ふたりでいつかひとになろう cours1(2)




四章  はじめましてゲスト様、今日からあなたもホストになります 自己紹介を、どうぞ

山姥切国広は、審神者の部屋で目を覚ました。布団はひとつで、腕の中には、小さな、審神者。目がうまく開かない。腫れているのだとわかった。ひどい顔をしているに違いないと思った。まずは顔を洗って、朝食を、食べなければ。そのために、審神者を起こさなければ、いけない。

しかし山姥切が身体を起こしたことで審神者も起きたようだった。もぞもぞと布団から這い出してくる。その目がどうしてか腫れていて、山姥切は不思議だと思った。結局、二人して腫れた目を擦りながら、洗面所へ向かった。

審神者は制服以外の服をもっていなかったので、寝る時や身体を動かさなければならない時、それから汚れるような時は山姥切が何枚かあるジャージを貸している。だぼだぼで袖をまくりにまくっているので、近いうち何か具合のいいものを取り寄せなければいけないだろう。政府の送ってくる衣服はかくあるべしというような巫女装束で、この審神者は着方がわからないだろうし、山姥切が着せてやるわけにもいくまい。町に呉服屋もあり、そこでは様々な年代の衣服を取り寄せることができるので、そこで取り寄せるのがよいだろう。出陣をして、成果をあげてからになるだろうが。

そうして、二人が簡単な朝食をとり終え、皿を洗っていた時、審神者と山姥切ははたと部屋の方の異変に気が付いた。異変、と言っても、悪いものではない。政府からの何かしらが届いた気配だ。どういった流通経路なのか、政府からのなにかしらは直接、部屋に送り込まれる。政府とのやり取りは山姥切がしていたが、しかし、何か注文をした記憶はない。なにかしらの指令か、書状か、それにしては量が多すぎるような気がしなくもない。とにかく確かめなければならないだろう。

審神者の部屋の障子をすらりと開けると、そこには山のような書籍と、一通の書状があった。山姥切が「な、」と言葉を失うほどの量で、審神者は尻もちをついた。

山姥切がとにかく書状だ、と、それを広げる。内容にざっと目を通すと、それがこの書籍どもの説明と、一枚の令状からなっていることがわかった。審神者は、現世で言うところの、中学一年生で、義務教育と呼ばれるものの期間中であり、その内容はすべからく学習することが推奨される云々。それから、審神者としての一般教養と学力の基礎として、高等教育過程もすべからく学習することが云々。それを修めた上でさらに上の高等教育、平たく言えば大学で履修するであろう課程も政府推奨の課程より選択で履修を云々。以上それらはすべて単位制とし、二十五歳を最終期限に、すべてからく取得すること云々。単位制であるからして、厳しくテスト、査定されること云々。さらに審神者育成機関(正式名称ではない)での教育を受けていない特例での就任であるため、上記の履修事項と平行して審神者としての教養も云々。実施もテスト要綱に含まれるため日々これ精進すべし云々。

刺々しく仰々しい文面を平たく伸ばして意訳すると上記のようになると山姥切は読み取り、そして最後に令状に目を落とし、驚愕した。

「……本日中に、『太刀』登録されている刀を一振り……鍛刀、顕現させよ……!?」

審神者の霊力的にそれは別段、問題がないやもしれないが、しかし、事情が特殊であるが故に山姥切ははじめの鍛刀は短刀か、脇差か、そのあたりで、間違っても打刀が顕現できないように、と考えていたのだが、そんな段階も踏ませてはもらえないらしい。期限は今日中。やはり政府はこの審神者をあまり快く思ってはいないらしい。

山姥切も他の登録されている刀については、他の初期刀四振りのこと以外、よく知らない。情報にもロックがかけられている。辛うじて、同じ刀工の堀川国広と山伏国広については知っていた。そのうち山伏国広は、『太刀』登録されている刀剣だ。この兄弟と言える太刀が出てきてくれれば、云々と、山姥切はひとり、考えを巡らす。

そんな山姥切の横で、審神者は美しい装丁の書籍どもを見て、感嘆しているようでもあった。書状と令状の文面は難しすぎてわからないだろうが、中学、高校の教科書くらいはわかるのだろう。もったいないように開いては、そこになんの痕跡もないことに、ひどく驚いているようだった。

山姥切は書状と令状の内容を伝えようとした時にやっと、その様子に気が付いた。なにをそんなに感嘆することがあるのだろう、と。そして実際、「何を驚いている。なにかこの量以外に、驚愕するところがあるのか」と尋ねた。すると審神者は文机から紙と筆を取り出し、さらさらと文字を綴った。

『きれいな教科書』
「それはそうだろう。新品だろうからな」

山姥切の言葉に、審神者は何かまた綴ろうとして、やめたようだった。山姥切は言ってしまってから、ああ、と頭を抱えた。きっとこれは審神者の記憶ではなく、そう、なのだ。狭い社会に閉じ込められた人間のするあれこれを、きっと、この審神者は知っているのだ。リアルな、「他人」の記憶として。

山姥切は不甲斐ないと思いながら、山のような書籍の中から、一冊、『審神者入門実技-応用』と書かれた本を探し出した。そしてそれを、開くことなく、審神者に手渡す。

「書状の内容は、簡単に言えば、最低限勉強しろ。テストもする。そして高等教育も受けろ。テストをする。さらに上の教育も受けろ。テストをする。期限は二十五歳まで。習得できなかった場合のことは書いていないが……。それから、あんたは審神者なんだから、審神者としての勉強も平行して行え。テストをする。そんな文言が……難しく書いてある。そして令状の内容……令状というのは、政府からの命令や指令が書いてある書状……手紙のことだ。今回は『テスト』を行う、というものだ。今日中に太刀を一振り、顕現させろ、と。太刀だとか打刀だとか短刀だとか脇差だとかそういったことについてはおいおい学習してゆくとして、とにかく、今日中に鍛刀、顕現させなければならない。できなかった場合のことは……やはり、書いていないが……。基礎をやっている暇がない。実施でどうにかするしかない。その書物に、『鍛刀』の項目はあるか?」

山姥切は紙に「鍛刀」と文字を書いて、それを教えた。審神者はやはり丁寧に表紙を開き、目次を辿った。そうして、目次の中の『発展編其ノ二、鍛刀と顕現』と書かれた部分を指さした。が、山姥切にはその文字どころか、他の、その書籍に書かれている内容が理解できなかった。文字化け、と、いう現象なのだろうか。とにかく、審神者用の教科書は審神者にしか読めないようになっているらしい。これでは、山姥切には手の出しようがない。

「情報にロックがかかっている。俺には読めないようになっているということだ。あんたがどうにか読み解くしか、ないようだ。わからない漢字は紙に書け。読み方と意味を教える。それくらいしか、俺には……」

現在の時刻は八時半を少し過ぎたあたりだった。これを長いととらえるべきなのか、短いととらえるべきなのかすら、わからない。なにせこの審神者は、今まで審神者らしいことをひとつも、行っていない。そして何より、幼い。政府の書状を見る限り、審神者に就任するに適した、というより、可能な年齢は最低でも高校教育を受け終わった、十八歳。勿論例外はどこにでもいるのだろう。その例外の情報を探ろうとしたが、やはり、無駄だった。他の刀剣の情報へのアクセスができないのと同じく、他の本丸や審神者の情報へのアクセスは、できない。無力だ、と、山姥切が嘆いている横で、審神者はページを一生懸命読み込んだり、他の書物を開いたりと、酷く集中している。何を思って、そうしているのだろうか。山姥切には想像もつかない。

審神者なんて、かなしい役目だ。神と契約し、神を使役すると言えば聞こえはいいが、大きな力の中でむなしく足掻く、ただの人。その業績は歴史に残らず、名も残らず、ただただ、現状を維持するためだけの戦争に駆り出された、歩兵の一人。そんな人生を、山姥切は、この審神者に背負わせてしまった。負い目を感じるなという方が、無理だ。ただ、その契約の時はただ、このがんぜない子供を、たすけたいと、ただ、それだけの気持ちで。

正午を過ぎ、山姥切が昼食を用意しようかと立ち上がった時に、審神者がぱたん、と、書物を閉じた。山姥切が「読み終えたのか?」と尋ねると、審神者はどこか不安そうな面持ちで、ひとつ、頷いた。そして、山姥切の掌に、『イメージがたいせつ』と書いた。それから、『わたしが呼ぶべき刀を、知ってる?』と、こちらは、紙に。

「あんたが呼ぶべきなのかどうかは、わからない。ただ、顕現させるに、危険は少ない方がいい。太刀の中には、詳しくは知らないが、天下五剣がいるらしい。この……いや、正しくは一時期の天下のうちで最も優れていた五振りが、そう呼ばれている。そいつらは神格が俺よりずっと高い。実力も、それに見合ったものなのだろうが、しかし、神格が高いと、気まぐれで呼び出しに応じても、従わない危険がある。従わない場合、あんたを……傷つけるだろう。俺は守らなければいけないが、しかし、この身で戦場に出たことのない俺が、そんな刀から、あんたを守ってやれるか、保障が、ない。……話が逸れた。俺が、知っている刀剣は、多くない。情報にロックがかかっている。わかるのは、同じ刀派……刀派とは、こう書く」

山姥切は紙の上に、筆で「刀派」と書いた。そしてついでに、「刀工」とも書いた。

「刀派というのは、簡単に言えば、刀それ自体の流派だ。刀にも、特徴がある。長さや太さだけでなく、波紋や、つくるにあたっての工程だとか、他にも、色々。そういうところがどこで違ってくるかというと、だいたい、時代だとか、地域だとか、刀工だとかによるものが多い。刀工とは刀を創る人間のことだ。広く弟子をとったり、武家に召し抱えられたり、まぁ、いろんな手段で、独自の流派を作っていた。俺の刀派は、名の通り、国広。刀工は、堀川国広。打った刀はそれなりにあるが、現状の政府に登録されている刀は、俺を除いて二振り。そのうち一振りが、太刀だ。名を――――と言う」

審神者がすぐ、紙に「きこえない」と書いた。山姥切はもう一度、その名を口にしたが、やはり審神者には伝わらないようだった。神と契約するというのはつまり、そういうこと、らしい。

「……どう、した、ものか……。刃も、拵えも、実際、『この』俺は会ったことがないのだから、わからない。……俺の、刀が唯一の手掛かりに、なるか……いや、それも、どうだか……」

山姥切が帯刀していた本体の鯉口を切り、すらりと刃を審神者に見せる。まっすぐな波紋と思いきや中ほどの波紋はうつくしく波打ち、またひっそりと、柄に伸びている。拵えは黒く、下緒だけが、紅い。

『きれいな刀を、イメージする』
「……き、」

山姥切はその先の言葉を吐き出すことができなかった。なぜかは、わからない。ただ、この審神者の前で、自分を卑下することは、はばかられた。それもどうしてか、わからなかったが。

結局、実際に鍛刀する前に、ふたりで昼食をとった。審神者は、『こんなにたべるの』と言ったが、人間は三食食べることが推奨されている。審神者は、食事の量を指したのではない。頻度を指したのだ。山姥切はこういうとき、どうしようもない気持ちになる。きっと、多くの人間にとって当たり前なことが、この審神者にとって、当たり前でないのだ。薄くて、きれいで、脆い硝子を手にしているようだった。簡単に壊すことができる。けれどそうしないで、丁寧に、磨かなければ、いけない。むつかしいことだと、山姥切は思う。

昼食ののち、もう少しだけ、イメージのすり合わせをして、本丸本殿と渡り廊下で繋がっている鍛刀場に向かった。そこには小さな刀工のようなものがいた。微細な神気を感じるので、これも付喪神の一種なのだろう。山姥切が興味深げに見ている横で、審神者は静かに、息を吐き、吸った。

そうして、喋りもしない、語りもしない、その刀工の額に、審神者は指先で触れた。するとその刀工はそれですべてをわかったかのように、一振りの刀を、つくりはじめた。それは山姥切が見るに、日本刀が作られる過程を酷く凝縮して、時間を圧縮し、ただ依代となる物体だけを作り出しているように、感じられた。これだけでは、きっと、刀の神は顕現しない。そこのところは審神者もわかっているのだろう。静かに目を閉じ、霊力で、なにかしら、語りかけている。何を語りかけているのか、山姥切には、わからない。

そうしたまま、一刻が、過ぎた。現代の時間で言う、約二時間。二刻になる前に顕現させねば、何かが危ないと、山姥切は思った。四という数字は、どうにも、やはり、縁起が悪い。

一刻半が過ぎる。まだ、何も起こらない。刀のかたちはできている。どんな刀にでもなれる、特徴のない、ただの、無名刀。審神者はずっと、目を閉じていた。疲れているのか、いないのかもわからない。ずっと、動かない。汗はかいていないように見える。探ってみたが、霊力も、まだ、尽きそうにない。問題は、時間。

そこからさらに四半刻がたとうかという時に、それは起こった。無名刀がにわかに輝き、その輝きが、桜の花びらの大群のていで、無名刀を覆った。そうして、その光がおさまった時、そこには、神が顕現していた。

山姥切は一瞬で、この刀が自分より高い神格であるとわかった。念の為に武装してきてはいたがしかし、どこまで通用するか。その刀は名乗りをあげない。顕現し、名乗りをあげないというのはつまり、そういうこと、では、ないのだろうか、と、山姥切は抜刀の構えをする。が、次の瞬間にはそれを左手で、制された。

「いや待て、俺は別にどうこうしようって、そんな腹づもりじゃあ、ないんだ。ただちょっとまあ、奇妙なとこに呼び出されちまったもんだなあと、驚いていたんだ。人生には……いや、刀生にも、驚きってのは、必要だろう?山姥切国広」

銘が、知られてしまっている。こちらからは、不可視のくせに、と、山姥切は歯噛みした。妙なやつだと、思った。頭のてっぺんから、爪先までの白装束。金目に、それと同じ色の装飾。この刀は、少なくとも、新刀では、ない。

「ふうん、こいつは驚きだなあ。あんた、真名をもう、こいつにくれてやったのか。それだけの覚悟か?いや違うな。そんな強いやつ……もしくは気が狂ったやつがする目じゃあない。かといって、持たないやつの目でも、ない、か。ふんふん。霊力もなんだかいびつだ。ちゃんちゃらおかしい。ふぅん。あ、あれだ、人生二回目ってやつじゃあないのか?もしかして、だが、一回目の人生、こいつにやって、二回目を、こいつにもらった。ほう、そうなると元……」
「下がれ!!」

山姥切は審神者に向けてそう叫ぶと、その白装束に斬りかかった。逆袈裟に、一筋。しかし、それは瞬きのうちに抜刀された刀で受け流される。山姥切が体勢を立て直す暇もなく、ひたりと、喉に冷たい、鋼。峰ではあったが、これが刃の方であったら、と、山姥切は喉を震わせた。

「逆鱗ってやつか。『そこ』が」
「……黙れ。そして、名乗れ」

金の目が、鋭くなる。それは言外に、刃を返すぞ、と、とれた。山姥切がここで折れれば、審神者は。駄目だ。それじゃあ、意味がない。なんにも、なくなってしまう。どうして、どうして、どうして。山姥切の瞳が後悔と、屈辱と、それから悲哀で歪んだ瞬間に、白装束の男士は、ガラリと空気を変えた。そして、視線を、審神者の方に、向ける。つられて山姥切も審神者に目を向けたが、審神者は、ただ凛として、そこにいた。山姥切が驚くほどに、霊力が冴え冴えとしている。

「……俺は、鶴丸国永」
「は、」
「ん?名乗れと言ったのは、お前だろう」

鶴丸国永と名乗った刀剣は、刀を下げ、カチンと、それを鞘に納めた。そうして、審神者に向き直り、すっと居住まいを正した。

「改めて、俺は『鶴丸国永』。号が鶴丸、銘が国永。俺みたいなのがきて驚いたか?俺は驚いた。だからきみに付き、従おう。五条国永によって生み出され、ほうぼうを流浪し、墓にまで入り、また現世に引き戻されて、各所を転々……そんな刀だ。そして、お前には非礼を詫びよう。山姥切国広。すまなかった。でも、お前だって、悪いんだぞ」

いきなり斬りかかってくるものだから、と、鶴丸は飄々と肩をすくめて見せた。山姥切は空気の塊を吐き出して、情けなく、膝をついた。抜刀した刀もそのままに。そうしたら審神者が寄って、肩に手を置いた。案じる側のはずが、案じられてしまった。「すまない」と、気が付いたら、そう口にしていた。審神者は首を横に振る。それ以上のことは、しなかった。どちらも。

ひと段落ついた、と、鍛刀場を出る時に、鶴丸が少し、山姥切を引き留めた。そうして、声を潜める。

「あの審神者は、がんぜない子供だがしかし、どうして面白い。言外に、従えと命じてきた。お前を想って、だ。なんて純粋で、まっすぐなんだろうなあ。そしてお前もだ。『山姥切』では、アレだな。本科も同じか。うーん、国広は沢山いるし、そうさな、切国と呼ぼう。……切国の本当の銘はもう、あの審神者のものだ。その意味、もう一度、考えろ。でないと、転がり落ちるだけだ」

墓の中まで。鶴丸の言葉にしなかった部分まで聞こえたような気がして、山姥切はびくりと、震えた。そこで、山姥切は立ち止まってしまう。鶴丸はひらひらと手を振って、先へ。審神者は山姥切の神気が離れたと知るや振り返るが、山姥切には合わす顔がない。なにもかもが足りないと思った。力も、知識も、覚悟も。山姥切の審神者を守れるだけのものが、何もない。何も、なかった。


四章 はじめましてゲスト様、今日からあなたもホストになります フリートークからはじめましょう

日がとっぷり落ちて、夕飯でも何か食べようとした時だった。台所で、ぱたん、と、なにかとても軽いものが倒れたような、そんな音がした。本か、何か、そういうものでも倒れたのだろうか、と、山姥切が音のした方に自然と目をやったら、倒れていたのは、審神者だった。

「転んだのか?」

顔が見えない角度だったのだが、これはさすがに、素っ頓狂だと、山姥切は思った。審神者は動かない。ばくばくと、自分の心臓がうるさくなって、他がなんにも聞こえなくなって、冷たい汗がこめかみから一筋、流れた。

「おい、」

山姥切が恐る恐る手を伸ばすと、それが触れる前に、「過労だろうなあ」と、安穏とした声がした。鶴丸の声だった。山姥切はその時になって、やっと、鶴丸も、いるのだったと気が付いた。

「初鍛刀で、俺。その俺と契約結ぶのと、あとはまぁ、冷蔵庫の中身を見るに、不摂生。それから、死ぬ気で頭回したんだろうなあ、けなげな、ことで」

鶴丸は長く伸びた襟足を指先でいじりながら、内番服をひらりとはためかせた。

「審神者の部屋はどこだ?寝かせておけば、そのうち目も覚める」

山姥切は言葉も出ず、何もできなかった。鶴丸は山姥切より細い腕で、軽々と審神者を抱き上げた。そうして、山姥切の震える指がさす方へ、すたすたと、歩いていく。山姥切が茫然としていると、鶴丸はすぐに振り返った。

「なあ、お前もついてきてくれよ。ひとりじゃあ、布団をしいてやれない。両腕がふさがってるんだ」
「あ、ああ」

山姥切は、審神者の部屋へ入ったが、しかし、書籍の山でどうも、布団が敷けないことに気が付いた。だから、自然に、「俺の部屋に、」と言った。しかし鶴丸は、「空き部屋に、審神者の布団を」と返した。山姥切は言われるがまま、右隣の部屋に、審神者のつかっている布団をもってきて、敷いた、が、鶴丸が「おい、こりゃダメだ。お前の神気がついてる」と言った。なぜダメなのか、山姥切にはわからなかったが、急いで、政府から届いていた鶴丸用の布団を出した。鶴丸はそこに審神者を寝かせ、布団をかけてやった。

落ち着いて視ると、審神者はただ、ほんとうに、眠っているだけだった。けれど寝顔があんまり静かで、これでは、まるで。

「切国、お前、いつもそんななのか」
「……今日の……それともさっきの醜態のことか」
「いや違う違う、神気だ神気。いつもそんなに垂れ流しているのかと聞いている」
「……ああ、審神者の霊力が、少しでも満ちればと……」
「うん、まあ、それはまあ、そうだな。でもなあ、強い神気の中で生活するってだけで、人間的には修行してるようなもんなんだ。だから、今はどうにかしろ」
「わ、わかった」

山姥切はすっと目を閉じて、この部屋に満ち始めていた自分の神気を、静かにおさめた。刀を、鞘に戻すように。

「……妙な本丸だとは思っていたが、しかし、切国、お前も随分、妙だな」
「なにがだ」
「なあ、分霊ってわかるか?」
「わかるもなにも、俺たちのことだろう」

山姥切国広も、鶴丸国永も、分霊である。数多ある本丸に時を同じくして存在することができるのは、神霊から分霊を生み出しているからだ。神霊とは御神体、この場合で言う本物の刀に宿る神の御霊、力の根源のこと。かといって、分霊より神霊が強いということはなく、力は弱まることなく分割される。この本丸の山姥切が折れたとしても山姥切国広がこの世からいなくなるわけではないというのは、そこから来ている。

「俺から視るに、切国、お前は自分を分霊と思い込んでいるかもしれんが、神霊かもしれん」
「……?それは、おかしい。俺の本体は、時の政府の預かるところに……」
「なあ、分霊の神気を上げたとして、それに意味はあるのか。いや、そもそも、そんなことが可能なのか」

鶴丸は知っているのだ。この本丸の成り立ちを。そして、この審神者の、成り立ちを。誰が話したわけでもなく、神気と霊力の具合、その空気、ふたりの在り方、様々から、拾い上げているのだ。隠しようのないことだ。神格が高くなればなるほど、それは目に視えて、いびつなのだろう。

「時の政府のやることはそれなりに知っている。俺は分霊だから、折れると一度神霊のもとに還るのさ。力は使い果たし、意識だけ。そのときに、いろんな鶴丸国永の視たもの知ったものを共有する。その共有した中に、時の政府のやっている、お前の逆鱗行事がある」
「……逆鱗行事とは、その、あんまりな表現じゃないか……?」
「いや、また斬りかかられてはたまらない、と」
「……あれは……審神者の前だったからだ」
「……ふうん。まあ、いい。とにかくその『逆鱗行事』なんだが、分霊がやって、意味があるのか?分霊の力は神霊より劣ることもないが、優れることもない。歪むことはあるがしかし、分霊を歪ませたとこでたいした力になるわけでなし、神霊の元に戻れなくなるだけだ。これをやって本当に意味があるのは、神霊、ただひとつ」

鶴丸はいったい、何を知っていて、そして、何を山姥切に伝えようとしているのか、わからない。はじめからそうだ。この刀は、飄々としているくせに、こわい核心を持ち出してくる。

「……だが俺は、知らなすぎる。神霊ってのは、お前の言う情報共有の場なんだろう?そうしたら、もっと知っている、はず」
「ああ、お前は神霊だな。確信した」

鶴丸の軽い調子の言葉に、山姥切は目を見開く。

「……今、の、どこ、で……?」
「神霊は分霊と情報を共有できない。できるのは分霊と分霊だけ。神霊は場所であって、意識があるわけじゃあない。刀なんだから。当たり前だろ?お前は何かひとつでも、本体である山姥切国広の経験以外で、知っていることがあるか?」

山姥切はひとしきり、思いを巡らせた。しかしそこには、自分が顕現してから手繰った情報と、刀として存在した時の記憶、そして、この審神者との記憶しか、なかった。

「……ない」
「驚きだなあ。……まあ、これで確定したわけだ。お前は神霊。その手の中の刀は、まぎれもなく山姥切国広本体。……神霊と契約した審神者なんて前代未聞……か、どうかは、まぁ、初期刀の神霊しか知らぬところか。だとしても時の政府はさぞ驚いたことだろうよ。羨ましいなあ、俺の神霊も、それくらい積極的に政府を驚かしてくれないものか」
「……核心を誤魔化すな」
「……ついてほしくない核心だと思ったが」
「事実は、事実だ。つまるところ、俺が折れれば、この審神者が……消えるだけでなく、神霊を失った山姥切国広の分霊が全て、戻る場所を失う。生まれる場所も失う。最終的に、山姥切国広という付喪神が、存在しなくなる」
「んー……おしい、と、言っておこう。実際全然おしくないが」

山姥切は首を傾げた。本体がなくなるとは、そういうことではないのか、と。

「俺の共有した中には、現存しない刀の付喪神がいる。――――とか、――――とか。ああ、――――は一応、現存していたのだったか」
「すまないが、知らない刀の名は……」
「ん?ああ、そうか。神霊は情報の規制が厳しいなあ。じゃあ、お前が知っているだろう刀で言おう。……堀川国広がそうだ」
「……失われたのか、兄弟、は」
「ああ、時の政府が言う、正常な、歴史では。第二次世界大戦の折にとも、その戦の後の刀狩りの折にとも、記録上は諸説ある。そして、もともと、存在しなかったのでは、とも」

そんな刀の分霊が、どうして存在できていると思う、と、鶴丸は黄金の双眸で、山姥切を見つめた。山姥切は、ふと、考える。

「神は、人の願い、想いによって、かくあるべきと、形作られる。その願いの強いものさえ、あれば。それは土地でも、記憶や記録の欠片でも、写しや贋作でも、なんでも、いい。とにかく、一番、その……願いや想いの強いものに、宿るだろう」
「正解だ。堀川国広の神霊は、不思議なことに――――の神霊に宿っている」

名前はわからなかったが、しかし、神霊という単語からして、それは刀なのだろうと、山姥切には察しがついた。

「……ひとつの刀に、ふたつの神が……?」
「ないわけじゃあないさ。実際、あるんだから。で、大事なのはこっからだ。もしも、もしも、だ。お前が折れた場合」

鶴丸は山姥切をしっかり指していたゆびを、眠っているだろう審神者に、向けた。

「驚きだが、この審神者に宿る可能性が非常に高いと、俺は踏む」
「ま、まて、何故そうなる!もっとあるだろう、刀であれば本科だとか、土地であれば国広の墓だとか!それに、審神者とはいえただの人間の魂がそんなものに……」
「耐えられるわけ、ないよなあ。普通なら。……そう、『普通』なら」

鶴丸は残酷な目をして、山姥切を見据える。この娘の魂は普通じゃあないと、その瞳は、視ているのだ。

「……この、命は、名前、は……」
「山姥切国広の神霊が直々に与え、かたちづくり、かくあるように、と。真名ってのは、そういうもんさ。皮肉だと、思わないか。お前は、お前を創った刀工と、同じことをした。望むと、望まざるとに関わらず。不思議だ。運命ってやつなんだろうか。神にも、あるんだろうか、運命って、ものが」
「そう、したら……」

山姥切は自分の身体が震えるのが、わかった。自分が折れたら、この審神者に、山姥切国広の神霊が、宿る。そうしたらきっと、きっと人間では、なくなり、いびつな生を、さらに歪めて、そして。そして。

「……少し、考える。……自分の、部屋で」
「ああ、考えた方がいい。審神者は俺がみてる」
「……この話、審神者には、」
「しないさ。俺もそこまで、阿呆じゃあない。それに審神者は……いや、よそう。これは野暮ってもんだ」

鶴丸の最後の言葉を、ちゃんと聞いてはいなかった。とにかく、考えなければならないと思った。考えて、どうにかなるものでも、ないとわかってはいたが。しかし知っているのと知らないのとでは、違うだろう。違っていてくれ、と、心から、そう思った。神に心があるのであれば。


四章 はじめましてゲスト様、今日からあなたもホストになります フリートークの続きをしましょう

鶴丸は静かに目を閉じて、山姥切の神気が遠のくのを待った。そしてそれが充分に離れたのを確認し、さらに、薄い、音だけを遮断する結界を張る。山姥切は気づくまい。きっと、それどころでないのだから。

「で、まあ、俺からは言わないと言った、が、しかし、聞いていたのであれば話は別だよなあ。狸寝入りとはまた、悪いおひいさまだ。誰の口づけで目覚めてくれる気なんだ?」

鶴丸の言葉に、審神者はゆっくりと目を開けた。鶴丸はどこから、と、聞かなかった。あれだけの会話をしながら、きっと、霊力の揺らぎで、気づいていたのだろう。それでもなお、話を続けるあたりが、どうにも、性悪ではあったが。

「きみも数奇な運命に選ばれたものだ。俺はきみをまだ詳しく知らないんだ。何が好きとか、何が嫌いとか、そういう意味で。ああ、まだ起きてくれるな。寝ていろ。腹が空いたなら、何かもってきてやる。喉が渇いたなら水を。他になにか望むなら、言ってくれれば……いや、まあ、伝えてくれれば、もってこよう」

審神者は、隣の部屋を指さした。そうして、指で小さな四角をつくってみせる。それから、ものを書く仕草も。

「あいわかった。きみの部屋にあるんだな」

鶴丸はそう言うと、すぐに裾を鳴らして、それらをとりに行った。ほどなくして戻ってきた鶴丸が手にしていたのは、ラジオと、筆箱と、紙だった。審神者はまずラジオを受け取り、電源の入っていなかったそれに、電源をいれる。すると、ざあざあと、当たり前だが、ノイズがした。音量は絞ってあるので、耳を澄まさなければ、きっと、聞こえないだろう。

「きみの霊力が一番ついていたから、それはすぐにわかった。大切なのか」

審神者はひとつ頷く。

「この音が好きなのか」

審神者は首を振る。

「調べてもいいか?壊しはしない。ただ興味がある」

審神者は少し迷ったあとに、ひとつ、頷いた。すると鶴丸がそのラジオを手に取り、「ずいぶん古いなあ」だとか、「はあ、ラジオというのか」だとか「ふむふむ」と、ひとり、関心している。審神者はそのすきに上体だけ起こし、紙にさらさらと、文字を書いた。そして、ラジオに夢中になっている鶴丸の袖を引いた。

『みたまよりさきに わたしが いなくなったら』

鶴丸はその文字を視て、静かに、ラジオを置いた。

「きみは思っていたより、文字に意味を込めることの意味を知っているらしい。それから、神と人の在り方についても。賢明な判断だ。切国の言霊も、そうなのだろうなあ。きみたちは本当に、なんというか、ほどよく賢く、ほどよく愚かしいよ。だが俺は切国じゃあないから、言える。きみが、『山姥切国広』の『神霊』が『折れる』より先に、『死んだら』、の話。結論から言えば、残念ながら、何も起こらない。切国はきっと君に真名を与えるとき、こう説明したろう。『俺とあんたは一蓮托生』もしくは、『あんたが死んだら、俺も死ぬ』。ふむ、少し違うか?なんだもっと言葉を選んだのか?まあ、福音であり凶報……にしてもまぁ、手の込んだことで」

鶴丸は目を細め、俺の知る切国じゃあないなあ、と、唇だけ動かした。

「切国が言ったのは、分霊の場合の話だ。神霊には、適用されない。まあ、君が死んだら、そうさな、この本丸から、あの切国は離れなければならないだろう。時の政府が、なんとしても、そうするだろう。でも、それだけ。だから安心して、数奇で愉快な人生を謳歌して、まあ、俺の主としてそれなりに長生きはして、死んでくれ。人間に、神の御霊は重過ぎる」

審神者は、それを聞くと、小さく息を吐いた。安心したのだと、鶴丸は受け取った。人間って生き物は、強欲で、貪欲で、生に対して醜く執着するくせに、簡単にそれを投げ出そうとする。不思議だ。そのことに毎回驚かされる。そして、これは言わなくてよかったのだろうなあと、鶴丸は思った。

この審神者の魂は、死後、仏教で言うところの極楽へも行かず、地獄へも行かず、ただ、山姥切国広という神のそばに、ひたすら、寄り添うだけ。意思疎通ができるわけでもなし、何が面白いのだろう。退屈で死んでしまいそうな時間を、新しく生まれ変わることもできず、過ごすだけ。山姥切がこの審神者のことを忘れても、山姥切がどんな姿になろうと、山姥切がどこまで堕ちようと、魂は、山姥切国広に縛られる。その苦しみは、感じられるのかどうかも怪しいが、想像を絶するのだろう。

「なあきみ、ひとつ提案がある。きみを切国から、切国からきみを解放できる方法を、俺は知っている。君が死ぬ前に切国が折れたらもう大変だぞ。恐ろしいことになる。現代風に言うと、とにかくヤバい。どれくらいヤバいかっていうと、きみのために在る天が地に落ちるのと同じくらい、ヤバい。それはさすがに回避したいだろう?方法は……」

『いらない』

間髪入れずに書かれた文言だった。鶴丸はこのあと「大法螺」を用意していたのだ。山姥切がしたように、今の審神者の名を鶴丸が受け取り、新しくつけなおすだとか云々。審神者を試すつもりだった。ほんとうはそんな方法、どこにもない。人の与えた名を奪うことは神であればできるがしかし、神格はさておき同じ神の与えた名は、どんなに高い神威を持つ神でも、奪えない。上書きしたところで、渾名に過ぎず、真名は変わらない。

「……驚いた。きみは愚かで、とても正しい。俺はやはり、きみの呼び声に応じてよかった」

鶴丸は思い出した。この審神者の呼びかけを。注がれた霊力に感じた、静かな願いを。

「刀ってのはより純粋で、しかしいびつなものに惹かれるのさ。刀の本質が『そう』であるから。きみの霊力は、望む刀を呼びやすいだろう。こわいくらい、まっすぐで、よく通る願いだった。『きれいな刀を』。でもそれだけじゃあきっと、俺じゃない、もっとヤバいやつが来てた。今のきみじゃあきっと、その刀とは契約できなかったろう。それを回避した願いが、『山姥切国広を、たすける刀を』。これを追加でも、俺じゃあなかったな。多分そうさな、切国の兄弟……と呼べる刀に届いただろう。切国が望んだだろう、太刀に。俺が来たのは……うん、『なにより人をあいする刀を』って声が、聞こえたからだ。……意外だろう?……驚いたか?……俺は人間が好きなんだ。愛してるんだ。そうでなきゃ、墓にまで一緒に、入りやしないさ……」

鶴丸は一息ついて、「この本丸には、酒が無いなあ」と、呟いた。ひどく寂しそうな、声音だった。大切な人を失ったような、そんな、声。

「人は死ぬんだ。簡単に。不思議だ。死なない神を創れるくせに、自分たちは勝手に、あっけなく、死んでいく。ものに心がないとでも、思っているのだろうか。悲しいよ。俺は一生、片思いだ。きみは、せいぜい長生きしておくれ。そのあとの墓になら、一緒に入ってやるから」

鶴丸はひどく寂しそうに、遠く、遥か彼方を見つめながら、そう言った。そうして、心の中で、つけたした。誰にも、何者にも、聞こえないように。これは鶴丸だけの、秘密だ。少なくともこの本丸に、鶴丸と同格か、それ以上の神格の刀がやってくるまでは。

魂は山姥切国広が、もっていって、しまうけれど、と。


四章 はじめましてゲスト様、今日からあなたもホストになります 秘密の話をしてください

一夜、鶴丸は固い畳の上で寝る羽目になった。山姥切の布団は山姥切が使っていたし、鶴丸の布団は審神者が使っていたし、審神者の布団では霊力と神気がついていてどうにも眠れそうになかったのと、それはやはり憚られると思ったからだ。そうして、鶴丸が体のあちこちが痛いなあと目を覚ますと、そこには武装した山姥切が真剣な面持ちで立っていた。

「ああ、おはよう切国。ひどい朝だ。身体のあちこちが痛くってなあ。申し訳ないが、今晩は審神者の使った俺の布団を……」
「頼みがある」
「……ふぅん。そんなに据わった眼で、何を頼まれるのやら」

鶴丸は飄々とした中に毒を含んだ眼で、山姥切を見返した。

「……手合わせを」
「ああ、いいぞ。手合わせしながらでも、話くらいは、できるだろう」

鶴丸の眼はいつも、鋭く、鈍く、光る。

本丸には一応、道場がある。離れに、それなりの広さのものが。二人で手合わせするには、広すぎるくらいだ。ここは山姥切がひとり、刀の感触を確かめるのと、精神統一をするのに使ったくらいで、あとはまだ何にも使われていない。

「木刀はない」
「文字通りの真剣勝負ってわけか」
「怪我さえしなければ、問題ないだろう」
「ああ、まあ、たいした怪我はしないぞ。安心しろ。『身内』同士では真剣であっても、刃がないのと同じだからな」
「……それも、知らなかった」
「ひとつ勉強になってよかったなあ」

山姥切は言葉少なく、すらりと、刀を抜いた。うつくしい、国広の最高傑作。鶴丸も、なんでもないように、刀を抜く。刀身は波が少なく、真直のように、少なくとも山姥切には視えた。その瞬間、神気の刃が山姥切の頬を掠め、一筋、傷をつくった。少しの血液が、そこから流れる。

「言ったろう。『たいした』怪我はしない、と」

山姥切は怯んでは負けと言わんばかりに、昨日と同じく、逆袈裟に斬りかかる。鶴丸はやはりそれを昨日と同じように、受け流した、と、少なくとも山姥切は思ったが、角度が、微妙に違った。態勢を崩されると踏んで構えていたところに、隙ができた。波紋と同じ軌跡で、鶴丸の刀が山姥切の軸足を打つ。たたらを踏んだところに、ひらりと舞うような、しかしひどく殺気のある刺突が一撃。山姥切は息が詰まり、膝を折った。

「これが戦なら、まぁ、戦線崩壊。もう戦えないか、折れるのを待つばかり」
「……っ」
「俺も戦に出ちゃいないが、まあ、地力の差だろうなあ」
「……っは、」
「息をつく暇を俺が与えてやったんだ。ありがたく呼吸するといい」

山姥切は目を眇め、立ち上がる力で今度は左薙ぎに、一筋。鶴丸は刀を逆立てて、これを受ける。腕がしびれたはずだ。そこに隙ができるはずだ、と、山姥切はそこに付け入る心づもりだった。が、鶴丸はお見通し、とでも言いたげに刀を片手に持ち替え、山姥切の懐に入り、柄で鳩尾に、また一撃。山姥切は今度こそ、くずおれた。

「これで、刀剣破壊」

息ができない。こんなにも、自分は弱かったのか、と、気を抜けば暗くなりそうな視界で歯噛みした。

「まあなあ、お前が一晩、何考えてたかなんてなあ、わかるさ。どうせ、『折れないくらい、強くなれば』とかだろう。あとは『守れるくらい、強くなれば』とか」

鶴丸は「腕がしびれるとこんな感覚なのかあ」とそれを確かめながら、そんなことを言った。

「間違っちゃあいない。それが正しい。でも、刀の本質を忘れてる。刀は人を、……うーん、語弊が、あるが、まあだいたいが人間を、『殺す』ことで『守る』道具。その矛盾が、欠落してる。……歪んでるだろう?それなのに、刃は、反りこそすれ、折れこそすれ、曲がりは、しない。まっすぐな人の想いが人を殺し、それによって、人を守る。かなしいとは思わないか。まあ、アレだ。俺が言いたいのは、そうさなあ」

金目が、まだ揺らぐ視界に、眩く、ひかった。

「守りたいだけじゃあ、殺せない。殺せないなら、お前は、死ぬ側だ、って、そういう話」

鶴丸はひらりと、刀を振った。そうして「視えるか」と。

「俺の、殺気。殺す感覚ってのを、この俺はまだ知らないが、俺は少なくともお前を殺すつもりでやってたぜ。お前はどうだ、切国。『人の子ひとり殺せなかった』お前が、いったい、何を殺せるつもりで、神の前に立っているんだ?」
「…………す、」
「……聞こえないなあ」
「殺すぞ国永ぁ!!」

号でなく銘で呼んだのは、咄嗟だった。山姥切はかぶっていた布を邪魔だと剥ぎ取り、それを、鶴丸に投げつけた。視界が奪われた鶴丸がそれを払った懐に、山姥切が思い切り、刃を突き立てる。胸の真ん中にそれは当たり、刃が無いも同然なのに、浅く、刺さった。鶴丸は流石に天を仰いで倒れ、ほんの少し、瞬きの間、意識を失ったようだった。

山姥切はぜえぜえと呼吸をしながら、どこか冷静になった頭で、「あんた、こういう生き方しか、できないのか」と、呟いた。鶴丸は、やっと、はぁ、と息をついて、「そうさなあ、少なくとも、生きづらいとは、思うよ」と言った。涙は枯れたと言わんばかりに。

これ以上はやめておこう、と言ったのは鶴丸だった。ふたりともそのあとは壁にもたれて、「木刀はやっぱり必須だよなあ」だとか、「これは手入れが必要になるのか」だとか、「いやこれは神気でつけた傷だから、自分で治せる」だとか、他愛のない話をした。

「そうだ切国。俺は昨日、審神者にラジオというものを見せてもらった。面白い機械だ。現世にまだあんなのが残ってたんだなあ」
「……あいつは、何か言っていたか」
「ラジオは大事らしいが、音は好きでないらしい。よくわからんな、人の子は。なのに、一晩中、その音を鳴らしているんだ。どんな顔だったか、聞きたいか」
「……いや」

山姥切はその顔を、少なくとも鶴丸よりは長く、見ている。

「で、だ。ここからは俺の驚きの提案なんだが……」

鶴丸が何か言いかけた時、するりと、時の政府から何かが差し込まれるのが、わかった。書状か、令状か、なにか。鶴丸の『驚きの提案』にあまり興味を持てなかった山姥切は、「見てくる」と言って、道場から出て行った。鶴丸はその後ろ姿を見て、「お前も充分、生きづらそうに、みえるがなあ」と、溜息をついた。むしろ、生きやすい刀など、この世の存在するのだろうか。


五章  スタジオではお静かに 戦なんてもってのほかです

政府から届いていたのは、書状と、令状と、金一封だった。例に漏れず審神者の部屋に届けられていたので、山姥切はうず高く積まれた書籍を見ることになる。本棚を買わねばなるまい。

審神者も起きていたらしく、制服姿でそこにいた。山姥切は戸を叩かなかったので一言「すまない、空き部屋で、まだ寝ているものだと」と、詫びた。そこに鶴丸がやってきて、「お、現世で言うラッキースケベは起こらなかったのか?」と茶々を入れてきた。

山姥切がまずは書状、と、それに目を通す。内容的には昨日の『試験』の合格通知のようなものだった。貴本丸に鶴丸国永の鍛刀、顕現を確認云々。刀帳への登録をした旨云々。成績は「秀」云々。それを実績とし、寸志を云々。つまるところ、優秀な成績での試験合格おめでとうございます、お祝いに金一封を心ばかりですがボーナスとして送ります、という内容がたいへん難しい言葉で書いてある、と、山姥切は理解した。

「多分これはあれだろうなあ、成績は低い方から『不可』、『可』、『優』、『秀』の順序だろう。鍛刀自体できなかったら、もちろん『不可』。短刀や脇差、打刀とか、太刀以外だったら『可』、普通の太刀なら『優』。俺みたいな神格高いやつ呼べたら『秀』なんだろうなあ」
「……短刀や脇差でも、よかったのか……」
「おいおい、いい成績取るってのは大事だぞ。今後に関わるんだから。一番は給金だろうな!質素な本丸がどんどん豪華になっていく!」
「……豪華にする必要はない。それから、よく自分で神格が高いだの云々言えるな……」
「実際そうなんだから仕方ないな!」

鶴丸はなんにも考えてないように笑って、山姥切の肩を抱いた。そうして、今度は打って変わって声を潜め、「良すぎる成績は、身を滅ぼすだろうけどな」と、耳打ちしてきた。山姥切は「『秀』より上が、あるのか」と。鶴丸は「危なくそれをとるとこだったなあ」と、笑って、誤魔化した。天下五剣、という単語が、山姥切の脳裏をよぎる。少なくとも、この審神者は、それを呼び出すだけの力があると、鶴丸は言うのだ。

気を持ち直し、山姥切が審神者に書状の内容を説明しようとした時、審神者は、震える手で、現世でも使えるだろうお金の入った封筒を、開けていた。そうして中身を確認すると、その手から、ぽとりと、封筒が落ちる。重たい音がした。山姥切は思い出した。この審神者のことではなく、自分のうちに眠る魂の記憶を。

「それは自由に使うべきだ」

審神者は、はたと山姥切を仰ぎ見た。

「服を買ってもいいだろう。好きな本でも、遊び道具でも、なんでも。生活費は、別に支給される。だから、それは、あんたのために、使ってくれ」

そう言ってから、山姥切は鶴丸が羨ましくなった。鶴丸のようにまっすぐ、何かを伝えられたらいいと、思った。「お金を払わなくても、俺はあんたを救ってやる」と、ただ、そう、伝えられれば。

「なあなあ、真面目そうな?いや『楽しそうな』話をしているところで悪いとは思うんだがな?俺的にはな、一番大事なのは令状だと思うんだ。で、そう思ったから勝手に確認したわけなんだが、昨日の今日で政府もまた無茶な令状寄越すもんだなあと思ったんだが、その驚きの内容を発表していいか?」

え、という顔で、山姥切と審神者は、鶴丸を見る。鶴丸は仰々しく「令状」と書かれた紙をひらひらさせながら、「今日中に戊辰戦争終結の地、函館に出陣し、時間遡行軍に勝利せよ」と、その短い内容を、読み上げた。

普通の審神者であればきっと鍛刀も出陣も、ついでに手入れやら刀装やら何やらとにかく一日目で済ませてしまうのだろう。そんなことは山姥切にもわかっている。そして政府が一応この審神者を例外扱いしているということもわかっているがしかし、昨日の今日は厳しすぎないか、と、山姥切は思った。

結局審神者はまた書物を紐解き、基礎をやる暇もなく時間遡行軍やら出陣やら函館やら戊辰戦争やらの内容を頭に叩き込まねばならなくなってしまった。昨日とまるで同じ展開だ。ひとつ違ったのは、山姥切には読めない審神者の教科書が、鶴丸には読めるという点だ。鶴丸曰く「初期刀は情報ロックが多いからなあ。審神者を甘やかさないようにってことだろう」ということらしい。多分「初期刀」ではなく、「神霊」だろうが。

山姥切は審神者の勉強においては役立たずであったため、刀装を作らされる羽目になった。審神者の部屋と山姥切の部屋は襖で仕切られただけのものだったので、その襖を取っ払い、山姥切の部屋の方に資源を持ち込み、審神者の霊力を意識しながら、そこに新しい命を与える。ただそれだけのことなのに。

「切国、刀装作るの、下手すぎないか?」

審神者に勉強を教えていた鶴丸が気付いた時には、ぶすぶすと黒く焦げた丸い玉が四つほど、転がっていた。並すらできていない。鶴丸は呆れて、審神者に「こことここ読んどけ」と教えたあと、「手本を見せてやろう」と、資源の山に手を出した。そうして、「さあおまえはなんになりたい?ふんふん。そうかあ、槍兵かあ。でもなあ、俺らじゃあ使えないんだよなあ。軽騎兵か、軽歩兵か、まあ妥協して投石兵でもいいぞお。お、そうかあ軽騎兵になってくれるかあ。いい子だなあ」なんて言いながら、何故か金の盾兵を作り上げた。そうして、「軽騎兵になると思ったか?」と、山姥切にいたずらっぽく、笑ってみせる。しかし盾兵であれば鶴丸も山姥切も装備できる上、特上だ。

「まあ、特上ができたのはたまたまだ。ほぼ運みたいなもんだからな。あと語りかけには意味がないぞ。ただの演出だ。お前が失敗するのは、審神者の霊力と自分の神気を混同しちまってるからだ。たしかに似てるからなあ。ま、がんばれ。ただし資源は有限だぞ」
「……ああ、」

山姥切は、たしかに、この空間では、審神者の霊力も、自分の神気も、混ざって、ひとつのようになってしまっているな、と、思った。心のどこかで、この審神者の力は、魂は、人生は、自分のものだと、傲慢なことを思っていないかと、自分を見つめ直す。実際、そうかもしれない。けれど、山姥切と審神者は別々のもので、別々の考えをして、別々に、生きている。そんな簡単なことも、忘れてしまっていた。

「……できた」

軽騎兵の、並ではあったが、それはかたちをもち、山姥切の手の中に、納まっていた。鶴丸は「まーだへたくそだなあ」なんて茶化してきたがしかし、その言葉に棘はなかった。

刀装はとりあえず、五つあればいい。山姥切はその後も悪戦苦闘をしながら、どうにか、軽歩兵の並と上、軽騎兵の上を作り上げた。これで問題はないだろう。審神者の勉強の方も最低限をどうにか詰め込み終わったようで、時刻は正午を過ぎていた。昼食をとって、それから山姥切と鶴丸で部隊を組み函館へ、という算段になった。

「うーん……初日から思っていたが、きみたち、料理というものをしないのか?」

果物や生野菜、レトルト食品を取り出すふたりを見て、鶴丸が苦言をていした。

「俺はしたことがない。知識は集められるだろうが……」

審神者もできない、という風な顔をする。むしろこんなに食べなくても、というような顔さえする。それを聞いたり見たりした鶴丸がはあと溜息をついた。

「まあなあ。俺も料理はしたことがないからなんとも言えんのだがなあ。俺が伊達家に迎えられたのは政宗公が亡くなってからだしなあ。しかしこれは不摂生というやつだ。今日の出陣が終わったら……まあ、函館なら半刻もかからんだろうし、刀装があれば手入れもなかろう。町にでも行って料理本でも買うか。それ用の食材も。一番いいのは――――か――――がここに来てくれることだなあ。特に――――なんかは刀の姿の時から料理……のようなものに使われたという可哀想な逸話が残っているくらいだからなあ」
「いない刀の話をしてどうなる。……それから、しばらく鍛刀は……しなくとも、いいんじゃないか。令状が来ているわけでもなし」
「いーや、鍛刀は必須だ。短刀も脇差も必要だろう。と、いうか、本来は一部隊六振りなんだぞ!さらに遠征もあるし、部隊は最低ふたつ欲しいとこなんだが……」
「……ゆっくりで、いいだろう」
「お前の言うゆっくりってのは、どれくらいのスピードなんだ?一年か、十年か、それとも五十年か?ああ、人間の人生って、昔はそれくらいだった気がするなあ。人間五十年化天のうちを比ぶればって唄、誰がうたったんだったか」
「あんたの……いつかの持ち主だろう」
「ああ、そうだったそうだった。この年になるとなあ、物忘れがひどくてな」
「付喪神の俺たちに年も何も……」

二人の会話を、審神者はパックされたゼリーを啜りながら、静かに、聞いていた。どちらに加担することもできず。どちらを正しいと、判断することもできず、ただ、静かに。


五章 スタジオではお静かに ゲストは一回につき、一人までです

時間遡行軍と戦うのは、戦えるのは、時を遡ることのできる刀剣のみ。審神者は、その刀剣たちを、時空の門を開いて、送り出し、帰りを待つだけ。霊気の紐をくくりつけて戦況を見守ったり、指示が出せるのは、ほんとうに一握りの、それこそ多くの経験を積んだ、優秀な審神者のみ。

未熟な審神者は、ひときわ大きな門の前に立ち、維新の時代を想った。人々が刀を振るい、銃を持ち、日本の中で戦った、ひとつの終わりと始まりの時代。どうしてそんなかなしいことをしたのだろうと、審神者は思った。それは知らないから故の感傷だとも、自覚した。山姥切が、鶴丸が、刀として存在した時代を、そして、そうなるに至った歴史を、できるかぎりの知識を、教養を、身につけなければならないと、思った。しかし、それは、今ではない。今やるべきことは、ただひたすら、願い、門を開けること。

この門の前に来る前、審神者は一枚の書状を、形式に則って、書いた。

『山城国第零玖肆本丸
第一部隊
隊長 山姥切国広
隊員 鶴丸国永』

そうして、その書状を、隊長である山姥切に、渡した。山姥切はそれを受け取り、懐に入れた。いつもより、布を目深にかぶっていた。見せたくない貌があるのだと、審神者にはわかった。山姥切はやさしくて、きれいで、うつくしいだけの神様じゃないのだと、そのとき、はじめてわかった。けれど、こわいとは思わなかった。不思議だった。

門の前に立った時、山姥切の神気を、たしかに感じた。鶴丸の神気の方が、強いのに、それでも審神者は、山姥切の神気を感じたのだ。それが、全てだから。

山姥切のなすべきことを、させてあげるために、審神者は、目を閉じた。自分のすべきことを、するために。そこに迷いはなかった。

門の向こうは、光が射して、奥を視ることはできなかった。しかし、開いた。その眩しさに審神者が目を眇めた時、山姥切の変わらない声で、「行って来る」と、聞こえた。それだけで、安心できた。二振りが門をくぐった次の瞬間に門は閉じ、なんでもないような顔をして、審神者の前にあった。静まり返った本丸の中、成すべきことを、成そうと、思った。

審神者は、門の前で待つことはしないで、すぐに、鍛刀場へ、向かった。部隊は、六振りいなくば成り立たない、と、鶴丸は言っていた。自分の今の霊力がどれくらいあるのかはわからない。うまく使えていないのかもしれない。けれど、一振りでも、鍛刀できたら、と、思った。山姥切国広は、打刀。太刀はあぶないと、山姥切も、鶴丸も言っていた。短刀や脇差は見たことがないから、多分山姥切の助力がなければ呼び出せない。けれど、打刀なら、どうにかなるかもしれない。

審神者は、打刀をイメージして、そこに、前と同じように、願いをのせた。

どれくらいの時間、そうしていただろうか。こうしているとき、審神者は時間を感じない。ただただ深い海に潜っているような気分になる。ともすれば、帰ってこられなく、なるような。けれど、光射す方へ向かえば、いいのだ。そこには、いつだって。

無名刀がにわかに光り、ぶわりと桜の大群が舞った。そして、そのひかりがおさまった時、また、ひとのかたちをした一振りの神が、そこに立っていた。

「……」

その神はしばらく無言で審神者を視たあと、ぐるりと周囲を見渡した。

「……近侍がいないな。あんたの近侍はずいぶん、危機感がないのか……いや、違うな。あんたが、どうしようもない、間抜けなのか」

浅黒い肌と、左腕には入れ墨。学生服のような戦装束。その刀剣は、腰に帯びた刀をすらりと、抜いた。刃の付け根に、竜の彫り物。まるで、腕から竜が伸びている、ような。そしてその刀はぴたりと、審神者の喉元にあてられる。刃自体は触れていないのに、そこから放たれた神気が皮膚を裂き、薄く、血を流させた。

「……悲鳴もあげられないのか、餓鬼の陳腐なプライドから、あげないのか。……あんたからは変な神気を感じる。あんたの霊気じゃない。執念深くこびりついた、神気。なんの役にも立たないがな」

その神は、威嚇するように、刀を鳴らした。今にも殺すぞ、と、いわんばかりに。しかし審神者は、ただ、ああこの刀が、自分の願いを聞いてくれたのか、と、思った。そして、従え、と、願う。命令形で、願う。何度も、何度も、何度も。

神は静かに、思案しているようだった。何を考えているのかは、わからない。探る暇もなく、願い続ける。そうしているうち、その神は舌打ちをした。

「……『大倶利伽羅』だ。号はあれど、今はただの、無銘の刀。あんたは、しつこい。近侍も連れずに鍛刀だなんて、そんな阿呆と、慣れ合うつもりはない」

刀はすでに下ろされ、するりと鞘に収まっていた。それと同時に、大倶利伽羅は狭い鍛刀場を出て、本丸へと向かうようだった。審神者は、契約がなされたことに安堵し、それについていった。しかし部屋の外に出てみたら、どうして、日が傾いていた。

鶴丸は、なんと言っていただろう。函館なら、一刻も、かからない、のでは、なかったか。

そのときだった。本丸に何かが入り込んでいることに、ようやく、気づく。政府からの何かと、すぐにわかったが、しかし、それは書状だとか、令状だとか、そういうものでなく、もっと、何か、違うものだ。審神者はすぐに動きを止めたが、大倶利伽羅は知ったことかと、渡り廊下を、進んでゆく。その廊下の曲がり角に、見た事のない、黒づくめの、多分『刀』が、立っていた。

「あれ、大倶利伽羅、この本丸に来たんだね」

大倶利伽羅、と、親し気に呼んだということは、大倶利伽羅の知り合いなのだろうか、と審神者は思った。けれど、おかしい。この本丸には、山姥切と、鶴丸と、さっきの鍛刀できた、大倶利伽羅しかいない、はず。出陣先で刀を拾うことはあると鶴丸に教わったが、しかし、この本丸内に、山姥切の気配も、鶴丸の気配も、ない。帰城した痕跡もない。審神者の知らない方法で、刀剣が顕現することが、あるのだろうか。

「はは、鶴丸さんと、僕と、大倶利伽羅。ずいぶん揃ったね。これで――――が時の政府と契約したら……」

ぺらぺらと、鶴丸のようにしゃべる刀をよそに、大倶利伽羅は暗みはじめた外を視た。

「……なるほど。今は、……黄昏時……それを踏まえて、聞こう。あんた、誰だ」
「……え?何言ってるの……?僕だよ、僕。――――だよ」
「……『誰そ彼』、か。過ぎれば、転じて逢魔時。なるほど。おまえのような矮小な管狐でも、神の姿を借りるくらいは、できるということか」
「……やだなぁ、もう」

次の瞬間に、ギィン、と、金属のぶつかり合う音がした。いつの間にか抜刀した大倶利伽羅が、黒い刀と打ち合ったのだった。しかしそれも、すぐに、終わった。鈍い音と、ごとんという、こわい、音。そして、赤い、血潮の飛沫で。

審神者は、足が震えて、へたり込んだ。それをよそに、大倶利伽羅はぼそぼそと「――は、俺を大倶利伽羅とは呼ばない。鶴丸を、鶴丸とは呼ばない。――――を、――――と呼ばない。誰より号を、嫌った刀だからな」と呟いた。それが、最後。なにかが息をしなくなったのを確認すると、大倶利伽羅は露を払うように、血を払った。

「……あんたも妙だが、この本丸も……」

大倶利伽羅が言い終わる前に、バチン、と、何かが砕けた。その瞬間、山姥切と、鶴丸の神気が本丸になだれ込んでくる。それはかなり消耗しているのか、焦っているのか、とにかく揺れている。かたかたと震える審神者をよそに、大倶利伽羅は静かに、溜息をついた。背を向けたまま、「何か」の死骸が審神者に視えない位置を、保ったまま。


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