしたが、これは電波からくるノイズではない。神気からくるノイズだ。

「俺はそのラジオのいわれを知らんが、勝手に名付けた。その名も『神様ラジオ』だ。俺たちの神気で繋いで、声を届ける。ここには電波が入らんのだ。入れるにしたって新しく電波塔を建てねばならん。それでは一日で終わらんし、費用も随分かかる。だから代用品を見繕った。それが、俺たちの、神気」

鶴丸はその後に小難しい原理やらなにやらを得意気に説明して、それから、「伽羅坊と協力して増幅装置も作ったんだ!ほら、あの使いもしない見張り櫓があるだろう。あの櫓の中に機材を持ち込んで、現世と江戸あたりのあれこれを混ぜて、現世で言うスタジオも作った!見たくはないか?驚くぞ?」と、言った。

山姥切はそれを聞いて、声も出なかった。けれどしばらくしてやっと、「おまえも生まれ変わったんだな」と、古びたラジオを、額に当てた。神様の声は、もう二度と、途切れることはないだろう。山姥切が、それを叶えるからだ。


七章 エンドロールが切れるまで 六万五千字、やっとはじまる物語

審神者はその日の朝、六時の少し前に目を覚ました。一人で起き上がることはまだ困難なので、目を開けただけだったが。そうして、癖のように、動く左手で枕元を探った。そうして、驚いた。鶴丸に預けていたラジオが、返ってきていたのだ。明日には返すと、そう言っていたが、しかし、夜中のうちにわざわざ置きにきたのだろうか。それにしては妙だ。ラジオから、山姥切の神気を感じる。審神者はそれを手に取り、じっと見つめた。スイッチは入っていない。そして、何か、不思議なかんじがする。ノイズを確かめようと、スイッチに指をかけた瞬間、それはひとりでに、鳴りだした。神様の声が、聞こえた。審神者の、ほんとうの、唯一の、『かみさま』の、声。


七章 エンドロールが切れるまで これもひとつのオープニング

「あー……あー……声は、聞こえているか。……こちらからは、確認する、すべがない。しかし、多分、届いている、はず。わからないが。……何を、喋れと言うのだろうか、この、写しの俺に。……まぁ、いい。……これから、第一回、本丸ラジオ……仮名だが、を、はじめる……。本日のパーソナリティ……当番は、山姥切国広……」

山姥切は鶴丸の言うスタジオ内でひとり、ぼそぼそと、喋っていた。機材の扱いも、神気の通し方も一通り鶴丸に習ったが、実際にこれを試すのは山姥切がはじめてだというのだから、驚きだ。鶴丸曰く、「テストだろうがなんだろうが、第一回はお前って決まってるから」らしい。しかし微妙な台本のようなものは用意してくれていた。うすっぺらで、最低限これだけは言え、というようなものでしか、なかったが。そしてラジオの冒頭の文言の次に書かれていたのは「自己紹介しろ」だ。

「この音声は、今のところ、審神者……あんたにしか、届いていない。……そこに鶴丸か、大倶利伽羅がいれば、話は別だが。……ふたりは今それぞれの部屋に、いるか。そう、だろうな。……俺は、そうだ、まだ、まともに自己紹介も、できていない。俺の名は、山姥切国広。足利城主長尾顕長の依頼で打たれた刀……。山姥切の、写しだ。はじめて話した時、『写し』の説明を、俺はしなかった。写しというのは、簡単に言えば、模倣だ。だが、コピーとは、違う。贋作とも、違う。元の刀の在る姿を、なるだけその通りに、かくあるべきととらえ、腕のある名工によって打たれた刀が、写し。この場合の名工とは、堀川国広のことを指す。そして、写しの逆に、本科と呼ばれる刀がある。写しの元となった、オリジナルのことだ。俺の本科は、銘を『山姥切』。もとの銘は違ったらしいが、磨り上げによって銘が消えていて、もとの銘は記録に残っていない。磨り上げというのは……説明ばかりになってしまうな。すまないがここはあとで勉強してくれ。……俺の出自は、厄介なんだ。諸説ある。自分でもどれがほんとうだったか、定かでない。確かな事実だけをあげるとすれば、その時『無銘』であった刀の『写し』として、刀工『堀川国広』によって、打たれ、銘を入れられた。『山姥切国広』と。そして刀工『堀川国広』は、『無銘』の刀にも、長尾顕長の依頼で、銘を入れた。『山姥切』と。無銘の刀は刀工『長義』の作であるのに、掘られた銘は『山姥切』のみ。どちらの銘入れが先かはわからない。それが、俺の抱える、ひとつの……なんと言えばいいのか……強いて言えば、『痛み』の、ような、もの。……そして写しは本科を越えられない、という通説が、ある。けれど、山姥切国広は、……傑作だった。国広の第一とも、言われている。自分で言うのは、どうかと思う。しかしこれを聞いているのが、あんただけだから、言う。俺は堀川国広の、第一の傑作だ。……そうなれば、どうなるか、わかるだろう。人間が、どうするか、わかるだろう。比べるんだ。どちらが上か、と。本科である『山姥切』と、写しの『山姥切国広』。同じ刀工に銘を入れられ、比較され続ける、二振りの刀。世間は結論を、出さない。けれど暗に、聞こえることがある。『山姥切国広』の方が、優れている、と。……俺はちっとも、嬉しくない。誰かの居場所を、奪っているような、気分になる。俺がただの、堀川国広の第一の傑作、銘が、『国広』ひとつであったなら、どんなに、よかったか。これが、俺の抱える、ふたつめの、『痛み』。けれど、血は争えないと、いうか、なんと、言えば、いいのか……。俺はあんたに、堀川国広と、同じような、ことをした。名を与えるとは、そういうことだ。これが、俺の、みっつめの、『痛み』」

山姥切は、きっとこんなことは面と向かっては言えないのだろうと、わかった。独り言のように呟くので、精一杯だ。けれど、吐き出すことで、それを、大切なたった一人が聞いていることで、安堵もした。不思議なものだ。あの手紙への、少しの返事にでもなったなら、それは、幸いなことだと思う。

「自己紹介が、随分長くなったな。このラジオは、毎朝六時と、毎晩二十二時に、三十分間、放送する。あんたが朝、ちゃんと目覚められるように。そして、孤独を感じることなく、眠れるように。あんたが……俺を……信じる限り、ずっと、ずっと、放送し続ける。嫌になるほど、俺は声を届ける。つまらない内容でも、なんでも。だって、そのラジオからは、『神様』の声が、聞こえるんだろう。俺の中にある名前が、そう教えてくれた。その名前の信じた神は、もうここにはいないが、『あんた』の『神様』なら、ここにいる。俺のふたつの痛みは、きっと癒えない。俺が俺であることの、証明と、根幹に繋がるものだから。けれどみっつめの痛みは、癒して、傷跡にする。ずっと残るように。絶対に。『ふたりでいつかひとになろう』。この言葉がきっと、すべての約束を、果たしてくれる。……これにて、第一回本丸ラジオを、終了する。第二回のゲストパーソナリティ……当番補助は、鶴丸国永。今晩二十二時からの、放送だ。では、また。……きっとあんたは……泣いているだろう。今から、行く」

そう残して、山姥切は一回目の放送を、終えた。きっかり、三十分。昇る太陽が、ひどく眩しい。海に洗われた、まっさらな、太陽。東から昇り、西へ沈むと、勝手に人が決めたもの。けれどその繰り返しの中を、たしかに、ゆっくり、歩んでゆこうと、決めた。ひとりでなく、ふたりで。


終章

山姥切が審神者の部屋へ行くと、案の定、審神者はラジオを抱いて、泣いていた。痛むだろうに、身体を起こして、それを抱きかかえている。きれいな、涙だ。こんなにきれいなものを、山姥切は、他に知らない。そして、山姥切の姿を見つけると、口を、動かした。喉は、潰されて、もうどうにもならないものだと、思って、いた。山姥切は、だが。審神者の喉のあたりに渦巻く気味の悪い術と、審神者の霊力が、ぶつかり合っているのが、視えた。

「……山姥……切……国……広……」

その声は思っていたより低く、しゃがれ、老婆のように、なっていた。けれどそれでも、生まれてはじめて紡いだのが、その、名前。山姥切はそれだけで、よかった。充分だった。そのあとの言葉は声にならず、空気だけだったが、それもちゃんと、届いた。

『ありがとう』

山姥切は、「これから、毎朝、毎晩やるのに、あんたはそのたび、泣くのか」と、言った。言ったそばから、ぷつん、と、山姥切の視界も千切れる。審神者は泣きながら、笑った。はじめて見た、そのかんばせ。うつくしかった。山姥切にとって、この世界の何にも代えがたい、宝物。これからもっと増えていくだろうそれらのうちの、最初の、ひとつ。


END

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -